2020年1月から新型コロナウィルスが世界的に深刻な問題となっている。世界の株式市場は不確実性の増大などにより大きく下落している。これに対し、3/3・3/6にはG7・G20の財務大臣・中央銀行総裁により、適切な財政・金融政策の用意ができている旨の共同声明が発表された。こうした中、3/2に日本銀行(日銀)が買い入れたETFの金額が1002億円へ大幅に増加したことが市場の話題となっている。このコラムでは、この金額に注目することで、日銀による金融緩和手段として、ETF買入れ額の年間3兆円程度の増額の可能性があることを指摘する。
1.日銀ETF買入れ政策の現状と緩和観測
まず、日銀のETF買入れ政策は余力がある状態だと示す。2013年4月からの質的緩和としてETFやREITの年間買入れ目標額を設定し(図表1赤線)、おおむね目標に沿った購入を続けてきた(図表1青線)。ただ、2018年7月の公表文に「市場の状況に応じて上下に変動しうる」という文言が追加され、6兆円という目標金額の意味はやや弱まった。実際に年間のETF買い入れペースは流動的になっており、年間4.3兆円~6.5兆円まで幅がある(図表1)。直近20年2月末時点では年間4.8兆円台のペースにとどまっていたので、現状は6兆円まで1兆円以上のETF買入れ余力があるといえる。また、冒頭で紹介した1回あたり1002億円への増額についても、仮に直近1年で最も買入れ回数の多かった月間10回だったとしても、年間ペースは5.3兆円程度にとどまる。過去の年間買入れペースが最大で6.5兆円だったことを踏まえると、さらに1兆円以上余力がある。いずれにせよ、現状でもETF買入れには余力があるといえる。
ただ、為替水準を見ると、そろそろ追加緩和があっても不思議ではないだろう。3/9の為替市場では一時1ドル=101円台をつける局面があった。実際、これまで日銀は過去おおむね105円割れの水準で金融緩和をしてきたし(図表2赤矢印)、黒田総裁の口先介入も105円割れ後に行われてきた(図表2緑吹き出し)。また前回2014年4月の消費増税の半年後にも金融緩和を行った実績もあり、現在も昨年10月の消費増税から半年程度が経過している。中長期的な観点で、そろそろ追加緩和があってもおかしくないだろう。
2.ETF増額の可能性について
この節では、過去の日銀のETF購入パターンを振り返りながら、3/2に行われたETF購入金額が1回で1002億円に増額したことについて考察し、日銀ETFの増額の可能性について検討する。
日銀のETF買入れ実務は一定のルールに基づいて機械的に購入しているように見える。例えば、前場(9時~11時半)のTOPIXが0.5%下落した日に、後場(12時半~15時)でETF買入れを実施するパターンはよく知られている。実際、買入れ実務は信託銀行へ委託して行っているので、日銀が指示する買入れルールが実在する蓋然性は高いだろう。こうしたパターンは株式市場の参加者が認識している。前場で下落した日には後場に買入れがあるだろうとの期待で、株価が下げ幅を縮小する展開がよくみられる。これは、期待に働きかけることで、効果があるという実例だと筆者は考える。
また、その他の日銀のETF買入れパターンとしては、1回あたりの購入金額は毎月固定されていることが知られている(図表3緑線)。2014年10月からの年間3兆円ペースでは、1回あたりの金額は約350億円で±30億円の範囲だった。同様に2016年7月からの年間6兆円ペースでは、平均720億円で±20億円の範囲だった。そして、2018年7月の年間金額流動化以降は701億円~707億円と極めて小さい幅の中で推移してきた。
こうした2つのETF買入れパターンに照らすと、3/2の1002億円ETF買入れは①タイミング、②金額の両面で特殊だったと言える。まず①タイミングについて、3/2の前場はTOPIXが1.1%の上昇だったにもかかわらず買入れを実施した。3/2というタイミングには意味があるだろう。3/2は日銀が「潤沢な資金供給と市場の安定確保に努めていく方針」との総裁談話を出した日である。実際、3/9の国会答弁では談話の狙いと効果についての問いに対し、黒田総裁はETF買入れ額を増額するなどの対応をしていると答えた。なお、3/3-5には前場にTOPIXは上昇しETFの購入は見送られた。そして前場で大きく下落した3/6や3/9に日銀は1002億円のETFを購入した。購入タイミングは3/2だけが特殊だったので、総裁談話と連動して、1回あたりの買入れ金額増額を日銀は強調したかったのだと解釈できよう。
次に②金額について、2018年7月以降では701億円~707億円の極めて小さい幅の中で推移していた金額が1002億円に大幅増額した。初の例外的な執行であり、意図的なものだと感じられる。ではどのような意図だろうか。これまで、日銀の質的金融緩和は、従来の延長線上に行うケースが多かった。実際、ETF買入れについては、年間買入れ目標額を1兆円→3兆円→6兆円と拡大してきた(図表3吹き出し)。こうした延長線上で考えると例えば9兆円に拡大する可能性があると考えられるだろう。実際、3月の1回あたりの買い入れ額1002億円は、年間9兆円程度のペースに相当するようにみえる(図表3緑線と赤線の関係を参照のこと)。こうした金額引き上げは、先手を打つ意味で有効だろう。というのも、過去の上限だった6.5兆円が近づくと、市場ではこれ以上の買入れに対して疑問の声が出てくる可能性もあるからだ。これでは期待による金融緩和効果は低減してしまうだろう。そこで、中長期的にもETF買入れ政策では、買い入れ目標額の上方修正の可能性が高いと考える。実際、「必要に応じて上下に変動し得る」との文言を残せば、これまでと同様に必要に買入れ額を調整することもできるだろう。
なお、こうしたETF買入れ実務は日銀の市場局が担当しており、短期的な「市場の安定確保」による対応の必要性を示すものに過ぎないとの指摘もあろう。確かに金融決定会合の運営を行う企画局が担当する中長期的な観点での金融緩和とは性質が若干異なるかもしれない。しかし、中長期的な「リスクプレミアムへの働きかけ」を行ってきた過去の金融政策変更は、前述の通り1ドル=105円の為替水準近辺で行われてきた。実際、黒田日銀総裁にとっての防衛ラインであるように見える(図表2緑水平線)。一時101円台まで円高が進行した現行の為替水準からは、中長期的な金融政策変更につながる可能性もある状況と言える。短期的な必要性が中長期的な必要性につながり、年間のETF増額の可能性もあると考えられるだろう。
3.おわりに
このコラムでは「3/2に日銀による1回あたりのETF購入額が703億円から1002億円へと増額したこと」の意味を検討した。そして、為替水準から日銀による金融緩和についてのタイミングが近いことを示し、延長線上で考えると年間のETF買入れ額を9兆円程度に増額する可能性が高いことを指摘した。実際、3/3・3/6にはG7・G20の財務大臣・中央銀行総裁により、適切な財政・金融政策の用意ができている旨の共同声明が発表された。日本でも金融緩和のタイミングは近いだろう。今後の日銀の動向に注目したい。(3/9引け後記)
追伸:ETFの損益分岐点について
足元3/10には日銀の保有するETFの損益分岐点が日経平均19500円程度という黒田総裁の国会答弁が話題となった。3/10の日経平均終値は19867円と持ち直したものの、一時19000円を割り込んだことで、含み損を抱える可能性が指摘されているようだ。ただ、少々の含み損が発生したとしてもマイナスの影響は大きくないと筆者は考える。理由は以下の通りだ。
まず、そもそもETFや外国債券などの資産は時価変動の影響を受ける性質があるので、それを踏まえた制度設計になっている。日銀の会計基準を確認すると、①ETFは「移動平均法による原価法」によって行われている。つまり、これまでの含み益は会計上の利益に計上されていない。次に②ETFの「時価の総額が帳簿価格の総額を下回る場合にその差額に対して」引当金を計上することになっている。つまり、期末時点で含み損の状態になれば、その分を損金に算入し、引当金を計上することになっている。日銀の昨年度の損益計算書をみると、国債利息だけでも1.2兆円程度の利益が計上されており、十分相殺することができる。実際、過去に外国債券の為替損失の引当金を計上したこともあり、想定内の会計処理だと言える。加えて、もし損失計上することがあっても、③日銀法では毎年の剰余金のうち5%以上を準備金として積み立てることになっており、昨年度末時点で3.2兆円程度の法定準備金が計上されている。以上、足元の株価下落は想定内の事象と考えられ、日銀のバランスシートを心配するのは時期尚早だと考える。
むしろ、今後はこうしたETFの損益分岐点の株価水準が、今回のような株価急落局面での歯止めとして意識されるかもしれない。実際、日経平均の終値をみると3/9は19698円・3/10は19867円と、「19500円」を上回った水準だった。こうした思惑は投資家の売買行動につながり、意味をもつことになる。加えて、もし本コラム前段で指摘したような日銀のETF買入れ政策強化が実施されれば、日銀の行動を促す目安の水準として認識されるだろう。将来の株式市場において意味を持つことになるかもしれない。(3/10引け後記)