アーキテクチャのモジュール化の進展と貿易構造
東アジア地域の域内貿易のパターンについては、過去四半世紀の間、産業間貿易から産業内貿易へのシフトが進行していること、そしてその産業内貿易は垂直的な分業構造に傾斜したものであることが、これまでの分析を通じて実証されてきた。さらに、東アジア地域の貿易構造が直接投資拡大の影響を強く受けたものであることも、しばしば指摘されている。また80年代以降の輸送インフラの整備、通信ネットワークの発達、生産工程の自動化、モジュール化といった広い意味での通信技術の進歩が、生産工程の国際的分散に要するコストを著しく低下させ、東アジア地域における直接投資拡大を促進してきたという認識もほぼ共有されてきている。この3つを結び付けると、生産工程の国際的分散の動きは、東アジア地域の域内直接投資を拡大し、直接投資拡大が同地域域内の垂直的な分業構造とそれを反映した垂直的産業内貿易を拡大しているということになり、東アジアの貿易構造の変化は、「産業間貿易→垂直的産業内貿易→水平的産業内貿易」という進化のパターンをたどることになる。そして現段階で実証的に計測できる結果は、産業毎にばらつきはあるものの、垂直的産業貿易の進展が顕著に進行していると考えられている。
こうした貿易構造のシフトに直接投資がどのような影響を与えるかを明示的にモデルに取り込んだ実証研究は、比較的最近行われるようになってきており、概ね、東アジア地域における直接投資の拡大が垂直的産業内分業の拡大の重要な要因であることをサポートしている。この、東アジア地域における貿易構造の進化のパターンはほとんどコンセンサスになりつつあるように見えるものの、垂直的産業内分業の位置付け、最近の直接投資の拡大と産業内分業の関係等については、必ずしも整合的ではない面もある。
ヘクシャー=オリーン型のモデルを基礎とした場合、産業間貿易と産業内貿易の違いは投入構造の違いに依存している。例えば、投入要素の相対価格の変化は、産業間貿易では所得分配効果をもたらすと考えられるが、産業内貿易に対しては必ずしも所得分配効果をもたらすとは考えられない。その意味ではヘクシャー=オリーン型のモデルを基礎として産業間貿易、産業内貿易の分析を行うとすれば、産業区分のあり方は、投入要素の違いに対応するものであることが望ましい。このような考え方に基づかない産業分類や商品分類に基づいて実証研究を行うことが正当化されるのは、同一の分類に属する商品の当該産業全体で見た生産活動においては、生産要素の投入比率を決定する技術構造や相対的な労働生産性の水準がほぼ等しいであろうという蓋然性、逆に、異なる分類に属する商品の場合は、これらが異なるであろうという蓋然性を前提としている。つまり、商品分類の違いが投入生産要素比率を決定する技術の違いに対応するものと推定していることになる。
他方、近年の東アジア地域における直接投資の拡大は、生産工程のモジュール化とその地理的拡散と深く結びついていると考えられている。すなわち、製品や工程のアーキテクチャのモジュール化の進展を通じて、工程を細かく分割し、分権的に管理する可能性が拡大してきたことに加え、通信運輸インフラの発達と貿易、直接投資に関する制度インフラの整備を通じて、地理的に離れた拠点を繋ぎ、必要な情報と物を移動するサービス・リンク・コストが低下してきたことによって、生産工程をより細かく分割し、直接投資を通じてそれらを国際的に分散させることの可能性が拡大してきたと考えられている。
アーキテクチャのモジュール化は、インターフェイスの標準化、単純化を通じて、中間財市場を形成し、事実上、産業を工程単位に細分化していく方向に作用している。また、サービス・リンク・コストの低下は、輸送・通信コストの低下に加えて貿易投資手続等のファシリテーションによるところが大きい。80年代以降、多くの東アジア地域の途上国が積極的な外資導入型の成長戦略に転換したことは、これらの国々における貿易投資手続等の円滑化を促進する大きな原動力になった。
最近の東アジア地域における直接投資の拡大が、製品や生産工程のモジュール化とサービス・リンク・コストの低下に伴う生産工程の国際的分割と結びついたものであると考えるならば、これらの動きは生産工程の縦の分割を意味している。生産工程を縦に分割し、地理的に分散させるとすると、分割された生産工程の投入要素は異なるものになる可能性が高い。モジュール化がインターフェースの標準化、単純化の方向性を持つ以上、各モジュールを作ることと、それらのモジュールを組み立てることに必要な生産要素の違いが顕著になることは、むしろ当然であると考えられる。1つの生産工程を分割する最大の理由が、最終工程を消費地に近づけることではなく、工程ごとの投入生産要素に着目している場合は、正に比較優位に基づいた分業が行われているのであって、その貿易関係は産業間貿易として捉えるべき性格のものである。このように考えれば、最近の東アジア地域における直接投資の拡大は、(垂直的)産業内貿易ではなく、産業間貿易を拡大する効果をもたらしていると考えることができる。より具体的にモジュール化の進展によって生産工程が分割されていく状況を考えてみても、直接投資が産業間貿易を拡大する効果をもたらしている可能性があることが理解できる。
アーキテクチャのモジュール化が著しく進行すると、モジュールの組合せの工程で差別化を行うことは困難になってくる。つまり、インテグラルなアーキテクチャを持つモジュールの生産において、差別化は可能であるがそれを用いて最終商品を組み立てる工程では、モジュールの品質そのものと区別できる品質面での差別化は困難になる。具体例を単純化して説明すると、ICチップの性能によって最終製品の性能が全て決まる音響製品を考えた場合、差別化は異なるICチップを使用すること以外ありえないことになる。(大きさ、重さ、形状、デザインといった要素はここでは単純化のため無視する。)ICチップのインターフェイスは標準化されているため、どのICチップであれ最終的に組み立てる工程自体には変わりはなく、最終製品の品質にかかわらず、最終組立工程は、それが最も低いコストでできるところで行うことが合理的になる。このICチップのアーキテクチャがインテグラルであるとすれば、その製造工程をさらに細分化し、インターフェイスを標準化することは困難であるので、このICチップ製造産業は、品質による差別化を行うことは可能である。しかし、このICチップを使って組み立てる産業は、差別化する独自の技術要素があまりなく、最も安価に組み立てられる企業が強い競争力を持つことになる。このような状況のなかでサービス・リンク・コストが縮小してくると、産業内垂直分業は進行せず、むしろ産業間分業が進行していく可能性が高い。そしてアーキテクチャのモジュール化が全般的に進行するとすれば、これまで進行していた産業内垂直分業は将来的には進行せず、逆に産業間分業に逆戻りしていくことも考えられる。
モジュール化レベルごとに見た東アジアの貿易構造
このような疑問点に対応しつつ、東アジアの貿易構造の変化について検討するためには、製品アーキテクチャを明示的に意識した形で実証分析を行うことが必要である。
本稿では貿易データとして、国連統計局が作成した二国間貿易データを基に、大鹿・藤本(2006)で算出されたモジュール化度を当てはめた品目を抽出し、モジュール化度に従って3つのグループに分類し、それぞれ産業間貿易、垂直的産業内貿易、水平的産業内貿易の比率の計測と、輸出特化係数ベクトルの計測を行った。産業間貿易、垂直的産業内貿易、水平的産業内貿易の比率の計測方法は、品目ごとに見て当該国からの貿易相手国の輸入金額と貿易相手国の当該国からの輸入額の比率が、1:10或いは10:1以上に開いている品目の貿易額の合計を産業間貿易とし、それ以外のもののうち貿易単価の閾値を25%として、単価の差が25%以下のものと25%を越えるものの比率を求め、前者を水平的産業内貿易、後者を垂直的産業内貿易とした。
東アジア地域における貿易構造の推移の過去10年間ほどの推移を全体として見れば、従来から指摘されてきたパターンである産業間貿易から垂直的産業内貿易へのシフトは、概ね実証的に証明される。しかし、モジュール化レベルに分けて計測すると、そうしたシフトが各レベルで並行的に起きているのではないことが判る。
日本と他の東アジア諸国との関係では、インテグラルな構造の品目では国際的に水平的、垂直的な差別化が行われ、それを反映した貿易構造となってきているのに対し、モジュール化のレベルの高い品目では、水平的、垂直的な差別化はむしろ後退し、品目単位での棲み分けが進みつつある。こうした計測結果は経験的な実感とも一致していると思われる。インクジェット・プリンターやデスクトップ・パソコンの最終アセンブリなど、モジュール化のレベルの高い品目の産業分野で短期間に日本国内からほぼハローイング・アウトしたようなものは少なくないが、これらの品目は、低級品だから製造工程が中国やASEANにシフトしたわけではない。高度にモジュール化されたために、組立工程で独自の差別化を行うことが困難となり、厳しい価格競争に陥ったために中国やASEANにシフトしたものと考えられる。今後モジュール化レベルが全般的に上昇するか、或いはモジュール化レベルの高い品目が貿易全体に占める割合が上昇すれば、日本と東アジア諸国の貿易全体の構造も産業間貿易の方向に逆行していくことは、十分に考えられる。モジュール化の進展を背景とした最近のグローバルな生産工程の地理的分散と直接投資は、生産工程の国際的な棲み分けを推し進め、産業間での分業体制を強化する面をも持っている。モジュール化の進展が必然的に比較的インテグラルな構造を持つ中間財市場を生み出していくことを考えれば、新たに創出されたインテグラルな構造をもつ中間財市場における垂直的、水平的差別化の広がりと、モジュール化の進展に伴う品目単位での棲み分けへの収斂の動きとのバランスのなかで、全体の動きが決まってくるものと考えられる。
他方、韓国、中国、ASEAN5は、貿易構造において日本とは補完的関係に立ち、相互に競合しあう状況であることが明らかになった。この、日本と他の東アジア諸国との貿易構造はモジュール化レベルの高い品目において特に顕著である。多国籍企業の直接投資を通じて、モジュール化レベルの高い品目の生産工程がこれらの諸国、特に中国、ASEAN5にシフトしてきたことを考えれば、これまでモジュール化の進展はこれらの諸国に大きなビジネスチャンスをもたらすものであったと考えられる。しかし、モジュール化レベルの高い品目の生産工程が中国、ASEAN5に立地されるようになったのは、ある程度は、モジュール化された構造であるがゆえに、一定の条件が整えば、何処でも誰でも作ることができるということの裏返しであることも否定できない。通信輸送コストの低下と貿易投資手続の円滑化が一層進み、生産工程を地理的に分割することに伴う追加的コストが全般的に減少してくると、僅かな条件の変化によって追加的な生産工程の配置が大きく変化するという、流動的で不安定な状況になってくる可能性もある。もちろん、生産工程の地理的分割は集積形成のメカニズムとも関連しており、自己増殖性やロック・イン効果など様々な経路依存的な諸要素の影響を受けており、モジュール化の進展の側面だけで判断することはできない。しかしモジュール化の一層の進展は、価格競争の一層の激化と競合関係にある地域の淘汰を引き起こす可能性は高いと考えられる。