中国経済新論:中国の経済改革

改革の成果と見なすべき「不良企業」の退場

周其仁
北京大学中国経済研究センター

1950年黒龍江省生まれ。1982年中国人民大学卒業。1989年から1991年まで英国・米国に留学。1991年にUCLAに入学、博士学位取得。1996年より現職。2001年より前期は浙江大学経済学院、後期は北京大学にて教鞭を執る。

公有制企業の所有権改革によって、企業がビジネスで成功できるようになると考える人は少なくない。私は今までこれについての意見を保留してきた。

問題の所在

国有企業にしても集団企業にしても所有権改革を実施しなければならないのは、従来のモデルには市場競争力がないためである。このような「市場競争力がない」状況は、企業の生産性、製品の市場シェア、価格競争力、「市場に対する支配力」の有無を反映している。制度改革は、企業の市場競争力を高めることが目的である。しかし、改革を経ても企業の市場競争力と業績が向上せず、ついに市場から退出を余儀なくされたとしても、制度改革は成功したと見なすべき場合もある。

この点については、混乱した解釈がしばしば見られる。「制度改革によって生産性が向上すること」と「制度改革によって企業がビジネスで成功すること」とは必ずしも同じことではない。制度改革を通じて、不適切な所有権構造が是正され、企業の市場シェアが高まったとすれば改革は無論成功である。しかし、いくら改革しても、リストラや売却、破産から逃れることができない「不良企業」の場合、自分たちの持つ資源がいったん要素市場に戻って再出発し、市場で契約が新たに結ばれることも一種の成功と言えるのではなかろうか。

前者の成功に関してはあまり異議はないと思われる。従って、ここでは後者の成功を重点的に検討してみる。

公有制企業の問題点

公有制の問題点は、各生産要素の間に市場競争ルールに基づいた契約がないことである。契約がない原因は、各種要素の所有権が明確に定められていないことにある。この2点は、計画的公有制の出発点である。すなわち、労働力、技術、資本、土地はすべて「国家」が行政命令で配分し、要素の所有権の持ち主は市場価格の下で自由に契約を結ぶことはできない。

行政命令で企業を「作る」ことは、適切でない命令によって「企業が最初から間違っている」ということをもたらす可能性がある。これが、公有企業が競争力に欠けている原因の一つである。私は、江西省である大型国有企業を見たことがある。60年代に作られたこの企業は、戦争に備えるため、わざわざ都会や交通の要衝から遠く離れた山間に設立された。今日ではもはや、この企業が市場競争に参加することは大変難しくなってしまった。

しかし、これは致命的な問題ではない。より致命的な問題は、計画的公有企業の方が意思決定の誤りを見つけるコストがより高く、また「誤りを正す」コストがもっと高いということにある。

資源を様々な「会社」に組み立て、そして社会に産出物を提供する。それが「間違って」いるか、それとも「間違っていない」のかは、市場価格によって判定されなければならない。しかし、計画経済の時代には、市場価格制度が消滅あるいは制限され、明らかに「間違った」配分を長期にわたって見過ごすことも珍しくなかった。これは我々が長い間経験してきたことである。「間違った」ことさえ知らなかったのであり、正すことなどは考えられなかった。

たとえ配分が誤っていたことが判明しても(資源が不足していれば、誤りは早かれ遅かれ現われる)、公有制の下では企業による是正への力が働きにくい。確かに、面子を保つために誤りをあまり認めたくないというのは人間の本性であり、これはどの体制下でも同じである。但し、市場経済の場合、誤った配分は資源の所有者の利益を傷つけることになり、利益志向に誘導され誤りが是正されることになる。一方で、計画的公有制の場合、意思決定の誤りによって損害を受ける主体は抽象的な「全国民」、「国家」あるいは「集団」であり、企業の代理人が面子を選ぶという判断を行うのはしかたないようにも考えられる。

さらに致命的な問題は、公有企業が配分の誤りを知り、誤りを是正しようとするときには、すでに是正を行うことがかなり難しくなってしまっている点である。実際、計画的公有制の下では、企業を作ることに向けた意欲が一番盛んになってしまっている。そして、貴重な資源を経営難の企業に注入し続ける傾向がある。一方で、すでに市場で生命力を失った「企業」が手っ取り早く処理されることはない。

市場制度の優位性

市場経済の最大の特徴は、意思決定が間違わないことでもなく、誤りを見つけるコストが低いことでもない。それは、企業が契約に基づいて生まれている点である。基本的な選択メカニズムは、各種要素が「企業契約」に投入される時、採算に合えば、企業の中に「残る」が、ほかの企業で活動を行った方がより望ましいと考えられる時は、従来の企業から退出して、そちらに移ることができる。もしすべての企業が「不適切」なのであれば、要素の所有者は自営業となって生計を立てることもできる。また、様々な選択は、労働力市場、資産市場の価格シグナルに基づいて行われることも市場経済の特徴である。

市場を取り巻く環境が日々変化する中で、企業は常に契約を結び直し、組織を刷新する。市場経済の中で、企業の再建率、死亡率と出生率は非常に高い。輝かしい企業が、市場で「失敗」する例も多々ある。ただ、それは、要素が「より望ましいところ」へ移っているだけのことである。

経済要素が合法的かつ順調に流動・再編することは、「自由な企業体制」の真の生命力の根源である。なぜ企業の管理者は努力しなければならないのか。その答えは、企業の「ボス」すなわち株主が管理者を見つめているだけでなく、企業の中の様々な要素が市場のほかのところに移ることができるためである。多くの場合、企業が特に何も間違っていないのに「失敗」に至ったのは、より強力な相手が現われ、要素がすべて自分のところから逃げたためである。三国時代、周瑜は多くの敗北を喫しているが、もし諸葛亮さえいなければ敗れなかったかもしれない。現代の市場も戦場のようなものであり、人々は時に自らを周瑜になぞらえ「なぜ諸葛亮がいるのか」とため息を漏らすのである。

一般的に制度改革、すなわち要素の所有権の明確化や市場と契約といった制度作りと、制度が変わったことによって企業が市場で成功することとは同じではない。所有権の変更により、企業が非常に成功するケースは稀である。なぜならば、市場における企業の成功はほかの多くの要因に左右され、所有権という要因だけで決まるものではないからだ。所有権と契約制度が保証するのは、すべての要素は流動的な環境の下で契約や再契約が可能であり、企業の成長や縮小、あるいは再生したりすることを通じて、経済資源を効率的に使用できるということだけである。したがって、企業の業績だけをもとに改革の成否を論じることは、明らかに不十分である。

2003年12月26日掲載

出所

周其仁『収入是一連事件』花千樹、2003年(p272-275)「怎様衡量改制成功」

2003年12月26日掲載

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