Research & Review (2008年2月号)

「市場型制度」に長期投資の指標を形成させるには?

戒能 一成
研究員/大阪大学特任教授

裁量行政から市場監視行政へ

近年の規制緩和の流れの中で、公共性の高い財サービスの需給であっても行政庁の裁量認可による調整制度から市場メカニズムを活用した調整制度へ移行することが課題となっている。短期的な需給の調整においての市場の優位性は自明であるとして、行政庁の裁量認可制度の下で事業者の「長期投資計画」として調整対象となっていた設備投資などの長期的問題も「市場」が価格指標を提供し関係企業が自律的に投資判断を行うことによって調整されていくとされている。では、公共性の高い財サービスの需給調整において、現実の「市場」は長期投資の指標として有効に機能しているのであろうか? 機能していない場合どうすればよいのであろうか?

EUの排出権取引―投資指標の形成に失敗するも教訓を残す?―

EUにおいては、産業部門の一部に対し目標を定めてCO2排出権の初期割当を行い、割当量の取引を認めるという温暖化対策を実施している。当該政策の第一段階として2005~07年の制度が施行され排出権取引が行われたが、排出権価格は第一段階の罰金価格である40ユーロ寸前まで高騰した後、2006年4月の需給実績公表後に15ユーロまで一気に「暴落」した。このように極めて不安定な市場となった理由は、市場関係者が排出権の初期割当が非常に厳しいと予想し価格を上げたが、現実の初期割当は国際競争力に配慮した現実的なものであったため、統計実績値の公表により両者の乖離が一気に表面化したためとされている。

図 EU排出権取引制度の価格実績

当該結果と長期的な投資の関係について、EU委員会は「排出権価格の大きな変動の中で現在の市場は十分な投資や技術開発についてインセンティブを付与してない。」とし、産業界は「割当期間が短すぎ将来の割当方法が不透明なので、投資の促進効果は限定的で長期の経営判断ができない。」と述べ、産官両者とも制度に問題があったことを公式に認めている。EU委員会では第二期の実施に向け、当該「教訓」を糧とした政策措置の見直しを実施するようである。(参考文献1)つまり、EU排出権取引の指標の「針」は、制度上の不透明性を背景にあまりにも激しく振れたため指標の用をなさなかった、ということである。

日本の卸電力取引所―投資指標は形成されたが指標は事実上「ゼロ」―

日本においては、電気事業における一連の制度改正で産業用電力取引の大部分が自由化され、卸電力の取引を円滑化するため日本卸電力取引所(JEPX)が設立されて2005年から取引が実施されている。取引所は総合資源エネルギー調査会の提言を受けて民間任意市場として設立されたが、その目的は卸電力の調達手段の提供と投資指標価格の形成であるとされている。

取引所の実績価格推移と投資の関係について、電気事業者の財務諸表や各種燃料の通関価格を基礎とした最適電源構成モデルを構築して分析したところ、厳寒・豪雪であった2005年度冬期を除いて、現状の価格推移では需要を賄うために稼働した発電所の固定費の約65%程度しか回収できていなかったはずであると推計された。

このような結果となった理由については、新規参入の促進のために電力小売事業者に一般電気事業者が提供する相対取引制度を廉価にするよう措置したため、当該相対取引制度を使って卸電力取引所の取引が迂回され適正な価格が形成されなかったためと推定された。(参考文献2)つまり、競争を促進する目的から整備された他の制度に問題があったため、投資という観点から見た場合の指標の「針」が事実上「ゼロ」を示していた、ということである。

図 卸電力取引の固定費回収度指数“K”推移

「市場型制度」を指標として機能させるためには行政庁の「人的能力の再構築」が必要

以上2つの事例は、公共性の高い財サービスの需給を単に「市場」での調整に付しただけでは指標は形成されない場合があり、常態的な市場監視と問題発生時の制度の再設計などの措置が必要であることを示している。言い古された話ではあるが「市場型制度」において行政庁の役割は消滅する訳ではなく、このような形に意味と内容を変えて再構成されるということである。

必然的に、役割の再構成に伴い、行政庁に求められる人的能力も従来の裁量行政とは全く異なり、「市場型制度」の市場監視行政に適応できるよう再構築されなければならないのである。

一見関係がないように見えるが、近年の「官製談合」など行政庁の不祥事の頻発は、単なる倫理上の問題ではなく、こうした人的能力の再構築の失敗を意味しているのではないだろうか?

文献

2008年2月20日掲載

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