中島厚志のフェローに聞く

第3回「理学博士がみる経済学の可能性とは」

本シリーズは、RIETI理事長 中島厚志 が研究内容や成果、今後の課題などについてRIETIフェローにたずねます。

シリーズ第3回目は、物理学の博士号を持つ異色の経済学者、 齊藤有希子 研究員を迎えて、物理学と経済学の違いから、マイクロな視点から見る経済学の今後の可能性についてお話頂きました。

物理学から見た経済学

中島 厚志理事長 写真 中島 厚志 (理事長):
齊藤さんは大学院まで物理を専攻されてきて、その後は経済学の研究を進められています。そもそも物理学、自然科学から見て、経済学はどのように見えるのですか。

齊藤 有希子研究員 写真 齊藤 有希子 (研究員):
私はまだ勉強中ですので、俯瞰的に捉えるのは難しいですが、現象を理解するための理論を構築する観点からは、物理学も経済学も同じだと思います。最も大きな違いは、理論について対立があった場合、実験による審判が下されるか否かという点が最も大きな違いだと思います。

中島:
経済学では人や企業行動などの社会現象を計測して、そこから理論化する一方で、物理学では普遍的な仕組みをどう解明するかということなので、物理学を専攻してこられた立場から経済を分析するというと、随分違うような気もしますが。

齊藤:
物理学でも現象論というアプローチがあります。1970年代、物理学では、より細かい構成要素(素粒子)の性質を明らかにするというそれまでのアプローチから、現象を理解するための理論を構築するアプローチが注目されるようになりました。より細かい構成要素の性質が明らかになることが、必ずしも身の回りの現象を理解することに明らかにすることにつながらないという認識が持たれたのです。そのような意味で、物理学と経済学では、多くの共通する問題意識があると思います。

複雑系という言葉を耳にしたことがあると思いますが、社会科学と自然科学で同じような現象があり、普遍性があるということがいろいろなところに見られます。

中島:
どんな普遍性ですか。

齊藤:
たとえば、都市の規模分布や企業の規模分布などの規模分布に、どこの国でも同じような性質が確認されています。また、自然科学と社会科学に観察されるネットワークにおいても、同じような性質が見られています。

「自己組織化現象」という現象として捉えられていますが、個々の主体は、全体がこうなるようにと思って行動しているわけではなく、個々の行動原理に従って別々に行動しているのに、相互作用する過程で、全体として普遍的な現象が現れることが社会では頻繁に生じています。

このようなことから、経済学者がその本質を知ろうとしたときに、物理学や自然科学に興味を持ち、複雑系を解析する手法が、自然科学と社会科学の両方で共通する言語として出てきたのかと思います。経済学者と物理学者のモデルのつくり方は随分違いますが、説明したい現象としては共通のものができたということだと思います。

中島:
近代経済学の流れでいうと、個人は利潤動機で動き、企業は利潤最大化を狙って動くことを前提にしますが、その考え方自体は間違っていない。物理と同じ動き、つまりこの宇宙の普遍的な動きだということでしょうか。

齊藤:
間違っているかもしれないし、間違っていないかもしれない。同じような行動をしているかもしれないのですが、それが利潤最大化かどうかは分かりません。

中島:
いずれにしても、社会科学においても、自然科学から導かれる結果とどこかで絡んでいて、同じような結果に収斂の仕方をするのですね。人間も個々は別々に動くけれども、全体を見れば、自然現象としての統一性があるのだという議論を詰めていくと、自然科学と同じ理論に行き着くということはないのですか。

齊藤:
違うモデルから出発したのに、単純化していく過程で同じモデルに行き着くというようなことはよくあります。自然科学と経済学が違うモデルから出発しているのに、同じようなモデルを解析しようとしていたりします。

中島:
色んなモデルが同じ現象を説明することが出来るなら、何が正しいのでしょうか。

齊藤:
それが問題です。最終的に、どのモデルが正しいかどうかを確かめなければいけません。

マイクロなレベルの現象分析

齊藤 有希子研究員 写真 齊藤:
モデルをつくるのは、現象を説明したいからですが、複数の異なるモデルが、同じ現象に行き着いたなら、どちらのモデルが本当に正しいかどうかを確かめなければなりません。物理学ではこれを実験で確かめます。ところが、経済学では現象に関わるさまざまな要因をコントロールして実験することがなかなかできません。既に存在するデータを利用したり、調査によりデータを収集したりして、分析をします。

このような制約から、いろいろな変数をコントロールするような統計的な手法は、実は、物理学者よりも経済学者の方がよく知っているのです。私は物理学を専攻したので数学的なところは強いと思われていますが、統計学でいろいろなものをコントロールすることについては、経済学者の方が長けています。

中島:
経済現象にはそれだけ雑音が多いわけですね。物理学の方が比較的純粋に捉えられる。

齊藤:
そうですね。雑音をコントロールする手法は、経済学者の方がよく知っています。物理学の方では、検証したい理論に合わせて実験を行うので、単純なデータ解析をしています。

中島:
最近、物理学者が経済学に興味を持って、実証研究に取り組む動きがありますね。

齊藤:
経済学とアプローチが随分と違いますが、経済物理学という分野があります。物理学者が経済学に興味を持ち始めたのは、理由があります。

実証研究をするには、物理学では、大規模な実験などをするため、時間もお金もかかり、たくさんの実験はできませんが、経済学では、情報化の中で何もしなくても自然にデータがたくさん集まってくる状況があります。人間の社会活動の履歴が、自然にログデータとしてどんどん蓄積されて、実証研究に用いることが出来るのです。

物理学者はそこに注目しました。物理学では、実験が大掛かりなので、実験と理論の両方に取り組むことは難しいのですが、経済学では、理論と実験の両方ができます。私自身も、経済学を始める過程で、そこに興味を持ちました。

中島:
経済学でも、よりマイクロに経済を見なければいけないという動きが近年あります。

齊藤:
それは、物理学で、素粒子のレベルで見ていこうということと似ているように思います。物理学において、マイクロレベルまで、現象を突き詰めようとしたように、経済学でも、個人のレベルまで掘り下げて、現象を細かく見ていこうとしています。現象自体に興味を持っている研究者もいますし、理論モデルを検証したいという研究者もいます。

政策インプリケーションについて

中島:
たとえば、物理学者が経済分析に入ってきて、物理学の理論を使って経済を見たときに、共通性がある、あるいは解析できるものもあるということは、新鮮で大変興味深いです。ただ、人間の場合は、その時々の環境や持っている履歴、所得、あるいは外部ショックなどのいろいろな要因によって行動の方向が屈折したりします。変化するわけです。それは物理学では考えられないですよね。

齊藤:
物理学でも、実験するときに、外部から電流を流したりして、ある状態に揺らぎを与えることはあります。外部ショックにどのように反応するのかにも興味があります。違いは、物理学では、他の要因をコントロールしながら、シンプルに検証できますので、経済よりも簡単です。

経済の場合、介入の効果などを確かめるのはすごく難しく、他の状態を全部同じにするというのが難しいのです。みんなが次を見越して動いていると考えられるので、いろいろな内生性をはらんでいるともいわれます。そこで、災害などはない方が良いことなのですが、研究にとっては、そういう外生的なショックの後の現象の分析が役立つのです。

誰も災害が起きるとは分かりませんから、それを見越して行動しているわけではなくて、突然ショックがあって、その段階でみんなどうしようかと考えて、取引先を変えるなど、いろいろな行動をします。そうすると、ピュアな行動が見られるということがあります。災害など、いろいろな外的なショックの後に、もっと学問が進んでいくことがあります。

中島:
理科系が好きではないから経済をやろうという人も多いと思いますが、同じように全体の現象を見て、個々を見て、そこに与えられたいろいろな条件、外部ショックによって状況がどう変わるかを見ていくということで、理系と経済系の類似性も大きいと感じました。

齊藤:
経済の世界に入って皆さんと話をすると、研究者はみんな、結局は似ているなと感じます。もちろん、受けてきた教育が違うので、いろいろと考え方は違いますが、何かを明らかにしたいという気持ちは同じように持っているので、共同研究をしていく過程でもそんなにフリクションはありません。

中島:
たとえば、ノーベル経済学賞は他のノーベル賞とは異質で、経済理論は必ずしも絶対的な真理を見出すことにはなっていないのではないかといわれます。また、アメリカの研究者や経済理論が主流をなす中、日本人はノーベル経済学賞を取れないのではとも言われますが、どう思いますか。

齊藤:
それは難しい問題ですね。ただ、どういう基準でノーベル経済学賞が選ばれるのか、少しずつ変わってくるのではないかと思います。昔は、経済学では、思想に近いところが結構ありましたが、データを見て、理論を検証していこうというように、理系に少しずつ近くなってきていると思います。実験経済学がすごく脚光を浴びたのは、実験で確かめたいという経済学者の思いがあるのだと思います。そういう流れを考えると、ノーベル経済学賞の基準も理科系の基準に近づいてくるのではないでしょうか。

中島:
RIETIの存在意義でもある、政策研究については、どうですか。

齊藤:
政策でも、エビデンスベースに持っていこうという動きがあります。いろいろなデータが集まっているので、政策の効果を数値的に解析して、エビデンスに基づいた政策ができるような状態に変わってきていると思います。

大量データの分析

中島 厚志理事長 写真 中島:
大量のデータが自然に出てくるというのが、研究対象として、興味深いということでした。現在では、いろいろなレベルで膨大な量のデータが出ています。しかも、インターネット社会ではそれが蓄積され、外部から利用可能になってきています。このデータをどういう形で処理していけばいいのでしょうか。

齊藤:
データの見方は、知りたいことや研究したいことが何かによって、変わってきます。何を明らかにしたいかにより、同じデータでも見方が変わります。ビジネスに生かしたい人は、ビジネスのためのモデルを考え、人間の行動の本質を見たければ、それをモデル化するのです。これから先、いろいろな使われ方があると思います。

最近では、インターネット上のログデータというものが、どんどんたまってきています。例えば、どのホームページに行ったのか、どこを見て、何を購入したかというように、人々の行動が全部残るのです。

中島:
例えば、ログデータによって、消費行動がより詳しく分かるということですが、従来からあるスーパーのPOSシステムなど、何がどれだけ売れたというデータが用いられていますが、それと比べてどんな違いがありますか。

齊藤:
今までのPOSの分析では、結果としての現象しか分かりません。個々の消費者がどう行動したかの結果です。今まで、仮定にすぎなかったマイクロの行動の部分を、個々のデータから確かめることができるということが、昔とは違っていることです。

中島:
昔は結果しか見られなかったので、仮定を置いて推定していたところを、今は、その段階も細かく経緯が分かるようになってきたということですね。

ネットワーク分析の持つ可能性

中島:
大量データを用いた分析として、人レベルのネットワークの分析に興味を持たれているとお聞きしましたが。

齊藤:
たとえば、共同研究をしたり、あるいは会社で一緒にプロジェクトをしたりというときに、プロジェクト管理のシステムなどを用いて、誰と誰が一緒に活動したかというような人のネットワークも分かります。また、公開データとしては、特許の公開公報などにも、共同研究の履歴が残っています。

人がどのようにつながっているのかが分かるようになって、どのようなフォーメーション、どのような人の流れ、情報の流れが企業にとって良いことなのかを知ることができます。

企業内の人的資源はすごく重要ですが、共同研究のプロジェクトのメンバーの組み方など、直感に基づくものでした。それを、たくさんのケースを統計的に比較したりすることで、企業内に新たな価値を生むことができます。

中島:
企業がイノベーションを起こしやすくするにはどうすればいいのか、どういう人事配置をすればいいのか、どういう企業の関係を構築していけばいいのか、経営能力を上げるためにはどうすればいいのかとか、そういうことが分かってくるということですか。

齊藤:
経営の方では、リワイヤリング戦略というものがあり、ネットワーク分析が用いられてきました。今はこういうネットワークだけれども、こうすればもっといいだろうということを考えるのです。分析では、因果関係が明瞭でないので、懐疑的な面もありますが。

ネットワーク分析から、企業間のリワイヤリング戦略を考えるということは、10年ぐらい前から出てきたのですが、それを人レベルで企業内の活動にまで持ってくるというように、どんどんマイクロに物事が見られるようになってきたのです。

中島:
そういう、マイクロに見ているものから、最後はシンプルな理論に統合したいわけですね。

経済学は、最初は経済をどう見るのかという経済思想から始まって、それからいろいろな見方が出てきて、エビデンスに基づく実証面で、しかも実験的なことも含めてどのように経済が動いているのかを細かく見ていこうという流れでした。今のお話では、大量データにより、分析も深められ、得られた理論を統合してくるという経済分析の動きが出てくる可能性があるということですか。

齊藤:
自然科学からみると、経済学で問題なのは、モデルが実態から離れたまま来ているという点なのではと思います。経済学を知らない物理学者が、社会現象を分析することは、経済学の発展のために、意味があると思っています。

人は合理的に行動するものだという前提を置いて考えていたのが、人ベースでデータから見ることによって、本当は合理的には動いていないということが確かめられるわけです。企業も、利潤を求めているのではなく、成長を求めているのかもしれません。個々の企業や人の行動を確かめるということは、前のモデルが間違っているかどうかが分かるということに近いのです。そういうことを重ねていくことで、モデルや思想の間違いを少しずつ変えていくことができます。

全体写真

現在の研究の方向性

中島:
自然科学、物理をやってこられた立場から経済の話を聞きました。最後に、齊藤さんが今、行っている研究を教えてください。

齊藤:
今やっていることは大きく2つに分かれています。1つは、企業間や企業内でのマイクロな関係性が生産性などにどう影響を及ぼしているのか、知識の波及がどのように起きているのかといったマイクロなメカニズムを検証して、モデルの構築を行いたいと考えています。

もう1つは震災の研究です。震災で実際に何がどう波及したかを調べることで、ショックがあったときにどうなるのか、また別の震災が起こったときにどうするべきかを考えます。ショックの後、企業間の関係がどのようにつなぎ変わるのかということを見越した上で、どういう復興計画がいいのかというようなところに結び付けることもできると思います。震災の研究は、アカデミックにもすごく重要ですし、政策的にも重要な課題だと思います。この2つを軸に研究を進めていきたいと思っています。

中島:
マイクロデータを基にして、そこから得られる知識を集結して、そこでのさまざまな外部ショックを勘案しながら、統合的に見ようということですね。大変面白いですね。ぜひ、頑張ってください。

齊藤:
ありがとうございます。

2012年11月8日開催
2012年12月21日掲載

2012年12月21日掲載