外交再点検

特別編 援助協調の新時代:ベトナムにおける日英協力の進展

北野 充
コンサルティングフェロー

菊地 文夫
国際協力機構ベトナム事務所長

鈴木 博
国際協力銀行ハノイ首席駐在員 鈴木 博

2003年10月。古田肇外務省経済協力局長とチャクラバルティ・イギリス国際開発省(DFID)次官はベトナムへの共同訪問を行った。

2人は、それぞれ東京とロンドンからハノイを訪れ、10月20日、日本、イギリス、ベトナムの3国が共同で開催した「アジア地域援助効果ワークショップ」に出席するとともに、日英それぞれの援助プロジェクトの現場視察を行い、翌21日には、ベトナムにおける日英協力をレビューする援助政策協議を行った。

「新しいODA大綱は、国際社会との協調と連携を基本方針の一つ1つとして掲げるとともに、政策の決定過程・実施における現地機能の強化を謳っている。ベトナムにおける日英協力は、新しいODA大綱を具現化する取り組みとして特筆に値する。」

「今回の訪問のキーワードは、『共同(joint)』だった。7時間半かけて一緒に援助プロジェクトの視察を行ったが、この経験を通じて、相互の信頼が形成された。これは、何回もの会議を通じて得られるものよりも大きなものだった。」

古田局長は日英協議でそうコメントした。

「開発分野における日英関係は、かつての相互不信の段階を超えて成熟の段階に入った。現地の双方の関係者の努力に敬意を表したい。今後、初等教育、地方運輸交通、援助効果向上といった分野で具体的な成果を挙げていくことを期待したい。」

チャクラバルティ次官はそう発言した。

そのような成果を挙げた、2人の「日英共同訪問」に至るまでの経緯とその成果をレポートしたい。

Ⅱ 対極に立つドナー間の協力

2003年4月。日本とイギリスとのハイレベル援助政策協議が東京で開催された。

この東京での協議のために、われわれハノイの現地の日本チーム(大使館、JICA、JBIC)は、数カ月前から準備を開始し、現地のイギリス・チームと、貧困削減と経済成長、大規模インフラの役割、援助効果向上などの双方の関心事項を討議し、「共同の討議サマリー」という文書を作成した。そして、双方の代表者がこの文書を共同でプレゼンテーションすべくハノイから東京に出張した。

日本とイギリスは、援助哲学、援助モダリティについての考え方で、対極に立つドナーであると思われていた。イギリスは、貧困重視、社会セクター重視、財政援助重視であり、日本が経済成長、インフラ支援、プロジェクト援助を重視するのとは正反対の立場とされていた。われわれは、そのことを十分理解しつつも、現地においてける意見交換や協力を通じて、イギリスと協力しうる分野があるし、イギリスとの協力は有益であると感じてきた。

例えば、われわれが、2002年の12月の対ベトナム支援国会議において、ベトナムの貧困削減戦略文書(PRSP)である、包括的貧困削減成長戦略(CPRGS)に、大規模インフラの役割をきちんと位置づけるべく同文書を拡大すべきであるとのイニシアティブをとったとき、イギリスの支持は貴重な助けになった。

そうした経験から、東京からの指示があったわけではないが、現場の判断として、ベトナムにおいて日英の対話と協力を強化し、その成果を示すことは、東京での援助政策協議の内容を充実させることにつながるだろうと考えたのだった。

この4月の日英協議の終了後、東京から来た連絡は、我々を驚かせる内容であった。

「ベトナムにおける日英協力は、双方の出席者から、高い評価を得た。今回の協議で日英間に多くの共通の土俵があることが実感され、今後、日英協力は、さらに推進していく方針となった。そのため、古田局長とチャクラバルティ次官の2人が途上国を共同訪問することとなったが、その対象国としてベトナムが選ばれた。時期は10月である。また、この共同訪問の時期にあわせ、ハノイで、日英共同で援助効果向上についてワークショップを開催してほしい。」

東京とロンドンのそれぞれの意気込みが伝わってきた。ロンドンは、日本との協調に本腰を入れてきていた。開発援助は一国のみの取り組みでできるものではないとの考えを持ち、援助コミュニティー全体での取り組みを重視するイギリスが援助哲学や援助モダリティについての相違を越えて、最大規模のドナーである日本との接点を拡大する方向を目指していた。また、日本の存在が大きなアジアにおいては、自らの援助の効果を高めるためにも、日本との協調が重要との判断もあったろう。

一方、東京においても、国際的な援助コミュニティーにおける新しい潮流を念頭に、他ドナーとの協調に新しい意義付けを見出しつつあった。援助コミュニティーにおいては、貧困削減戦略、セクター・プログラム、ミレニアム開発目標などに見られるように、開発を効果的に実施するために開発目標や開発戦略の共有化が進む流れが急速に進行していた。これは、バイ(2国間)の開発援助において、マルチ(多数国間)の要素の重要性が強まったということでもあった。このような中、他ドナーとの援助協調は、開発援助を効果的に実施していくための新たな重要性を持ちつつあったのである。

Ⅲ 共同訪問の準備

2003年5月。われわれは、早速、イギリス・チームと連携し、準備に取りかかった。

援助の効果向上についてのワークショップの開催の準備では、東京の関係者と連携の上、そのコンセプト作りから着手した。

テーマ設定、参加国といった1つ1つの論点について、現地の日英のチームの間で討議をして、コンセンサスを作ると、日英で一緒にベトナム側と協議し、また、主要ドナーを集めて説明会を開いた。そうしたプロセスを積み重ねる内に、日英の間には、チームとしての一体感とともに、自分たちでドナー全体の協調のベースを作っているとの感覚が生まれてきた。

援助効果向上の問題についての従来の日英の立場は大きく異なるものだった。イギリスは、「旗を降ろす援助」、すなわち、各国がそれぞれ独自のプロジェクトを推進するのではなく、ドナー共通のファンドを設け、そこに資金を投入するタイプの援助が最も効果的・効率的だとの立場をとるドナーの代表格であり、日本は、プロジェクト援助を中心に考え、かつ、「日本」の要素を生かした「顔の見える援助」を重視していた。2003年1月、ローマ調和化ハイレベルフォーラムの準備のためのアジア地域ワークショップがハノイで開催された際、日本が提唱した「途上国のオーナーシップの重視」「国別アプローチ」「ドナーの援助モダリティの尊重」の3つの原則にイギリスも合意し、共通の基盤ができたというものの、援助効果の向上に対する基本的なアプローチの仕方はそれぞれ異なっていた。そのような日英が相互に協力し、他のドナーに協力を呼びかけることは、考えの異なるドナーを広範に巻き込むドナー全体の協調の「核」を作り出していたのである。

ワークショップの準備と平行して、現場での日英協力は、様々な分野で進展を見せていた。開発政策に関する対話が活発に行われた。日英双方とも、ベトナムに対する国別援助計画を策定する過程にあったところ、双方向の意見交換を行った。日本側が新たな日本の国別援助計画をプレゼンし、英側がこれにコメントし、また、英側がDFIDの新たな国別援助計画をプレゼンし、日本側がこれにコメントするというセッションである。日本側では、国別援助計画を策定するに当たり、重点分野をどう設定するかなどにつき、内部で徹底的な議論を行っていただけに、イギリス側との意見交換も実り多いものとなった。また、大規模インフラの意義を検証する分析調査においては、双方の研究成果を交換しあって相互にコメントをしあった。初等教育、地方運輸交通、投資環境・民間セクター開発といった分野でも、活発に意見交換が行われた。

Ⅳ 援助協調の意味

2003年9月。共同訪問が近づく中、日本チームと英国チームとで「共同ペーパー」の第2弾を準備することにした。ほとんどの部分は、今までにやってきたことを文書化すればよかったが、1つ新しく考えるべきことがあった。それは、これまでの日英協力をどう総括するかという点だった。われわれは、これまでのイギリスとの協力がどういう意味を持っていたかを振り返った。

他のドナーと仲良くすること自体が目的ではなかった。日本としてレベルの高い開発援助の仕事をしていくこと、日本の対外関係上の意義のある活動を行うこと。それこそがわれわれが目指すべきことであり、その目的のために日英協力を推進したのだった。日英協力は、その目的に叶ったのだろうか?

日本は、ベトナムにおいて広範囲にわたって規模の大きな援助を行っているドナーである。それでも、他のドナーの取り組みから学ぶべき点はもちろんある。そして、世界の援助潮流は、途上国とドナーとが開発目標と開発戦略を共有する時代に入っていた。ドナー全体の協調に加わり、その中で自分たちの援助哲学や開発のあり方についての考えをきちんと反映させることはますます大事になりつつあった。そのためには、自分たちが十分に関わっていない分野での他のプレーヤーの動きを知ることや、自分たちのやりたいことを通すために味方を作ることが重要であった。これらは、日本としてレベルの高い開発援助の仕事をしていくためにも、日本の対外関係上の意義のある活動を行うためにも、必要なことだった。われわれはそう考えて、これまでの日英協力の持つ意義を次の3つの点に総括した。第1に、双方の比較優位の相違から得るものがあった、第2に、双方の立場の強化につながった、第3に、ドナー全体の協調体制につながった、と。

これは、同時に、なぜドナーとの協調に取り組むのか、に対するわれわれなりの答えでもあった。

Ⅴ 援助コミュニティーからの評価と課題

2003年10月。ワークショップの共同開催を含む、この日英共同訪問は、ベトナムにおける援助コミュニティーで大きな反響を呼んだ。

「これまで開発援助の新たな潮流への対応に積極的とは言えなかった日本の変身に驚かされた。」

「日本とイギリスとの協力には、正直なところ、嫉妬心も感じてしまう。しかし、このような展開は、心から歓迎する。」

こんな声が、他のドナーから挙がった。

変身と言われれば、違和感もある。われわれは、プロジェクト援助を有効な援助手段と思っており、貧困削減一辺倒ではなく、持続的な経済成長と貧困削減の両方を大事にしていきたいと考えている。そうした考えを変えたつもりはなかった。

一方、われわれにおいて進化した点があるとすれば、そうした日本の援助哲学や開発のあり方についての考えを援助協調の中で、即ち、援助のマルチ外交の中で、積極的に自己主張していこうとの意識を以前よりもより明確に持つようになったことが挙げられるかもしれない。

一方、今回、「日英共同訪問」との形で集約されたベトナムにおける日英協力には、課題もいろいろと見られた。

当然のことながら、日英の間で全ての点で意見が一致したわけではなかった。ワークショップにおいても、日英の間に、援助効果向上へのそれぞれのアプローチに相違が見られたことも事実である。それでも、両国の間で共通の考えも多く、一緒にワークショップを主催する中で率直にお互いの意見を出し合って議論をすることの方が、異なった陣営に分かれてにらみ合っているよりは、ずっと健全かつ建設的であると思われた。また、別の課題としては、日英協力の実際の取り組みとして、初等教育、地方運輸交通などの分野で単に双方の立場の意見交換というレベルを超えて、どのような具体的な協力を実現できるかも、今後に残された課題であった。

しかし、これらは、今後につながっていく課題といって良いであろう。

古田局長とチャクラバルティ次官は、このベトナムへの共同訪問から約2週間後の11月7日、東京において日英援助協議を行ったが、2人はそこで、ベトナムにおける日英協力がすでに具体的な形で進展していることへの高い評価と現地における協力関係の更なる進展への期待を表明した。

共同訪問の終了後、ベトナムのあるドナーからこんなコメントがあった。

「日本とイギリスとの協力は、今年のベトナムにおけるドナーの中の動きの中で、最も重要な進展である。」

「日本は、これまでも規模の大きなドナーとして重要な存在であったが、その日本が、大規模インフラの意義や、援助効果向上への取り組みのような、政策課題において、皆にとって説得力のある形で自己主張をするのは非常によいことだ。それは、援助コミュニティーへの重要な貢献である」

われわれは、このコメントをうれしく受け止めたいと思う。古田局長のコメントにあった、「国際社会との協調と連携との新たなODA大綱の考え方を具現化する取り組み」とは、そうした方向に向かって一歩でも前に進むことに他ならないと思うのだ。

2003年12月25日掲載