はじめに
40歳以上を対象として日本で毎年行われている特定健診(いわゆるメタボ健診)においては、腹囲や体重(正確には体重(kg)を身長(m)の2乗で割ったBMI)の数値が大きい人々に対して特定保健指導を行うことになっていて、保健師や管理栄養士などの専門家が生活習慣を見直すサポートをする。最近、この特定保健指導をテーマとして、回帰分断デザイン(RDD)という手段によって、ある健康保険組合の実際の特定健診のデータを使った分析を「医療経済研究」という学術誌に掲載させていただく機会を筆者らは得た[1](この[ ]でくくられた数字は引用文献の番号で、引用文献のリストはこのレポートの一番下に出てくる)。このレポートではこの論文を紹介しながらリアルワールドにおけるRDD実施において生じる課題を紹介し、EBPM(エビデンスに基づく政策形成)への教訓を引き出すことにした。
特定保健指導に対するRDDの適用
特定保健指導は、積極的支援と動機付け支援に分かれていて、積極的支援の方が個別指導に重点が置かれたものになっている。特定保健指導の対象となる条件は複雑ではあるものの、厳密なルールに従っていて、裁量の余地がないようになっている(表1)。
腹囲・BMI | 追加リスク数(注) | 喫煙歴 | 該当する指導 | |
---|---|---|---|---|
40~64歳 | 65~74歳 | |||
男性:85cm以上 女性:90cm以上 |
2つ以上該当 | あり・なし双方 | 積極的支援 | 動機付け支援 |
1つ該当 | あり | 積極的支援 | 動機付け支援 | |
なし | 動機付け支援 | 動機付け支援 | ||
上記以外でBMI≧25 | 3つ該当 | あり・なし双方 | 積極的支援 | 動機付け支援 |
2つ該当 | あり | 積極的支援 | 動機付け支援 | |
なし | 動機付け支援 | 動機付け支援 | ||
1つ該当 | あり・なし双方 | 動機付け支援 | ||
(注)追加リスク数は血圧高値(収縮期血圧130mmHg以上または拡張期血圧85mmHg以上)・脂質異常(中性脂肪150mg/dl以上またはHDL-C 40mg/dl未満)・血糖高値(空腹時血糖100mg/dl以上またはHbA1c 5.6%以上)という3つのリスクのうち当てはまる数の合計。高血圧・脂質異常症・糖尿病の薬を使用している人々は除かれる。 | ||||
(出典)厚生労働省[2]に掲載された資料を元に作成され、関沢等[1]に掲載された。 |
RDDとは、ランダム化比較試験のような実験を伴わずに既存のデータから実験に近い効果検証を行う手法で、経済学や医学や教育学や政治学などさまざまな分野で使われるようになっている。カットオフ値と呼ばれる数値を基準としてある介入が行われる場合にRDDが使える可能性が出てくる。例えば、腹囲が85cm未満で、血圧高値・脂質異常・血糖高値の3つのリスクの全て(喫煙者は2つ以上)に該当する場合(表2のパターン2)には、65歳未満の男性であれば、BMIが25以上であれば積極的指導の対象となり、BMIが25未満であれば、情報提供が行われるだけになり、RDDが行える余地が生じる。この場合、BMIはランニング変数と呼ばれ、BMI=25がカットオフ値となる。なお、関沢等[1]では積極的指導だけが研究の対象となっている。
パターン名 | パターンの概要 | ランニング変数 | カットオフ |
---|---|---|---|
パターン1 | BMI25未満、かつ、追加リスク数が2~3(喫煙者は1~3) | 腹囲 | 85cm以上 |
パターン2 | 腹囲85cm未満、かつ、追加リスク数3(喫煙者は2~3) | BMI | 25以上 |
パターン3 | 腹囲85cm以上、かつ、高血圧リスクなし、かつ、脂質異常症リスクなし、かつ、喫煙者 | 空腹時血糖 | 100mg/dL以上 |
パターン4 | 腹囲85cm以上、かつ、高血圧リスクなし、かつ、脂質異常症リスクなし、かつ、喫煙者、かつ、空腹時血糖の計測なし | HbA1C | 5.6%以上 |
パターン5 | 腹囲85cm以上、かつ、糖尿病リスクなし、かつ、脂質異常症リスクなし、かつ、喫煙者、かつ、拡張期血圧85未満 | 収縮期血圧 | 130mmHg以上 |
パターン6 | 腹囲85cm以上、かつ、糖尿病リスクなし、かつ、脂質異常症リスクなし、かつ、喫煙者、かつ、収縮期血圧130未満 | 拡張期血圧 | 85mmHg以上 |
パターン7 | 腹囲85cm以上、かつ、糖尿病リスクなし、かつ、高血圧リスクなし、かつ、喫煙者、かつ、中性脂肪150未満 | HDL | 40mg/dL未満 |
パターン6 | 腹囲85cm以上、かつ、糖尿病リスクなし、かつ、高血圧リスクなし、かつ、喫煙者、かつ、HDL40以上 | 中性脂肪 | 150mg/dL以上 |
(出典)関沢等[1] |
以下の図1の例で見ると、2013年のBMIをランニング変数(横軸)としてカットオフ値が25で、効果を測るための変数であるアウトカム変数(縦軸)として2014年のBMIが使われている。つまり、特定健診で積極的指導の対象となること(注1)によって、翌年にBMI(いわば標準化された体重)が減少するかどうかを検証している。RDDでは、カットオフ値の右側で回帰分析を行って、カットオフ値における推計値を出し、同様にカットオフ値の左側で回帰分析を行って、カットオフ値における推計値を出す。2つの推計値の差が介入効果(図1の赤い線)となり、この部分が積極的指導の対象となることの効果を表す。仮に積極的指導の対象となることにBMIを減らす効果があれば、カットオフ値の近辺で2つの直線の間に段差が生じて、右側の線の方が低くなる。図1を見る限りは少し段差があって効果があるように見え、実際の数値も-0.09と負の値なのだが、統計学的には効果があるとは言えない(有意差がない)。

BMIに限らず、血圧や血糖値など他の健康関連の指標のいずれについても、積極的支援の対象となることがこれらの指標を改善する効果は見られなかった[1]。ただ、サンプル数が数百名と少なく説得力のないものとなった。加えて、BMIをランニング変数とするパターン2の分析では、対象が腹囲85cm未満で体重が大きい人が中心になるので、若い頃のアーノルド・シュワルツェネッガーのような筋肉マッチョみたいな人々しか思いつかない。このため、どこまで一般化できるかについては確信が持てない。
腹囲をランニング変数とすることの問題点
ここまで紹介したのはBMIをランニング変数(カットオフ値は25)とする場合(表2のパターン2)だが、実際には腹囲をランニング変数(カットオフ値は85cm)とする場合(表2のパターン1)の方がサンプル数ははるかに大きい。ただ、腹囲をランニング変数にするRDDには次のような問題があることが分かった。
1つ目は腹囲が操作される可能性があることである。RDDの実施可能な条件の1つはランニング変数が操作不可能であることである。康永・山名・岩上編著[4]では、腹囲をランニング変数とすることに警鐘を鳴らしていて、「保健指導を受けたくない人は腹囲の測定の際にお腹を引っ込めて測定することができます」と書いてある[4, p.51]。また、ある健保組合が特定保健指導の対象者を減らしたいと思えば、組織ぐるみでお腹をへこませる(あるいは測定を甘く行う)といったことが起きないとも限らない。
2つ目に、整数のような連続性のない数値ごとに計測が行われるとRDDでは正確な分析が行えないという議論がある。RDDではランニング変数が連続変数であることがもともと想定されており、離散変数の場合には推定にバイアスが生じることが指摘されている[5, 6]。腹囲やBMIはもともと連続変数だが、計測の限界などから特定健診のデータでは離散変数となっている。このようにもともと離散変数でない変数が四捨五入などで離散変数となったものをランニング変数として用いた場合の対応は本来の離散変数とは異なることが指摘されている[6, 7]。
3つ目は、ランダムでないヒーピング(heaping)という問題である[8]。ランダムでないヒーピングとは、ランニング変数において、特定の値においてランダムでないパターンで観測数が多くなっていることを指す。図2で、男性全体の腹囲の分布が書いてある。厚生労働省のガイダンスでは計測単位は0.1cmということになっているが[9]、実際には整数の人数が多く、次に0.5の単位の人数が多く、さらに、0.2と0.8が多くなっている。つまり、小数第1位において規則的なパターンが見られる。これはランダムでないヒーピングと考えるのが自然である。図3のBMIの分布ではこのようなヒーピングは観察されない。ランダムでないヒーピングが見られる場合には、仮にランニング変数に意図的な操作が行われなくても、推定にバイアスが生じる可能性が指摘されている[8]。
このようにいろいろと問題が出てきたため、関沢等[1]では、腹囲をランニング変数とするRDDの実施は断念している。


最近発表された別の研究
関沢等[1]が公表された直後に、特定保健指導について、腹囲をランニング変数としたRDDの論文がJAMA Internal Medicineという医学雑誌に掲載された[10](以下ではFukuma et al. [10]と呼ぶ)。こちらは新聞でも紹介されたので、ご存知の方も多いと思う。共著者の1人である津川友介氏がウェブサイト上で解説を加えているので、内容についてはこれを読んでいただくのが望ましい。
Fukuma et al. [10]では腹囲をカットオフ値とする場合に生じ得る上述したような問題についてどう対処したかについては明確には記述されていないので、気になっている。ただ、腹囲をランニング変数とした方がサンプル数は増えるし、一般化もしやすくなるので、この論文の手法で問題がないことが明らかになることを個人的には望んでいる。本件はRDDを利用する側の現場の研究者だけでなく、理論的な考察もできるようなRDDの専門家が関与した研究が必要になると思う。
EBPMへの教訓
腹囲をランニング変数にしたRDDが問題なく使えるようにするためには、図2のでこぼこが図3のようなだらかなものに変わる方が望ましい。そのためには計測単位の統一が必要だが、実際には統一されていないように見える。高齢化と共に腹囲の計測者の年齢が上がって小さい数字が見にくくなることも考えられるので、巻き尺の単位を0.5cmか1cmに統一するといった対応が必要かもしれない。このような細かい配慮がEBPMの推進には重要になる。
ただ、BMIと腹囲の間で強い相関関係があるので、特定健診で腹囲を計測する必要性に筆者は疑問を感じており、腹囲は使わずにBMIだけを保健指導の基準とする方が望ましいと思っている(その方がRDDは行いやすい)。さらに言えば、外国の多くの研究では、健康診断や保健指導には効果がないとするものが多いので[11, 12]、これらの廃止の可能性も含めた見直しが望ましいと思っている。
特定健康指導は政策として推進されており、極めて多くの国民が関わっていて、厚生労働省のNDBデータのようなビッグデータも整備されているので、おそらくは今の日本においてEBPMの実施可能な最大の案件である。適切な効果検証が行われてそれが政策に反映されることを望みたい。