ブレイン・ストーミング最前線 (2006年7月号)

オリンピック仲裁にみる国際スポーツ界の現状

小寺 彰
ファカルティフェロー、東京大学大学院総合文化研究科教授

2月にトリノで開催されたオリンピックで、スポーツ仲裁裁判所の臨時廷が設置され、紛争案件の処理にあたったことは日本ではあまり取り上げられていません。そこで本日は、仲裁人の1人として参加した立場から、そこで一体どういうことがあったのか、それが日本スポーツ界との比較でどういう意味を持つのかについてお話します。

スポーツ仲裁とは

スポーツ仲裁とは、スポーツの運営をめぐって選手と競技団体との間等で生じる紛争を、ルールに基づき解決することです。1984年、国際オリンピック委員会(IOC)の中にスポーツ仲裁裁判所(CAS=Court of Arbitration for Sport本部ローザンヌ)が設立されました。CASはその後IOCから独立しましたが、運営資金はIOCと国際スポーツ諸連盟(IF)から調達しています。CASは現在、年間約200件の案件を扱っています。2004年に国際サッカー連盟(FIFA)がCASの管轄を受け入れたことで件数が急増しましたが、FIFAの受諾によって主なIFがCASの管轄の下に入ったことになります。

スポーツ仲裁では、申立人が訴えを起こし、被申立人がCASの管轄を受け入れることで仲裁手続が始まります。内容については公開されるものと非公開とがあります。選手の契約などの個人的案件は非公開ですが、五輪代表選考やドーピング問題のように公的色彩を有する場合、判断は随時公表されます。ただし一般の裁判とは異なりスポーツ仲裁では、当事者が仲裁人を各1名指名し、さらに双方合意の上で第三仲裁人を指名、これら3名で仲裁パネルが構成されます。緊急の場合はCASが指名する仲裁人が1人で判断を下すこともあります。五輪やサッカーW杯など大きな大会では、アドホック・ディビジョンと呼ばれる臨時廷が設置されます。

トリノ五輪では、9人の仲裁人が現地に滞在して紛争案件を裁きました。アジア人の仲裁人は私1人でした。メンバーはポケベルを持って競技会場で待機し、訴えが起きるとホテルに呼び戻され、提訴から24時間以内に判断を下さなければなりません。しかし、ヒアリングを行った上で理由を付した判断を24時間以内に提出するのは非常に困難なので、判断通知は24時間以内に行い、理由は48時間以内に伝えられるようになりました。

今回は結局8件の案件が付託されました。内容はドーピングや類似の案件、代表選考や出場権、選手派遣、その他競技判定と競技前トライアルに関するものです。アジア関連の案件はありませんでした。スポーツ仲裁とアジアの関係は希薄なようで、これは問題でしょう。

トリノ冬季五輪での仲裁案件―ドーピング関連案件

トリノで付託されたドーピング関連案件は、ドーピングとは何かを考える上で手掛かりとなるものです。

その1つは、毛生え薬を服用した選手の処置をめぐる世界アンチ・ドーピング機構(WADA)と米国アンチ・ドーピング機構(USADA)の対立です。これは、米国のスケルトンの選手が、毛生え薬が今年からドーピングの禁止対象薬物になったことを知らずに服用したことが発覚し、1月の競技会でその大会に限って出場停止の決定をUSADAから受けました。毛生え薬には女性ホルモンが含まれており、それ自体にドーピング効果はありませんが、他のドーピング検査結果をかく乱する作用があるためです。気の毒に思ったUSADAがこの選手に対し、1カ月後のトリノ参加を認めたのです。WADA規定では意図的なドーピングは4年間、過失の場合でも1~2年の出場停止であり、USADAの判断はWADA規定に明らかに反しますので、WADAはこの選手とUSADAを訴えました。CASはUSADA決定を覆し、1年間の出場停止と判断したので、彼はオリンピックに出られませんでした。この問題には、ドーピング対象薬物が毎年更新され、競技によって異なるという背景があります。

もう1つはドーピングではないが血液検査に関する案件です。これは、血液中ヘモグロビンの数値が基準を上回ったため5日間の出場停止措置を受けたドイツの女子ノルディック選手が、自分は生来ヘモグロビン数値が高いと主張したものです。彼女は医師の意見書も提出しましたが、認められませんでした。規則では、そうした申告をシーズン前に行い、認められている必要があったからです。

トリノで話題となったドーピングは、オーストリアのノルディック選手がIOCなどに踏み込まれた件でしょう。ロシアの金メダリストがメダルを剥奪された件もありました。いずれも大きく報道されましたが、ドーピングが明白だったのでCASには付託されませんでした。

日本にも日本アンチ・ドーピング機構(JADA)という機関がありますが、摘発される件数は年1~2件で、海外からは検査件数が少ないとの指摘も受けています。海外ではドーピングに対する意識が高く、意図的にやるか否かは言うまでもなく、選手は常に細かい規則に注意を払わないと活動できません。ユネスコでも「スポーツにおけるアンチ・ドーピングに関する国際条約」が採択され、日本も加盟する見通しです。

トリノ冬季五輪での仲裁案件―選手選考に関する案件

トリノでは選手選考に関する案件もCAS臨時廷に付託されました。モロッコのスキー選手の場合は、この選手が「自分はオリンピック標準記録を上回る成績を持っているので出場する権利がある」として、自分を派遣しなかった自国のオリンピック委員会を訴えました。しかしモロッコはそもそも五輪にスキー選手を派遣していなかったので、出場権は選手にあるが派遣決定権は各国オリンピック委員会(NOC)にあるとの根拠で、訴えは棄却されました。

代表の選考過程に不服が申し立てられた例もありました。私自身が判断を下したのはイタリアの女子スノーボード選手の案件です。オリンピックには、スキー連盟が選出した選手を国内オリンピック委員会が派遣するしくみとなっています。連盟は当初、五輪出場者4名は今季中に行われるワールドカップ5回の点数を基準に選ぶとしていましたが、最後の大会の直前になってベスト2ルール、つまり5大会中1番良い2つの成績の合計で決めると発表したのです。この変更で、代表入りが確実視されていた1人の選手が落ちてしまいました。彼女は5大会の総点数では国内4番目の成績でしたが、新基準では5番目となるからです。これは、ケガで5回全部の大会に出られなかった他の有力候補を救済するためだったといわれています。

我々は、選考は5回の合計で決めるという元々のルールを適用すべきだと判断したので、彼女は代表資格を獲得しました。ところがそのために降ろされた別の選手に同情が集まり出したのです。地元紙によればチームの雰囲気は最悪だったとのことで、複雑な気持ちでした。ただ、代表資格を得た選手は結果的にイタリア選手団で最高の成績を残したこともあって、CASの判断は正しかったと世論も納得したようです。

日本におけるスポーツ仲裁

日本でスポーツ仲裁が知られるようになったのは1998年の長野オリンピックが始まりですが、より広く注目を集めたのは、シドニー五輪選手選考に関して千葉すず選手が日本水泳連盟をCASに訴え、マスコミが大きく取り上げた事件でしょう。後者で日本水連は1000万円以上の出費を強いられました。そこで、日本に同様の機関を設置し、日本語で案件処理をする方が安上がりで楽だということから、2003年に日本スポーツ仲裁機構(JSAA)が設立されたのです。国内でのスポーツ仲裁では、これまで6件の裁定がなされています。

日本には仲裁人の介入を嫌う風潮があります。国内スポーツ連盟からは、自分たちは常に選手やスポーツのことを考えて行動しているのに、トップアスリートの経験もない部外者に口を出される筋合いはないといった視線が向けられます。しかし、国際スポーツ界では客観的なルールがすべての判断基準です。ルールにはスポーツ連盟のルールやIOC憲章、法の一般原則も含まれます。

その根幹には、スポーツの公共性に対する認識の違いが基本としてあります。欧州では選手選考やドーピング問題は極めて公共的な問題として取り扱われ、その裏返しとして選手に対しては、客観的なルールに基づいて選ばれ、出場する権利が認められています。臨時廷のスポーツ仲裁人は無報酬ですが、メンバーに選ばれることは光栄なことなので、世界中から錚々たる顔ぶれが揃います。

このように、選手に権利があり、ルールに則って運営されるのが当たり前という認識が定着しているのに対し、日本ではこうした事柄は関係団体の私的自治に任せられるべきという考えが根強いと言えますが、私的自治の弊害が見られるケースもあります。

例えば、あるボクシング選手がインターハイに出られなかったことがありました。彼は実力がありましたが、ボクシング連盟は、彼が中学時代にプロボクシングのエキジビションに出ていたことが規約に反するという理由で登録を認めなかったのです。選手はJSAAに訴えましたが、連盟がJSAAの管轄を受け入れず、出場はかないませんでした。しかし高校生にとって大変重要なインターハイ出場の可否が連盟の一存で決められる根拠はありませんし、連盟に未加盟の選手に連盟のルールが適用されるのも理不尽です。そうした弊害を防ぐためにも、ルールに則って判断するという認識が広く共有される必要があります。

また日本には、訴訟をためらう風潮も依然としてあります。JSAAに訴えた選手が村八分となって競技生活を断念せざるを得なくなった例もあり、これでは何のためにJSAAがあるのかわかりません。だからこそ、最近はプロ野球などで意識の変化がみられますが、法的審査に服すという考え方は大切です。

と同時にやはり、スポーツには公共的側面があり、選手には適正なルール解釈・適用に基づき出場する権利があるという、いわば公法の視点が日本スポーツ界には必要です。

欧米ではスポーツ法がロースクールの課目になっていますが、日本ではスポーツ法学が分野として未成熟です。今後、スポーツ仲裁の活性化に向けてこうした学問的裏づけも必要となるでしょう。

質疑応答

Q:

団体の私的自治と公共的自治について、例えばゴルフでは女性が入れないようなクラブがあり、これは私的自治にあてはまるでしょうが、国民的イベントは公共性が高いから出場者を選ぶ根拠を明らかにすべきということでしょうか。その場合、どこで線引きされるのでしょう。

A:

トップアスリートの大会出場のように、国民の関心が高い問題は公共性があるということです。ただし、W杯出場選手は監督が自らの裁量で決定するものであり、その是非をJSAAが論ずるのは妥当でないと日本サッカー協会(JFA)の会長も言っているように、団体競技の場合、選考過程における裁量行使は認められています。チーム編成には記録以外の要素もあるからです。そうしたディスクリーション、つまり裁量権がどのように働くかを選手に対し事前にわかりやすく提示しておくことが重要です。

Q:

トリノではジャンプの選手がスキー板の長さを理由に失格となりました。国際大会でルールが頻繁に変更されたり、明記の仕方が日本に不利との指摘がありますが、仲裁人の立場からみて感じられますか。

A:

直接には感じられませんが、そうした場に日本人関係者が少ないという事実は指摘できます。国際的な連盟の幹部を務める日本人はごくわずかで、大半が欧米・中南米出身者で、しかも法律家が圧倒的に多い。長野五輪で国際スキー連盟が訴えられた時は、80を超える高齢にも関わらず、ホドラー会長自ら審理の場に出てきて正当性を主張されました。日本のスポーツ連盟の長でこうしたことができる方がどれだけおられるでしょうか。日本スポーツ界における法的人材の少なさもあるでしょうし、多くの連盟は本部がスイスやイタリアにあるので、そこで日本人が英語や仏語を駆使してルールメイキングをするには限度があります。また、アジア勢もどこまで応援してくれるのか。ルールやしくみが基本的に欧州発とならざるを得ない中で、日本に有利なルールができるような状況が早晩実現するとは思えません。WTOの世界も同様でしょうが。

Q:

トリノではスケート選手の年齢制限が話題になりましたが、選手の出場権としてどう解釈すべきでしょうか。

A:

年齢制限のような問題は、ルールがあれば一義的にはそれに従います。そうしないとルールが滅茶苦茶になってしまうからです。規則そのものが恣意的である、もしくは上位のルールに反するといったことを論証するのはなかなか難しいでしょう。また、選手の出場権は、NOCが当該競技に選手団を派遣するという前提によって成り立つものであり、何人派遣するかも各国NOCが決めることです。
他方、選手全員を国民の税金で派遣すべきかは議論の価値があるでしょう。代表で派遣されたのにメダルに遠く及ばなかった選手が「楽しみました」とコメントしたら世間はどう思うでしょうか。楽しみたいだけの選手は、税金以外、例えば競技団体が資金を集めて派遣するのも1つの選択肢です。

※本稿は4月21日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2006年7月24日掲載

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