財政と金融の連携 新たに

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

今後のマクロ経済政策について、令和臨調の緊急提言(1月30日、以下「令和臨調」という)の論旨を紹介しつつ、それをもとにした筆者の論を示したい。巨額の公的債務を日銀が無制限に買い支えている現状は正常な状態ではない。そこにいま、大きな変化が起きている。

第1に、世界的なインフレに直面して主要国が金利の引き上げに動くなかで、日本の金融政策の特異性が際立ち、金利上昇から財政悪化へという連想が生まれ始めている。

第2に、防衛費、子育て支援、グリーントランスフォーメーション(GX)など巨額の歳出拡大が次々と打ち出され、財政のリスクが強く認識された。

第3に、日本の家計や投資家に外貨建ての貯蓄手段が普及し、円建て資産へのこだわり(ホームバイアス)が薄れ始めている。さらに2022年秋の英国における市場の混乱は、しっかりした政策運営をしているとみられていた国であっても容易に市場の信認を失い得ると示した。日本にとっても大きな教訓となった。

22年10月12日付の本欄でも論じた通り、緩和的な財政金融政策を続けることは長期停滞を助長する副作用がある。財政への将来不安は経済活動を萎縮させ、成長を低下させたかもしれない。「異次元の金融緩和」も民間企業の経営環境をぬるま湯的にし、本来は継続できない低収益事業(ゾンビ事業)を多数生き延びさせた可能性がある。

国の財政や金融に長期的な持続性があると信じてもらうことが、将来不安を軽減し、現在の経済も活性化する。すなわち、財政の持続性と経済成長は、同時にかつ整合的に取り組むべき政策課題なのである。

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令和臨調は出発点を、政府と日銀の共同声明(13年1月22日)の刷新に置いた。財政と金融政策が悪循環に陥っているいま、政府と日銀の政策連携を新声明で明確に表明すべきである、という趣旨だ。

令和臨調は次のように論じている。現状、異次元の金融緩和のもと、日銀は国債購入によって、政府の歳出拡大を事実上無制限に支えている。長期金利がゼロ近くに固定されているため、国債発行が増えてもリスクが金利に反映されない。そのため政治家や政策関係者の間には「国はいくら借金しても大丈夫だ」という感覚が広がり、バラマキ的な財政支出に歯止めが利かなくなっている。

13年の共同声明では、政府の重要な役割は成長力向上に不可欠な構造改革や規制改革を行うことだった。しかし国債発行への規律が弛緩(しかん)し、景気対策として歳出拡大が優先されたこともあり、改革は実質的に先送りされてきた。

結果、経済の新陳代謝は遅れ、生産性は低迷し、賃金も停滞し、低成長経済が続いた。そして経済停滞が金融政策の正常化を妨げるという悪循環に陥った。この悪循環を逆回転させなければならない。

令和臨調は新しい共同声明のポイントとして下記のような内容を挙げている。

第1に、政府は、これまでの政策効果が限定的であった要因を検証し、その上で戦略的かつ効果的な財政支出と徹底したデジタル化などの構造改革を加速させることで、生産性向上と賃金上昇を目指す。また財政に対する信認を回復するために実効性ある仕組みと体制を構築する。

第2に、日銀は政府の政策の進捗を見極め、一定の時間軸のなかで金利機能の回復と国債市場の正常化を図る。2%インフレは長期的な目標と新たに位置づけ、金融経済情勢に応じた適切な政策を行う。

第3に、財政・金融の一体改革に向けた政策を定期的に検証し、政策実施を強力に促す制度的な仕組みを整備する。

こうした施策により、一定の時間軸で金融政策が正常化するという見通しが立つだけで、財政膨張への歯止めになる。それは政府の退路を断ち、成長力向上のための改革を実施する推進力となる。また、低金利に慣れて鈍化した民間の改革意欲に刺激を与えることにもなる。ただし、マクロ経済政策は市場環境を整えるだけで、成長の原動力はあくまで民間主体のイノベーション(技術革新)であることは強調しておきたい。

これまでの政策運営は、株価を上昇させ、失業率を低下させるなどしたかもしれないが、限界もあった。教科書的な経済学の想定では、財政政策や金融政策は一時的な需要不足を穴埋めするために将来の需要を先食いするだけで、経済成長率を高める効果はない。

図:財政金融政策では成長率は上がらない

00年前後からの非伝統的な金融政策の膨大な研究でも、長期的な経済成長率を金融政策で高められると主張する研究はほとんどない。なんらかの原因で起きた「需要不足」を一時的に解消するのが金融政策の目標だ、とするのが主流だ。

一方、正しい財政政策を行えば経済成長率が高まるという研究はいくつかあるが、その前提は「政府が財政資金の正しい使い道を知っている」というものである。もし政府が民間より賢ければ成長に導けるということだが、周知の通り、現実はそうではない。

「賢い政府の巨額投資」は最善だが、「賢くない政府の巨額投資」は大惨事である。次善は「賢くない政府は支出を控える」ことだろう。むろん最善を実現するために、「賢い政府」づくりの努力をすることが大前提ではあるが。

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ところで、低金利で財政規律が緩んだためか、自国通貨建ての国債はいくらでも発行できるとする「MMT(現代貨幣理論)」には根強い人気がある。「国債を発行すればその分の民間預金が信用創造されるので、必ず国債は売れる」という部分は正しい。だが物価水準がどう変化するかについては何も言えず、高インフレや経済混乱のリスクを評価も解決もできない。またインフレが行き過ぎれば増税で歯止めをかければよいと主張するが、増税には年単位の時間がかかるので、政策として非現実的だ。

こうした論が一定の人気を博するのは、日本に限ったことではないが、それでも過去30年に及ぶ日本経済の停滞と、決して無関係ではないだろう。

1990年代に起きた不良債権問題でも、政策当局は目先の短期的な弥縫(びほう)策に走り、長期的な視野で経済全体を立て直す全体戦略を考える腹が決まらなかった。政策指導者たちは当面の責任回避のために問題の先送りをしたが、それが10年近くも続いた。

筆者には、そうした姿勢の背景に「戦後日本というシステムは米国に押し付けられた借り物で、自分たちが命を賭して守るべき価値ではない」という現実拒否感があったように感じられた。その感覚はいまでも続いている。

われわれ現在世代はこの流れを克服し、真に持続的な日本を後世に引き継ぐために、長期的な全体戦略を構想し実行する責任を引き受けるべきである。

2023年2月15日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年2月24日掲載

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