2020年という節目の年を迎えるに当たり、このコラムでは、10年後の2030年の高血圧の対応の在り方のビジョンを描いてみた。もともとのきっかけは、医療が話題になったRIETI内の会議でのある出席者の次の趣旨の発言だ。
薬をもらうために病院に行くと、医者は患者を見ていないで、パソコンのモニターに映るデータばかり見ている。データで治療方針が決められるなら医者の代わりにAIにやらせたらいいではないか。
次のきっかけは、同僚の荒田禎之研究員との雑談とその際に教えてもらった犯罪についての機械学習(AIの一種)の論文だ[1]。米国では、犯罪の容疑で逮捕した被疑者を裁判までの間に拘置所に勾留するか保釈するかは、保釈した場合に逃亡したり再逮捕されたりするリスクと勾留するコストを勘案して判事が決めることになっている。この論文によると、逮捕・勾留した人々を保釈するかどうかを判事が決める場合に比べて、機械学習に従うと勾留率を上げず24.7%犯罪率を減らし、犯罪率を上げず勾留率を41.9%減らすことができるそうだ。もしも判事よりもAIの方が適切な判断ができるならば、医療でもこれが当てはまる場合があるのではないか。
高血圧の対応方針をAIが決める(ビジョン1)
私が特に念頭に置いているのは高血圧だ。2010年のデータによると日本では高血圧の人々は4300万人いる[2]。ところが、「平成29年(2017)患者調査の概況」によれば、高血圧性疾患の人数は993万7千人なので、高血圧の人々の多くは治療を受けていない。治療を受けていない人々に受けてもらうことが医療政策上は望ましそうだが、今までのやり方を踏襲するだけだと、抑制が必要な医療費が逆に増えるし、多忙が問題になっている医療関係者がますます忙しくなりそうだ。高血圧かどうかの診断や治療薬の選択をAIで代用し、高血圧の人々に薬を配送できないか。
高血圧の治療では、脳卒中や心筋梗塞のような重大な循環器疾患の発生確率を減少させることを最終的な目的として、血圧が高い人々を対象にして、血圧の下げすぎによる副作用を避けながら、血圧を適正値まで下げることが目指されている。血圧を下げるための手段としては、減塩や運動などの生活習慣の改善もあるが、基本は降圧薬の投与になる。主な降圧薬としては英語の略称ではTHZ、ARB、ACEi、CCBがあり、血圧の下げすぎという降圧薬共通の副作用の他、それぞれに固有の副作用が起きることがある。また、価格も異なる。
これらの一般的な情報に加えて、国民の個別の情報(性別や年齢や血圧値や糖尿病の有無など)をAIにインプットすれば、重大な副作用の発生確率を減らしつつ、費用も抑えつつ、循環器疾患の発生確率を最小化させるという方程式を解く話になるので、現場の医師よりもAIの方が実は得意なのではないか。
AIを使わないフローチャートベースのITシステムによる対応(ビジョン2)
ビジョン1はAIが自分で考えることを想定しているが、そこまでしなくても、治療のフローチャートをあらかじめ人間が決めておいて、そのフローチャートに沿って機能するPCやスマートフォンで使えるITシステムを構築すれば済む話かもしれない。
英国では国立医療技術評価機構(NICE)ガイドラインという高血圧対応のガイドラインが公表されていて、どのような条件の人がどのような状態のときにどのような対応をすべきかが、かなり明確に書かれている。図はNICEガイドラインの治療ステップのフローチャートを一部省略して和訳したものだ。

NICEガイドラインでは、ステージ2の高血圧(家庭で血圧を測定する場合、150/95mmHg)になると生活習慣の改善に加えて投薬が行われることが原則となっていて、80歳未満では135/85mmHgまで下げることが目標となっている。血圧を下げるため、図にあるステップ1の降圧薬の投与がまず行われる。血圧がコントロールできない場合はステップ2に移る。こういった形で高血圧対応のフローがパターン化されている。
ビジョン2として考えられるものとしては次のようなものだ。NICEガイドラインのようなフローチャートに基づいてPCやスマホ上で使えるソフトウェアを作る。一定年齢(例えば40歳)以上の国民はPC等に必要な入力を行う。入力の結果、投薬が必要と判断されて、使用する薬が決まれば、薬局に取りにいくか(この場合は注意事項を聞くことができるようにする)、配送されるようにする。血圧が下がらない場合など個別の対応が必要になるとオンライン上での専門家との面談か医療機関への通院が推奨される。
高血圧への対応としては、投薬と並んで食事や運動といった生活指導があるが、こうした指導もオンラインで受けるようにする(ちなみにうつ病の治療はコンピュータによる認知行動療法がNICEガイドラインでは推奨されている)。手入力だけでは心配であれば、血圧がコントロールされているかどうかをチェックするために、オンラインと連結した血圧計を家庭に置いて、定期的に血圧を測ることを推奨してもいいかもしれない。そうすれば血圧の情報が迅速にITシステムに伝わり、それに応じて、投薬の必要性や投薬パターンや医療機関の受診の必要性が決まることになる。
NICEガイドラインでは高血圧の人々が必要に応じて血圧以外の数値(コレステロール値など)を検査することが奨励されているが、日本では40歳以上の特定健康診査(メタボ健診)があるので、この結果の統一フォーマットを作成して、PCなどに読み込んでITシステムに伝わるようにすればいいかもしれない。
ポリピル(ビジョン3)
以上のようなAIやITを使った高血圧への対応の対極として、ポリピル(多種類の薬を組み合わせた薬剤)というアイディアがある。これは高血圧の薬と高脂血症の薬(スタチン)をまとめて1つのカプセルにして、例えば一定の年齢(例えば55歳)以上の全ての人々に服用してもらおうというものである[4, 5]。循環器疾患の最大のリスクが加齢であることを念頭に置いたもので、主として医療資源が不足している途上国における対応策として議論されている。まだ実験段階だがポリピルが有望であることを示す研究がいくつか出ている[6-10]。ポリピルの場合は、医療資源の活用を最小限にするという前提があるので、いったん薬を渡したら血圧の厳密な管理は行わないことになりそうだが、血圧を測っている人よりも測らない人の方が長生きすることを示唆する観察研究もあり[11]、厳密な管理の方がいいとは言えないかもしれない。
2030年に向けて
ビジョン1や2のAIやITを使った仕組みで私は次のことを期待している(今はまだ仮説である)。システム構築のコストが大きくなったり、医師によるダブルチェックが全ケースで行われるような屋上屋的な対応を取らない限りは、医療費の削減につながる。システムが最新のエビデンスに基づいて構築されれば、エビデンスの修正が医療現場に浸透する時間を減らせる。医療機関への通院の必要がなくなれば、配送と通信の機能がある限り、医師が不足する過疎地の住民や忙しくて医療機関の通院ができない人々でも高血圧の治療を受けることが可能になる。
高血圧への対応の在り方については、潜在的なニーズの大きさや医療費膨張、人手不足や過疎化の進行などにより、現状の微修正で済ませることは難しいと感じている。ラディカルなものも含めてさまざまなアイディアが提起されて、効果や安全性や経済性についてランダム化比較試験(RCT)のような厳密な効果手法を通じて検証を行って、望ましい着地点にたどり着くことを願っている。