本当に相応しい審議会とは?
月刊ニューメディア編集長 吉井 勇
「民間の声に聞け」ということに阿すぎではないか、という意見は今までに聞いたようでありながらも、実に新鮮であった。成功者の声、いや真剣な意見ではなく、ただの権威的な立場で「擁護」する議論では、大変化に対応する自在な見解にはならないというのは同感。
では、どうした仕組みなり、審議なりが相応しいのか、そこをお聞きしたい。そここそ安延さんに期待したい議論だ。利益(私利)を離れ、国家体系を考えられる人、そんな人は居るのかという気持ちもよぎる。では大失敗した人ならどうか。そこには怨みの論しかないだろう。となると、そうした人材を持つ、育てられる機関こそ、リーダーということになるが・・・。果たしてそれが可能なのか。
安延さんの論を読むにつけ、審議会方式の形骸化は、民活時代から一層加速し、いまやどんな審議会も(HPで公開されている)審議内容を掻い摘んで読んでも、専門性を感じない意見になっているように思う。
安延さん、こうした審議会の本当の力(本来ならばあるはずとして)を示すには、2時間や3時間の時間ではなく、2日間とか3日間とかのロング審議で詰めるようなことも必要ではないか。そんな方法論から、見直すことも必要に思うが、いかがだろうか。
雑文失礼。
市場に参入しようとするニューカマーの意見を聞くべき
副所長 田中伸男
全く同感。審議会のたぐいはおよそ「箔付け」以外の意味が無いにも関わらず、相変わらず続いています。安延さんのいうように、現状維持の意見を反映しているという点では構造改革にはむしろ有害といえるのかも知れません。では誰の意見を聞けばいいのか。これはこれから市場に入ろうとして苦労しているニューカマーしかありませんね。たとえ髪が金髪だろうが、目が青かろうが、仕方がないのではないでしょうか。不良債権処理にあたっても「なんではげたかどもに、おいしいえさを与える必要があるのか」という人がいますが、これなど現状を変えることで困る人の「犯人探し」かつ責任逃れの言い分でしかありえません。コーポレートガバナンスとはダメな社長の首を取ることです。外部取締役という形でなければ欧米でもガバナンスは働きません。日本の場合護送船団を破る力があるのは外国人ということなのでしょう。ゴーンしかり、コリンズしかりであります。私は彼らのことを「黒船」や「はげたか」ではなく、「白馬の騎士」と呼んでいます。