農業・食料問題を考える

本格的な農政改革で攻めの農業交渉を!

山下 一仁
上席研究員

今回の農政改革の評価

先月末、政府は農家の保証価格と国内の市場価格との差を補填するため、麦や大豆に出されている補助金をWTOで削減しなくてもよい補助金、直接支払いに転換することとし、また、構造改革を推進するという観点からその対象農家を一定規模以上の担い手に限定することを決定しました。従来農協が反対してきた農家の選別政策を導入したもので、メディアの評価も高いようです。

しかし、メディアが報道していない重要なポイントがあります。国内の市場価格は高い関税によって海外市場から遮断することで守られています。米で800%、麦で250%、こんにゃく芋で1700%です。逆にいうと、価格が引き下げられなければ、関税も引き下げることはできません。EUは価格を下げて直接支払いを導入したのですが、米を含め、肥料や農薬を高く売るために農産物価格を高く維持したい農業団体が嫌がる関税や価格引き下げに対応するための直接支払いは実施されないことになっているのです。農産物の中で最も構造改革が遅れているのは米です。価格維持のための生産調整、生産制限カルテルを廃止して価格を下げれば、零細な兼業農家は農地を貸し出します。専業農家に対して地代負担を軽減する効果を持つ直接支払いを交付すれば、農地は専業農家に集まり、規模拡大によるコスト・ダウン、構造改革が進み、専業農家の所得も向上します。戦前と異なり今の零細農家は兼業所得で勤労者世帯を上回る所得を得ていますが、逆に専業農家の所得は低くなっています。大規模専業農家が貧農なのです。専業農家に財政による支援をするのは、農産物価格も下がるので、国民の理解が得られると思います。しかし、今回の改革は米という本当に改革すべき本丸に切り込んでいないという問題があります。

EUの農政改革は?

EUは92年、穀物や牛肉の支持価格を大幅に引き下げ、農家に対する直接支払いによって補うという改革を行いました。さらに、2003年にはバターの支持価格を25%引き下げるとともに、2004年欧州委員会は、砂糖についても価格の33%の引き下げを加盟国に提案しています。これにより、EUの農産物の中で最も高かったバター、砂糖の関税は、今回の交渉で関税の上限となろうとしている100%に引き下げることが可能となります。また、既にEU産穀物は、アメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できるようになっているのです。EUは交渉に先んじて農政改革を行い、関税引き下げ、輸出補助金撤廃を提案するなどWTO交渉に積極的に対応しています。EUがアメリカと同じ直接支払い型農政に転換したため、今ではアメリカ・EU対日本という構図になっています。

WTO交渉での日本

ウルグアイ・ラウンド農業交渉で日本はアメリカ、EU、豪州とともにコアの交渉グループを形成しましたが、今次交渉では「農業でノーとしかいわない日本」(ゼーリック前アメリカ通商代表)はこれから外され、2003年末から代わりにインド、ブラジルがコアの交渉グループに入って交渉が進められています。ノーと言える国は立派なのですが、ノーしか言わない国は相手にされないのです。既にアメリカ、EU、ブラジル等の主要国のほとんど全てが100%の上限関税率の設定に合意している中で、上限関税率反対を主張する日本は交渉から孤立し、マイナー産業に転じた農業の存続について支持を得なければならないはずの国内からは、農業のためにWTO交渉でとりたいものが取れず国益を損なっているという批判を受けています(一定の重要な農産物に限り、関税引き下げの例外も認められています。今になって「重要品目」も上限関税率の対象になると農業界は騒いでいますが、例外なしの上限関税を受け入れているほとんどの国では重要品目は関税引き下げの例外としての役割しか果たしようもなく、これらの国にとって上限関税率の適用は当然の前提だったのです)。

反転攻勢へ

農業を保護することとどのような手段で保護するかは別の問題です。目的は農業の発展や国民への食料の安定供給であって、関税や価格はあくまで手段にすぎません。日本がアメリカやEUの直接支払い型農政に転換すれば、関税引き下げにも対応でき再び交渉コア・グループに復帰できます。攻めの交渉も可能となります。今は守ってばかりいるので、どこを攻めてよいのかも思いつかないようです。アメリカ、EUにもこれまでの交渉で突かれていない弱点があります。農政改革による攻めの交渉。これが上策です。

もちろん今のままの態度をとり続け玉砕するという策もあります。これは無策のようですが、米の関税が100%になれば価格を下げて本格的な直接支払いを導入せざるを得なくなります。戦後の改革も完全に負けたから実施できたともいえます。そこまで考えるとこれは中策です。

最悪なケースは、農業団体に配慮し、ウルグアイ・ラウンドのように米だけ上限関税率の例外にすることです。一番構造改革の遅れている米の価格を維持し続けることになります。これは中途半端に負けることであり、構造改革につながりません。その場合、代償として低税率での輸入割当の拡大が要求されるので食料自給率も下がります。これは下策です。
農業団体の主張にとらわれて、WTO交渉で通商国家の面目も失い、また、農業のさらなる衰退も招くのか。あるいは、農業も守り、消費者に安い食料を安定的に供給するとともに、通商国家としてのリーダーシップを発揮するという大きな国家戦略に立つのか。経済産業大臣から農林水産大臣に転じた新大臣の決断に期待したいと思います。

2005年11月4日

2005年11月4日掲載

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