「債務削減」を経済政策に

小林 慶一郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

中国の巨大な不動産バブルの崩壊がいよいよ迫り、日本の1990年代と同じような長期停滞に陥る可能性があるのか、大きな関心が集まっている。本稿では、バブル崩壊と長期停滞に関する最近の経済学的な知見について論じたい。

まず、近年の実証研究では、不動産などの資産価格がバブル的に上昇する資産ブームと、銀行貸し出しなどが急激に増える信用膨張ブームが互いに増幅し合う場合には、その後にブームの崩壊と金融危機、さらにその後は経済成長の長期的な停滞が起きやすいことが確認されている。米カリフォルニア大学デービス校のオスカー・ジョルダ教授らのグループは、2015年の論文で17カ国の140年間にわたるデータを分析し、上記の傾向を示した。

米ハーバード大学ビジネススクールのロビン・グリーンウッド教授たちのグループも、21年の論文で、過去3年間に信用膨張と資産価格の高騰が観測されると、その後の3年間で40%の確率で金融危機が起きることを示した。一方、信用膨張や資産ブームがない平時には金融危機の確率は7%であり、この結果から、グリーンウッド教授らは「金融危機の発生は事前に予想できる」と主張する。

資産価格のバブルより、信用膨張に注目する研究も多い。独ボン大学のモリツ・シュラリック教授らは、12年の論文で14カ国の140年間のデータを分析、信用ブームはその後に金融危機を発生させる傾向が強いと指摘している。ただし、銀行貸し出しや社債などの信用膨張が経済に与える効果は、長期と短期で大きく異なるともいわれている。

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長期の信用膨張が経済成長率を高める効果があることは、昔から指摘されていた。米ボストン大学のロバート・キング教授らの1993年の論文が有名だ。これに対し、米マサチューセッツ工科大学のエミル・バーナー准教授は、22年の論文で、143カ国の60年間のデータを分析し、短期の信用ブームは金融の自由化や規制緩和などの「信用の供給側の緩和」によって引き起こされる場合が多く、それらは金融危機につながりやすいことを示した。

信用ブームが「信用需要の増大」によって起きた場合にはその後の経済成長に悪影響はなく、「信用供給の拡大」によって発生した場合にはその後の経済に悪影響を及ぼす。信用の需要が増大するのは、技術革新に裏付けられた設備投資など実体のある資金需要が存在するからだが、信用供給の拡大はいわゆる「カネ余り」を引き起こし、実体のないバブルにつながりやすい、ということだろう。

これらの研究は、信用膨張によって引き起こされた資産バブルが、その後に長期的な経済悪化を引き起こすことを示唆している。

図:世界債務の推移

ただし、こうした実証研究の結果をサポートする資産バブルの理論は実はあまり多くない。バブルの主流理論(合理的バブル理論)では、バブルは「他人が高く買ってくれるから自分も高く買う」という循環論法で成り立っている。この理論が正しければ、バブルは貨幣と同じく経済を良くする効果があるだけで、悪い効果は持たないはずだ。しかしこれは、バブル崩壊後に経済が大きく悪化するという実証結果や実感をうまく説明できていない。

かわりに実証結果などと整合的なものとして、リスクシフト効果によるバブル(リスクシフティング・バブル)の理論がある。リスクシフトとは、投資家が銀行から借金をして土地などの資産に投資する場合に、バブル崩壊のリスクを銀行に押し付ける(シフトする)という意味である。

投資家が借金で高い土地を買っても、土地価格が下落したときに借金を踏み倒せるなら、投資家にとって損失は小さい。投資家は「地価が上がればもうけは自分のものになり、地価が下がれば損失は銀行が被ってくれる」と考え、土地の値段が適正価格より高くても購入する。結果、地価はバブル的に上昇するというのがリスクシフティング・バブルの発生メカニズムである。これは、英インペリアル・カレッジ・ロンドンのフランクリン・アレン教授や、米シカゴ連銀のシニアエコノミスト、ガディ・バーレビー氏らによって研究されている。

信用膨張によるバブルは、リスクシフティング・バブルとしてモデル化することができる。リスクシフティング・バブルは債務不履行が多発する確率を高めるので、債務不履行が経済に悪影響を与える場合には「バブルは経済を悪化させる」と言える。この点、「バブルは経済を良くする」という合理的バブル理論との大きな違いであり、リスクシフティング・バブルの現実的な点である。

筆者はいま、英ロンドン大学の平野智裕准教授とともに、リスクシフティング・バブルにデット・オーバーハング(過剰債務)を組み合わせた理論を研究している。バブルが崩壊すると投資家は債務が返せなくなるが、これを単にデフォルト(債務不履行)と見るのではなく、デット・オーバーハングによって生産活動が阻害されている状態と捉えると、政策的な含意が変わってくる。

すなわち、バブル崩壊後の「事後の政策対応」として過剰債務を減免することで、経済全体の効率性と社会厚生を引き上げことができると言えるのである。

バブルや金融危機についての研究は、もっぱら「事前の政策対応」に集中していた。金融政策(金融引き締め)やマクロプルーデンス政策(レバレッジ規制の強化など)によってバブルの膨張を事前に抑えることが、研究者の関心の中心であった。しかし現実には、バブル崩壊後の後始末(債務処理)の成否が経済社会に与える影響も非常に大きい。事後の債務処理についてほとんど無視している現状には大きな問題がある。

研究者が事後の債務減免を無視するのは、契約が履行されないという例外的事象への対応だという先入観があるからだろう。しかし、ケースによって多様な政策手段を持つ点は財政政策も同じである。また、事後の債務削減は、借り手の事前のモラルハザード(倫理の欠如)を引き起こすとの認識から積極的な政策ツールと考えない者が多い。しかし資産バブル崩壊のような公知のマクロ現象をトリガーとして政策が発動されるなら、モラルハザードの心配は少ないだろう。

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筆者らの研究では、バブル崩壊後の過剰債務は経済の総需要を収縮させるなどの外部不経済があるので、民間銀行は自発的には債務減免を行わない。したがって政府による調整が必要になるが、すべての借り手を救う必要はなく、一定の割合の過剰債務について政府が債務減免を促せば、残りは自発的に処理が進む。

事後の政策対応についてはまだ解明すべきことが多い。まずは債務削減をイレギュラーな後始末ではなく、財政政策の一環として、体系的に経済政策に位置づける必要があると考える。

2023年10月11日 日本経済新聞「経済教室」に掲載

2023年10月17日掲載

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