第四次産業革命の進展の中で、AIやブロックチェーンなどが社会に大きなイノベーションの可能性をもたらしている。しかし、こうした新しい技術、それを活用したビジネスモデルをうまく社会実装できないことがあるのはなぜなのか。昭和の時代に最適化された関連規制と整合しなかったり、そもそも適用されるルールが存在しないといった指摘がなされる中で、ルールの観点からこの問いに答えたのが、新刊『官民共創のイノベーション 規制のサンドボックスの挑戦とその先』(ベストブック, 2024)(注1)である。
イノベーションに立ちはだかる見えない壁とその克服
革新的なアイデアは、イノベーションを実現した後、それを事後的にふり返ったときに、ものすごく革新的であったと認識されるのだが、それが生み出された時点では必ずしもその潜在力が十分に認識されないという難しさがある。かつてスティーブ・ジョブズが人生の展開の文脈において述べた“connecting the dots”(注2)の議論は、イノベーションの展開そのものに当てはまるとも言うことができる。
イノベーションを可能とするルール形成という局面において、“connecting the dots”を難しくしているのは、2024年3月にRIETIで開催された出版記念セミナーで述べた通り、革新的なアイデアからから立法事実を生成して制度改革につなげていくという一連のプロセスにおいて、この革新的アイデアから立法事実を生成するところに大きなボトルネックがあるからである。立法事実の生成から制度改革へと至るルール形成の段階で、かつての成功に引きずられるイナーシャ(Inertia:慣性)が構造的に働く。ルール形成段階で指摘されるイナーシャとして、演繹的思考法や法的三段論法、あるいは既存の規制手法や思考方法を援用したり、説明のストーリーとして分かりやすいものを採用するといった、行政官や法曹関係者にはなじみがあるであろうプラクティスが挙げられる。これらの結果として、前例への配慮、類似した事例との整合性の確保、予測可能性と秩序維持の最大化に遠心力が働いてしまい、肝心の政策資源を投入すべき新しい価値についての検討が不十分となりかねないこととなる。
こうしたイナーシャを解きほぐしていこうとするのが、規制のサンドボックス制度である。新規のイノベーションに関するルール形成の局面において何よりも強いのは、新しい技術やビジネスモデルを提供する事業者はもとより、この効果を享受する消費者・ユーザーによって形成されるリアリティーである。規制のサンドボックスが企図しているのは、消費者も含めて市場で社会実験を行いながら政策を作っていく“Policy-making by Experiments”という政策哲学であって、不確定性の高い現下の状況下では、多くの政策領域に対して示唆を与えるものである(注3)。劇場的な水掛け論による議論ではなく地に足のついた検討を可能とする。不確定性の高い状況は、確かにフラストレーションを感じることも多いのであるが、これを解決しようとする技術者やデザイナーが出現し、多くのステークホルダーを巻き込んで社会実験を行っていく契機になれば、それによって社会課題を解決する新しい成長を与えてくれる窓口であるとも言うことができる。
破壊的イノベーションの担い手としてのスタートアップ
本書の事例分析(注4)やインタビュー編(注5)の主人公であるスタートアップに焦点を当てたい。スタートアップは、「破壊的イノベーション」(注6)、すなわち既存のビジネスモデルや業界構造を劇的に変化させるイノベーションの担い手である。「破壊的イノベーション」という概念自体は30年前からあるが、DX時代には、デジタルのレイヤー構造上、既存の縦割りの産業構造は自然と打破され、プラットフォーマーによる勝者総取りの威力が強まる。こうした中で、デジタル世界の開拓者であるスタートアップは、一段と重要な存在となっている。
スタートアップの市場参入方法として、まず、収益性の低い市場に入り込み、これまで見過ごされてきた顧客をターゲットにより良いサービスを低価格で提供しようと努める。当初、既存の大企業は、DX時代の新たな産業構造に十分適応できない場合も多いため、スタートアップは足場固めができる。次に、収益性の高いボリュームゾーンに移行し、大量に採用されるサービスの創出に成功すると、市場で創造的破壊が引き起こされ、プラットフォーマーへと至る。
2022年に策定された「スタートアップ育成5か年計画」(注7)を通じて環境整備が進む中、今後、そこから生み育てられたスタートアップが、急成長を遂げて破壊的イノベーションを実現するためには、政府による適切なルール形成や公共調達などを通じて、新市場創出をけん引することが一層重要になるだろう(注8)。
奇遇にも、本書で登場するFinTechスタートアップのカウリス(注9)について、出版間もないタイミングで上場のニュースが入ってきた(注10)。まさに規制のサンドボックス制度を活用して、適法に事業化が可能なことを確認してビジネスを拡大し、上場に至った好例と言える。カウリスの持つ不正アクセス検知技術に、関西電力の保有する電力設備情報を組み合わせて、より確度の高い、なりすましの可能性に関するリスク情報の提供が可能になったという点で、大企業とスタートアップのオープンイノベーション(注11)の事案としても注目される。
誰もが発案者となり得る時代に求められるマインドセット
出版後、多方面から反響をいただく中で、革新的なアイデアを有する方々は、スタートアップ起業家にとどまらず、もっと言えば、官民を問わず、所属組織のヒエラルキーによらず、あらゆるところにいらっしゃるのだと実感している。停滞する事態を解決する鍵となるアイデアは、外部に求めずとも自らの組織の中にあるのであって、これに気付かずに大きなチャンスを逃していることも多いものと考えられる。また、事業や政策において大きな成果を挙げた際にも、表面的な担当者にのみスポットライトを当て、事前段階においてボトルネックを解消してくれた真の貢献者への配慮を怠っていることが、組織内でのボトルネックの解消へのインセンティブを低下させていることもあろう。
新しいアイデアは、とかく、既存のビジネスモデルや制度とうまくフィットしないことも多い。しかし、これを将来につなげるよう建設的に社会実装のルートに乗せていくことができるか。組織や部門を統括する責任を有している者は、こうした時として「面倒くさい」考えに気付き、耳を傾けて行動できるか。新しいアイデアを有する者は、1回目は採用されずとも、建設的な提案になるようブラッシュアップを継続していくことができるか。さらには、大きな成功を得るためにコストがゼロということはあり得ないところ、新しい取り組みから生じ得る失敗を許容し、資産として次につなげていくことができるか。
企業の法務機能の在り方も、良くも悪くももっとスポットライトが与えられて然るべきトピックである。守りのガーディアン機能(違反行為の防止などにより価値の毀損を防止する機能)だけでなく、攻めの「クリエーション機能」(現行のルールや解釈を分析し、事業が踏み込める領域を広げたり、ルール自体を新たに構築・変更する機能)や「ナビゲーション機能」(事業と経営に寄り添って、リスクの分析や低減策の提示を通じて、積極的に戦略を提案する機能)の発揮が重要になっている(注12)。
第四次産業革命という人類史の中でも数えるほどの「革命」の時代の真っただ中で、引き続き、官民共創のイノベーションを推進し、日本の未来が輝かしいものになるよう尽力していきたい。
(関連コラム:『サピエンス全史』から考えるルールとイノベーション)