はじめに
さまざまな社会経済事象が規則だった形状に沿うことを知る機会は少ない.今回所得分布の形状を例としてその規則を検討する.
日本の所得を例として考えてみると己の身に得ることでありそれは金銭に限られた概念ではない.時代をさかのぼれば禄が示す意味は絁,綿,鍬,穀として与えられた.より近世の意味がさすものは知行,扶持米,給金へ移ろいだ.現行の家計調査がさす所得の概念を整理すると稼得金(自営),給金が主でそれらが貨幣価値として計算され,現品,知行,扶持米を所得として加味しない向きが多勢である.所得が規則だった形状に沿うかどうか貨幣換算され数値として測ることのできる稼得金,給金の分布をみてみよう.
所得分布の形状とその規則
図1が示すように所得を区分ごとに並べると分布の形状がよくわかる.縦軸がさすものは人口の割合で横軸が所得を示す.1993年1500付近の所得が最頻値であり最大の人口割合を占めていたが2004年,2014年と移りゆくにつれて最頻値が出現する所得が増加し所得分布の形状そのものもなだらかな傾斜を帯びる.ここで示す所得分布の形状を関数系で表記すると対数正規分布となる.この図は,それぞれの年の分布関数が対数正規分布に近似するよう最尤法という統計手法をあてはめ家計調査から母分布を推定し図示している.ここで示す例の所得分布では国全体の実質成長率が6%を超える高水準で推移し不平等度が世界で最も低水準でたもたれている.(尚,対数正規分布関数の特徴を基に乱数を発生させて同様の所得分布を描出することもできる)
厚生とその動態-最頻値と尾(tail)
所得が対数正規分布に沿うという規則(Gibrat, 1931)にもとづくとその関数(F(x)),最頻値(mode),中央値(median),平均値(mean)の関係が以下の式で示される.ここでxを家計調査(層化抽出法にもとづく)から得た平均所得,μを母集団の平均所得の期待値,σを標準偏差の期待値とする.
ここで注目すべきが
という不等関係が所得分布でなりたつことであり,最大の所得割合を有す最頻値が往往考慮されず尾(tail)の少数富裕層の所得を含みその影響が相当反映される平均値が母集団の特徴をあらわす代表値として採用されることである.さらに尾の裾野の実態がより厚く伸長している(調査から推定できない富裕層がかなりいる)とみられることから少数富裕層を主な対象としてより捉える場合,母集団の特徴をあらわす代表値として平均値の導入が(一方で)自然なながれとなる.大衆迎合政策と一線を画すが所得分布の形状を鑑み平均値のみならず何を代表値とするかもう少し余白があってもよいのではないか.統計手法の検討,改善でも所得分布の尾の部分の捕捉の上で対数正規分布の十分性の検討がこれまでなされ,少数富裕層の実態をあらわす調査がそもそも不完全であることも相俟うが,パレート分布を基礎とした分布関数が尾の形状の捕捉を担ってきた.
尚,我々が立ち返らねばならない現実なのだが,多くの国が図1で示した高成長をはたせず富の分配の指標である不平等度がより高水準であることだ.つまり多くの人の所得が増えないばかりか,物価が年々上がる場合実質所得が減り,貧富の格差もより大きい状態をさす.経済成長論の実証分析で一人当たりの所得の成長(平均所得水準の増加)が主な解析対象となるが,その前提となるのが国全体の経済成長(一人当たり所得の増大)が滴り落ち(tricle down)まずしい層も含めた厚生が向上するという通説である.累進課税などの所得移転政策が格差是正といった厚生の歪さの調整で行われるが,経済成長を通じた厚生向上と比して所得再分配効果が不十分という現実(的な仮定)のもと専ら成長推進へ焦点を当てた政策運営がなされ研究を含めた効果検証の主眼が置かれてきた.手法,統計の観点からも実証的な分配効果の検証の難易度がより高く後手と言わざるをえなかった.加えて,図示した所得分布がさまざまな層から構成され,極端な場合,同程度の所得階層であっても全く所得が同じ個人同士であってもいわゆる異質性(働く業界,職種,学んだ分野,経歴,家族構成などの属性の違い)が存在する.つまり一国の総計指標である一人当たり所得や不平等度の変化への反応が特定の属性や階層で区分けした集団間で様々であり,解析する年次といった時点変化があれば反応もさらに異なるということだ.この異質性の動態を加味した成長と分配の効果もいまだ不可解で十分解明されてこなかったのだが一端を紐解く解析手法と実証事例を示す研究がようやく出始めた(Yamada, 2024).成長(平均ないし最頻値の所得増加)がどの層へ裨益し分配(格差を反映する所得分布の形状の変化)が厚生を正負どちらで捻じる(twist)か考える端緒となる.
財政当局ならびに開発金融当局で勤務した身として,限られた予算を借入をおさえながら遣り繰りすることが時代,国を超越した課題だとつくづく実感する.成長と分配が厚生へ与える影響へ考えを巡らせながらであればなお一層のことである.冒頭の所得の概念が頭を溯るが稼得金,給金をまかないつつ現品,知行,扶持米といったより多義な概念へ至るか耽りながら本稿を書いている.