ジョブ型雇用の誤解を解きほぐす(動画)

鶴 光太郎
プログラムディレクター・ファカルティフェロー

近年注目を集めるジョブ型雇用。日本経済団体連合会(経団連)もジョブ型雇用の導入促進に舵を切り、経営者らがジョブ型雇用に言及する機会も増えてきた。コロナ禍で在宅勤務が半ば強制的に実施され、日本企業もジョブ型雇用に移行すべしという議論が盛んに行われるようになってはいるものの、その多くはジョブ型雇用の本質をはき違えており、誤解に満ちているといっても過言ではない。雇用や労働市場分析の第一人者である鶴光太郎ファカルティフェローに、こうしたジョブ型雇用の誤解や今後の課題について聞いた。

本コンテンツはrietichannel(YouTube)にて提供いたします。


――今、なぜジョブ型雇用が着目されているのでしょうか。

私は、2020年から現在の流れは第2次ジョブ型雇用ブームだと感じています。第1次は2013年、私が内閣府の規制改革会議の雇用ワーキング・グループの座長として、ジョブ型雇用の推進を大々的に打ち出したことに端を発します。これによって、それまで一般の人にはあまり知られていなかったジョブ型雇用という概念が人口に膾炙(かいしゃ)していったのではないかと思います。ただ、当時は労使とも、ジョブ型雇用のメリットは分かるがデメリットもあるとして、なかなか導入が進みませんでした。

転機が訪れたのは、2018年に日立製作所の中西宏明会長が経団連会長になられてからです(※現在はいずれの会長職も退任)。経団連の「2020年版経営労働政策特別委員会報告」でも、ジョブ型雇用への全面的な転換ということではありませんが、導入できるところにはジョブ型雇用を入れていくべきだという議論がなされました。この中西会長の強いリーダーシップの背景には、日立がグローバル企業として、日本だけが特殊な人事をするのではなく、グローバルに整合性のある人事戦略に本気で取り組んできたということがあると思います。

このように、先進的な取り組みをしている企業は、企業が成長しイノベーションを起こすためには、そこにいる人材がイノベーティブであり、成長していなければならないと考えています。そうした人材を育てていく上で、また引きつけていくためには、特にキャリアの面で自立性と自律性という2つの「ジリツ」が重要であり、ジョブ型雇用もその1つであるという考え方が出てきています。

一方で、コロナ禍で強制的にテレワークをせざるを得なくなったことで、コミュニケーションが取れない、部下のモニタリングや管理、評価が難しいなど、いろいろな問題が出てなかなかうまくいっていない企業もあります。これは従来の雇用管理システムに問題があるのではないかということで、ジョブ型に注目が集まってきたという部分もあるでしょう。このような形でジョブ型雇用が再び脚光を浴びるようになってきたわけですが、その議論を聞いていると、かなり誤解に満ちているということを痛感します。

――ジョブ型雇用についてどのような誤解があるのでしょうか。

定義の誤解です。私はジョブ型雇用を「限定正社員」と説明しています。すなわち、職務・勤務地・労働時間が何かしら限定されている正社員を指します。それに対して、これまで日本の雇用システムにおける正社員は、職務もどんどん変わる、転勤も言われればやる、残業も命令されればやらなければいけないという意味で、「無限定正社員」といえます。

ところが、ジョブ型雇用という言葉を最初に使いだした濱口桂一郎氏(JILPT(独立行政法人労働政策研究・研修機構)所長)が、ジョブ型雇用の対義語として「メンバーシップ型」という言葉を使われたのですが、世間ではこの言葉の真の意味が正しく理解されていないと感じています。確かに日本的な雇用システムは、新卒一括採用・終身雇用で、雇用の流動性がなくメンバーが固定しているため、メンバーシップ型=日本型雇用システムであると受け取ってしまう人が多いのです。そうすると、日本型雇用でないものは全部ジョブ型だという考えになってしまいます。

しかし、例えば米国も欧州もジョブ型雇用ですが、その実態は異なります。ジョブ型雇用というと、首切りは自由だけれどものすごく成果主義だというような、米国のハイエンドな人たちの雇用をイメージしがちですが、それはむしろ先進国の中では米国ぐらいしかないという特殊性・異質性を持ったものです。

メンバーシップ型雇用とは、分かりやすくいうと就社です。企業のメンバーになるという意味で、就職ではなく就社と考える。そして、雇用契約は空白の石版で、何も書かれていない。これが私の言う「無限定正社員」とぴったり重なります。まず、この定義をしっかり理解することが重要です。

――ジョブ型雇用=成果主義ではないということですか。

これも定義に対する誤解から来ているのですが、経済学的に考えても、ジョブ型と成果主義はまったく別次元のものとして、分離して議論すべきです。

ジョブ型雇用では、職務と賃金が結び付いています。従って、職務が変わらなければ賃金は変わりません。もちろん査定はありますが、成果に応じて賃金が変わるというような要素は、定義上は1つもありません。現実に欧米でも、ハイエンドでない普通の人たちは成果主義ではなく職務で賃金が決まっていて、そういう人の割合の方が多いのです。

一方、日本型の賃金システムは職能給といわれ、潜在的な職務遂行能力と賃金が結び付いています。成果ではなく能力です。大事なのは、この職務遂行能力は、企業の中でいろいろな部署を回りながら、経験・訓練を通じて高まっていくという大前提があるということです。従って、同じ職務、同じポストにとどまったとしても、職務遂行能力は上がっていく場合がある、だから賃金も上がるという形で、年功的な賃金(後払い型賃金)を制度的・理論的に裏付ける仕組みが職能給制度なのです。

欧米のトップエリートはむしろ、より無限定です。欧米の企業・機関では、誰がやるのか定まっていない狭間の仕事や余った仕事は全て上司がやらなければいけないという仕組みなので、トップエリートは休日も働くし、仕事の幅も広いのです。

ただ、ジョブ型=成果主義という誤解の裏には、定義の問題だけでなく、マスコミや人事産業の成果主義を売り込みたいという思惑があると感じています。1990年代末から2000年代初めに大企業を中心に成果主義ブームがあったのですが、それは失敗に終わりました。それを同じ名前でまた売り込むわけにはいかないので、ジョブ型雇用という形で看板を書き換えているのではないか。同じようなことが、高度プロフェッショナル制度の議論でも起きました。私が規制改革会議でこれを最初に提案したときは、時間にとらわれず多様で柔軟な働き方を認めるというものでしたが、マスコミは「労働時間で評価するのではなく成果で評価する」ととらえ、とにかく米国は素晴らしいという報道をしていました。

――テレワークはジョブ型雇用ですか。

それも誤解です。80年代、ICT革命以前にも海外ではテレワークに関するさまざまな研究が行われ、当時はテレワークのしやすい仕事として、1人ぽつんと離れて働くのでコミュニケーションやコーディネーションがあまり必要でなく、また、ずっと監視することができないので成果が非常に測りやすい仕事がいいといわれていました。それとジョブ型が連関している部分もあり、テレワークをするにはジョブ型でないと駄目だといわれるようになったのだと思います。

ただ、今はこれだけICTやデジタル化が進んで、もうそういう制約はほとんどありません。デスクトップ上に職場を再現することも可能になり、コミュニケーションができないとか、信頼関係が構築できない、部下を評価できないといった問題は、単にツールを使いこなしていないからということに尽きます。実際、コロナ前から働き方改革やダイバーシティ、従業員のウェルビーイングを伸ばす取り組みをしている企業は、必ずテレワークに対しても先進的な取り組みをしていました。一番のポイントは、従業員を限定せず誰でもテレワークができる状況にしていたかどうかです。このことがリトマス試験紙のような役割を持っていて、コロナ前にそれができていた企業はまったく問題なくやっている。しかし、遅れていた企業はコロナ禍になって慌てて何かをやるけれど、うまくいかない。どうしていいか分からない。そういう企業の不安につけ込んで、「ジョブ型を入れたらいいのではないですか」などと言う人が出てくるわけです。

私もテレワークでは、例えば新人が企業という組織になじみ、その一員となっていくソーシャリゼーションのプロセスには困難が生じるかもしれないし、フォーマルな仕事に必要な信頼感とコミュニケーション以外の、人間としての親近感や親しみを醸成することは、もしかしたら難しいかもしれないという思いもありました。ただ、それでさえ、実はいろいろな工夫をすればできるのではないか。例えば親密感をつくるために、オンライン上でアバターを使っていろいろな活動を一緒にしたり、ゲームをやったりというレクリエーションにトライしている企業もあります。こうしたことを踏まえて、リモートでは駄目だという議論がどこまで本当かということは、きちんと考えていかなければいけません。

真の課題は、日本的雇用システムに内在する大部屋主義や対面主義、暗黙知信仰だと思っています。日本は、企業の中での密接なコミュニケーションやコーディネーションを重視してきました。まさにメンバーシップ型で、新卒一括採用で同じ釜の飯を食う、同じ時間・同じ場所でみんなが一緒にいる。それで阿吽の呼吸をつくる。暗黙知で、言葉がなくてもいろいろなものが通じ合うようにする。それは対面でしかなかなかできないことです。これは80年代における日本の産業の競争力の高さにもつながっています。50代以上の人たちは、それに対する憧憬が強すぎるがゆえに、やはり対面でないと駄目なのだ、リモートでは駄目なのだと、頭から決めつけてしまう人たちが多い。そういう人が経営幹部にいると、なかなかテレワークは進んでいきません。

――ジョブ型雇用のさらなる普及には何が必要なのでしょうか。

冒頭で触れた、労使ともにジョブ型には嫌な面があるという話を少ししたいと思います。

まずは賃金システムです。日本の正社員の賃金カーブは年功型で、私は後払い型と呼んでいますが、定年までどんどん上がっていきます。一方、海外の正社員の賃金カーブは、30代後半から水平になっていきます。日本が年功型を取っているのは、40代以上の生活を支援するという側面が非常に強いからで、ジョブ型にして欧米と同じような賃金カーブになると労働者側も困ります。企業側にとっても、後払い型は定職率やインセンティブを高める効果があります。ですから、ここを変えるのは難しいのです。

2つ目は、人事制度です。欧米のジョブ型の本質は、決してジョブディスクリプションを書いているか否かではなく、ポストに人を動かすときのやり方にあります。何年かごとに本人の意向も聞かずに勝手にぐるぐる回す日本のやり方と違って、欧米型は基本的に公募です。あるポストに対して、こういう適性のある人が必要だということを提示して、本人の希望があった上で、そこにいるだけの資質を持っているかどうかを判定して、職務を充てる。これがジョブ型雇用の本質なのです。これは、定期的にぐるぐると人を回して、人材にその時々でカメレオンのようにいろいろな色に塗り替えるという使い勝手のよい日本的な人事に比べると、ものすごく面倒くさい人事になります。

3つ目は、労働組合です。日本は企業別の労働組合を持っていますが、これと無限定正社員システムはまさに相互補完関係にあります。日本の労働組合は、無限定正社員システムの待遇や処遇を守るために存在すると考えると非常に分かりやすくて、だからこそ彼らは雇用の保護に一番重きを置くわけです。こうした考え方とジョブ型雇用はなじまないし、これまで良しとしていた無限定正社員から一段も二段も格が低いと感じてしまうのです。

――最後に、なぜジョブ型雇用が重要なのですか。

ジョブ型雇用推進の最も大きな圧力となるのが、シニアの雇用です。シニアの雇用は、絶対に無限定正社員ではあり得ません。一度はそういう枠にいた人も、ある種ジョブ型に転換してもらわなければいけないし、むしろ成果主義についてもきちんと考えていかなければいけない部分です。

今の継続雇用制度には大きな矛盾があって、後払い型賃金はどこかで打ち切らないと、企業側の負担が増えるばかりなので、定年後は同じ仕事をしたとしても賃金水準が大きく下がってしまう。これでは働く側の満足度も低くなるし、不利益変更ではないかという問題もあります。そうではなく、例えばこの人にしかできないことがあるから、定年後もいてもらって後進の指導をしてもらうというように、自分が培った専門性を認めてもらう形でないと、なかなか企業とハッピーな関係を構築できないということがアンケート調査などからも分かっています。シニアの雇用の場合、働きながら給料が上がっていくわけではないので、持っている専門性を正当に評価する仕組みがないと、本当に有能なシニア人材を使いこなすことはできません。

そういう問題を解決していく上でも、やはり事前にジョブ型になっていることが非常に重要です。ただ、経団連が言っているような、新卒でいきなりジョブ型雇用をするというのは無理だと私は思います。特に大卒文系は、それまでの教育システムを見る限り、何かの専門で企業が採るということはないので、入社10年目ぐらいでいろいろな差が出てきたときに、幹部候補生の人たちとジョブ型でやっていく人たちを分けるのが良いのではないかと思います。

正社員の労働時間や勤務地の限定性は、昔よりもかなり出てきています。最後は職務の限定性になっていくのですが、今の若い人たちは、この企業で自分が成長できるかということをすごく考えています。その中には、キャリアの展望を自分で考えていけるかということも含まれます。このことは、最初にお話しした2つの「ジリツ」と密接に関係しています。

従来の日本企業は、企業に言われたとおりに動くことや、どれだけ自己犠牲を払ったかという我慢強さで組織に対するコミットメントが評価され、偉くなる人が決まっていくという世界でしたが、そういうことを今の若い人たちに求めるのはもう難しいでしょう。彼らが求めているのは、自分が成長できる企業です。企業の方も、従業員が成長できれば企業も成長でき、イノベーティブになれます。こういうところを考えていくと、ポストコロナという意味でも、ジョブ型がより重要になっていくということが見えてくると思います。

2021年4月7日掲載

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