首相の「決断」が消費を動かす

宇南山 卓
ファカルティフェロー

2014年4月に消費税が引き上げられると、家計消費が「想定以上に」大きく低下したと考えられている。ここでは、経済学の標準的な消費の決定理論であるライフサイクル仮説に基づき、事前に消費の落ち込みがどのように予想できたのか、また想定以上の落ち込みだったのだとしたらその原因は何か、について考察する。さらに、今回の経験から我々は何を学ぶべきなのかについて議論する。

消費税引き上げとライフサイクル仮説

消費税の引き上げは、ライフサイクル仮説に基づけば、恒久的な負の所得ショックとみなせる。日本の消費税は、非課税品目は少なく、課税対象には単一税率が適用される。また、小売価格への厳密な転嫁が強く要請されている。そのため、消費税引き上げは、引き上げ幅と同等の物価上昇をもたらす。将来所得を一定とすれば、実質生涯可処分所得を低下させるのである。

ライフサイクル仮説によれば、生涯実質可処分所得の低下によって、消費も比例的に低下する。ライフサイクル仮説では、生涯消費の合計が生涯所得と等しくなること、家計は消費の変動を避ける性質があること、が仮定される。この2つの仮定から、家計は生涯所得を平準化して消費するという予想が導かれる。つまり、消費税の引き上げは、同率の消費の減少をもたらすのである。

消費を低下させるのは生涯を通じた予算制約の問題であるため、消費税の引き上げがアナウンスされれば、即座に消費は低下するはずである。消費税の引き上げは税率引き上げ前後の物価水準、ただし所得そのものが減少する純粋な所得ショックとは異なり、税率引き上げ前後の物価水準を変化させる。家計は物価の安い時期に消費をしようとするため、消費税引き上げのアナウンスには消費を増加させる効果もある。この効果によって、引き上げ実施までは、生涯所得の低下に応じた新たな水準よりは高めの消費水準となる。

この効果も考慮すると、消費税の引き上げは、アナウンス時点および引き上げ実施時点の2段階で消費を低下させることになる。合計の落ち込み幅はおおむね税率引き上げ幅と同程度となるが、そのうち引き上げ実施時点での落ち込みは「消費が物価の変動に反応する度合い(異時点間の代替の弾力性とよばれる)」によって決まる。異時点間の代替の弾力性が大きければ(小さければ)、引上げ実施時の落ち込みが大きくなり(小さくなり)、アナウンス時点で落ち込みが小さく(大きく)なる。

ライフサイクル仮説は有効か?

実際の消費の反応がこの理論の通りか確認するために、筆者は、米連邦準備制度理事会エコノミストのデービッド・キャシン氏との共同研究で、2014年の消費税引き上げが消費にもたらした影響を検証した。具体的には、アナウンス時点と引き上げ実施時点での消費の落ち込みを計測し、その合計を税率の引き上げ幅と比較したのである。

検証に際しては、統計上における「消費」に、自動車や家電のような耐久消費財、洗剤やトイレットペーパーのような備蓄可能財に対する「支出」も含まれることに配慮をし、備蓄不可能な非耐久財に対する支出だけを分析対象とした。消費税引き上げの実施前後には、いわゆる駆け込み需要・反動減が発生するが、それらは消費の平準を基本とするライフサイクル仮説の守備範囲外だからである。

検証の結果、消費の反応はライフサイクル仮説と極めて整合的であることが示された。消費税の引き上げは約5%消費水準を低下させており、そのうち引き上げ実施時点での落ち込みは1%程度だった。当初、2015年10月までに税率を5%引き上げる予定だったことを考慮すれば、消費の落ち込み幅は妥当な水準である。さらに、2014年4月の引き上げ実施時点の消費の落ち込みが小さいことは、異時点間の代替の弾力性が小さいことを示唆しているが、これは1997年の消費税引き上げについて分析した我々の別の論文の結果と整合的である。

消費の反応は予想できたか?

このように、実際の消費の変化はライフサイクル仮説と整合的であったが、これは必ずしも「消費の落ち込みが想定通りであった」ことを意味しない。多くの先行研究で、「恒久的な所得ショック」が発生しても、一般に相対的に小さな消費の落ち込みしか観察できないとされていたからである。この実証的な経験則に基づき、少なくとも筆者は、小さな消費の落ち込みを想定していた。

つまり、今回の落ち込みは2重の意味で予想外だったのである。理論的には消費税率の引き上げ幅と同程度の消費の減少が予想される。しかし、実証的には、その理論的予想が成り立たないとされてきた。それにもかかわらず、今回は理論通りに消費が落ち込んだ、というわけである。

なぜ今回は「想定外」だったのか?

実証的な先行研究では、理論で予想するほどに消費が落ち込まない理由として、情報の問題が強調されてきた。理論的には、所得ショックが認識された時点を「アナウンス時点」としているが、人々の認識は必ずしも一律ではない。たとえ各個人がショックを認識した時点で消費を変化させていたとしても、その変化は分析者が設定した「アナウンス時点」に起きるとは限らない。すると、マクロ全体でみれば、あたかも消費がアナウンスに反応していないように見える。これが、ショックに対して消費が十分に反応しない理由とされたのである。

今回のケースでいえば、社会保障国民会議で消費税の引き上げの可能性が議論され所得税法の附則に反映された。それを、さらに社会保障と税の一体改革として具体化していく政治プロセスがあった。加えて、消費税法の改正案が提出され、成立するという法的なプロセスもあった。こうした長い過程で、徐々に消費税引き上げが認知されれば、消費もゆるやかに変化し、アナウンスの影響を検出するのは困難だっただろう。そうなれば、実際に測定される落ち込みは「異時点間の代替効果」だけとなり、それほど大きくはならなかったと考えられる。

しかし、今回の引き上げでは、2013年10月1日の安倍首相の記者会見が、明確な「アナウンス時点」となった。2012年末に安倍政権が発足しアベノミクスが推進されると、消費税引き上げは大きな障害とみなされていたため、首相が消費税の引き上げを延期することへの期待が高まった。すなわち、それまでに織り込まれていた認識が更新されてしまったのである。そこで首相が明確な決断を表明したため、多くの人々が同時に消費税の引き上げを認知することなり、理論通り「アナウンス時点」の消費の落ち込みが検出されたのである。

政策リスクの軽減を!

今回のエピソードから得られる含意は、2つある。1つには、消費税を引き上げる以上、消費の低下は避けられないということであり、もう1つは、消費を急激に変化させないためには、時間をかけて増税を周知する必要があるということである。

首相の決断が所得ショックを「発生させた」わけではないが、人々の期待をそろって一斉に変化させる効果を持ったのである。通常の政策プロセスであれば、徐々に消化されたであろう消費税引き上げの影響を顕在化させたという意味では、消費の大きな変動要因となったのである。

そもそも、首相の「決断」で政策が決まるというドラスティックな手法は、人々に重要政策の変更可能性を意識させ、将来の政策が予想しにくくなるという意味での「政策リスク」を高めることになる。個人が直面するリスクを抑え、マクロ的に消費を安定させるためにも、段階的かつ安定的な政策決定プロセスは不可欠なのである。

消費税の引き上げが大きく消費に影響を与えるのは、実際の引き上げ実施時点はなく、人々が認識する時点である。それにもかかわらず、引き上げが2度にわたり延期されたように、消費税の引き上げ実施時点にばかり注目が集まっている。消費の安定化のためには、政策アナウンスのあり方により多くの注意を払うべきであろう。

2016年7月25日掲載

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