カーボンプライシング--EUの経験を日本の政策に生かせ

田辺 靖雄
コンサルティングフェロー

2022年1月27日、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)、 一般財団法人日本エネルギー経済研究所(IEEJ)、 一般財団法人日欧産業協力センター(EUJC)の共催で、「ネットゼロに向けたカーボンプライシング/市場メカニズムの活用」と題するウェビナーが開催された。

2021年6月、EUJCとRIETI共催で行ったウェビナーでは、カーボンニュートラルに向けた産業界、政策面の課題について日欧の有識者が議論を行い、多くの反響を頂いた。(RIETI・EUJC共催セミナーについてはこちら

今回はIEEJをも加えた3者合同での共催で、ネットゼロを実現するための手法として日本でも注目が集まっているカーボンプライシング/市場メカニズムについて、日EU双方の有識者・専門家から、それぞれにおける取り組み状況について紹介し、特にEUの経験を踏まえて、今後導入が進むと考えられる日本へのレッスンを探った。

カーボンプライシングには主に炭素税および排出量取引制度がある。今回は、EUの排出量取引制度(EU-ETS)、その派生としての炭素国境調整メカニズム(CBAM)の現状、日本におけるカーボンプライシング導入をめぐる検討状況を中心に議論が行われた。(ウェビナーの録画ビデオ、発表資料、要約についてはこちら

ウェビナーでの日EUの有識者・専門家の議論を聴いた筆者のテークアウェイを以下ご報告したい。

第一に、EU-ETS制度は2005年のスタート以来CO2削減の効果をあげ、完全に定着しており、制度そのものを否定する議論はない。

EU-ETS制度は2005年以来フェーズ1、2、3、4の段階を追って、Cap & Trade原則に基づき、EU域内の電力部門、製造業部門、商業航空部門を対象として域内CO2排出量の約4割をカバーして運用されている。

ERCST(欧州気候変動サステナブルトランジション・ラウンドテーブル)のMarcu氏によれば、2013年から2020年の間にEU-ETS対象の電力部門では約40%、産業部門では約20%の排出削減が実現している。この実績が、EUがETS制度の排出削減効果に自信を持つゆえんであろう。EUA(EU排出枠)価格(炭素市場で取引されるため価格が市場で決定される)は、2020年までは20~30ユーロ/CO2トン程度で推移していたが、2021年以降EUの2030年55%削減という野心的なコミットを反映してか上昇し、2022年1月時点で85ユーロ/CO2トンを超える歴史的な高水準にある。

これに対して産業界の受け止めは必ずしも一様ではない。EnelのAgostini氏は、カーボンプライシングは脱炭素を追求するための最も有効な手段であるとし、一般的に先進国ではCap & Trade方式が炭素税方式より脱炭素目的には最も効率的であると指摘した。価格の乱高下という弊害に対してはヘッジで対応可能とした。再エネへの急シフトで電源の脱炭素化を進めるEnelの自信をうかがわせた。EUROFER(欧州鉄鋼連盟)のEggert氏は、欧州鉄鋼業界は2030年55%削減、2050年炭素中立にコミットしているが、それを可能とする政策が課題であると指摘した。以下に述べるような注文をEU-ETS、CBAMに付ける立場であるが、それらの制度そのものを否定する立場ではない。

第二に、EU-ETS制度は現在さらにその拡張が議論され、またETS制度を補うためにCBAMが提案され、ネットゼロに向け経済と環境を両立させる制度として進化が進行中である。

2021年7月の欧州委員会によるFit for 55パッケージ提案の中で、EU-ETSについては、海運部門を対象に含めること、(既存のETSとは別建てとして)道路輸送および建物部門を含めることが提案され、全体にETS対象部門で2030年までに61%排出削減を目標とすることが提案された。また、ETS制度を補完するためにカーボンリーケージ対策としてCBAMを2026年から鉄鋼、アルミ、セメント、電力、肥料の5部門を対象に開始することが提案されている。

Marcu氏からは、これらの欧州委員会提案に対して欧州議会環境委員会から修正提案がなされて議論中であることが紹介された。すなわち、CBAMに関して、水素、有機化学、ポリマーの3部門を追加すること、導入スケジュールの前倒し等が修正提案されている。欧州議会は欧州委員会と比べてより環境志向が強い。Eggert氏は、CBAM提案と合わせて鉄鋼を含む対象部門の無償割り当ての削減が提案されているが、現在でも鉄鋼業界の無償割り当ては約20%不足しており、EUA価格80ユーロ/CO2tを前提にすれば35億ユーロのコスト負担をしているとして、CBAM提案を支持するものの、産業界の低炭素技術投資に水を差す無償割り当て削減は慎重であるべきとの業界の立場を表明した。

このように、EUの政策決定プロセスは、欧州委員会の提案の後も、欧州議会や欧州理事会のプロセスで、外部のステークホルダーの意見も加味してオープンにダイナミックに議論されるところが特徴的である。それでもそのようなプロセスを経ておおむね欧州委員会提案が確定していくことが多く、EU-ETS制度の拡張やCBAMの提案も基本方向は維持されるものと思われる。

第三に、日本でもカーボンプライシングの是非についての議論は長年行われているが、菅前総理の後を受けた岸田総理も2022年1月の国会でカーボンプライシングについて方向性を見いだしていくことを表明する等、最近議論のモメンタムが強まっている。

坂本敏幸氏(日本エネルギー経済研究所理事環境ユニット担任)からは、カーボンプライシングに関する議論が経済産業省と環境省の研究会でそれぞれ進んでいることが紹介され、特に経済産業省提案による「GXリーグ」という高い野心の排出削減の自主的コミットを産業界に慫慂(しょうよう)し自主的なクレジット・マーケットを組成していこうとの取り組みが2022年秋に実証開始予定、2023年度に本格稼働予定であることが紹介された。また、炭素税に関してもその導入が否定されているわけではないことが示唆された。有村俊秀氏(RIETIファカルティフェロー / 早稲田大学政治経済学術院教授・環境経済経営研究所所長)によれば、そもそも理論的にカーボンプライシングは外部不経済を内部化し、市場メカニズムを効率化するものであり、2050年ネットゼロ達成のためには、排出を削減するためにも、またどうしても排出をゼロにできない部分を炭素吸収や除去でオフセットするためにも排出量取引が必要であるという。実際、排出量取引制度が導入された東京都では2009年から2013年の間に6.8%排出削減されたことが紹介された。このように排出量取引制度、炭素税というカーボンプライシングをめぐる議論は今後加速することが想定される。

第四に、日本の関係者から炭素価格水準への高い関心が示された。ここから、日本の産業界は何らかのカーボンプライシング制度の導入を想定した準備段階にあることがうかがえる。

高橋和範氏(日立製作所サステナビリティ推進本部副本部長)からは、日立はScope1,2で2030年までに炭素中立、Scope3を含めて2050年までに炭素中立を実現するコミットをしたこと、そのために2019年にインターナルカーボンプライスを導入し、その価格を当初の5000円/tから2021年には14000円/tに引き上げたことが紹介された。つまり、炭素中立を実現するためには炭素価格14000円/tの想定でなければ必要な投資が確保されないとの判断がなされたわけである。この価格は国際的な見通し、社内での(省エネや再エネ関連の)投資見込み調査に基づき設定されたそうである。この日立の考え方、アプローチは日本産業界全体の参考になろう。

IEEJの坂本氏からは、日本の炭素税に当たる地球温暖化対策税(温対税)は現在289円/tであるが、石油・石炭等諸税(道路財源となる揮発油税を含む)をも含めると4057円/tであること、さらにFIT賦課金も含めれば6301円/tであることが紹介された。有村教授からは、かつて環境省からは経済的モデル試算として10000円/tの炭素価格が示されたことがあること、最近は低い炭素税率で始めて徐々に引き上げていくべきとの考え方があることが紹介された。

いずれにせよ、カーボンプライシング、そしてその価格水準は産業界にとっては事業に直接影響するために重大関心事であり、また最終的な負担がユーザー・消費者によって受け入れられるかどうか、産業界にとっては気になるところであろう。

最後に、RIETI渡辺副所長の「欧州の長年のカーボンプライシングの経験から日本が何を学べるか」という質問に対する、EU-ETSに長く関わってきたMarcu氏の回答に含蓄があった。すなわち、Marcu氏は、ETSを支持してきたとしつつ、①ETSだけで脱炭素化のすべてを解決できるわけではないこと(つまり規制、税、財政支援等のポリシーミックスが必要であること)、政治的判断が関わるので難しいこと(初めから100ユーロ/tが受け入れられるか等)、それでも最近は国際的な状況はパリ協定後変化してきたこと、②(制度の)デザインが難しいこと、すなわち(炭素の)需要は柔軟であるのに対して供給が柔軟でないために投機的に価格が高騰することがあったように、リアルの市場を作るのが重要であること、③社会的な側面、公正な移行が必要で、現実社会のアプローチが求められること、制度において(CBAMのように)バランスをとるのが重要であることを指摘した。Marcu氏からは、EUは先行者として苦労して多くを学んできたが、それをモニターしてきた日本は、内外の環境は変わってきているので、うまくやってほしいとの強い期待が感じられた。

今回のウェビナーでは、ネットゼロのためのカーボンプライシングという、特に日本ではcontroversialなテーマについて、EUと日本の第一人者のスピーカー/パネリストから極めて有意義な対話的議論が行われた。EUの経験、レッスンは日本における政策論にも生かされることが期待される。これはまさに日本EUグリーン・アライアンスの活動にふさわしいものと言えよう。日欧産業協力センターとしては、今後も、RIETIやIEEJのような専門機関とも協力しながら、有意義な情報提供、政策論への貢献に努めてまいりたい。

(本稿におけるウェビナーでの議論の紹介は筆者の認識に基づくものであり、またここで示された見解は筆者の個人的な見解であり、筆者の所属する組織や日本およびEU当局の公式見解を代表するものではないことをお断りしたい。)

2022年2月15日掲載

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