中国経済新論:中国の経済改革

中国の金融改革及びそのリスク
―オルソン法則の呪い―

徐滇慶
ウェスタン・オンタリオ大学教授・北京大学中国経済研究センター

1945年昆明市生まれ。1967年中国東北大学自動制御学部卒業。1981年華中理工大学より経済管理修士、1990年アメリカのピッツバーグ大学より経済学博士を取得。1990-1994年カナダのサスカチェワン大学(University of Saskatchwan)で教鞭をとり、1994年以降、カナダのウェスタン・オンタリオ大学(University of Western Ontario)経済学部で教学し、終身教授を取得。専攻は中国の金融問題。現在、北京大学中国経済研究センターをはじめとする中国の各大学で客員教授を務めながら、西安外国語大学に所属している長城金融研究所において中国の金融問題に関する研究を展開している。

米国ミシガン大学のM.オルソン教授はその著書『国家興亡論』の中で、「国家は、大きな打撃を受けて初めて真の改革を行う」と述べた。オルソン教授は世界各国の歴史を例に証明した。この定理は鉄則とも言えよう。振り返ってみれば、中国も例外ではない。

もしアヘン戦争がなければ、もし甲午戦争(日清戦争)がなければ、戊戍変法(訳注:清朝末期、洋務運動に対し康有為・梁啓超らが制度の根本的改革を主張して推進した政治改革運動)も辛亥革命もなかった。

そして、もし内憂外患、帝国主義の侵略がなければ、中国共産党による革命もなかったのである。

同じように、文化大革命の破壊がなければ、1979年から開始した経済改革は順調に進まなかったかもしれない。計画経済体制の下で、中国政府は食糧問題を解決するために、全党、全国民を動員して農業を起こし、政府幹部や大学生、中高校生を農業支援のために田舎に駆り出すなど、多くの方法を取り入れた。いろいろな方法を試したが、結局、国民の胃袋を満たすことはできなかった。しかし、文化大革命の極左路線により、中国経済は崩壊寸前まで追い込まれ、人々は恨みを抱え、そして短期間に「三つの赤い旗」の一つである人民公社は完全に消滅した。あたかも農業改革により、数世紀来、中国人が追い求めてきた目標を達成し衣食問題を簡単に解決したかのように見えた。

1979年の第11期共産党中央委員会第3回全体会議(3中全会)から約四半世紀が過ぎ去った。文化大革命の教訓も時間と共に薄らいでいる。長年の経済成長は多くの人々に、平和な世の中がこれからもずっと続くという幻覚をもたらした。憂慮の意識がないため、改革の原動力は失われつつある。20数年の改革を経て、改革しやすいものはすでに改革が終わり、残っているのは難題ばかりである。その中でも最も難しいのは金融改革である。今までの改革は基本的に「パレード最適」に属する。つまり、改革に参加した各集団は程度の差こそあれ改善が得られたため、改革への抵抗が比較的小さかった。しかし、金融改革の場合、全員を喜ばすことはできない。

今でも、国有銀行は依然として計画経済時代の寡占的地位を受け継いでいる。真の改革かそれとも偽の改革かは、このような寡占状況を打破し、競争メカニズムを導入することができるかどうかによる。改革は、一部の既得利益集団に及ぶため、彼らからの反対と抵抗は避けられない。金融改革が特に難しいのは、金融改革に必要な原動力が改革の対象そのものであるためである。

国有銀行の中で、健全かつ効率的な金融システムを望んでいる人はたくさんいる。同時に、彼らは、収入の増加、仕事の安定も望んでいる。役人がより望んでいるのは昇進である。しかし、これらの目標は互いに矛盾している。中国の国有商業銀行の従業員数は40~50万人であるのに対し、同じ資産規模の外資系銀行は僅か3万人に過ぎない。外資系銀行の一人当たり利益は5万ドル以上で、中国の国有銀行は1000ドルに達していない。効率を向上させるには、人員を減らし、機構を簡素化しなければならない。しかし、誰を減らせればいいのか。中国の国有銀行は、計画経済の伝統を継承し、管理職は行政級別の肩書きを持っており、係長、課長、局長から大臣までがある。たとえこれらの官僚を削減しなくても彼らの兵士を削減するだけで、彼らはもはや官僚でなくなる。官僚体制に慣れた人たちにとって、金融システムに競争原理を導入することは、昇進の道を断たれるだけでなく、従来のポストおよび寡占的状況下で享受している様々な特権を直接に脅かされることになる。インセンティブ・メカニズムが欠如しているため、現在の金融システムは金融改革の原動力が欠けている。毎年のように金融改革を実施しなければならないと呼びかけ、金融改革案も出されている。まだ出されていない案はもはやないだろう。しかし、結局は、現体制の枠組みの中での修正や補足に留まっている。似たようなことをすでに20年も言い続けてきたが、これからあと数回言えばうまくいくのだろうか。

国有銀行の内部からの改革がそれほど難しいのであれば、民営銀行の設立で金融市場の競争メカニズムを徐々に整備するというように外部から着手することは可能であろうか。これは本来非常に合理的な案である。中国の経済改革が成功を収めた要因の一つは、国有企業の徹底的な改革の前に民営企業を認めたことである。民営企業の急速な成長は、国民経済の発展を促進し、市場の競争環境を改善し、国有企業改革を刺激した。民営企業が急速に発展している地域では、国有企業の経営状況も比較的良い。明らかに、民営銀行の認可は国有銀行の競争相手をつくることである。民営銀行が誕生すれば、国有銀行の寡占的状況はかなりの程度で崩壊し、国有銀行にとって大きな挑戦となり、修正や補足だけの案が実施できなくなる。このため、民営銀行設立の提案は、無期限に引き延ばすという戦術に阻まれている。

ほかの分野と違って、金融は経済の心臓であり、一瞬の間も欠かすことはできない。銀行に問題が発生すれば、経済全体に大きな衝撃を与え、民衆の利益に直接影響する。引き延ばし作戦には非常に立派な理由がある。改革したい人が現われても、彼らがリスクが高すぎると叫べば上層部の決意を動揺させることができる。金融改革は掛け声ばかりで実行が伴わないことは、この点を反映している。

民営銀行の設立に公然と反対する人は少ないが、今のところ民営銀行設立の進展は大きくない。面白いことに、多くの退職した金融官僚は民営銀行を設立して金融システムの改革を促進することに対し非常に積極的である。現役の金融官僚もおそらく退職後に積極的になるかもしれない。金融担当官僚が既得利益の守りに入れば必然的に保守的になる。

確かに、民営銀行の設立にはリスクを伴う。しかし、リスクを伴わない改革はあるのだろうか。実際、金融リスクは制度革新を通じて防ぐことができる。リスクを恐れて何もしないことこそ金融部門にとって最大のリスクである。

1997年のアジア金融危機の前、多くの韓国の経済学者は金融システムの欠点を指摘し、金融改革を呼びかけた。しかし、金泳三政権は選挙に勝つために、情報を隠し本当のことを言った経済学者を迫害した。金融危機で韓国経済が大いに打撃を受け、大きな損失を被った後、韓国はようやく真の金融改革を開始した。韓国の経済学者は、改革を呼び起こすコストが高過ぎたと感じている。

中国はオルソン法則を避けられるのだろうか。それは恐らく難しいだろう。金融危機が一度発生しなければ、人々は危機意識に目覚め、金融改革を決心することができないかもしれない。中国は金融改革を行わなければ、金融危機に陥る確率は百パーセントである。問題はこの金融危機がどれほど深刻であるか、そして、金融危機に遭遇した後、韓国のように比較的早く立ち直れるかどうかという点である。もし中国の遭遇する金融危機がインドネシアと同じように深刻であれば、中国は立ち直ることができず、経済改革の苦労が無駄になり庶民は大きな損失を被ることになる。

本当に金融危機の衝撃で引き延ばし作戦を打ち破るしかないのだろうか。言いかえれば、大きな挫折を避けて比較的少ない代価で改革を進めることはできないのか。歴史上にこのような例は少なくない。中国の経済改革史上では、数回の停滞と後戻りのリスクを経験している。1992年、経済が減速した上、外国の制裁もあったため、一部の人は中国の改革はここまでと考えた。鄧小平は、多数の意見を押しのけて南方視察を敢行し改革を加速させた。鄧小平はこのような知恵をもっているだけでなく、全局を指揮する威信もあった。この結果、中国経済は引き続き高い成長を遂げることができた。鄧小平の力強い指導がなければ、中国経済は、正しい道を見つけるには大きな挫折を経験したかもしれない。

金融改革が重要な決断に差し掛かった今、すべては上層部の決心と指導の手腕にかかっている。

2003年12月1日掲載

出所

中評網

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