中国経済新論:中国の経済改革

中国の改革を制限する3つの制約
― 権力構造、イデオロギー、知識の不足 ―

張維迎
北京大学光華管理学院教授

中国の経済改革は開始当初から3つの制約を受けている。第一に権力構造による制約、第二にイデオロギーによる制約、第三に知識不足による制約である。この3つの制約は改革に対して大きな影響を与えている。

権力構造による制約
計画経済体制の下、資源配分に関わる権力は政府部門に集中しており、民間部門には財産権がないだけではなく、仕事を選択するという最も基本的な権利もなかった。改革は資源配分に関わる権力を政府部門から民間に移転させ、政府役人に取って代わり企業家を経済政策の制定者に変えていかなければならない。しかし、改革による権力の移転は、政府自身を通じて行わなければならないことになっている。つまり、政府は改革の対象であると同時に改革案の制定者であり、執行者でもある。そのため、いかなる改革の実施においても、一部の政府役人による抵抗を受けることになってしまった。

このような情況のため、計画経済時代に政府部門が握っていた権力は「改革」という名目でそのまま残されるか、新しい形式(例えば「マクロコントロール」など)に名前を変えただけであった。そのため、計画経済体制において最大の権力部門であった政府は、20数年の改革を経過した今もなお絶大な権力を握っている。

改革を推し進める最も重要な力は上層部にいる改革指導者たちである。しかし1980年代の改革を経験した人々なら記憶に新しいことであるが、当時の改革指導者たちの中央政府官僚に対する権限は非常に限定的であった。さらに、彼らには改革を実施するための十分な権限がなかった。これは、中国における権力構造が分散型だからである。分散型の権力構造では上層部の指導者の間だけでなく、各レベルの政府の間にも異なる権限が存在している。ほとんどの政府部門は政策を制定することができるが、常に政策設定権を確保しようとしている。このような情況では、重要な政策を制定しようとすれば、上層部の意見統一を得なければならないうえ、さらに多くの関連政府部門の協力も必要となる。近代経済学の理論で言えば、改革案の実施は関連する政府部門の参与と共用するインセンティブの両方が得られたときにのみ可能となる。政府部門が求める利益は多様化しているため、そのすべてを満足するような改革案はありえない。改革指導者は改革に対する政府部門の支持を得るために、改革過程において多くの面で妥協しなければならない。一部の政府部門は自分の既得権を守るために、擁する権力を用いて改革の方向を操縦しようとしている。このような行為が、本来大胆に行うはずだった改革案を骨抜きにし、中途半端に終わらせることすらある。これが1980年代後半に改革派経済学者が指摘した「中国には新たな権威主義政府が必要である」という主張の背景である。

1980年代では国家体制改革委員会(以下「体改委」と省略する)が改革を行う重要な推進力であった。体改委は新たに設置された政府部門であるため、計画経済の下で得られた既得権とは無縁だった。それゆえ改革に対して最も断固たる姿勢がとれ、政策制定においては他の政府部門を制限する重要な役割を果たすことができた。しかし90年代以後になると、体改委の権力は弱められ、名前ばかりの存在となり、やがて、政府機構の再編を機に体改委そのものが廃止された。これにより既得権集団(政府部門)への制約機構がなくなったため、各政府部門は自ら改革案を制定することができるようになり、「改革を深める」という口実を借りて再び権力を奪い合うようになった。

イデオロギーによる制約
イデオロギーによる制約は中国の改革に対して大きな影響を与えている。

まず、指導者は明確な改革目標を出すことができなかったため、多くの改革は大義名分が欠如したまま行われていた。多くの改革措置は人目を避けながら行わなければならず、時には、表明している改革の方向とまったく異なる方向で進めた改革もあり、問題が多発した。

第2に、イデオロギーによる制約は同一の改革に対して人によってまったく相反する解釈が可能になるという問題をもたらした。「どのように解釈すればよいのか」という質問に執行部門さえも判断に迷い、成り行きを見守ることになり、これが結果として改革を遅らせてしまうことに繋がった。また、政府部門に権力によるレント・シーキングの機会をも増大させた。

第3に、改革者がイデオロギーにより制約され、政治的に弱い地位に置かれた。今日になっても、「左派」こそが依然として政治的に最も安全だと思われており、改革を主張する人はいつも「左派」からの攻撃を受ける。政治的な安全を考慮し、一部の改革者は改革に対して躊躇するようになり、改革に向かう勇気を失い、改革の好機が失われることになる。また、一部の日和見主義者は「政治的に正しい」という口実で私利私欲を図りがちである。こうして改革反対派陣営が拡大してしまった。

第4に、イデオロギーによる制約によって、改革に関する政策はその策定過程において公開討論されず、広く意見を求めることができなかったため、実施段階のリスクが増大した。特に、イデオロギーによる制約によって経済学者以外の他の社会科学の学者たちの改革への参加が難しくなり、彼らの知恵を得られなかった。そして、彼らの一部は改革批判派陣営に取り込まれることになってしまった。過去に「実行はするが論争はしない」という方法でイデオロギー論争を回避した時代もあったが、この方法は指導者層の権力が強固な時代にのみ可能なものだ。

第5に、イデオロギーの制約によって経済改革を他の改革と同時進行させることが難しくなった。そのため、経済改革の一部は期待された効果を得ることができなかった。

国有企業改革はイデオロギーによる制約を受けている典型的な例である。もしイデオロギーによる制約がなければ、国有企業改革に対し、幅広い議論が展開され、それによって目標と実施方法を含む改革案が策定されるだろう。また、国有資産もより高い価格で売却することが可能になり、国有資産の流失も防げるはずである。しかしイデオロギーによる制約が存在するために、国有企業改革はしばしば地方政府によってこそこそと(個別に)行われ、規範に反するやり方も免れることができなかった。

改革の過程において、指導者と学界はつねに「理論革新」を通して伝統的イデオロギーによる改革への制約を突破することを試みている。「社会主義初級段階」、「中国の特色のある社会主義」、「三つの代表」などの理論は、その典型である。伝統的イデオロギーによる改革への制約を突破するために、さらなる大胆な理論革新を行う必要がある。

知識の不足による制約
中国の改革にとってもう1つの制約は知識の不足である。計画経済から市場経済への移行を計画することは容易ではない。中国には市場経済の伝統がなく、ほとんどの人は市場経済に対する認識が乏しい。長い間、改革指導者や経済学者らでさえ、市場経済の動きに対しての理解が十分ではいなかった。経済学者は教科書から市場経済の理論を学ぶことができるが、実際の経験はなかった。先輩の経済学者はマルクス主義の政治経済学理論を用いて、なぜ改革しなければならないかを答えることができるが、改革をどのように行うべきかについては答えられなかった。1980年代半ばになると、若手の経済学者達はイデオロギーによる束縛から解放され、「資本主義」か「社会主義」を問わず、経済運営などより実用的な問題について活発な研究活動をし始めた。1984年以後の改革に彼らは大きく貢献し、改革企画の立案に関わる人も出た。しかし、彼らの多くの人は理想主義者であり、権力を握る政府官僚を動かす力がなかった。

改革の計画を制定するために科学知識は必要条件であるが、十分条件ではない。改革の方法が分からない理由のひとつは、多くの経済学者が指摘しているように、改革は実践しながら学ぶプロセスであり、改革を模索する過程で異なる分野の相互依存性が続々と現れてくるところにある。改革の方法を知っている人がいないのだから、「石を探りながら川を渡る」という方法は唯一の選択肢となった。中国の経済改革に実験的な特徴があるのはこの点を反映している。すべての改革の結果を事前に予想することはできない。予想と相反した結果になることも当たり前のことである。地方政府が自主的な改革を行うことを許されたのは、中央政府は次にどのようにするべきかわかっていないからという面もある。

市場経済に関する知識が不十分であるため、改革の過程でミスが生じることは避けられないであろう。今日までの改革の実践を通し、市場経済に関する知識は蓄積されてきた。国民は政府に対して、新たなミスを発生させず、もっと良い改革案を取り出すように求めている。

さらに指摘すべきは、上述の3つの制約は相互関連している点である。例えば、知識の不足による制約は、旧体制の下で権力を握っていた政府官僚に自分のために改革を操作することのできる余地を与えている。なぜなら、彼らは「経済学者が実際の運営がわからない」、あるいは「改革の実行可能性がない」などを口実にして、一部の改革案を否定したり、変更させたりすることができるからである。イデオロギーによる制約は経済学者とその他の社会科学の学者が大胆な発想をすることを妨げ、知識の革新を遅らせる。そして、知識の不足は改革過程においてミスを招いてしまうだけではなく、イデオロギーによる制約をいっそう強化する効果もある。

2006年9月8日掲載

出所

経済観察報2006年3月11日
※和訳の掲載にあたり先方の許可を頂いている。

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2006年9月8日掲載

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