小林慶一郎のちょっと気になる経済論文

第13回「A Model of Secular Stagnation」

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

マスターくん
某私立大学大学院修士課程2年生(経済学)。経済学者志望で目下猛勉強中。

小林 慶一郎写真小林フェロー:今回考えたいのは、Gauti B. Eggertsson and Neil R. Mehrotra "A Model of Secular Stagnation" NBER Working Paper 20574 です。2013年にLaurence Summersが「長期停滞がこれからの常態(New Normal)になる」と主張したのを契機に、長期停滞(Secular Stagnation)論が米国の経済論壇で非常に注目されています。Secular Stagnationは借入制約の厳格化や人口の高齢化・人口減少、所得格差の拡大によって、経済停滞が長期的に続く、という説です。

マスターくん画像マスターくん:1990年代以降の日本経済の停滞や、2009年以降の欧米経済の停滞がこれからも続くというおそれの中で、昨今長期停滞説が新聞やブログなどにおいて論じられていますよね。

小林 慶一郎写真小林フェロー:そうですね。しかし、これまでは、Secular Stagnation論は経済評論にとどまっており、フォーマルな理論にはなっていませんでした。

本論文は、Secular Stagnationの考え方を、首尾一貫した理論モデルとして定式化した論文であるといえます。

日米欧をはじめとする世界経済が長期停滞を続けるとするなら、今後の経済政策を考えるうえで、長期停滞論を正しく理解することは不可欠です。この論文は、そうした理解を進めるための第一歩として、非常に重要な意義を有する論文であるといえます。

マスターくん画像マスターくん:論文の目的はどこにあるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:Summersは自然利子率が長期的にマイナスに陥っているために、欧米では長期停滞が続く、というSecular Stagnation論を提唱。本論文はその理論モデルを提案しています。ただし、本論文では、「自然利子率が長期的にマイナスになっている」ことを示す実証研究については言及がありません。実証的な証拠は度外視して、とりあえず、Secular Stagnation論の理論モデルを作ることが本論文の目的です。

マスターくん画像マスターくん:本論文が提案したモデルについて教えてください。

小林 慶一郎写真小林フェロー:以下、簡単に本論文の要約を説明しましょう。

1. Endowment Economy
基本モデルは、各世代が若年、中年、老年の三期を生きるOLGモデルです。若年が借入をし、中年が貯蓄する。借入制約や人口成長率によって、借入需要と借入供給の大きさが影響されるので、マイナスの自然利子率になることもある。本節の主な結果は、「パーマネントな変化として、借入上限が小さくなったり、人口成長率が低下したりすると、自然利子率がマイナスになる」ということを解析的に示したことです。

2. Price Level Determination
本節では柔軟な価格のモデルを考察しています。自然利子率がプラスのときは、インフレターゲットが正またはゼロのインフレ率である限り、完全雇用水準でマーケットクリアします。しかし、マイナスの自然利子率のときは、インフレがかなり高い値でないと均衡が成立しません(Endowment Economy ではインフレターゲットが低いと、均衡が存在できなくなる)。

3. Endogenous Output
中年の世代が労働し、その労働から消費財が生産されるモデルを考察。労働の供給量は一定。賃金に下方硬直性(Real rigidity)があります。賃金は、下方にのみ硬直的で、上方には硬直的ではないと仮定する。すると、賃金の下落が遅すぎて、失業が発生します(実質賃金が高すぎる状態が均衡で起きる)。

縦軸にインフレ率をとったASカーブとADカーブを書くと、i = 0のときに両方とも右上がりになる(ADカーブの傾きの方がASカーブの傾きよりも急になる)。すると、借入上限の低下や人口成長率の低下によって、失業を伴ったデフレ均衡が唯一の均衡になる場合があります(第二節の結果と同様)(注1)。

4. Keynesian Paradoxes
節約のパラドックス(Paradox of Thrift):生産性が上がるとASカーブが右下にシフトして、均衡では生産量が減ります(生産効率が上がると価格が上がりにくくなり、そのため、デフレがひどくなる。そのとき、名目金利ゼロで固定されているので、実質金利が上がり、生産が減る)。

柔軟性のパラドックス(Paradox of Flexibility):賃金の硬直性が弱くなる(賃金がより柔軟になる)と、ASカーブの傾斜が急になり、均衡の生産量が減ります(期待インフレ率が下がり、名目金利ゼロなので、実質金利が上がる)。

5. Monetary Policy
インフレターゲットを上げると、(完全雇用のもとで名目金利がゼロになる)キンク(kink)が右上にシフトし、完全雇用の均衡が発生します。しかし、デフレ均衡も引き続き存在する(均衡は複数均衡になる)。したがって、インフレターゲットを上げてもデフレ均衡から脱出できるとは限りません。インフレターゲットを上げても、デフレ均衡が続く可能性を排除できません。

6. Fiscal Policy
財政政策(課税と国債発行による世代間の所得再配分)は、デフレ均衡を消滅させ、完全雇用均衡に均衡がシフトします(国債発行により自然利子率が上昇し、キンク(kink)がシフト)。

財政政策はゼロ金利下では大きな乗数効果を持ちます。その理由は、Ricardian Equivalenceが破れているからです(中年世代が政府債務の償還のために将来課税されることはない、と予想するとADが右にシフトする)。

7. Determinacy
3つの定常状態のうち、デフレ均衡(不完全雇用、デフレ)は安定(determinate)。もう1つのデフレ均衡(完全雇用、デフレ)は不安定(indeterminate)で、これはBenhabibらのモデルのデフレ均衡に対応。完全雇用のインフレ均衡は正常な均衡。安定性は定常状態の周りで線形化して調べます。

8. Introducing Capital
賃金はFlexibleとし、資本財の相対価格p_t は外生的に決まるとします。選好ショックで貯蓄性向が増したら、ADカーブが左にシフトし、ゼロ金利のデフレ均衡はADカーブもASカーブも右上がりの領域にあるので、デフレ均衡は左にシフトします。結果的に、生産量は縮小し、デフレも悪化します。

マスターくん画像マスターくん:本論文の政策的含意はなんでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:本モデルによると、長期停滞均衡では、金融政策の力が限定されています。インフレターゲットを高く設定しても、必ずしもデフレから脱却できるとは限らない(デフレ均衡とインフレ均衡が両方出現するが、どちらに行くかは理論モデルから予想できない)。むしろ、財政政策によるデフレ脱却であれば、モデル上、確実に実行できることになります。

本論文は、「いまの日欧米の金融緩和依存では長期停滞を脱出できないかもしれない」ということを示唆している点で、リフレ派的な政策論に一石を投じるものとなっています。また、財政政策の積極的な発動を推奨することになっているので、ユーロ圏の緊縮型の財政政策に対する英米の反論に理論的な基盤を与えるモデルとなっています。

マスターくん画像マスターくん:論文に理論の穴はないのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:私が本論文で感じた問題点は下記3つです。

1. なぜパーマネント(恒常的)なショックが生じるのか?
本モデルは、パーマネントなショック(借入上限の低下、人口成長率の低下など)で自然利子率がマイナスになります。しかし、たとえば、なぜパーマネントに借入制約が変化するのか、説明はありません。借入制約のパーマネントな変化が起きるメカニズムを明らかになれば、そのことに対処する経済政策が考えられるはずです。この論文では、この点にはまったく触れず、金融政策と財政政策のみを考察している。むしろ、借入制約が変化するメカニズムを解明し、借入制約の緩和のための政策を考察することが長期停滞に対する有益な対応策ではないでしょうか。

2. このモデルに「現金」を導入すると矛盾が生じる?
本論文は、「現金」という資産が存在しない、と仮定されたモデルです。現金が存在しなければ、デフレが永続する長期停滞均衡は、矛盾なく定義できます。

しかし、もし現金を含めたモデルにしたら、現金量を減らして最終的にゼロに収束させる金融政策(Friedman rule)を採用しなければ、デフレが永続する均衡では現金についての横断性条件(Transversality Condition)が満たされなくなります。横断性条件が満たされなければ、長期停滞均衡は、理論的に整合的な均衡であるとはいえません。

通常、New Keynesian モデルでは「現金なし」の仮定は簡単化のための仮定だったはずなのに、デフレが永続する均衡を考えようとすると、この仮定が必要不可欠になってしまいます。現金が存在する経済で、金融緩和(現金の供給量を減らさない金融政策)を仮定すると、デフレ均衡が存在できなくなってしまうのです。この点は、モデルの現実妥当性に本質的な疑問を抱かせます。

Eggertssonたちは、現金を導入することで横断性条件の問題が生じることは、論じていません。この点は、モデルの信頼性に関する重大な問題であると考えます。

3. 自然利子率がマイナスであることの妥当性は?
本論文におけるEggertssonたちの第1の目標は、自然利子率(完全雇用を実現する実質利子率)が長期的にマイナスになることが理論的に可能であることを示すこと。現実のSecular Stagnationのエピソードで自然利子率がマイナスになっているか? というと、その証拠は足りません。自然利子率は直接に観測できない変数であることから、さまざまな方法で自然利子率を計測する実証研究があります。欧米では自然利子率がマイナスになったことを示す研究は少なく、日本についても、90年代以降、自然利子率がマイナスになったという研究はありますが、マイナスの時期は必ずしも長くありません(モデルによっては3年間マイナスという計算結果もあるが、モデルを変えると期間の長さも変わる)。

今後、特に2009年の金融危機の後の欧米経済について、自然利子率を計測する実証研究をもっと増やす必要があると思われます。

2014年11月7日
脚注
  1. ^ このモデルの構造では、自然利子率がプラスであっても、長期停滞均衡は存在するのではないかと思われる。自然利子率がマイナスであることが長期停滞均衡になることの必要条件ではない、と思われるからである(Π*を十分に大きくとれば、キンク(kink)はΠ>1で起きる)。第二節の条件が成立しなくても、第四節の長期停滞均衡が発生する条件は成り立つのではないかと思われる。

2014年11月7日掲載

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