1. はじめに
文理融合とEBPM(エビデンスに基づく政策形成)は最近のRIETIの研究活動の2大看板となっている。私自身はこれらが別なものだと考えていたが、最近になって、この2つは重なっている面が多いのではないかと考えるようになった。
文理融合においておそらく最も重要な領域は医学で、教育や所得などの社会経済的地位がさまざまな病気にどのような影響を及ぼすかなど、文系的な知識が医学の進歩に結びつきそうになっている。ただ、文理融合において重要な医学関係領域は他にもあり、EBPMもまた文理融合領域の重要な1つではないだろうか。
EBPMは2つの別の流れから来ている。1つは医学におけるEBM(エビデンスに基づく医療)に端を発するもので、EBPMは医療におけるEBMの発想を多く受け継いでいる。一方、EBPMには計量経済学に起因する流れがある。現実にはEBMの担い手である生物統計学者がEBPMに領域を広げる例は私の知る限り存在せず、計量経済学の知識のある経済学者がEBPMを担う場合が多くなっている。
2. 効果検証についての経済学と医学のアプローチの違い
EBPMの基本は政策の効果検証であり、EBMの基本は医療行為の効果検証で、どちらも効果検証という点では共通しているのだが、効果検証へのアプローチの仕方はかなり異なっている。私は医学の専門家でも経済学の専門家でもないが、両方を見てきて気付いたことを書いておく。
データについての考え方
経済学者にとってデータは基本的には既にあるもので、政府統計など既に整備されたデータを入手して、制約の中で可能な限り政策の効果検証を行うことを試みることが多いように思う。一方、医療関係者(医師や生物統計学者)にとってデータは基本的には自分達で時間をかけて作るもので、効果検証が可能となるような信頼できるデータの構築が重要な課題となる。料理人でたとえると、経済学者の場合には素材は既に決まっていて、それをどう上手に調理するかが腕の見せどころになる。医療関係者の場合には良い素材を作るための準備段階から仕事は始まっていて、その代わり良い素材が得られれば、調理方法にあまり工夫をこらすことはない。
統計解析に当たってのスタンス
多くの経済学者は、あるモデルで分析を行って結果を見てからモデルを変えていくことを頻繁に行っているようである。医療の世界ではこのように結果を見てから分析手法を変えるのはあまり許容されないようで、特にランダム化比較試験(RCT)の場合には分析する前に分析手法を明らかにする場合が多い。結果を見てからさらなる分析をする場合には事後分析(post hoc analysis)だと明記することが求められている[1]。また、経済学者の効果検証研究の場合にはいくつものアウトカム指標の間に優先順位をつけず、多くのアウトカム指標について効果検証を行う場合をよく見る。医学の効果検証の場合には主要なアウトカム指標は1つだけのことが多く、それ以外のアウトカム指標についての結果も報告はされるものの、主要なアウトカム指標で効果がなければ効果なしと判定されることが多い。また、複数の指標を同時にアウトカム指標とする場合には、医学の場合には個々の指標で効果がでにくくなるような工夫(多重比較)が行われるが、経済学の研究ではあまり多くないように思う(RIETIのディスカッション・ペーパーで「多重比較」で検索したら書いてあったのは8本だった)。
ガイドラインの存在
医療関係の効果検証研究はさまざまなガイドラインを踏まえることが求められる。研究計画書を事前に作成して倫理審査委員会の承認を得ることが求められ、RCTの場合には研究実施に先立って登録サイトに登録し、RCTのCONSORT[2]や観察研究におけるSTROBE[3]のような研究の実施や分析の手順を踏むことが求められる。これらは法的なルールではないが、多くの学術誌がこれらの手順を踏むことを求めているので、現実にはルールに近いものになっている。経済学はこれほどの厳しいルールはないように思う。
読み手へのフレンドリー度
効果検証についての医学論文と経済学論文を読み比べるとわかるが、医学論文の方がページ数が少なくて読みやすいことが多い。意外だが、理系の論文であるはずの医学の効果検証研究で数式が出ることはめったになく、経済学の効果検証研究では数式が出ないことはめったにない。医学論文では多くの情報は付録(supplementary document)として論文本体とは切り離すのが普通である。
また、論文の構成も異なっていて、医学論文の場合には、「はじめに(introduction)」、 「方法(methods)」、「結果(results)」、「考察(discussion)」「結論(conclusion)」というパターンがあって、先行研究については「導入」ではあまり触れない。「考察」のところで、当該研究の結果と先行研究を比較して、ほぼ同じか、違っているか、違っているとしたらどうして違っているかの考察を加える形になっている。経済学の論文の場合には、「はじめに」、「先行研究」、「データ」、「分析結果」、「結論」となっていて[4]、「分析結果」のところで、医学論文の「考察」に近いことが書かれる。また、経済学の論文の場合には、「はじめに」において、分析結果の要約が書かれるのが通常だが、医学論文では、「はじめに」と「方法」では結果を予断することは記述されない。結果が分かる前に導入と方法は完成させるのが本来のあり方という発想があるのかもしれない。
推測だが、医学論文の場合は主要な読者層は現場の医師であり、忙しい上に、統計学や複雑な分析手法を知らない人も多いので、読みやすいものになっているのではないか。経済学の論文は主要な読者は経済学者であり、難しいことを書くことが許容されているのではないか。
教科書の難易度
計量経済学の教科書が私の書棚に何冊もあるが、読み切ったものは1つもなく、いつも挫折している。実際に役に立ったのは統計ソフトのSTATAの使い方と分析手法を書いた本だった[5, 6]。計量経済学の先生方からみると「基礎からきちんと勉強しないとダメだ」ということかもしれないが、現役の学生と異なって、社会人が教科書をマスターするのは不可能に近い。
医療の効果検証の場合、統計学に詳しくなく多忙な医療関係者を主たる読者層として、実践向けに医療統計学の分析手法をわかりやすく解説した本がいくつも出ている[7-9]。康永秀生氏はその著書において「統計学の専門家による類書は、難解な統計学の理論の解説が多い。臨床家は統計学の詳しい理論など知らなくてよい。」[9]と述べており、更に、同書に書かれた統計学の基礎に関する内容を理解すれば十分としている[9]。
医療の場合には、臨床家と生物統計学の専門家の共同作業によって研究が行われることが多く、このやり方はEBPMでも学ぶことが多いのではないか。現状においては、医療の臨床家に相当する行政官はEBPMに関連する統計学について高度な知識を必死に学ばされるか、全くの素人のままでいるかを迫られているように思われ、臨床家に求められる統計知識のような中庸を行くアプローチがあまり見られない。たとえば、津川友介氏の「世界一わかりやすい「医療政策」の教科書」[10]の第2章「統計学」は、EBPM手法の解説としてもわかりやすいものになっており(他の例としては伊藤[11]、中室・津川[12])、このレベルの知識を特に若い行政官は基礎知識として有することが期待される一方で、それ以上は求められない(必要なら専門家に頼る)というのが望まれる方向だと思う。
3. おわりに
ここまで、EBPMについて、医学と経済学のそれぞれのアプローチの違いを見てきた。途中で料理人のたとえを述べたが、調理法とも言うべき分析手法については経済学から医学が学べることがありそうで、良い素材集めとも言うべきデータ収集の手順や不正防止については医学から経済学が学べることがありそうだ。
今はまだEBPMでは文理不融合といった方が現実に近いように思われ、どこまで文理融合に近づけるかが今後の課題になる。