フェローコンテンツ: 対談・経済政策の選択肢

第1回「財政再建と構造改革を優先する選択肢」

富田俊基(野村総研研究理事)氏との対談

富田俊基(とみた・としき)
野村総合研究所研究理事。関西学院大学経済学部卒。野村総研財政金融調査室長、米ブルッキングス研究所客員研究員などを経て現職。財政制度等審議会臨時委員、政策評価・独立行政法人評価委員会委員等を併任。主な著書に『国債累増のつけを誰が払うのか』『日本国債の研究』(共に東洋経済新報社)などがある。

日本経済全般の認識について

飯尾:
最初に、現在の日本経済の位置づけと一連の状況についての評価をお伺いします。

富田:
この10年を振り返ってみると、バブル崩壊ということだけに焦点を当てて日本経済を見る見方が多かったように私は思います。

しかし、実際、世界で起こったことは2つあり、1つは冷戦終焉に伴い世界レベルで大きな産業構造の変化が起きたということです。極めて安価で豊富な労働力と先進国の先端技術が結びつき、ITのモジュール化ということとも相まって、世界の産業構造に大きく変化がもたらされました。2番目に、情報通信技術が発達し、それが主要国における企業の経営に影響を与えているということです。そういう世界的レベルの認識がなく、バブル崩壊の悪影響だということでずっと不良債権処理の問題を眺め、総需要政策という観点からだけ議論をしてきたことが、依然として今日の日本の閉塞感をつくっているというように思います。

2つの世界大戦の後に、人類は経済的な国境というものを認識しました。それゆえに社会保障政策を重視し、資本流出規制も行いました。経済における一国中心主義です。しかし、冷戦の終焉によって、政治的には東西の壁だったわけですが、経済的には南北の壁が完全に崩壊した。つまり、人・物・金が自由に動く時代になりました。

その例として考えるならば、アメリカというのは80年代、極めて巨額な財政赤字が発生して、その財政赤字と経常収支赤字の「双子の赤字」のサステナビリティ(維持可能性)についての議論がいろいろなされたわけですが、結局、人、物、金が自由に動くという中においては、大きな混乱なくファイナンスできたわけです。

21世紀の経済を考えた場合に、そのようなものすごく大きな力が働いているということを、日本は認識できなかったんじゃないのでしょうか。

景気対策ということを考えた場合には、主要国では既に80年代より財政政策ではなく金融政策を用いています。資本移動が自由な世界においては、財政政策の効果というのは無効であるというのが、マンデル・フレミングのモデルなわけです。

ところが日本の場合は、総需要管理政策というものと、それまでの保護救済というか、飯尾先生のお言葉を借りれば「行政依存」というのが一体化して、90年代、総需要政策がこれまでの「行政依存人」の餌食になってしまいました。そのため、財政政策はどんどん拡大します。しかし、資本移動や人や物やサービスの動きは自由になった中で財政政策は効果をあらわさないという、まさに教科書どおりの展開が今起こっているわけです。

ケインズの考えというものについて、我が国では理解が乏しいと思います。ケインズの考え方は1936年という2つの大戦の間の時期です。ブロック経済であって、人もお金も国際的に移動しない時代だった。地球上で資源の最適配分を行うという発想が全くない時代の学説なわけです。

典型的にケインズ的政策がとられたといわれる時期は、我が国の場合ですと、1931年から2・26事件までだから36年までの高橋是清財政の時代、アメリカにおいては33年から37年のニューディール政策の時代です。その2つよりも90年代の日本のほうが国債残高の経済規模に対する比率で見た増え方というのははるかに速い。だから、典型的なケインズ政策の時代よりもはるかに大きな景気対策を行ってきた。それでも景気停滞から抜け出すことができていない。 そういうことを考えると、わが国は開放経済の中にいるということを改めて認識すべきなのだと思います。

飯尾:
それでは、政府の役割というのはどのようにお考えですか?

富田:
政府というのはいつも国民に夢を与える必要があると思うのです。ところが、その夢というのが棚ぼた式のものであり続けたというというところに問題があります。

小泉政権になってから、かなり大きく変わったというふうに私は評価しております。ひとつは、誰が今まで改革に抵抗したかということを国民の目にわからせたということ、もうひとつは、例えば今の14年度予算について、公共事業の抑制、特殊法人への補助金削減1兆円などが目に見える形になっていることです。それが持続できているかどうかということが大事なのですが。

財政赤字と国債について

飯尾:
財政赤字と国債の話を伺いますが、国債をたくさん出してもまだ金利も上がらずに済んでいるのはどう説明すればよろしいでしょうか。

富田:
今の低金利というのは統制されて低金利になっているわけではありません。 市場で自由に決定され、資本移動も国際的に自由です。理論的に考えると、金利が低いということは、将来の円を使う我が国の期待インフレ率及び期待成長率が非常に低いということを意味しているわけです。だから国債を出しつづけていいかというと、無限にできるわけではありません。

デフレというのは国債とか貨幣に比べて物の値段が安いことを意味しています。みんな国債を買うから、あるいは現金を好むから物の値段が下がっているんです。そこで、最近の論者によっては、結局国債とか貨幣の値段を下げる政策をやりましょう、将来絶対増税しないことを約束して景気対策をやりましょうと言っています。しかし、国民はそれを信じないと思います。公的年金とか、医療制度とか、生活保護とか、雇用保険だとかのセーフティネットが、今のままだと維持できないというのがわかり出してきた中で、さらに赤字を抱えさせると、やはり制度が維持できないと思う人が増えて、ますます将来不安が増えてくるから人々は貯蓄に向かいます。

飯尾:
将来不安が増えるけれども、金利が低いのでますます国債を出すことができて、赤字がますます拡大し、それがどこかで逆転するときが来るんだろうとお思いなのですか?

富田:
逆転しそうであるがゆえに、逆転しにくいメカニズムをつくるというのも政権維持の方法のひとつになっているようです。困ったことです。例えば、日本銀行がもっと買いオペを増やせというふうに政府は要請する。それによって今の極めて巨額な赤字をファイナンスできる猶予が生まれてくる。しかし、巨額の金融資産の1400兆のうち、政府が保証しているのは、銀行預金全部と郵便貯金です。そうすると、1400兆のうち55%以上が、約6割が国債と同じになる。

そこで、持続可能かどうかということが問われてきます。ある時、これがファイナンスできなくなりそうなことがわかってくると、人々はそこから急に逃げ始めます。あるいはその前に逃げるでしょう。

もしくは、急に困ったことがおきるかもしれません。よく引き合いに出すのは、第二次世界大戦中に政府が軍需工場に対して行った政府保証です。しかし、戦後にGHQ占領下で保証を打ち切りました。そういう形でのペイオフの解除、あるいは郵貯への政府保証の解除ということすらあり得るぐらい、どこかで困ったことになり得ると思います。

飯尾:
その困った姿がどうも見えにくいので、大丈夫だよという皆さんの言うことがもっともらしく聞こえてしまうということかなとも思います。どのようにすればそれに反論できるのでしょうか。

富田:
そのような方々は、我が国において今の社会保障制度だとか教育だとか、さまざまな制度があたかも瞬時に変えられる、あるいはすぐに増税できるというふうに思い込んでいるのだと思います。それはそんなに簡単なものじゃありません。そうすると、国債が出せなくなった段階でデフォルト(債務不履行)となります。

すでに現在の日本の信用は下がり始めています。具体的に申し上げると、アジア開発銀行がドルでファイナンスして途上国に有償貸し出しをして、我が国では国際協力銀行が日本国政府の保証をつけてドル債を出して、対外融資しています。深刻なのは、アジア開銀がファイナンスするほうが金利が低いことなんです。我が国が新たにファイナンスして融資するということは、経済合理性から見たら、結局は高い金利を払うということになるので、受入国から見たら困るわけです。それぐらい日本の信用は落ちてしまっているのです。さらに、イタリア国債やスペイン国債が円で出されていますが、これらに比べて、日本国債のほうが金利が高いという事実があります。もし日本国土にイタリアの諸制度やイタリア政府があれば、もっと金利が低くなるんです。

飯尾:
結局、歳出を減らして増税をしてという道しかないのでしょうか?

富田:
そのような方法しかないのですが、極めて悲惨なことになってからしか、それが政治的に納得され国民が対応できないんじゃないかということを懸念しています。

悲惨な状況というのはかなり急激に起こり得ることなのです。短期の国債がこのごろ非常に多いんですが、何かの理由で金利が上がったとしますと、国債利払い費が急激に増えてくるんです。これまで国債残高が倍になっても利払い費が減っていますが。

飯尾:
そのうちインフレになって、問題は全て解消のようなことをおっしゃる方々もいます。

富田:
冒頭に申し上げたように世界レベルでの大きな産業構造の変化を考えた場合に、インフレにはならないと思います。日本が資本流出規制をとらない限りインフレにはなりません。それまでに金利が上がって、景気が悪くなって、また物価は上がらない状況になるだろうと思っています。

インフレーション・ターゲティングという議論があります。しかし、不動産とか、しまいにはテレビや冷蔵庫まで日銀が買うということぐらいまでやらないと、物価は上がらないわけです。仮にやったとしても、先に金利が上がって、景気が冷やされて、また物価が上がらない、そして、結局はインフレにはならないでしょう。

デフレについて

飯尾:
次にデフレの問題についてお伺いしますが、デフレを解消しなければならないので、日銀はもっと金融緩和して、国債も株券も買ったほうがいいという説もありますが、これについてはいかがお考えですか?

富田:
そのような政策を実行することは、すでに低下した日本の国際的な信任を低下させ、日本国債の信用をさらに低下させることを意味していると思います。

現在、日本国債は日本人によって多く購入されているため、なんとか維持されている状況です。しかし、資本流出が自由な状況で、投資家の判断いかんで状況は一瞬にして変わり得る。これまでは何回か断層的に円高になりましたが、もうここで円高は終わりだと思った瞬間に、資金が海外に大量に出ていく可能性というのはあり得ます。

そのときに一番憂慮しているのは、資本流出規制をかける政治的な動きが出てくるのではないかということです。「何でおまえはドル債買うんだ。非国民だ」と。

高橋是清さんというのは今の人たちよりも賢くて、デフレから抜け出すために、まず昭和7年7月に資本逃避防止法というのをつくって、対外証券投資を禁止するんです。7年12月に日銀引き受けをやります。外にお金が流れないようにして、どんどん国内で日銀引き受けをやるから、デフレから抜け出す。さらに、国内で金利が4%だったのが3.5%になり、だんだん下がっていきました。ところが、ポンド建ての日本国債を出していたのですが、それとイギリス国債との金利差というのは31年から大きく開くんです。イギリスの国債が4%ぐらいのときに、日本国債の金利は20%ぐらいになってしまいました。そうなっても金融鎖国をしていたので、国内では低金利だからどんどん国債を出すことができました。つまり、それは当時がブロック経済の時代だからできた。それでブロックが必要だと言って、結局、中国侵略ということになってしまったのです。

しかし、現在そのような金融鎖国を日本がやれば、世界経済が一瞬にして回らなくなります。かつてほど我が国経済は国際的なプレゼンスもなければ、影響力もない。とはいえ、依然として対外純資産は世界一で大きな影響力を持っているわけです。それだけは避けることが必要だと思います。

飯尾:
デフレはやはりよくないものですか?

富田:
いいか悪いかという判断は難しいです。今までデフレがよくないというのは、賃金が下方硬直的だから、改革ができない。つまり、痛みを伴うからデフレを前提にできないという民主主義を描いてきたからです。しかし、物価が上がっていたときよりも今のほうが少しはリストラが進んでいるでしょう。だから、改革の推進力として考えた場合に、適度なインフレとデフレとどっちがよいのでしょうか。

残念なことに、結局デフレの中でしか日本の企業における改革も進みませんでした。いついかなるときにも日本国民とその勤務する企業が、世界経済の構造変化に合わせて事業の再構築を行うという心構えがあれば、それはインフレの方がいいでしょう。だけど、残念なことに、そういう風土が日本には依然としてありません。ようやく98年から明示的に物価が下がるということが出てきた中で、極めて硬直的であった企業の中の改革も行われ始めたということです。

飯尾:
そうすると、デフレ解消を最優先にするということは必ずしも最適ではないということですか?

富田:
そう思います。理由があってデフレになっているんです。デフレの震源地である中国において今、デフレが進行しているわけです。そして、先進国において共通の現象として、70年代より80年代、80年代より90年代、さらに今日のほうが物価の上昇率は沈静化しているわけです。

特に日本の場合は、製造業と非製造業における生産性の上昇率の格差でもって内外格差が非常に大きく、そういうことの是正も同時に進まない限り、物価が下がり続けなければならない部分が大きいのだと思います。

不良債権問題について

飯尾:
次に不良債権問題についてはどのようにお考えですか?

富田:
まず、不良債権の問題を考える場合に、我が国におけるオーバーバンキングという問題があります。貸出残高の対GDP比を見ると、全国銀行ベースで、ピークは90年、91年の100%です。今やっと90%。バブル以前だと70%ぐらいです。その70%ぐらいのときに、既にオーバーバンキングの問題をみんな指摘していたわけです。さらに、アメリカを見てみると、大体40%で安定して推移しています。この数字が意味しているのは、日本の場合、銀行が日本経済の中にあるリスクの極めて大きな部分を背負う形になっているということです。

ところが、そういう原点の認識があまりないがゆえに、ペイオフを凍結解除しない。そうすると、銀行の負債サイドというのは高い水準のまま、政府保証がついたままありつづけます。負債サイドというのは普通の人にとって見れば預金で、それに保証がついていれば人々は安全であるがゆえに預けつづけます。それゆえに、不良債権を処理しようというインセンティブが出てこないんです。

飯尾:
そうすると、一番やらないといけないのは?

富田:
ペイオフ凍結解除でしょう。それを実行して、預金を他の資産へ流れるようにすることです。

よく日本人の貯蓄行動というのは安全志向だといわれていますが、それは、預貯金に政府保証を与えているからです。預金者にとってそれは安全なものかもしれませんが、実は安全に見えるだけなので、ものすごく危険なことを国全体でやっているわけです。

飯尾:
ペイオフ凍結解除をすると、みんな国債を買いたがるかもしれませんが。

富田:
それはそれでいいのではないでしょうか。今、金融機関は国債を買って利ざやを稼ごうとしています。金融機関というのは信用力でお金を集めるわけですね。自分よりも信用力の高いもので運用してもうかるはずはないんです。銀行が国債を持つよりも、まだ個人が国債を持ったほうが効率的なわけです。

結局は銀行の役割というのは、自らのリスクで融資が将来返ってくるかどうかということを判断するところに、つまり融資の審査に銀行の付加価値の源泉があるわけです。

日本の金融機関について

飯尾:
日本の銀行はその一番大切な能力がなかったのではないでしょうか。土地などを担保に取ることが間違っていたのではないでしょうか。

富田:
そのとおりです。銀行の審査能力そのものが問われているんです。審査というのは情報を生産しているわけで、金融というのは投資の魅力について判断を示すといった情報をつくる産業なわけです。その産業としての能力が問われているのです。

そういう中で、当然企業や家計は防衛を始めていて、土地担保だったら金を借りないよということになっているのでしょう。ただ、問題は借りないとどうにもならない人と、貸さないとどうにもならない銀行です。それで、無担保融資だとか、そういうビジネスモデルを極めて皮肉なことに、日本は政府系の金融機関がつくろうとしています。

もちろん銀行内部におけるリストラの中で審査能力が生まれてくる銀行もあります。そういう意味では、全面的にみんなが肯定して土地担保を続けているとは思いません。しかし、マネーセンターバンクとして果たして日本で何行なんだろうかという目で見た場合、やはり今回の竹中プランの中で選別が入るんじゃないかなという気がします。いくつかの銀行はつぶれるのでしょう。国際的評価がもたないと思います。

難しいのは、これは企業再生も同じなのですが、これは役所で決められる問題ではないことです。日本の場合は、残念なことですが、それを決めるのは株式市場しかありません。そういうことで株価が下がっていると思います。例えば東京三菱と同じような査定をやったら、みんな引き当てを積まなければならないから、決算がもっと悪くなるんです。それを見越して株価がついているのだと思います。

ただ、1つ大事だと思ったのは、長銀の裁判のときに、先般、前の頭取に対して、有罪の判決が出ましたね。それは市場経済としては極めて重要な当然のメッセージだと思います。やはりリスク債権に対して引き当てを積まないというのは義務違反だということです。

飯尾:
金融庁がきちんと引き当てを積ませるという道は正しい方向だとお考えですか?

富田:
きちんと積ませるべく努力していたけれども、自己査定と金融庁検査の間にもギャップがあったということだと思います。

難しいのは、清算価値で評価するか、ゴーイング・コンサーンで評価するかで全く違うということです。だからこそ、担当者が自己責任で評価しなければいけないという問題になります。ところが、それができないから、再生委員会を作ろうということになりますが、これも結局難しいことだと思います。結局は98年のように市場に追い込まれることになるのではないでしょうか。98年というのは、市場に追い込まれて銀行が破綻しました。すると、いきなり債務超過という形になってしまい、清算価値しかなくなってしまったわけです。しかし、それは国民負担がものすごく大きいものになってしまったのです。

飯尾:
だから、公的資金を先に注入しておいたほうがよいという意見がありますが。

富田:
そのほうがコストが少ないだろうということが前提なのでしょうが、その注入によって、より行政のグリップが強くなる。そして、銀行経営の規律も緩むことから発生する問題というのを僕は懸念しています。

例えば、これから政治家の役割はどんどん増えて、公共事業の箇所づけだとか、融資の口利きなども行うようになったり。預金を政府保証しているから、これは政府資金と同じだという発想になってしまうのではないでしょうか。

構造改革について

飯尾:
次に構造改革についてお伺いしますが、私の理解だと、日本の潜在的成長率や生産性を上げるための体力が下がっているので、それを上げていくというのが構造改革なのではないかと思っておりますが。

富田:
2点あって、1つには、企業における経営資源をより生産性の上昇の見込める分野、あるいは需要が見込める分野にシフトさせていくということだと思います。それは企業では当然のことですし、それを支援できるような仕組みが、あらゆる産業活動、国民生活の領域において整えられているのかということが構造改革の第1に意味するところだと思います。

2つ目は、医療にしろ、年金にしろ、現在の仕組みというのは維持不可能なのではないかという極めて深刻な不安というのが国民の間にあるわけです。そういう中で安心して生活できるように制度が持続可能なように改革していくということが構造改革の第2点目だと思います。セーフティネットの構造改革ということです。

維持可能性というのと民間活力を引き出すこと、この2点です。

飯尾:
そうすると、国債を出し続けて省みない財政というのは、維持可能な財政でないから、財政改革というのも構造改革の一環になってくると思います。そういう観点で、不良債権処理においては、公的資金投入が必要で避けられないものであり、どうしても財政赤字というのが一時的にせよ拡大せざるを得ないんじゃないか。このような話についてどう考えるべきでしょうか?

富田:
金融構造があるべき方向に向けての改革を進めるためのコストとして、公的資金を国民が認識できればいいわけです。これについての認識の仕方にまだ随分隔たりがあるように思います。銀行救済と見る国民もいれば、企業再生のために必要な国民負担だというふうに考える人もいます。だから、一体、公的資金の注入というのは何が目的かということがはっきりしていないのだと思います。ところが、ずっとはっきりしないままやってきたわけです。

厳しい時価による査定を行って、なおかつペイオフコストを超えて資本注入をやるとなると、これは銀行救済にもなります。だから、産業再生のところでも時価でやるべきだし、それをやることによって、出てきたコストというものはしょうがないでしょう。

銀行救済ということに対してはどうかということですが、一面では預金者保護だといいながら、預金者保護のために金が要るのだというので、ペイオフをずっとやらないできました。さらに、今の理屈というのは、要は資金仲介機能がおかしいから、公的資金注入だといっているわけです。

それは本当かなと思います。確かに資金仲介機能というのは低下はしているけれども、全くゼロじゃないわけです。優良な企業にはお金が回っているんです。

飯尾:
結局それは本当は市場が判断して、証券価格とかいうもので裁定されはずで、不良債権の証券市場ができたとしたら、そこでつくような値段で国は買い取るべきだということですね。

富田:
それができるようにするためには、本来の意味での審査機能が必要なのだと思います。基本的には銀行が自らの判断でできるように仕向けていくような仕組みが必要なんです。再生できるものをRCCに持っていったら、銀行は損するわけですから。

飯尾:
貸し渋りで倒産するという話も出てきます。これについてはどう思いますか。

富田:
そういう部分もあるのだとは思います。ただ、それを評価にするには、97年からの信用保証協会の保証、特別保証についての評価が必要だと思います。誰かがちゃんと評価しなければならないのだと思います。一体何の経費、何のための国民の負担なのかということをはっきりさせるべきなのだと思います。

最後に

飯尾:
最後に、こういうアイデアはいかがですか。財政赤字を解消していくためには、例えば消費税率を毎年1%ずつ上げるということを超党派で合意して、憲法的に合意にしてしまえば、期待としては現在の消費の価値は高まってくることもあって、景気対策にはなるわけですが。

富田:
確かに消費者から見れば、物価上昇なんだけれども、企業から見れば物価が上昇することが大事なのではなく、付加価値が増えることなんです。だから、消費税を段階的に上げていくというのは、一見今おっしゃったような側面があるんですが、企業には全然付加価値は増えません。

いずれ増税せざるを得ないならば、私は所得捕捉なり、そういうものがこれまで極めて曖昧だったことが問題なのだと思います。公正とか公平とかいう概念について、日本人はまだまともに考えたことがないんじゃないでしょうか。ちょっと困ってそうだというところに給付するわけです。

地方に行けばいろいろな問題がかなり露呈しているらしいです。保育所とか幼稚園は所得によって授業料が違います。そうすると、サラリーマンの子弟は高い保育料を払っているのに、自営業で本当に豊かな大きな家に住んでいて、ベンツが2台、3台あっても、無料みたいな料金ですんでしまうというようなことが起こります。そういうところに問題が出てきていると思うんです。所得の捕捉を資産まで含めてやらないと、これからの高齢化の中で、年金の給付の問題だって起こるわけだから。そういう方向に進むのか、そうではなく、消費税でというような形でやるのか。どっちがどうだろうかというのは、まだ考える余地があるのでしょうが。

俗に言われる「クロヨン問題」も、消費税のウェイトを高めることによってなくすことも可能ですが、その前に、やはり議論しなければならないと思うのは、そういう所得の捕捉をきっちりやって、公平性に関する議論を一度はしないといけないんだと思います。

飯尾:
そうすると、日本の財政赤字はまだ回復可能でしょうか。

富田:
結局、財政赤字の問題というのは歴史的には3つしか解決法がないんです。1つはインフレーション。しかし、これは起こらないでしょう。もちろん金融鎖国にすれば別ですが、それはあり得ないです。2番目は、さっきの戦時保証債務の打ち切りのように、国債本体までデフォルトするかどうかは別にしても、やはり保証の切り捨てというのはしなければいけないと思います。そういうことをやりながら、日本の信任を回復していくべきです。3番目というのは王道ですが、財政の健全化です。

その場合に、どういう形で政治的に実現するプロセスを描くことができるかということを考えると、何か危機が来てからじゃないと難しいとすれば、我々はものすごい悲劇の中に生きているということなのではないでしょうか。

飯尾:
だから、危機が来る前に危機を想像できるような政策の持っていき方にして、起こらないうちに危機を克服できるということがみんな納得できれば、正しい方向に動くわけですよね。

富田:
私はそういう理屈で考えてきたんです。だから、これまでそう言ってきたわけです。市場において金利が上がることによって破綻を迎えるまでに、ぜひとも民主主義の力でこの問題を克服しなければいけないと。だから、問われているのは我が国の民主主義ですよ、と。そういうロジックなんですが、結局金利がなかなか上がらないから、おまえ、狼少年じゃないかという誤解を生んでいます。

1つ悩んでいるのは、そういうことに対する説得自体も、なかなか私が正論と思い、きっちりとしたものだと思っても、説得できないほどマスコミなどで議論が混乱してきてしまっているんです。

飯尾:
エコノミストの皆さんの中でも、さまざまな意見があるように思います。

富田:
経済学というのもものすごく問題があって、それは日本の土壌特有なんだけれども、結局敗戦を迎えてから、その反省もあってマルクス経済学というのが主流になったわけです。その延長線上にケインズ経済学があるわけです。端的に言えば、ウォームハートじゃなければいけないと。だから、マルクス経済学が大学でまだ残っているんだけれども、その後主流になってきた人というのは、近代経済学だけれども、ケインズ系です。ケインズ系というのは、市場経済そのものの機能が極めて不完全であるという前提なんです。ケインジアンの先生と議論すると、そこが明らかになります。不完全雇用の状態では賃金の下方硬直性があるから、有効需要喚起策が必要だと言います。しかし、僕は不完全雇用だって価格メカニズムは働くだろうと思います。長期的に考えると、生きるためにはみんな必死でやらざるを得ないでしょう。

2002年11月14日採録 / 2003年6月3日掲載

第1回PDF [76KB]

総括

一貫した財政再建論者として知られる富田研究理事との対談では、時代認識からお話をうかがった。一国内で完結する経済を前提にするのではなく、世界的な広がりを持った経済の動向を基盤として改革案を考えるべきだという基本認識が示された。

予想されたように財政を使った景気対策には否定的であり、むしろ財政赤字が累積することによって、ある段階で国債の信任が急速に失われるときに打つべき手がなくなることが問題だとされる。デフレに関しても、政策的にデフレを解消することが開放経済下では難しく、デフレを前提にして政策を立てるべきだというスタンスになる。

また金融再生に関しては、ペイオフの凍結解除で資金のリスクを預金者に認識させることをスタートにして、オーバーバンキング解消を進めるべきだという意見であった。全体として、経済あるいは市場の厳しさを発動することで、好ましい状況への移行を進めるべきだという、一般に想像される「構造改革論者」の典型例を見る思いがしたが、経済学の理論を振りかざすというよりは、危機感の強さが印象的であった。

2003年6月3日掲載