第29回──RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」直前企画

グローバル時代に必要な国際経済関係の制度化とは?

小寺 彰
ファカルティフェロー

自由貿易協定(FTA)/経済連携協定(EPA)などによる地域経済統合が進んでいる反面、WTO新ラウンドの進捗状況は思わしくありません。RIETI政策シンポジウム「難航するWTO新ラウンドの打開に向けて-多角的通商体制の基本課題と我が国の進路-」では、地域主義との関係、WTO機構の強化、通商政策決定の国内プロセス、グローバルガバナンスのそれぞれの観点から、WTOが抱える基本的課題を検討します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として、シンポジウムの論点や見どころ等についてシリーズで紹介していきます。第1回目は小寺彰ファカルティフェローに新しい多角的貿易体制の在り方やその実現には何が必要かといった点についてお話を伺いました。

RIETI編集部:
まず「多角的貿易体制の現状と展望」プロジェクトが始まった経緯と、今行っている取り組みについてお聞かせ下さい。

小寺:
2002年からWTOのドーハ開発アジェンダ、所謂DDA(Doha Development Agenda)が始まりました。
DDAを開始するのにも多くの困難がありましたが、交渉自体も難渋し当初に予定した期間内に終わらないことは確実になっています。併せて日本の取り組みにもよく表れているのですが、1999年から日本は地域貿易協定、所謂FTA/EPAの取り組みを始めました。シンガポールやメキシコとは既にFTA/EPAを結び、現在も多くの国と交渉中です。これを見れば分かることですが、第二次大戦後に進んできた国際経済関係の制度化が岐路に来ていると思います。

まず、この状況の中で、今後の国際経済制度のあり方を見通すことが、日本にとって極めて重要なことであり、特に日本の観点からWTOを中心とする国際経済関係のあり方を考えていかなければならないという問題意識がありました。第二次大戦後ずっと国際経済関係の中軸的な組織として活動してきたWTO/GATTが最近やや影が薄くなってきているわけですが、このWTOが現在どうなっているのか、そして今後どのように進むのかということをきちっと考えておく必要があるということが、このプロジェクトを始めたきっかけです。

RIETI編集部:
日本でもここ数年はFTAを推進する方向が強いように感じられます。

小寺:
FTAについては、日本は20世紀は消極的な姿勢に終始してきました。21世紀間近になり、世界の潮流を受けてようやく政策転換をしましたが、最近までFTAがどういうものなのか、手探りで来たというように思います。シンガポール、メキシコと締結し、それからフィリピン、マレーシアと大筋合意に達したということで、ようやく日本が結ぶFTA/EPAがどういうものなのかというイメージがはっきりしてきました。

FTA/EPAのイメージがはっきりした現在、国際経済関係を大きくとらえた場合には、その軸になるのはやはりWTOであって、FTA/EPAはそれを補完するものだという思いを強くしています。両者の役割の違いを踏まえると、WTO、FTA/EPAという2つの車輪をうまく動かして日本の通商政策を進めていかなければならないと思いますし、大きく国際経済関係の制度化という側面で見た場合もWTOと各国が結んだFTAとの間にはおのずと役割分担があることを認識する必要があるでしょう。WTOが主でFTAが従だということは、これはもう間違いのないことだろうと思います。だからといってFTAを軽視すべきだと言っているわけではなくて、FTAでできることできないこと、WTOでできることできないことをきちっと見極めて、それぞれの利点を生かす態度が望まれると思います。

RIETI編集部:
現在、WTOを中心とする多角的貿易体制が抱えている問題についてお聞かせ下さい。

小寺:
現在問題なのは「WTOの交渉がうまく進んでいないこと」であって、WTOが全体として機能不全に陥っているのではないことを押さえておく必要があります。WTOが発足して、紛争処理を背景にもつ自由化が確実に実行され、日本の経済外交の基盤になっているということが大前提にあります。この点はアメリカやEU、途上国についても全く同じです。今うまくいってないのは、その体制をさらに深化していこうということで、一層の発展を達成する過程でいろいろな問題が出てきているのです。

この点で注目しなければいけないことのひとつに途上国問題があります。今WTOでは、途上国とアメリカ、EUという先進国との間の意見の対立が大きくクローズアップされてきています。途上国問題というのは、今でも非常に高い関税を課している途上国の鉱工業品についての関税引き下げをアメリカやEUが迫り、他方アメリカやEUが行っている農業保護政策を撤廃するように途上国が迫って膠着状態になっているという形で表れています。これらはともに、今まで持ち越されてきた問題ですから、当然その解決は難しいのですが、併せてやはり問題なのは、従来はアメリカとEU、さらには日本というような先進国がGATT/WTOを引っ張ってきたわけですが、途上国もそう簡単に先進国のリードには乗らなくなってきているということです。つまり、経済関係の自由化を進めるための決定を左右するプレイヤーが増えてゲームが複雑化していることが最大の問題なのです。また、プレイヤーが増えて複雑化したゲームを一層複雑化させているのは、NGOがWTOの意思決定過程に一定の影響力を持つようになったことです。

NGOはウルグアイ・ラウンドの段階からWTOに対する関心を示していましたが、1990年代の後半からグローバリゼーションが一挙に進展したこととの関係で、WTO的な自由化に対して異議を申し立てることを開始し、さらにそのNGOが途上国と結びつくという動きが出てきました。

このように途上国がWTOの政策決定に大きな影響力を与えるようになったということにとどまらず、その外縁でNGOが影響力を行使するようになったのです。途上国がジュネーブで合意したことであっても、NGOがその途上国の首都で、政府首脳に対して直接影響力を行使することで、その合意がひっくり返されてしまうといったことが頻繁に起こっています。

また、もう1つNGOのとの関係で指摘したいのは、国際経済の自由化が、各国の国内問題と密接に絡んでいることです。どこの国にも経済的に弱いセクター、国際競争力がないセクターがあって、たとえば日本の農業界、アメリカの繊維業界が代表的だと思いますが、そういうところがWTOが主導している自由化に対しては、常に抵抗してきました。しかも、彼らの政治力が極めて大きいということは、日本の農業団体の活動を見ればすぐにわかることだと思います。

このような抵抗勢力、国内におけるいわば保護主義勢力とNGOの提携も見逃せません。つまり、グローバリゼーションがもたらす問題として、国際的には、途上国と先進国との間の富の格差の問題がありますが、同時に国内における産業競争力のある分野と産業競争力がない分野の格差拡大という問題があり、双方の問題点をNGOが理論的に分析し厳しく批判しているという状況があります。

また、NGOは従来の圧力団体と違い、インターネットという武器を使って国際的なネットワークを作り、国際的に連帯し、相当な専門的知識を持って人々に訴えかけます。WTOでは、簡単に自由化できる分野はすでにやってしまっていますから、今残っているところの自由化が各国とも難しい分野です。その難しい分野について多様な声が出ているということが交渉が進まない大きな原因です。しかも、NGOの主張には当然考慮しなければならない点があることは間違いありません。特にNGOが重視するのは、貧困や環境の問題です。そういう点を全く考慮しないで国際経済関係の制度化を進めることはあり得ないですから、NGOが聞くべき声を主張していることは間違いありません。他方でNGOの存在が交渉がなかなか進まない一因となっていることも否めない事実です。

それからやはりもう1つ問題になってきているのは、WTO交渉がなかなか動かないということで、日本を含め、地域的な自由化を図っていこうという地域主義の動きが各国とも相当強く出てきていることです。たとえば、FTAの交渉に人を割けば、当然WTO交渉に割く人の数が減るわけですが、携わっている人の数が減れば、どうしても交渉の推進力が落ちてくるという問題があります。

この地域主義とWTOとをどう位置づけていくかは、日本のみならず国際的に大きな課題となっています。たとえばFTA交渉が始まったばかりのときには、日本でも、FTAさえ作ればWTOは要らなくなるんだというような声すら上がったことを思い出していただければ分かり易いと思います。2004年に終了する予定であった米州自由貿易協定(FTAA)交渉の締結が結局2004年内には合意に達せず、現在もまだ続いているという状況を考えると、FTA一辺倒ですべてがうまくいくというわけではないことが分かります。やはりFTAとWTOを使い分けなければならないのです。

結局最も大きな問題は、国際経済の自由化をどのような形で制度化していくか、グローバルガバナンスという観点に立てば、多角主義と地域主義の方向性をどのように組み合わせて最適な形態を作るかということになります。このような問題には当然途上国問題も入ってきますし、また国家間の関係だけを見ていたのでは不十分で、各国の国内の市民や産業の関係も見据えながら、国際経済の自由化を図っていかなければならないのです。

WTO交渉では、極めて複雑な多元連立方程式を解かなければいけないということが分かれば、WTOにおける交渉の難しさが理解できると思います。

RIETI編集部:
今回のシンポジウムは、そういったWTOの複雑で困難な全体像を見せることによって、現場の人たちを啓発するといった意図もあるのでしょうか?

小寺:
そうですね。現場の方は非常によく頑張ってくださっていますが、なかなか自分がやっていることが広いコンテクストの中でどういう意味を持つのかを十分押さえていなかったり、歴史的なパースペクティブが必ずしもないという場合があるように思います。

交渉の場ではどうやって交渉をまとめていくのかが重要になるわけですが、同時にどういう構想で交渉を進めていくべきなのか、将来はどうあるべきなのかという大きなビジョンを、各国の首都できっちり考えて、全体のハンドリングをしていかなければいけないだろうと思います。

以上のような状況のなかで、日々の交渉をやっている方に、現実の課題の背景を、歴史的な観点も踏まえて提示することがアカデミクスの役割として重要だろうと思います。地域主義、途上国問題、NGOと、この3つの問題が、WTOによる自由化を考える上で最重要な問題だろうと私は思っていますが、昨年、ジュネーブの日本代表部で、現場で交渉に当たっていらっしゃる方にこういう話をしました。当然こういうことを前提にして交渉をなさっているんだと思っていたら、必ずしもそうではなく、たとえばNGOの方との接触が大きな文脈の中でどう位置づけられるかということを、現場の方が十分に理解されていないといったことがありました。

一部の学者の方は、途上国問題を解決するためには、途上国に自由化のメリットを知らせればいいと言われますが、しかし実際はそういう単純な話ではなくて、日本が幾ら言ってもアメリカ政府は途上国に対して強い要求をぶつけていくわけです。アメリカの要求を下げさせれば、今度はアメリカの農産品の自由化のインセンティブが失われてしまいかねません。そういった現場のダイナミクスのようなものは、当然アカデミクスの側も現場から吸収することが大事です。

WTOの問題解決には、さまざまなディシプリンから対処する必要がありますが、今回のシンポジウムでは、政治、経済、法律といった複数分野の一級の専門家の方々に参加いただくことになっていますが、それに加えて、現場に出ていらっしゃる経済産業省の交渉担当官の方にもパネリストとして参加いただいて意見交換を行い、知恵を出し合って今後の方向性を示せればいいと考えています。また、アメリカからI. M. Destler教授に来日していただき、日本で当たり前だと思っていることが国際的には当たり前ではないといったこともありますから、日本特有のバイアスを正すために貢献していただきたいと考えています。

RIETI編集部:
最後に、新しい多角的貿易体制のあり方はどうあるべきか、その実現には何が必要かをお聞かせ下さい。

小寺:
今までお話したことに尽きるのですが、多角的貿易体制では、WTOがその基軸にあると考える必要があると思います。その中で、たとえば投資ルールなどの分野等、WTOだけでは自由化が不十分で、こころある関係国だけでより自由化を深化させるべきところはFTA/ EPAによって補っていくという形が将来のあり方だと考えています。
地理的には、たとえば日本とあまり経済的に強い関係のないアフリカ諸国とFTAを結ぶ必要があるのかということになると、日本の企業が活発に活動している東南アジアと比べたら優先度は落ちてきます。しかし優先度は落ちてくるとしても、何らかのルールは必要なわけで、一般ルールとしてのWTOがその関係をきちんと支える必要があるのです。

他方で、東南アジアと日本、さらには中国、韓国というような近隣諸国との関係については、その活発な経済関係に即した自由化なりルールというものができてくる必要がある。こういったイメージで、全体的な交渉戦略を立て、たとえばどれだけの人的な資源を割くかというようなことも考えていかなければいけないだろうと思います。

きちんと認識しておく必要があるのは、ドーハ開発アジェンダの交渉に時間がかかったとしても、もう既にWTOで相当な自由化と制度化ができ上がっている中で、今やっていることはいわば持ち越し問題の処理なのです。したがって、多少の時間がかかることは仕方のないことです。もうこんなことを言う人はいなくなったと思いますが、うまく交渉が進まないからWTOはやめだというような短絡的な態度はとるべきではありません。どういう総合的な構想に基づいて、またどういうバランスでWTOやFTAによる自由化を進めていくかを考えていかなければならないのです。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2005年7月7日

2005年7月7日掲載

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