1990年代半ばから産学連携を推進するための一連の改革が実施されました。科学研究費補助金の増額をはじめ、大学発ベンチャー支援のための助成制度の導入、国公立大学教員の兼業規制の緩和など制度面の改善も進み、特に国立大学の法人化は大学経営の自由度を高めました。最近の文部科学省の調査によると、産学連携は着実に促進されており、たとえば2004年度の国立大学法人と民間企業の共同研究は9378件で前年比1.17倍の増加となっています。RIETI編集部では、産学連携に関する実証研究を行っておられる後藤 晃ファカルティフェローにその研究の成果、イノベーションを推進する政府の役割等について伺いました。
RIETI編集部:
産学連携のための政策が大学に与えた影響について研究をなさっているそうですが、特に大きな影響としてどのようなことが挙げられますか。
後藤:
この産学連携の実証研究は、私の同僚である馬場靖憲先生(東京大学先端科学技術研究センター教授)と共に行っています。まず東大の工学系とバイオ系の研究者を対象として調査し、その後全国の大学に対象を広げています。質問票調査、研究者の論文や特許といった計量書誌学的な研究に加え、橋本和仁先生(東京大学先端科学技術研究センター教授)の光触媒の開発と産業化のケースなど、いくつかのケーススタディを行いました。大学の体制は90年代の後半から10年の間に大きく変わってきました。2004年4月の国立大学の法人化は大学改革の総仕上げという感がありますが、このように大きな変化が大学の研究や産学連携にどう影響を与えたかについて調査しています。
調査の結果明らかになったことはたくさんあります。最も興味深いことの1つは、大学教員と中小企業との協力関係が向上したことです。従来も大学、特に工学部の研究者は産業界と密接に交流していましたが、大企業が中心でした。その背景として、大企業は研究開発費が比較的潤沢なことや、大企業の研究所には特に東京大学の卒業生が多いことなどが挙げられます。ところが、産学連携の一連の新しい制度が導入された結果、中小企業との共同研究が増えてきました。従来中小企業にとって大学は敷居が高く、なかなかアプローチできないという問題も指摘されていましたので、大学の研究者の意識が変わってきて、中小企業とも共同研究を行うようになったのは非常にいいことだと思います。また、大学の研究者は産業の技術開発という観点から見るとかなり先端的な研究を行っており、マーケットが非常に小さく、市場化に向けてのリスクは大きいので、本質的に中小企業に向いている面があります。ベンチャービジネスはその典型です。本来中小企業にマッチしている大学の研究が、新しい制度の導入をきっかけとして実際に中小企業と連携を深めてきたことは、プラスの効果だと思います。
逆に心配な面というのは、産学連携がどんどん進むと、研究者の論文の発表に対して、産業化を考慮して公表の遅延を余儀なくされる、あるいは大学の研究者の研究テーマが企業との共同研究できそうなものばかりに向かう、教育がおろそかになる、といった問題が起こり得ることです。改革が始まってまだ月日が浅いので、今のところ深刻なマイナスの影響は出ていないように思われますが、研究、教育は長期的にみて産業技術を支えるものですし、潜在的には非常に大きな問題なので、今後も注視していかなければならないと思います。
RIETI編集部:
国立大学法人2004年度の決算概要を見ると、純利益、外部資金(受託研究・共同研究収益、寄附金)共に東京大学がトップを占めています。2005年度も東京大学は収益を増収し、とりわけ外部資金は対前年比約19%増と著しく伸びています。これは産学連携が促進されている証左と考えられますが、成功の要因は何でしょうか。
後藤:
1つには東大の産学連携本部の努力もあると思いますが、大学が産学連携について自由に競争すれば、東大が勝ちそうなことは衆目の一致するところでしょう。規模が大きく、優れた研究者も多く、東京にたくさんの大企業が集まっており、伝統的に卒業生が多方面で活躍していることもあるからです。このような傾向はこれからも続くでしょう。むしろ、それだけでいいのかどうかを考える必要があります。地方の国立大学も非常に重要な使命を果たしているわけで、それが立ちゆかなくなると、日本が明治以来築いてきた最も大きな社会基盤の1つが崩れていくということになります。これは極めて深刻な問題だと思います。したがってこの点を考えていくべきです。
RIETI編集部:
スウェーデンはイノベーションシステムの推進により持続的成長を促進するため、2001年にスウェーデン・イノベーションシステム庁(VINNOVA)を設立し、産官学連携強化に注力しています。日本が産官学連携を強化するため、政府の取り組みとしては何が必要でしょうか。
後藤:
9月5日に開催されたBBLセミナー(※)でVINNOVA のエリクソン長官が、イノベーションという名のついた政府機関を設立したのはスウェーデンが初めてだと述べておられました。基本的にVINNOVAは研究開発のための資金配分を行う機関で、技術政策の立案も行っています。日本には、かねてより総理を議長とする総合科学技術会議が科学技術政策の司令塔として設置されています。しかし、司令塔といっても、事務局は産官学から約100名が登用されているという状況で、スタッフが不足しています。日本にとっての科学技術の重要性を考えたときに、これではとても十分とはいえません。スタッフを充実させ、イノベーションと科学技術の関係を含めて取り組むことが必要だと思います。
※2006年9月5日 BBLセミナー
"VINNOVA and its Role in the Swedish Innovation System: Accomplishments Since the Start in 2001 and Ambitions Forward"
Speaker: Per ERIKSSON (Director General, VINNOVA (The Swedish Governmental Agency for Innovation Systems))
さらに、米国の大統領科学補佐官ジョン・マーバーガー氏が果たしている役割は、日本にとって有益な示唆があると思います。マーバーガー氏は科学技術政策が社会に与える影響、科学技術への投資と経済成長、環境改善、安全保障との関連などについて分析し、大統領に助言しています。また、このような研究を一層進めるべきであるとして国際的に訴えかけています。科学技術政策についての科学的な研究に日本もさらに注力すべきでしょう。
RIETI編集部:
後藤先生は著書『日本のイノベーション・システム』の中で、産官学で協同して人材を育てていく点でベストプラクティスといわれる英国の例を参考に、理工系の人材を育成し、人を通じた大学から産業への技術移転を図り、長期的な産業競争力の基盤を築く方策を示しておられます。先月発足した安倍内閣は、2025年までを視野に入れた長期の戦略指針「イノベーション25」を来年7月までに取りまとめる予定です。後藤先生のご研究が日本の長期戦略策定にどのように活用されることを期待なさいますか。
後藤:
イノベーション、技術開発というのは本質的に時間のかかるもので、たとえば開発を始めてから製品化まで10年はかかります。人を育てるのも小学校から大学院まで20年位かかりますから、基本的に長期的な視点で考えなければならない問題です。ところが90年代には短期間で技術から収益を上げようという傾向が非常に強くなりました。当時は景気が大変悪かったので仕方のないことだと思いますが、景気も回復してきた今、本来のスタンスに戻り、長期的な視野でイノベーションに取り組むことが重要です。具体的には、人材の育成が一番大きなポイントであり、特に理工系の人材を育成するという視点から考えなければならないと思います。これまで産学連携については、大学の持っている技術をたとえば特許を通じて産業界にライセンスするという技術の流通を中心に議論されてきましたが、これからはそれ以上に技術の生産に目を向ける必要があります。技術を生産するのは科学者、技術者です。大学本来の役割は研究とこのような人材の育成とを同時に行っていくというところにあります。長期的に見れば一番重要なポイントなので、ここに最重点を置いてイノベーション戦略を考えていくべきだと思います。