はじめに、本稿は年に1度の新春特別コラムであり、新型コロナウイルス蔓延という特殊な状況下でもあるので、アカデミックな世界から離れることをお許しいただきたい。
十数年前の話だが、私が所属していた経済産業省の歓送迎会で、組織を去る課長が次のようなことを話していたのを今でも覚えている。
自分自身を愛することができない人は他人を愛することができない。まずは自分自身を愛することが大切だ。
とても含蓄のある言葉だが、自分自身を愛するとはいったいどういうことなのか、この言葉は謎に満ちている。
自分を愛するとは全ての感情を感じること
南アフリカの音楽ジャーナリストだったマイケル・ブラウン氏がプレゼンス・プロセス(The Presence Process)という本を書いている[1]。スピリチュアル的な雰囲気もある本だが、メンタルヘルスのセルフヘルプ書(セラピストの支援を受けることなく自分で取り組むもの)としてもレベルの高い本であると私は思っている(効果検証が行われていないのでエビデンスは全くない)。残念ながら日本語訳はない。
この本において、自分自身を無条件に愛することがどういうことかが書かれている。答えはシンプルで、全ての感情をありのままに感じることとされる。私たちは通常はいわゆるポジティブな感情はたくさん感じるようにして、いわゆるネガティブな感情(憂うつ、悲しみ、怒り、恐怖など)は感じないようにすることを教えられる。このネガティブ・ポジティブのレッテル貼りをやめて、全ての感情を認める、ただ感じる、感情と一緒にいることが大切だとされている。
どんな感情も否定しないことの大切さは分かるのだが、それが自分自身を無条件に愛することと同義だと言われると、なかなか頭では理解できないところがある。ところが、最近になって、上記のブラウン氏と同じことを日本人の中野真作氏が書いているのを見つけた。Q&A形式で、「ありのままの自分を愛することが大切だとよく言われますが、こんな自分を好きになれません。」という問いに対する答えとして次のように書かれていた。
自分を愛するということは頭で考えることではありません。その時々の感情や感覚をありのまま感じ取ることが自分を愛するということです[2,p.33]。
別の国に住む2人が別々に探究を進めて同じ結論に達しているのだからもしかしたら本当なのかもしれないと思うようになってきた。
なぜ自分を愛することと感情を感じることが同義なのか
自分を愛することと感情を感じることがなぜ同義なのかについて、2人の著作を読んでの私の理解は次のとおりである。誰しも幼かった頃に他者(特に親)から無条件に愛されようとして愛されなかったトラウマ的な経験を持っていて、その時に感じた怒りや悲しみや恐怖といった感情は、本人が意識的には覚えていなくても、自分の中に記憶されたままになっている。大人になった自分が感じる怒りや悲しみや恐怖は、子供の頃に愛されなかった自分が表面化したものであり、子供の自分の比喩である。あらゆる感情を無条件に感じることは子供の自分を完全に受け入れることと同じである。
実践的な取り組み
感情を感じることが自分自身を愛することと同義であるとした場合、自分自身を無条件に愛するためにすべきことは次の2つである。
- ①怒りや恐怖(不安)や悲しみといったいわゆるネガティブな感情を感じたときはその感情を否定しないでただ感じるようにする。どんな感情であってもその感情を感じてはいけないと考える必要は全くない。自分の感情に正直になることが大切である。感情をそのまま感じるのがふさわしくない状況であれば、後になって感じる時間を作る。
- ②感情を感じるのはあくまでも感じるだけであって、感情に起因する行動は起こさないようにする。怒りを感じても怒りを感じた相手を攻撃しない、不安でいっぱいになって逃げだす前にまず不安感を十分に感じてみる、死にたい気持ちになっても自殺はしない、といったことである。
終わりに
感情を感じるだけのエクササイズの効果検証は実は行われている。RIETIと千葉大学で行った共同研究で、私も著者の1人となっている[3, 4]。感情を感じるだけのエクササイズとシンプルなオンライン認知療法のうつ症状の軽減効果をランダム化比較試験(RCT)で検証したものだが、感情を感じるエクササイズの方は効果がないか小さいという結果になった。その意味では感情をただ感じることについてのエビデンスは乏しいのだが、私はあきらめが悪くて、やり方を工夫することによってもっと効果が明確になると信じている。