リレーコラム:『日本の企業統治』をめぐって

第5回「何が成果主義賃金制度の導入を決めるか」

齋藤 隆志
九州国際大学経済学部

菊谷 達弥
京都大学経済学部

野田 知彦
大阪府立大学経済学部

本稿は、『日本の企業統治:その再設計と競争力の回復に向けて』第5章「何が成果主義賃金制度の導入を決めるか」のエッセンスを紹介しています。

1990年代以降、富士通を皮切りに、日本企業のあいだで急速に成果主義賃金制度の導入が進んだ。その後問題点も顕在化して同制度を縮小あるいは廃止した企業もあるものの、修正を伴いながら、多くの企業(大手では8割)がなんらかの形で成果主義的な賃金制度を取り入れている。同制度に対する批判は多いが、今や日本企業の人事制度の重要な柱となっている。『日本の企業統治』第5章は、この成果主義賃金制度の導入を促す要因は何かを、コーポレート・ガバナンスの視点から分析したものである。分析に際して、企業人事部に対する独自のアンケート調査のデータを用いている。

成果主義賃金制度を分析する視点には、大きく分けて次の2つがある。1つは同制度の機能に着目するもので、多数の研究がこれに属している。同制度が従業員への労働の動機付けを従来とは異なった仕方で行うものである(昇進昇格を通じた長期的な動機付けから昇給による短期的な動機付けへ)ことを考え、成果主義賃金の導入によって労働意欲が増大したか、それを強化する補完的な仕組みはどのようなものか、そして最終的にはそれによって企業の業績がどのように向上したか、を分析する。他の1つは、本章がとった視点であり、そもそも、どのような要因が成果主義賃金制度の導入を決めるのかに着目する。その要因をコーポレート・ガバナンスの点から考えるのである。こうした研究は実は意外に少ない。

成果主義賃金制度が導入されるまでは、年功型賃金制度が日本企業の特徴だとされてきた。これは、長期雇用と併せて企業特殊的技能の蓄積を促した。メインバンクシステムや株式持ち合いによるガバナンスは企業経営を安定させ、こうした雇用慣行を支える役割も果たしていたのである。このようにコーポレート・ガバナンスと人事制度とは、相互に密接に結びついている。この見方からすれば、バブル経済の崩壊、銀行の再編、新興国の台頭による競争激化、さらに株式・債券等の金融市場の変化によって、ガバナンスのあり方自体が変容せざるを得なくなると、それにしたがって人事制度のあり方も変わることになる。成果主義賃金制度の導入は、その一環であると捉えることができよう。

ここで、コーポレート・ガバナンスの考え方には、大きく2つの立場がある。1つはストックホルダー(株主)を重視する立場であり、もう1つは株主にとどまらず、従業員や債権者も含めたステークホルダー(利害関係者)の間の利害均衡としてガバナンスをとらえる立場である。本章では、後者のステークホルダー仮説に基づいている。その際に重要となるポイントは、各ステークホルダーの間で、成果主義賃金の導入に関する利害が異なるというにとどまらず、同じ株主同士、従業員同士であったとしても、その利害が異なることがありうることである。たとえば株主の中では、外国人株主や機関投資家などのアウトサイダー株主は、比較的短期的な利益を重視するために成果主義を好むかもしれない一方、持ち合い企業やメインバンク、役員などインサイダー株主は、成果主義導入に積極的ではないかもしれない。従業員も一枚岩の存在ではなく、利害を異にする若年層と中高年層という2つのグループが存在し、前者は成果主義賃金を望むが、後者はそうではなく従来型の年功賃金を支持するという可能性もあるだろう。このように、成果主義賃金制度の導入を巡って、自己利益を追求するステークホルダーの間で綱引きが行われ、各自の利害の大きさと交渉力に対応した結果が、ガバナンス上の均衡状態として実現すると考えることができる。

それでは、成果主義賃金制度導入の決定要因はどのようなものであるか。実証分析の結果を述べる前に、簡単にその方法について説明しよう。成果主義賃金制度の導入を促す可能性のある要因として、従業員の利益を代表する労働組合や労使協議制度の有無、債権者の影響力を示す負債比率、2種類の株主の影響を示すインサイダー株主比率とアウトサイダー株主比率、そして若年層と中高年層という従業員間の利害対立を捉えるための従業員の平均年齢、以上を考える。また導入に影響するファンダメンタルな要因として、企業成長率、非正規従業員比率を導入した。これらの要因が、成果主義賃金の導入にプラスまたはマイナスの有意な影響を与えるかどうかを、データを用いて検証する。

得られた結果は以下の通りである。(1)労働組合の存在が成果主義導入に対して負の影響を与える。しかし労使協議制度が存在することでこの効果が緩和される。労働組合の存在は、導入の話し合いの際の従業員側の窓口として機能し導入を促進するという説もあるが、ここでは支持されない。むしろ労使協議制度がその機能を果たす。(2)負債比率が高い企業では成果主義の導入が促される。これはいわゆる負債の規律付け効果であると考えることができる。(3)アウトサイダー株主と同様に、インサイダー株主の保有比率が高い企業でも、同様に成果主義の導入に積極的である。両タイプ株主のガバナンス上の利害対立は示されない。(4)従業員の平均年齢が高い企業ほど成果主義導入が促される。中高年層の増大はその発言力を増すように作用せず(彼らの蓄積した技能の重要性が相対的に低下)、逆に賃金の将来負担の増大を意味すると考えられていることになる。これを抑制するために成果主義が導入されることは若年層の側の利益に沿うものである。またこの点は先のストックホルダー仮説とも矛盾しない。(5)企業成長性が低い場合、成果主義の導入が促進される。企業成長性が低いと年功賃金を維持する原資が不足する、あるいは成果主義の導入によって賃金の変動費化が可能になると考えられる。(6)非正規従業員比率が高い企業では成果主義が導入されにくい。非正規従業員が多い企業ではその分賃金負担を抑えることができるため、成果主義を導入する動機が薄められる、あるいはコア層の正規従業員の年功賃金を維持するのが容易となると考えられる。

資本市場と労働市場の補完性に着目する近年の研究に沿っていえば、外国人株主や機関投資家といったアウトサイダー株主が増加するとともに、メインバンクへの依存度が低下し直接金融による資金調達がそれに取って代わるようになったという金融市場の変化が、労働市場に対して影響を与え、成果主義導入という方向へ変化させた可能性がある。本研究の推計結果は、そのような見方とも整合的である。

2011年10月25日

2011年10月25日掲載

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