資源配分、技術伝播と新しい規制改革

八代 尚光
経済協力開発機構(OECD)経済総局 ドイツ・ラトビア デスク エコノミスト / 元コンサルティングフェロー

急速な労働力人口の減少に直面する日本にとって、堅調な生産性の上昇は経済成長と高い生活水準を維持するために不可欠である。日本の労働生産性を1人当たりGDPの水準が最も高い経済開発協力機構(OECD)諸国17カ国の平均と比較すると、その水準は25%以上も低く、しかもこの格差は縮小する兆しが見えない(図1)。労働生産性の低迷はこうしたOECD高所得国の平均と比較して20%近く低い1人当たりGDP水準に寄与している。日本政府は2020年までを生産性革命期間とし、税制、予算、規制改革などの施策を集中的に実施するとしている。ここ数年、日本の潜在成長率は主に設備投資と就業者数の増加によって改善している反面、新技術の伝播や経済全体の資源配分の改善を反映する全要素生産性の伸び率は低下している(森川、2018)。従って、より堅調な全要素生産性の上昇に向けて政策を動員することは正鵠を得ている。他方、マクロ経済の生産性は個々の企業の生産性とは本質的に異なるため、これを引き上げるためには、企業の生産性改善努力を支援する従来の減税措置や補助金等とは異なる政策が必要となる。

図1:OECD高所得国の平均と比較した日本の一人当たりGDPと労働生産性
図1:OECD高所得国の平均と比較した日本の一人当たりGDPと労働生産性
注釈:図は日本の1人当たりGDP及び労働生産性の、1人当たりGDPが最も高いOECD加盟国17カ国の人口による加重平均値からの乖離をパーセントで表したもの。
出所:OECD(2019年)The Going for Growth 2019版

マクロ経済の生産性は、個々の企業の生産性の水準だけでなく、生産性の高い企業が経済全体の雇用や生産にどれだけ大きな比重を占めているかという、いわば資源配分の効率性によって規定される。例えば、日本と欧米先進国の製造業の労働生産性を比較すると、日本企業の平均生産性はこれらの国と比べて見劣りしないものの、資源配分の効率性による寄与が顕著に低い(図2)。したがって、生産性の高い企業が生産や雇用の面でシェアをより迅速に拡大できる環境を整えることで、日本経済の労働生産性を高める余地が大きい。

図2:製造業部門の労働生産性の企業の平均生産性と資源配分の効率性への分解
図2:製造業部門の労働生産性の企業の平均生産性と資源配分の効率性への分解
注釈:図はOlley and Pakes(1996)の手法によって製造業の労働生産性の水準を企業レベルの平均生産性と資源配分の効率性(Allocative Efficiency)に分解したもの。Allocative Efficiencyは企業の生産性と雇用シェアの共分散。
出所:Berlingieri, G. et al. (2017), "The Multiprod project: A comprehensive overview", OECD Science, Technology and Industry Working Papers, 2017/04, OECD Publishing, Paris.

また、日本政府は人工知能等の新技術の活用を成長戦略の主眼に置いているが、これがマクロ経済の生産性の上昇に寄与するためには、新技術が幅広い企業の間に伝播することが必要となる。他方、OECDの最近の研究によれば、こうした新技術の伝播はここ10年間ほどOECD加盟国の間で滞っている。Andrews et al (2016)は、一握りの最も生産性の高い企業が堅調な生産性の上昇を実現する一方、残りの企業の生産性はほぼ横ばいとなっていることを示した(図3)。こうしたフロンティア企業とそれ以外の企業の間の生産性の乖離は、デジタル技術を含む先端技術が中小企業を含む幅広い企業によって十分に活用されていない結果、経済全体の生産性の上昇に結びついていないことを示唆する(OECD, 2016)。

図3:OECD24カ国における企業間の労働生産性の乖離(2001年基準指数)
図3:OECD24カ国における企業間の労働生産性の乖離(2001年基準指数)
注釈:フロンティア企業はOECD加盟国間で最も生産性の高い上位5%の企業として定義される。非フロンティア企業はそれ以外の企業。
出所:Andrews et al. (2016)

企業が新技術の導入を生産性の向上に結びつけるためには、新技術を駆使できる高度な専門技能や、企業組織を新技術と補完的な形に改編する経営革新が必要となる(Bloom et al., 2014; Andrews et al., 2018)。技術伝播が滞っている背景には、高度な技能や経営手法を有する人材が不足していることが考えられる。例えばOECD加盟国の間では、より労働市場の需要に合った専門人材を供給する大学及び職業訓練学校の改革と、経営者や技術者が最新の技術や経営手法を習得できる生涯学習機会の拡充、およびそれらの人材の企業間の流動化が、経済のデジタル化を進める上で重要な政策的課題として認識されている。

こうした中長期的な人材育成政策と対をなす主要政策が、イノベーションの円滑な事業化と公正で透明な競争環境を担保する政策である。新技術の導入とこれを補完する高度な専門技能、新しい組織体系への投資には大きな固定費用とリスクが伴う。従って、企業がこうした投資に踏み切るためには、それによって新製品・サービスの提供、新事業への進出を通じた中長期的な収益の向上が見込まれなければいけない。新事業の創出や成長産業への参入に伴う各種規制やコンプライアンス・コストを削減する政策は、こうした投資を活性化させる上できわめて重要である。規制がどれだけ市場競争と親和的な設定となっているかをとらえたOECD市場規制インデックスによれば、日本はOECD加盟国の平均に近い水準にあるが、オランダ等と比較すると改善の余地がある(図4)。とくに規制の複雑さや市場参入規制といった面では、ベスト・パフォーマーには遠く及ばない。

図4:OECD市場規制インデックス(0(最も市場競争と親和的)から6(最も市場競争を制限)の値をとる指数)
図4:OECD市場規制インデックス(0(最も市場競争と親和的)から6(最も市場競争を制限)の値をとる指数)
注釈:図はOECD市場規制インデックスとこれを構成するサブ・インデックスを、日本とOECD加盟国間の最大値(ワースト・パフォーマー)、最小値(ベスト・パフォーマー)および平均と比較したもの。データは2013年時点のもの。より詳しい情報はOECDホームページ(http://www.oecd.org/eco/growth/indicatorsofproductmarketregulationhomepage.htm)を参照。
出所:OECD Product Market Regulation

日本政府は、他のOECD加盟国における成功事例や革新的取り組みを参考にしつつ、イノベーションの事業化と新技術の伝播により親和的な規制環境を実現する政策的措置を打ち出すべきである。例えば、欧州連合(EU)の加盟国は、企業や個人が新事業を立ち上げる際に必要な行政手続きを一括して行える政府窓口(ワン・ストップ・ショップ)の開設と、幅広い行政手続きをオンラインで行う電子政府の拡充を共通政策として進めており、企業や市民によるコンプライアンス・コストを大幅に低減することが期待される。また複数のOECD加盟国では、中央政府や地方性が微細な規制改革を頻繁に重ねる結果、規制が複雑化しコンプライアンス・コストを増大させることを防ぐため、既存する規制の数を把握し規制間の重複や齟齬を防ぐ仕組みが導入されている。英国では新しい規制を1つ導入する際に既存の規制を1つ撤廃することが政府に義務付けられている。近年、日本政府もグレーゾーン解消制度や規制のサンドボックス化等の新事業進出に伴う規制障壁を削減する政策を導入している。また、特定業種への参入規制の緩和も規制改革推進会議等によって進められている。しかし、より多くの企業に新技術の導入を促すためには、コンプライアンス・コストを画期的に削減する上記のような新しいタイプの規制改革が必要となる。これは新技術をより積極的に活用する企業が、その競争力を背景により大きな市場シェアを獲得することを可能にすることにより、日本経済の資源配分の効率性を高める政策でもある。

参考文献
  • 森川正之(2018)「生産性―誤解と真実」日本経済新聞社出版社
  • Andrews, D., Criscuolo C., and Gal P. N.(2016), "The Best versus the Rest: The Global Productivity Slowdown, Divergence across Firms and the Role of Public Policy", OECD Productivity Working Papers, 2016-05, OECD Publishing, Paris.
  • Andrews, D., G. Nicoletti and C. Timiliotis (2018), "Digital technology diffusion: A matter of capabilities, incentives or both?", OECD Economics Department Working Papers, No. 1476, OECD Publishing, Paris
  • Bloom, Nicholas, Erik Brynjolfsson, Lucia Foster, Ron S. Jarmin, Megha Patnaik, Itay Saporta Eksten, and John Van Reenen. (2014) "IT and Management in America." CEPR Discussion Paper.
  • OECD (2016) The Future of Productivity, OECD Publishing, Paris http://www.oecd.org/eco/the-future-of-productivity.htm
  • OECD (2019) The Going for Growth 2019, OECD Publishing, Paris, 近刊
  • Olley, G., & Pakes, A. (1996). The Dynamics of Productivity in the Telecommunications Equipment Industry. Econometrica, 64(6), 1263-1297.

2019年2月27日掲載

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