特別コラム:東日本大震災ー経済復興に向けた課題と政策

東日本大震災からの復興に向けて ―「未来」が「過去」を変えるために―

鶴 光太郎
上席研究員

東日本大震災で被災された方々、また、復旧に携わっている方々にまず心からお見舞いと励ましの言葉を申し上げたい。こうした状況の中で経済の研究・分析を行うエコノミストや経済学者は何ができるのか。そのような自問自答は被災者や復旧に携わる多くの方々が今なお生死の狭間の中でぎりぎりの格闘を続けておられるという圧倒的な事実の前では空しくかすんでしまいがちである。

しかし、これから20年、30年後に「2011.3.11」を振り返った時、日本はあの時を境に目覚め、変わっていった、大震災を新たな飛躍への大きなバネにしたと自信を持って答えることができれば、「過去」は「未来」によって変えることができるはずだ。そうした「未来」への道筋を描くことこそ我々に与えられた重要な役割と考える。

大震災のような危機が「未来への扉」を開くとすれば、それは、「覚醒効果」と呼ばれるものであろう。たとえば、金融危機の折には、市場がこれまでの規律を取り戻す、"wake-up-call effect"がしばしば指摘されてきた。つまり、危機が起こることによって「はっと我に返る」という効果である。今回の大震災による「覚醒効果」は少なくとも2つある。

第1は、「日本は1つだ」という一体感である。筆者は、ここ数年、非正規雇用の分析を通じて痛感してきたのは、非正規雇用問題が日本の政治・社会・経済の安定性に長らく寄与してきた「社会的一体性」に大きな揺らぎを与えてきたことである。これをそのまま放置すれば日本の大きな「強み」が失われるという危機感を抱き続けてきたが、今回の大震災を契機に日本人としての一体感が急速に深まりつつあるように思われる。また、近年、人と人のつながりが希薄になり、「無縁社会」という言葉も生まれた。しかし、東北の被災者の方々の様子を報道で知り、我々が最も痛感したことは家族や地域の絆の強さでありその大切さではないだろうか。

第2は、「日本は頑張るしかない」という覚悟である。「頑張る」という言葉がオリンピックなどのスポーツの場でしか語られなくなってから久しい。豊かさと引き替えに、「がむしゃらに頑張ること」が随分「格好悪いこと」になってしまった。しかし、資源もない小国の日本では「人」だけが宝であり、生活水準を維持・向上させるためには、昨日よりも今日、今日よりも明日「頑張る」しかないことはいつの時代でもまったく変わっていないはずだ。また、日本は歴史的にも地震・台風等の災害に常に見舞われてきたことで、ある種の諦観・潔さとともに、リセットして1からやり直すことに前向きな気質が人々に備わっているようにも思われる。それが被災者の方々の言葉から我々が逆に励まされるという現象を生んでいる。

今回の震災の影響を考えるに当たっては、95年の阪神・淡路大震災と比較して、損失の規模の違いもさることながら、(1)原発事故による電力供給問題が短期にも中長期的にも経済の供給制約になる可能性があること、(2)津波に流された地域は1からのコミュニティ創出が必要であり、その際、集積のメリットと被災者の方々の慣れ親しんだ地域・就業への愛着の間のトレード・オフについて折り合いをつける必要があること、などが大きな違いとなっている。

今回の大震災の影響の特徴を十分理解しながら、復興に向けた大きなブルー・プリントを描く場合、ネックとなるのはやはり財源問題であろう。復興のためには短期間で少なくとも十数兆円規模の財源を手当する必要がある。こうした大災害の財政支出の性格は戦費に似ている。戦争中における歳出を全部増税で賄い、均衡財政を維持しようとすれば、税率が短期間で大きく上下することになり、資源配分への歪みを大きくすることがマクロ経済学・財政学の立場から指摘されてきた。このような立場からは税率はなるべく一定にして、一時的な支出増には公債を発行して対応すべきという「課税平準化」の考え方が一般的である。

しかし、最近の諸外国の大災害(オーストラリア・水害、アメリカ・ハリケーンなど)をみると、歳出削減や一時的な増税で財源を手当している例がむしろ多いようようだ。1つの推測としては、大災害が起こった場合、先にみた「覚醒効果」を通じて国民の一体感や他人を思いやる利他的感情が強まることが考えられる。その結果、国民的な危機の場合は、歳出削減や増税を受け入れ易いということである。日本の場合、特に、財政状況が極端に悪化していることを考えると、国債の大幅追加発行は特に難しいといえる。

税負担としては、エネルギーや電力使用に対して税負担を求める復興税創出や所得税の時限的増税などが既に提言されているが、筆者は必要となるかなり大きな復興費用は国民が「割り勘」的性格で負担すべきという観点から、消費税増税を提案したい。この場合、問題になるのは、被災地への対応である。被災地も同様に増税する一方、できるだけ事務的に簡素な方法で還付を行うことがまず考えられる。また、被災地を「特区」として扱い、そこでは消費税増税を行わない場合、経済活動に地理的な歪みが生じる恐れがあるが、それが被災地における経済活動を高めることに繋がるのであればむしろメリットとも考えられる。いずれのやり方も制度的な課題を抱えることは事実であるが、それを乗り越えて実施すべきだ。消費税が増税されたとしても国民が労働者の立場から生産性を上げていけば価格への転嫁は小さくできる。その意味からも国民が「頑張る」ことは重要だ。

復興財源を消費税で賄うという発想の根底には当然、現在検討が進められている税・社会保障一体改革を頓挫させてはならない、むしろ進めていくチャンスとすべきという強い思いがある。税・社会保障一体改革が必要なのは一言で言えば世代間負担格差是正のためである。我々は「被災された方々をなんとかしてあげなくてはいけない」という強い気持ちを、生まれる以前から「大きな負担」を背負うことを運命付けられている将来世代に対しても同じように持たなければならないのではないか。消費税増税の最初の3年分程度は復興財源に使うにしても、その後は社会保障制度の持続性確保、世代間負担格差是正に充てていくという連続的な発想や対応こそ今求められている。「未来」が「過去」を変える、「未来の扉」を開いていくためには、税・社会保障一体改革から一歩も撤退するべきではない。

2011年4月1日

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2011年4月1日掲載

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