ブレイン・ストーミング最前線 (2006年12月号)

市場と経済発展―途上国の貧困削減に向けて

澤田 康幸
ファカルティフェロー/東京大学大学院経済学研究科助教授

「市場の失敗」を理解することの重要性

市場経済とは取引で成り立っている世の中のことですが、取引は、耐震偽装問題や雪印問題などで明らかなように、インチキやごまかし等と常に隣り合わせです。それらは、先進国の政府でも取り締まりきれず、ましてや途上国政府にとっては手に余る問題です。それにも関わらず、市場経済は途上国でもそれなりに成り立っています。今回の研究(澤田康幸・園部哲史編『市場と経済発展―途上国における貧困削減に向けて』東洋経済新報社、2006)ではその理由を探ってみることにしました。

市場経済を支える主役である、企業、商人、農民などは、取引を成就させるための工夫や努力を絶えず積み重ねています。それらの内、優れたものは慣習化して草の根的な制度となります。途上国では、こうした民間の努力や工夫、制度の支えによって、政府が頼りなくても市場経済が何とか成り立っているのです。この構図を見失っては、経済の構造改革の実現も、真のソーシャル・セーフティネットの構築もできるはずがありません。

これまでの国際開発の思潮を見ると、1980年代の構造調整・自由化路線、1990代の市場に頼らないセーフティネット重視路線、2000年の国連のミレニアム開発目標以降の貧困削減重視路線のすべてを通じて、市場に対する理解が不足してきたといえます。しかし、市場の正しい理解なくして、政策設計はあり得ません。

経済学では市場がうまく機能しない状況を「市場の失敗」と呼んでいます。市場の失敗を補正して経済厚生を改善することが経済政策であり、その第一歩は、問題の源泉と民間アクターの対応の実態を正確に把握することです。しかし、IMFや世界銀行のエコノミスト、或いは日本の援助機関の間でも、途上国における「市場の失敗」の実態把握こそが重要であるとの意識は、希薄なのではないでしょうか。

途上国における「市場の失敗」克服例

今回の研究では、市場とは何か、どのような市場が失敗するのか、その失敗を克服するための制度的な施策は何か、といった問いへの解を探るため、開発経済学者と日本経済史学者が積み上げてきたケーススタディーを集成しました。

本研究では、商人が重要な役割を担うと考えています。商人は市場創出の原動力であり、シュンペーター的な企業家の側面も持ち合わせているからです。発展の初期段階では、共同体も重要な役割を担います。共同体とは濃密な人的交流に基づく信頼関係を紐帯とする集団で、取引費用を引き下げる機能をもつという点で注目に値します。共同体の例としては、農村などの伝統的なもののほか、メーカーと部品サプライヤーの下請制度や会社の人間関係も擬似共同体ですし、産業集積も重要な概念です。

結論から言えば、ヒト・モノ・カネの取引において市場はなかなか機能しないものであるが、戦前日本を含む途上国の農民、商人、企業家は家族の絆、血縁、地縁、仲間意識、民族の紐帯、共同体ルールといった暗黙の契約を活用して円滑な取引の成立に貢献し、市場の失敗を克服してきたことがわかりました。次にその事例を紹介します。

(1)財市場の失敗
途上国の農産物市場では、小規模農家の生産・供給と都市部・海外の需要をいかに効率的につなげるかというマッチングが基本的課題となりますが、フィリピンのコメ農業では、独立した集荷人が重要な役割を果たします。彼らには目利きが多いからです。一方精米工場は、集荷人に信用供与することで集荷人の資金を円滑にし、正直に取引をするインセンティブを与えます。集荷人からすれば、精米工場からの信頼を失うと生活が成り立たなくなるので、高品質のコメを継続的に引き渡す努力をする。精米工場は小売業者とも安定した関係を結ぶ必要があるので、無利子の掛売をするというベネフィットを小売業者に供与します。小売業者にとっては高品質のコメを安定的に入手することが重要なので、ここでも互恵的な取引が成立します。こうした持ちつ持たれつの共同体的なしくみによって、よいコメが安定して消費者に行き渡るのです。

途上国では、海外の小売業者が現地農家と契約して作物を安く買い入れるコントラクトファーミング形式が注目されていますが、失敗例も目立ちます。海外企業と農家が直接契約を結ぶところに無理があるからであり、そう考えると、多くの農家を束ねている共同体の有効性が理解できます。

ケニアの生乳市場はかつて政府が完全にコントロールしていましたが、1990年代前半に市場が自由化されて以降、商人や加工乳業者の参入が進み、流通競争も活発化しました。政府の直接的関与がなくなって市場が正常に機能するようになった例です。

(2)労働市場の失敗
フィリピンの小企業では、親族のコネで就職した人の賃金は他と比べて明らかに高く、勤続年数も長いことがわかりました。強いパーソナルネットワークを通じて、質の高い労働者を安定的に確保していることになります。労働市場が未発達なため、労働者と企業の間を効率よく結びつける取引費用が高くなってしまう小企業に対し、共同体的な情報ネットワークが取引費用を有意に下げているものと思われます。一方、大企業では、大量の労働者を安定的に雇用する上で、コネを使うとかえって取引費用がかさみます。従ってここでは、職業紹介機関等を整備して労働者の情報を共有したり、求人や労働者の情報の偏在を解消することが政策的に重要になってきます。

(3)資金市場の失敗
ケニアでは、銀行などの金融機関が十分な営業経験年数や担保を借り手に求めるため、小・零細企業は、たとえ有望でも借入の制約に直面しかねません。この場合、回転型貯蓄信用講(ROSCA)という一種の頼母子講や、親戚等からの融資が重要な資金調達源となっており、共同的な人間関係に基づく草の根制度であるROSCAの存在が、市場の失敗を克服した例です。同様に、インド・デリーではゴミ集荷人の共同体が形成されています。集荷人はリヤカーと資金を仕切り屋から借り、その見返りに収拾したゴミを仕切り屋に売ります。ここでは同じ仕切り屋の下で働く集荷人同士のネットワークを基盤にROSCAが形成され、資金を融通しあうようになり、それまで借りていたリヤカーを購入したり、仕切り屋、卸業者に転身するなどして事業を拡大することもあります。ここでも共同体メカニズムが根底にあり、これにより高い階層に移れる可能性が生じています。また、このメカニズムがリサイクルの一端を担っているという点も重要です。外部不経済の内部化において自生的に生まれてきた取引が内部化を助けているからです。

(4)保険市場の欠落
岩手県の太平洋側はやませと呼ばれる季節風による冷害が多い地域ですが、この天候リスクに対応するため、戦前は生産の契約形態を変えることが行われてきました。生産物を地主と小作人が分けあう刈分契約では、リスクも分けることになるので、リスクの高い地域に適しています。一方、小作人が土地を借り、収穫後に借地代を払う定額契約では、地代支払い後の残余分は小作人のものになるのでインセンティブをもたらす反面、収穫が地代に満たない場合、小作人が全リスクを負うことになってしまいます。そのため、例年より作付が悪い場合は土地代を事後的に下げる保険が組み込まれた減免契約が考え出されました。これら契約の分布を見ると、リスクが高い地域に刈分契約が、低い地域に減免付定額契約が集中していたことがわかり、保険市場の欠如を共同体的メカニズムに基づいた契約形態が補った例といえるでしょう。

(5)複合的な市場の失敗
インドネシア・ジャワ島のある地域では、ダム建設により農業ができなくなった農家のためにダム湖での淡水魚養殖事業を支援することになりました。しかし、農家にとって養殖は未知の技術であり、養魚が死んでしまうといったリスクを扱う保険市場はありません。調べてみると、こうした状況で投資をするのはリスクの回避度が低い人です。また、どんな技術を用いれば養殖が成功して儲かるのかといった知識や、それを得るネットワーク、更にその知識を適切にプロセスできるような教育水準があることも重要となります。養殖には多額の初期費用が必要となるので資金借入れができるかも、重要になってきます。

このように、(1)技術知識や経営ノウハウといった外部性を内部化するメカニズムの欠如、(2)不確実性やリスクに対する保険機構の不在、(3)資金市場の未発達性、(4)財・労働にかかわる需給のサーチ費用、などが絡みあって発展が制約される状況が、複合的な市場の失敗だといえます。

共同体の有効性と政策設計

こうした複合的な市場の失敗は、海外直接投資(FDI)やグローバル・バリュー・チェーンといった先進国企業との直接取引で克服できるという議論がありますが、FDIを誘致できる途上国の数は多くなく、FDIで市場の失敗のすべてを克服することは困難です。そこで農村や都市の共同体は、様々な取引の調整や、不良品等のずるに対して制裁を与える契約履行強制メカニズムといった点で問題を克服するものであり、効果的といえます。

ならばコミュニティ参加型のプロジェクトやプログラムを実施して、共同体のキャパシティビルディングをすればよいという議論もあります。しかし、コミュニティ参加型援助で分権化を進めてしまうと既存の権力構造が一層固定化され、権力者によるレント追求につながるおそれがあり、コミュニティを活性化するどころかその弱点を増幅しかねません。従って、コミュニティ参加型援助を効果的に設計するには、文脈を正確に理解する必要があり、そのためには今回のような詳細な現地調査に基づく研究が重要でしょう。

効果的な政策としては、農民、商人や企業の活動を支援する公共財を提供する、具体的には、輸送・通信インフラ投資や公共の情報サービス、品質保証制度の確立、保険市場の創設、融資プログラム、集積支援、技能訓練や経営者研修等の知的支援プログラム等があげられます。これらは、個人や企業が改善するには限界があるものばかりですから政府の役割が重要です。

開発分野でもミクロ開発プログラムを計量経済学的に評価する流れがみられますが、共同体の役割や、共同体と市場の補完関係という視点が抜けがちです。今後はプログラム評価にこうした視点を取り入れることも重要であり、その流れの中で、市場の失敗について実証研究を重ねる研究者と開発・援助政策の担当実務家が有機的に対話するといったインタラクションも必要と考えています。

質疑応答

Q:

共同体の因習等が障害になって、市場確立の制約になることはないのでしょうか。

A:

因習的な価値観のために望ましい状況に移れない事例はあります。ただそれを議論する上で、共同体がどういう側面で、どういう意味においてうまく成り立っているのか、あるいは足かせになっているかを判別すべきであり、そのためには詳細な現地調査が必要です。大まかに見れば、すべての国において経済の発展につれて農業から工業、サービス産業へ生産・雇用がシフトし、地方から都市へヒトが移動していますが、こうした大きな構造変化に共同体が適応するプロセスを、政府は支援すべきです。例えば工業化に伴う教育収益率の向上に共同体が適応できるよう公的教育システムを整備するといった点で、政府の役割は重要でしょう。

Q:

因習的な価値観などに支えられた伝統的な共同体が変わっていくというのは実際何がどう変わるのでしょうか。

A:

語弊があるかもしれませんが、「金儲け」ということにちゃんと反応するようになるということだと思います。人々が智慧をしぼって金儲けができるしくみを考える、しかも詐欺や騙しによってではなく、ちゃんとモノを作って経済的取引をうまく進めるという価値観を共同体が持つようになるということです。社会の大きな構造変化に共同体が適応するのを政府は、物的・人的インフラ等の面でサポートする役割があるでしょう。徳島県上勝町のように、共同体には市場経済でうまく生き残れる潜在力があります。

※本稿は9月12日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2006年1月16日掲載

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