外交再点検

特別編 日本の「声」をPRSPへ:ベトナムでの新しい試み

北野 充
コンサルティングフェロー

石井 菜穂子
財務省国際局開発機関課長

2002年12月11日。対ベトナム支援国会合最終日。

我々は、会合の共同議長であるベトナムのフック計画投資大臣が、二日間の会合をどう総括するのか、固唾をのんで見守っていた。もう一方の共同議長である世銀の側からは、既に世銀としての結論文書の案が配布されていた。その中には、日本が提案した、ベトナムの貧困削減戦略文書(Poverty Reduction Strategy Paper: PRSP)であるCPRGS()に大規模インフラを組み込むよう作業していくとの内容が明確に盛り込まれていた。あとは、ベトナム側がどう総括するか、だった。

フック大臣は、会合で取り上げられた一つ一つの論点につき丁寧に総括発言を述べていった。そして、この論点に触れた。

「CPRGSについての日本の発言に賛成である。インフラはCPRGSの文書中に組み入れられなければならない。特に、大規模インフラは、速度が速く、持続可能な経済成長を行うために重要である。」

それは、ベトナムのPRSPに日本の「声」を届けようとした我々の二ヶ月に及ぶ作業が結実した瞬間だった。ここで、我々とは、この作業に一丸となって取り組んだ、東京の関係省庁、関係機関、現地の大使館、JICA事務所、JBIC事務所のメンバー、更に、この作業に共感してサポートしてくれた人たち全員のことである。それだけのエネルギーの結集があったのは、日本の開発哲学、日本が重視するアジア型開発モデルの意義を、今や開発の政策文書としてますます重要性を増しつつあるPRSPに反映させたい。それをベトナムで実現するのだ、との思いが皆にあったからであった。

本稿では、その皆の思いが、日本の具体的な政策になり、そして、国際場裏で現実の成果となっていった経緯をレポートしたい。

2002年10月。

我々は、袋小路に追いつめられたような気持ちで、CPRGSの問題にどう対処したらよいのか考えていた。

4年間にわたる作業と激論を経て、ベトナムにアジアで最初のPRSPであるCPRGSが成立したのは、5ヶ月前のことであった。貧困削減を開発における主要なターゲットとして考える場合にも、経済成長が貧困削減の重要なチャネルであることは、誰も否定し得ないところである。一方、各国で現実に策定されたPRSPは、社会セクターにおける基礎サービスへの投入の拡充に重点を置いたものとなった。大規模インフラを整備し、持続可能な成長を促進することによって貧困削減を達成するというチャネルは無視されてきた。そして、ベトナムについても、作成されるPRSPが同様のものになるのではないかとの懸念は、現実のものとなった。

確かに、CPRGSにおいては、ベトナム政府の強い主張によって、「成長」(growth:G)が標題に加えられ、経済成長の重要性についての記述もなされた。しかし、社会セクターについての記述は極めて詳細に及ぶが、大規模インフラが経済成長を通じて貧困削減に貢献するとの役割は書かれていなかった。貧困地域の地方送電線については記述があるが、発電所と基幹送電網についての記述はなく、地方農道のことは書いてあるが、主要幹線道路については書かれていないものであった。

そうである以上、日本としては、CPRGSの役割を限定しようとの対応にでざるを得なかった。2002年5月、CPRGSが成立した直後の中間支援国会合で、日本代表団は、CPRGSは「ベトナムの開発計画の一部ではあるが、全部ではない」とその意味を相対化する立場をとった。

しかし、CPRGSが成立したからには、その実施に向けて拍車がかかることは明らかだった。ベトナム政府の内部では、グエン・タン・ズン副首相を委員長とするCPRGS実施のための執行委員会が設立された。ドナーの中でも、今後実施すべきプロジェクトをとりまとめる「公共投資計画」も、CPRGSに準拠して策定されるべきだとの意見が強まった。日本の対ベトナム経済協力の主な受け取り手である運輸省や工業省は、CPRGSに本腰を入れて取り組まず、CPRGSにかかわる実質的な作業から自ら「かやの外」に身を置いている状況にあったが、それを尻目にCPRGSの実施加速の動きが予算配分メカニズムに影響を与えかねない状況となってきた。

これは、日本がベトナムの開発にとって重要と考え、対ベトナム経済協力の重点分野としてきた分野が、ベトナムの予算配分において不利な状況に置かれかねないことを意味していた。これをそのまま放置して良いとは思えなかった。また、そのようなCPRGSの実施加速の大きな流れがある中、CPRGSの役割を限定しようとする発言をしてみても、大きな意味を持ちそうになく、かえって、中核的な動きから置き去りにされるばかりとなってしまいそうだった。新しいアプローチで局面を打開することが必要に思えた。

どうしたらいいだろうか。議論の中から、こんな考えが湧いてきた。今や、CPRGSは、コンピューターでいえば、OSのようなものになりつつある。問題は、その上では、日本が得意としている「インフラ整備」というアプリケーション・ソフトがうまく走らないことだ。しかも、このソフトは、「貧困削減と成長」というコンピューターの機能の発揮のためには、なくてはならない大事なものだ。そうであるならば、OSの方を、このソフトが走るようにバージョンアップしてもらおうではないか・・・。

そうした発想から、日本が経済成長と貧困削減のために重要と考える大規模インフラなどの役割をCPRGSの中できちんと位置づけるようにCPRGSの「拡大」を求めていくとの方針が作られていった。

2002年11月。

政策の方針はこうしてできた。しかし、真の勝負はこれからだった。

CPRGSは、世銀の全面的な支援を受けて、ベトナム政府の主体的な取り組みによって策定された。また、同時に、ドナー、NGOを含む幅広い関係者が討議に活発に参加する中で生み出されたものだった。CPRGSを「拡大」するとの形で、それに手を加えようとするならば、世銀とベトナム政府が日本と同じ方向で考えるところまでもっていかなければならなかった。そして、他のドナーにもきちんと説明して、オープンで透明なプロセスの中で主張を通していかなければならなかった。その上で、支援国会合の結論として認知を得るところまで到達できなければ意味がなかった。

最初に、世銀との調整に入った。幸い、11月上旬には、世銀と日本政府・関係機関との間で、様々な政策対話の場があった。日本側から、大規模インフラなど成長を促進する措置を組み入れる形でCPRGSの拡大を図るとの方向を打診したところ、世銀側からは、非常によい反応が得られた。日本側の考えに賛成である。インフラの重要性、成長の重要性については、自分たちも同意見である。日本がそのようなアプローチによってCPRGSに正面から取り組むことを歓迎するという反応だった。これは、我々を勇気づける非常に大きな一歩だった。これまでのCPRGS策定のプロセスを引っ張ってきたのは、世銀であった。その世銀が日本と同じ方向を向いてくれることは、この構想の実現のために欠かせない重要な要素だった。

世銀と共闘関係を作り上げた上で、我々は、世銀とともに、ベトナム政府にこの「CPRGSの拡大」の構想を持ち込んだ。実は、ベトナム政府が、このCPRGSの拡大という構想にどう反応するかは、予測の難しいところだった。従来、ベトナム政府は、世銀や欧州ドナーとは、CPRGSを通じてつきあい、日本とはCPRGSの枠外でつきあうという姿勢をとっていた。これを、我々は「意図せざる分断統治」と呼んでいたが、「CPRGSの拡大」を求める我々の考え方は、これに修正を求めるものでもあった。

ベトナム側からは、「CPRGSは、開発計画の一部であるが全てではなく、他に公共投資計画があるのだからだから、インフラがCPRGSに入っていなくても問題はない」などの意見が出された。これに対して、我々は、何度も日本の考えを説明した。CPRGSが貧困削減と経済成長との双方に関わる文書であれば、インフラをきちんと位置づけるべきである。CPRGSは、単なる政策文書を越えて、どのセクターを重視するのかの資源配分に影響を与える文書になりつつある、と。一度理解を得たと思っても、次に話したら、出発点に戻っている、といったことが、何度もあった。その都度、我々も出発点に戻って、我々が大切と思っていることを練り強く説明した。

更に、我々は、他のドナーにも説明して回った。CPRGS策定において中心的な役割を果たした「貧困タスクフォース」の席上での主要ドナー、NGOへの説明。そして、主要ドナーへの個別の説明。予想されたように様々な反応があった。「CPRGSが成立した今は、その実施に専念すべき時期である。」「CPRGSは貧困にフォーカスしているところが強みであり、むやみに対象を広げると文書の意義が薄くなる。」こうした慎重論が多い中、予想外の好反応もあった。例えば、貧困重視の傾向が強いとされているイギリスの開発機関DFIDである。「自分たちは、主要インフラが貧困削減に果たす役割を再評価しようと考えている。日本の提案は極めて興味深い。」

ベトナム政府と他のドナーの理解を得るためのプロセスは、結局、支援国会合の当日まで続いたのであるが、最後、フック大臣の口から、日本の主張を踏まえた発言がなされたことによって、この二ヶ月に及ぶ作業は、ひとまず我々の望んだ形で実を結ぶことができたのである。

このCPRGSの拡大の方向性が決まったことの意義を挙げるならば、まず、PRSPという現在の国際的な援助潮流の主流となっている存在に対し、日本が、自らの開発哲学に基づいて自己主張をし、それが認められたということが指摘されよう。我々が主張したのは、大規模インフラを整備し、持続可能な成長を促進することによって貧困削減を達成するというチャネルをきちんと位置づけるべきだということだった。

その主張の背後には、東アジアのように良質な労働力が豊富に存在し、個々の経済活動が有機的につながる素地を備えている地域においては、労働集約型産業を中軸に据えた持続的成長を目指すべきべきであり、それが、経済全体の底上げを通じて、幅広い層に貧困削減をもたらす。インフラはそのようなチャネルを促進する上で重要な役割を果たすとの考え方があった。これは、日本の開発哲学そのものである。また、これを主張することは、日本が重視するアジア型開発モデルの重要性を世界の援助界に向かってアピールすることでもあった。

もう一つの意義は、日本のPRSPへの対応に新たな局面を開いたことである。これまで、「貧困重視、社会セクター重視」の側面の強いCPRGSに対し、日本はその意義を限定しようとする「相対化」の対応をとってきた。それが、今回、拡大を求めることによって、これに正面から取り組むとの新たな展開が生まれた。どのような開発戦略・計画であっても、それが現実にどのような意味を持つかは、「予算配分」によって決まってくる。具体的にいえば、分野別の配分のやりかたであり、個別プロジェクトの資本支出と経常支出にどう資金を配分するかである。そこで、開発戦略・計画と、予算配分の整合性をチェックするという作業が重要となってくるが、我々は、CPRGSの拡大を求めるに当たって、「CPRGSのスコープを適切なものとしなければ、開発戦略・計画と、予算配分の整合性をチェックしようがないではないか」と主張した。

これは、我々が、CPRGSをドナーとしてきちんとした開発援助を行うための有効なツールとして活用する視点を持ったということであった。そして、この視点は、後述するように、開発プロジェクトを適切に実施していくための財政管理の仕組みとしてどのようなものが構築されるべきかというドナーコミュニティー全体にとっての重要な課題につながっていくのである。

2003年1月。

支援国会合は、我々の望んだ通りの結末を迎えた。しかし、「CPRGSの拡大」に魂を入れていくという本当の仕事はこれからである。

これは、多くの難しい課題を含んでいる。CPRGSに大規模インフラを組み入れる。それでは、どのような大規模インフラであれば、経済成長と貧困削減に役だつと言えるのか。一定のプロジェクトを選ぶとしたら、どのようにして判断基準を作るのか。そのためには、どのような分析的な調査を行えばよいのか。開発戦略・計画と、予算配分の整合性をチェックすることができるようになったとして、個別プロジェクトをどうやって中期的な財政制約の中に位置づけていくのか。また、CPRGSの拡大の作業のやり方について、どのようにして世銀と、ベトナム政府と、日本との三者の間で意見を調整してプロセスを進めていくのか。どのようにしてオープンで透明な仕組みの中で他のドナーなどと議論していくのか。

これは、まさに、ドナーとしての総力戦でもある。実際に、この作業に着手してみて、我々の頭の中に去来したのは、「未知の領域」「前例のない世界」といった言葉であった。知的にも、オペレーションの面でも、プロセスの面でも非常に高いレベルが求められる世界が待ち受けていた。簡単な作業ではない、と思う。しかし、それは我々が望んだものだ、とも思う。我々が目指したのは、世界に向かって、日本の「声」を届けるということだった。世界の援助潮流の中で、日本が自分の独自の「声」を届けようと思えば、それが、理論で、調査手法で、プロセスの正当性で問われるのは、当然のことであろう。「声を届ける」という願いを持ったときから、それをやろうとしてきたのではないだろうか。だとすれば、その作業に当たることができるというのは、本懐といってもよいのかもしれない。

このベトナムのCPRGSの拡大の作業は、いつしか、省庁や機関の垣根を越え、研究者も参加するネットワークを作り出していた。もし、今後、困難に直面すれば、この作業に共感する人たちの間で相談して英知を集めればよい。ベトナムを舞台に日本の援助哲学を主張していくという作業を、こうした仲間たちと一緒に取り組み、更に前進していけるということは、何よりも幸せなことに思えるのだ。

『国際開発ジャーナル』3月号より転載
脚注
  • CPRGS:包括的貧困削減成長戦略(Comprehensive Poverty Reduction and Growth Strategy)。ベトナム版のPRSP。
きたの・みつる

東京大学文学部卒。ジュネーブ大学(国際問題高等研究所)修士。昭和55年外務省入省。内閣法制局参事官、外務省経済協力局有償資金協力課長などを経て、2002年9月から現職。経済産業研究所コンサルティングフェローを兼任。

いしい・なおこ

東京大学経済学部卒。昭和56年大蔵省入省。IMFエコノミスト、世界銀行東アジア・太平洋地域ベトナム・プログラム・コーディネーターなどを経て、2002年7月から現職。著書に「政策協調の経済学」など。

2003年3月7日掲載