日本の経済社会の粘着性と構造改革論の陥穽

安延 申
ファカルティフェロー

過日、国会議員2名、大組織を退職して現在金融分野の最先端で活躍する人2名、そしてIT分野で仕事をする人が2名と某有力経済官庁の課長クラス1名というメンバーで食事をする機会があった。メンバーの特徴としては、ビジネスに携わるメンバーが、いずれもサラリーマンではなく、一国一城の主であったという点であろうか。いつもであれば、こういうコラムで紹介するのが憚られるような話題が中心で盛り上がるのだが、この時は何故か深刻な議論となり、日本の金融市場が構造改革が十分に進展するまで持ちこたえられるかという話題となった。ただ、ここで紹介したいのは、その議論の内容そのものではない。日本の不良債権問題や金融問題を巡る理論的な考察については、このコラムでも鶴、高橋、小林の各フェローがさまざまな視点から言及しているので、敢えて私がそうした議論をくり返すまでもないだろう。ただ、各メンバーがもっとも危惧していたのは、いかなる政策であれ、結局、日本の既存組織の体質、構造が改革の速度を鈍らせるのではないか、結果として実体経済よりも遙かに調整の早い金融・資本市場が大きく揺れ動き、持ちこたえられないのではないかという点であった。特に、大組織を出てビジネスの一線で自らリスクを負っている人達が、既存の企業、既存の組織が「改革を受け入れる readiness がない」と、強い危惧を持っていたのが印象的であった。

本研究所の所長、青木昌彦が、全国紙の夕刊に連載しているコラムで「制度は制度単独で存在しているわけではなく、それを可能にするような、或いは、それをもたらすようなイナーシャ(慣性)が社会に存在する」といった趣旨のことを述べていた。確かに、私も官庁という大組織を出て、小さな組織で活動していると、それを痛感することも多い。私の関わりの深いIT分野で、「アメリカではIT革命をベンチャー企業が引っ張ったが、日本では大企業がITで変わり始めてこそ本物だ」ということをいわれたことがあった。この主張を理論的に裏付けるような根拠は何もない。にも関わらず、多くの人々は、この主張に首肯する。日本では、改革、改革と叫ばれる割に、人々は現在の仕組み、既存の権威に対して信任を置いているのではないかと思われることが多い。例えば、このドッグイヤー、有為転変が他のいかなる分野よりも激しいと思われるIT分野を取り挙げてみよう。下の表は、米国において、約20年前にそれぞれの分野で「代表的企業」と呼ばれた企業と、現在の代表的企業を並べてみたものである。かつて繁栄を誇った多くの企業が姿を消し、対照的に多くの新興企業群が登場していることが分かる。(ブルー文字は左の欄にない企業)

それでは、これと同じ表を日本について作ってみるとどうなるだろうか? 皆さんは、おそらく、殆どの欄に左右同じ名前の企業を発見する筈である。これは一体どういうことなのだろうか?

日本で、改革論議を行うときに、「もっと民間のいうことを聞かないと・・・、政府は経済を知らない、経済政策決定から官僚を排除して民間人だけで決めてしまえばよい」といった議論が聞かれる。本当にそうだろうか? 先日、ハーバード大学ビジネススクールでのコンファランスで、日本経済を巡る議論に参加した際に、面白い話の展開になった。それは、「日本は民間の声を聞きすぎるために変化への対応が遅れたのではないか」ということである。例えばアメリカで20年前にIT産業に関わる政策を立てる際に、民間から意見を聞いたとしよう。その時に出てくるのは、上の表の左側の欄の企業である。何故ならば右側の欄の企業群の多くは、まだ誕生していないか、誕生していたとしても、立ち歩きもままならない赤ん坊だったのだから。しかし、左側の企業の多くは、右の欄の企業が実現した多くの技術的ブレークスルーをサポートするような政策を提案することはなかったはずである。それは結果として彼らの繁栄を縮めることになるからだ。

にも関わらず、日本では、政府のどのような審議会を見ても、戦略会議を見ても、そこに登場している多くの人は「成功した人」であり、「守りの立場にある人」である。今また、こうした人達が構造改革を論じている。正直なところをいえば、これらの人々の意見を聞き、政策を立案することに、権威付け以外のいかなる意味もないように思われる。いや、本当に意見を聞いているとすれば、むしろ有害ですらあろう。既存のエスタブリッシュメントに政策の権威付けを期待することは、高度成長時代のような、基本的に同じ成功の原則が将来も続くと見込まれる場合には意味がある。しかし、現在のような大きな変化の時代には、既存の権威は必ず「守り」に回り、変化に遅れる。それは、失礼を承知でいえば、既存の大銀行や証券会社の意見を聞いて立案されてきた日本の金融政策や、大通信会社に知恵を求めて立案されてきた日本の通信政策、規制の下で守られた市場を享受しているエネルギー企業や公益企業から意見を求めてきたエネルギー政策が、環境変化にキャッチアップできず、完全に時代の後追いになったことが何よりも雄弁に物語っているのではないだろうか。

この一例が示すように、日本での既存のシステムにおける権威への信任は、想像以上に大きく、構造的な粘着性は強いと考えられる。しかし、金融市場、資本市場の動きは早く、実体経済の変化を待ってはくれない。それが、冒頭の会合での皆の憂鬱の種になったのであり、日本が直面する最大の課題だと考えられる。

2001年9月25日

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2001年9月25日掲載

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