中国経済新論:中国の経済改革

国有資産をいかに売却するか
―公開競争入札の薦め―

周其仁
北京大学中国経済研究センター

1950年黒龍江省生まれ。1982年中国人民大学卒業。1989年から1991年まで英国・米国に留学。1991年にUCLAに入学、博士学位取得。1996年より現職。2001年より前期は浙江大学経済学院、後期は北京大学にて教鞭を執る。

国有資産を個人にも売却すべきだろうか。もしすべきであれば、どのような原則に基づいて、価格を決めるべきなのだろうか。これらの問題は、相互に関連している「深層の改革問題」である。改革の実践は上述のような問題に対して新たな解答を出しつつある。

一、象徴的な事例

まず、2つの象徴的な事例を取り上げて見よう。1つは、華融資産管理会社(以下、華融と省略する)が不良資産を売却した例である。2001年11月末に、国際入札を行った結果、華融はモルガン・スタンレーに取引価格1億ドルで、簿価12億ドルの不良債権を売却した。この取引の一部において、華融はモルガン・スタンレーと共同出資で資産管理会社を設立し、契約に基づき資産管理から得られる利益を双方で分け合うことも決められている。

2つ目は、すでに破綻したノンバンク広州国際信託投資公司が公的機関や私営企業さらには個人に対して、債務の清算を目的とした資産の売却を始めたことである。その中の、2001年12月の競売で購入者がいないままで終わった広東国際ビルに関する100%の投資権益の競売が、2002年1月30日に広州で16億元という最低価格で再び競売にかけられた。翌日には、広信江湾新城に関する75%の投資権益と債権の競売も広州で3.5億元の最低価格から始まり、取引が成立した。

国有資産の流動化、譲渡と売買(個人に売却することも含める)は過去の改革経験の中ですでに存在していた。しかし、以前の事例と異なるのは、上述の事例に次の3つの条件が同時にそろっていることである。それは、(1)個人並びに私営企業を取引対象から排除しなかったこと、(2)公開市場で売却を行ったこと、(3)取引が市場競争を通じて形成された価格で行われたことである。

十数年前に、多くの地域(例えば山東省の諸城)において、自発的な国有企業改革の経験の中で、地方政府が一部の中小型国有企業を個人に売却した。しかし、それらの事例は基本的に国有資産を企業内部の人間(請負人や自社社員)に限って売却した。このような取引は互いに情報が断絶する国有企業の内部で発生したため、資産の価格は競争の度合いが比較的低く、公開市場とはかけ離れたものであった。

国有資産を取引する市場は、すでに存在している。株式市場における上場企業の国有資産の取引がそれにあたる。しかし、中国の株式市場には独特の特徴がある。それは、個人でも投資可能な流通株がある一方、国有株に関しては、その売買が政府の許可を得てから協議譲渡の形で国有機構の間で行われなければならないことである。その結果、同じ上場会社の流通株の市場価格は非流通株である国有株の譲渡価格よりはるかに高くなっている。2001年、財政部は一部の非流通国有株を流通株の市場価格で市場に放出する計画を立てていたが、市場に大騒ぎが起こったため、いまだに懸案となっている。その困難は、元来の公私の壁を破ろうとすると、市場全体への影響が大きいことにある。

二、絶妙な三位一体

国有資産の処理における三位一体(個人や私営企業を排除しないこと、公開市場で売却を行うこと、市場価格で取引すること)は、国有資産の売却とその価格決定における原則において新たな進展を示している。著者はこの三位一体は絶妙だと思う。そのように考える基本的な根拠は、すべての資産(国有資産も例外ではない)の価値は未来の要素、特に当該資産の「将来にわたって期待される収入」によって決められる。未来に関する認識は、異なる個人、そして機関の間でかなりの差が存在している。

少々説明をしておきたい。なぜ個人を排除しないことが重要なのであろうか。それは、個人や私的機関を排除しなければ、国有資産を処理する過程において、いかなる投資主体をも差別したり、排除したりすることがないからである。できるだけ多くの異なる予想を受け入れることによって、当該資産の未来の収益に対する最善の予想を排除してしまうリスクを大いに減少させる。

なぜ公開市場が重要なのであろうか。それは、市場が、国有資産の帰属やコントロール権を獲得するために、本質的に地位や階層、身分または、リベートや賄賂に頼るのではなく、ただ最も高い値段を払ってくれる者に売却するという競争のルールを定めることが理由となる。さらに、公開市場(例えば、既定のルールで取り扱う競売と入札)においてはこのルールが比較的に容易に執行される。

なぜ市場価格によって取引が成立することが望ましいのだろうか。それは、市場価格は売買双方が該当資産の将来の収益に対する判断を共同で受け入れられるからである。ここで、双方が受け入れられるということは、資産の将来の収益に関する予測において買い手と売り手との意見が完全に一致すると意味しておらず、むしろ買い手の予測が売り手より高く、なおかつ買い手が支払いたい金額が売り手に受け入れられるということである。こうすれば、市場価格によって成立する取引は、資産の将来の収益に対する低い予測をした方から高く評価する方に譲渡されることを意味する。それでは、前者が損しているのではないかという疑念が生ずるかもしれないが、そうではない。また、同じ過程において、現金或いはその他の支払い手段もそれに対する低い予測をしている方から高く評価する方に譲渡される。

なぜ上述の3つの条件が同時にそろった際に、資産移転の効率が原則的に最も高いかについてはそれ以上説明する必要がない。1つだけ強調すれば、三位一体こそが国有資産の再編の効率的なルールであるということである。

三、根本的な処理のためには、源から整理しなければならない

3つの原則の中で、市場価格による取引の成立に際して直面する抵抗力は最も深刻である。その原因とは、長年保有されていた国有資産の売却価格がその簿価より低くなれば、国有資産の流失とみなされ、当事者が激しく批判されるからである。

華融を例にとれば、1元の簿価の資産がたった8分(訳注:1元=100分)でしか売れなかったため、国有資産があまりにも安く売られたのではないかという批判に対して、華融の責任者は2つの考えを提示してくれた。第1に、「今回の落札価格が世界の他の国における早期不良資産の売却価格より数倍も高くなっているため、我々は満足している」。第2に、「今回の競売による現金収入は第1期の収入であり、これからも落札した外資と共同で資産管理の合弁会社を作り、資産処理によって得られる利益を分かち合うこともできる」。

筆者はこのような謙遜しすぎた発言に対して妥当ではないと考えている。市場による資産価格は時期と場所によって常に異なる。なぜ他の国の取引価格と比較しなければならないのだろうか。まさか誰かが今回の取引よりもっと高い国際取引価格を探し出してくると、我々は今度の取引に対して不満を示さなければならないのだろうか。華融が合弁管理会社から第2期の収益を得るという話に関しては、将来の収益がどのぐらい多いかにかかわらず、そのすべては資産管理というサービスから発生する収益であり、すでに海外の買い手に財産権が帰属した元の国有資産とは関係がない。議論を混同させてはならない。

肝心な点は、あらゆる潜在的買い手を排斥せず、「競争入札」という原則を徹底すれば、売ることによって国有資産の損失を発生させたということにはならない。1元の帳簿価額が8分でしか売れなかったことで確かに92%の価値がなくなった。しかし、それは華融がこの資産を「政策的買取」という原則(すなわち、簿価での取引を行ったこと)に従って工商銀行から買ってくる前に発生していた損失である。この資産は最も優良な資産(現金)から不良資産(銀行の不良債権)になり、損失は前から発生していた。今の市場価格で売却することは、単に発生した損失がどれだけ大きいかをはっきり示したに過ぎない。

もう一度言っておきたい。公開的資産市場における競争の中で、最高価格を払う者が資産を獲得するという方法は、国有資産を含むあらゆる資産の価格の極大化のための最もいい方法である。それに対して、簿価(それは資産が形成するときに発生するコストであり、資産の現在価値と無関係である。)によって販売価格を定めれば、すでに発生した損失を覆い隠すだけでなく、資産を再編する時機を遅らせるのである。それは国有資産および国民経済に対して、まったく役に立たないのだ。

2004年1月5日掲載

出所

周其仁『収入是一連事件』花千樹、2003年(p237-241)「国有資産出售和定価的新答案」(原文は2002年2月17日に発表)
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

2004年1月5日掲載

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