新型コロナウイルスでイノベーションがどう変わるか?

元橋 一之
ファカルティフェロー

COVID-19の感染拡大に伴い、首都圏などに緊急事態宣言が発動されて2週間がたった。中国におけるロックダウンに始まり、欧米やインド、東南アジアなど人の移動制限は世界的に広まっている。この状態がいつまで続くのかは計り知れないところであるが、ワクチンが開発されるまで最低1年半はかかるという見通しである。ワクチンの開発はトライアンドエラーの要素が強く、治験に有する期間を考えると妥当な見方だと思う。従って、何らかの行動制限が1年以上は続く可能性が高いということになる。それを前提としたときに、これまでの研究成果も踏まえてイノベーションにどのような影響をもたらすのか考えてみた。

1.モノづくりのバーチャル化の加速

経済活動のフィジカルからバーチャルへの動きはますます加速する。インターネットビジネスは、Eコマースやネット広告などのB2Cの分野に目が行きがちであるが、B2Bビジネスにおいてもデジタル化が進んでいる。いわゆるIoT(Internet of Things:モノのインターネット)の台頭である。RIETIにおけるアンケート調査(RIETI-Policy Discussion Paper 16-P-012)によると日本の製造業ではほとんどの大企業がビッグデータを使ったモノづくりのイノベーションに取り組んでいる。モノづくりは「開発」(before production)、「製造」(production)、「アフターサービス」(after production)の3つのフェーズに分解できるが、「アフターサービス」においてユーザー使用に関するデータの利用価値が高いことが分かった。建設機械メーカーのコマツのように、自社製品の使用データを用いたサービスモデルの構築(コムトラックス)から、デジタル技術を用いた建設サービス(i-construction)そのものへ転換する動きもみられる。

このデジタル技術を用いた製造業のサービス化(Servitization)の動きは、人のフィジカルな移動が制限されることで一層進むと考えられる。工作機械メーカーのDMG森精機では、精密機械の顧客企業との立ち合い検収を、現場に集まって行うのではなく、カメラのライブ映像で行う方式に切り替えた(日経ビジネス2020年4月22日、森社長インタビュー)。このような細かな顧客とのやり取り、人を介して行ってきたアフターサービスがデジタル化されることになり、新しいイノベーションが生み出されるきっかけとなる。このチャンスをいち早くとらえた企業が競争優位を持つ動きが加速されるだろう。

2.プライバシーデータの活用

B2Cのインターネットビジネスで膨大な企業価値を稼ぎだしているGAFAなどのインターネットプラットフォーマーは、より大きな影響力を持つものと考えられる。インターネットを通じて得られた膨大な個人情報は、そのボリューム(規模の経済性)と同時に、さまざまなアプリケーションに対する適用可能性(範囲の経済性)を持つ。ただ、データを当初の目的外に活用する場合には、プライバシーの問題が障害になる。以前、GoogleがGmailアカウントの情報を他のサービスにも転用していることが問題になったことがあるが、最近ではEUがGDPR(General Data Protection Regulation)を導入し、欧州域内の個人情報の利用について厳しいプライバシー基準が適用されることとなった。

しかし、この状況も新型コロナウイルスによって行動制限をいつまで続けるかによって見直される可能性がある。世界的に現状の行動制限を1年以上続けることは、経済情勢を考えると現実的ではない。そうすると、制限解除にあわせて個人の位置情報を活用した感染拡大防止策が取られる可能性が高い。中国においては、他国に先駆けて行動制限の解除が行われているが、その背景には個人の行動記録が日常的に行われ、感染者が特定された場合に精度の高い事後対応ができるシステムを備えていることがある。中国のようにいわゆる「ビッグブラザー」に常に監視されている社会は好ましいものとは思わないが、背に腹は替えられない状況で、プライバシーに対するセンシティビティは下がることは間違いない。その結果として、個人情報を大量に保有する企業は、ビッグデータの範囲の経済を活用しやすくなると考えられる。

3.イノベーションの距離の消失

20年以上前になるが、1995年にThe Economist誌は、情報通信技術の進展によって経済活動における「距離がない世界」(Death of Distance)が来ることを提唱した。しかし、イノベーションの地理学においては、インターネットが普及しても「距離が消失」するどころか、むしろ地理的な集積が高まっているという見方が一般的である。その背景には、付加価値の源泉がフィジカル(工業生産活動)からバーチャル(知的生産活動)に移っていることがある(OECDレポート)。知的生産活動には、コンテキストリッチな情報のやり取りが必要となり、そのためにはFace-To-Faceのコミュニケーションが有効である(著者らの研究参照)。また、組織間の技術スピルオーバーは地理的に近接したところで起こるので、イノベーションの地理的集積(いわゆる知的クラスター)が起きるという研究は枚挙にいとまがない(代表的なものとして特許の引用データを用いたRebecca Hendersonらによるもの)。

しかし、新型コロナウイルスの影響で、今度こそイノベーションの距離が消失する方向性に動く可能性がある。AIやビッグデータ解析といったクラウド環境で実現可能な研究開発はもとより、実験装置を伴うものについても最小限のオペレータを現地に残して、オンラインで研究を進めることが可能である。現状の外出制限がどの程度続くのにもよるが、数カ月とか1年以上続けばバーチャルな研究開発環境に移行する企業や研究機関が増えていくであろう。一度、距離を意識しない研究開発体制が可能になるとその方が効率的なこともあるので、外出制限が解除されても新しい手法が定着する可能性が高い。

また、地域的なイノベーション集積も変化する可能性がある。例えば、深センのイノベーションクラスターには中国全土から優秀な人材が集まってきており、そのベースとして「来了深セン、深セン人(深センに来たらその時からあなたは深セン人である)」という多様な人材を集めるオープンな風土がある(RIETI Policy Discussion Paper 18-P-011)。しかし、そもそも人が移動できなければしょうがない。シリコンバレーのように外国人人材で支えられている地域は、国境を越える人の移動制限はより厳しく、今回の問題はより深刻なものと考えらえる。オンライン化の波が、イノベーションの集積に関する経済外部効果を超える力を持っているかどうかは何とも言えないが、今後注視すべき問題である。

4.日本のイノベーションシステムに対するチャレンジ

DX(デジタルトランスフォーメーション)が進む中、IT経営の高度化を進めるためのさまざまな政策が打ち出されている(経済産業省のデジタル・トランスフォーメーション)。しかし、日本企業において経営革新のツールとしてのデジタル技術の活用はまだまだ遅れていると思う(2007年にRIETIプロジェクトとして日米韓のIT経営に関する比較調査を実施。結果についてはRIETI Discussion Paper 07-J-029参照)。意思決定における根回しやハンコ文化などの日本企業独特の慣行が邪魔をしている可能性が高い。オンラインによる業務への取り組みが進むことで、ITによる業務革新が進むことを期待したい。

また、日本のイノベーションシステムは、大企業を中心とした自前主義、企業や研究機関の安定的・長期的関係に依存した関係依存型モデルを特徴とする。ベンチャー企業による経済の新陳代謝やフレキシブルな労働市場をベースとする米国型モデルと比べて、漸進的な(Continuousな)イノベーションは得意とするが、破壊的な(Disruptiveな)イノベーションは不得意であるという性質を持つ(RIETI成果をベースとした著者らの研究論文参照)。経済のデジタル化の進展や21世紀初頭のサイエンス革命(ゲノム構造の解明、ナノテクの深化)を背景としたサイエンス経済が到来し、DX時代に対応したイノベーションシステムの構築が必要となっている(サイエンス経済と日本の競争力についてはRIETIコラム参照、またより最近の成果を取り込んだYouTubeビデオもある)。

個々の政策課題としては、オープンイノベーションの推進やベンチャーエコシステムの構築、グローバル人材の育成などさまざまな課題があるが、新型コロナウイルスによる「モノづくりのバーチャル化」、「プライバシーデータの活用」、「距離の消失」はいずれもシステム変革の契機になり得るものである。ただし、その一方で経済活動が停滞し、新しいイノベーションシステムに向けた胎動が委縮してしまうと、グローバル競争から乗り遅れ、事態の悪化を招いてしまうこととなる。景気の後退とともに研究開発費も縮小するR&Dのプロシクルカルな(景気循環が増幅される)動きはリーマンショック後の不況時にも見られた。しかし、厳しい状況であるからこそ、将来の発展をにらんだイノベーション戦略を打ち立て、官民が協力して腰を据えて取り組んでいくことを期待したい。

2020年4月24日掲載

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