サービス生産性研究の方向と必要性

加藤 篤行
研究員

昨年来急激に深刻化した世界的な金融・経済危機によって、サービスセクターの生産性を如何に向上させるか、という問題はすっかり議論の中心から外れてしまった感がある。確かに企業業績や雇用情勢が急激に悪化し社会的な不安が増大している現下の情勢において、サービスセクターの生産性向上による長期的な成長の実現というのはいささか迂遠な議論のように感じられる向きもあるだろう。しかしながら少子高齢化や経済サービス化の進展という現在のトレンドが不変である限りこの問題は日本経済の長期的な成長戦略において依然として最も重要なテーマの1つであることに変わりはない。

求められるサービスセクターの活性化

したがって現在の危機に対する短期的な対策もこうした長期的な方向性と矛盾しないものを考える必要がある。実際にサブプライムローンの焦げ付きによる金融セクターへのダメージが比較的軽微なはずの日本経済のパフォーマンスが先進国中で最も悪化しているという現象も輸出の動向に過度に影響される脆弱性が現れたものであり、そうした脆弱性はGDPの7割を占めるサービスセクターを活性化させることで解消されていくと考えられる。

また今後の方向性として米国オバマ政権が提唱するグリーンニューディールのような技術革新に基づく雇用と成長の創造を目指すとしても、その実現には優れた技術開発力だけでなくその技術力と社会のニーズを効率的に結びつける高度なビジネスサービスの存在が不可欠であり、それらサービスの醸成は日本において喫緊の課題の1つである。

期待されるより正確な生産性の国際比較

このように短期・長期の日本経済に関する処方箋を書く上でサービスセクター生産性研究の重要性は明らかであるが、そこには依然として多くの困難や問題点が存在しており具体的な産業政策を導くために必要な研究成果の蓄積は必ずしも充分ではない。拙稿(注1)のサーベイ論文でも示したとおりサービス生産性の研究は(1)分析対象の明確化(サービス生産の定義・計測上の問題)(2)経済サービス化の様態と影響(3)生産性決定要因の分析という観点から進められてきたが、(1)に関してサービス生産をどのように計測するか、とりわけ質の異なるサービスをどのように比較するか、という一点に絞っても必ずしも意見の一致は見られていない。

これはしかし、政府がサービス生産性を重視する上で参照した生産性の国際比較(他の先進国、特にアメリカと比較して日本のサービスセクターの生産性はかなり低いというもの(注2))の妥当性を根底から揺るがしかねない重要な問題である。実際、日本のサービス提供業者や研究者などからは、日米では提供されるサービスの質が異なっており、それを反映していない統計に基づいたレベルの比較は正確ではないという批判は絶えず加えられてきた。この問題に関係して財団法人日本生産性本部(旧社会経済生産性本部)は最近アンケート調査に基づく日米のサービスに関する質および価格比較の結果を報告している(注3)が、こうした調査の積み重ねが生産性研究に反映され、より正確な比較分析が行われるようになることが強く期待されている。

また(3)に関して需要の変化と生産性の変化をどのように分離させて分析できるか、という点にも依然として大きな問題が残されている。計測上の問題からサービスのアウトプットには多くの場合売上高(あるいは付加価値)が用いられているが、それはインプットとアウトプットの技術的な関係としての生産性が不変であったとしても需要の変化やそれに関連した価格の変化により増減するものであるため需要関数がどのような形状をしているかということも本来分析には大きな影響を与えているはずである。とりわけ市場が完全競争ではないケースにおいてこれは無視できないインパクトを持っていると考えられるため、生産性の決定要因を分析する上ではクリアしなければならない問題である。これに関して筆者は拙稿(注4)においてプリンストン大学のMelitz教授が提案した方法を応用し独占的競争という仮定の下で日本のデパートとスーパーマーケットの生産性分析を行ったが、他のさまざまなサービス産業に関しても需要の影響を取り込んだ分析が進められる必要があると考えられる。

これらに加えて(2)に関連したより根本的な問題として、そもそもなぜ経済サービス化という構造変化が生じるのであろうか、という点に関する分析が具体的な政策提言を導く上では必要不可欠である。これは経済サービス化がBaumol病(注5)と呼ばれる長期的なマクロ経済レベルでの生産性成長率の停滞をもたらすか、という問題にも直接的に関係している。

この問題に関してBuera and Kaboski (2009)(注6)はサービス消費の拡大と産業別に専門化された高スキル労働者の役割に注目して1950年代以降のアメリカ経済のサービス化を説明することを試みている。彼等の理論モデルは専門化された高スキル労働者の増加がサービス生産をhomeからmarketへとシフトさせるというというものであり、労働供給(特に女性労働力の活用)や現在シェアが拡大している産業(介護福祉産業など)への補助金問題などに政策的なインプリケーションを与えており、さらにBaumol病が必ずしも経済サービス化の帰結ではないことを示している。彼等のモデルはアメリカにおけるサービス生産の高スキル化やスキル・プレミアムの上昇という現象を概ね説明できているように思われるがこれは日本の経験している経済サービス化においても同様であろうか。あるいは仮に彼等のモデルが日本の経験・現状を上手く説明できないとするならどのようなモデルなら上手く説明できるのであろうか。こうした疑問に答える研究が求められている。

具体的な政策提言を導く研究の蓄積を

今日、世界経済は深刻な金融・経済危機を通して大きく変わろうとしている。いずれ危機は去り経済は回復に向かうのであろうが、そのとき再び国家間の巨大な貿易収支の不均衡を前提にしたかつての姿に戻る保証はなく、またその可能性も低いと考えられる。そうした新しい世界経済の中で生きていくためにも、また現在の深刻な不況から回復するためにも、日本はサービスセクターの活性化を通じた内需拡大による経済成長を目指さなくてはならずそのための具体的な政策提言を導く研究の蓄積が強く求められている。

2009年4月28日
脚注

2009年4月28日掲載

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