来月19日に、現在の速水日銀総裁と2人の副総裁は退任し、新しい総裁、副総裁が就任する。日銀の総裁、副総裁は内閣が任命すると定められているので、世間では小泉首相が一体誰を日銀総裁にするのだろうという観測記事が大量に出ている。日銀総裁、副総裁の任期は5年。政策上の意見の不一致では内閣が解任することはできないから、非常に重い選択である。
インフレ目標論を巡る議論が指し示すもの
この選択に際して、インフレ目標の導入に賛成かどうかを総裁選びの踏み絵にすべきという声もあった。平成20年までの金融政策の舵取りを任せるための人選にしては、やや近視眼的、局所的な基準という感がしないでもない。しかし、総裁選びの基準かどうかは別として、インフレ目標の可否を巡る議論は再び白熱している。議論は政策の透明性を高める、将来に対する期待に影響を与えるといった理由から目標導入を支持する陣営、目標を達成する自信もないし、経済を不安定化させるだけという理由から目標導入に消極的な陣営の2つに分かれている。
しかし、目標を導入すべきかどうかという点よりも、今回のインフレ目標論を巡る議論が示しているのは、政府・日銀が真に一体となっているかどうかという点ではないか。もちろん、今は、「デフレ克服を目指し、できる限り早期のプラスの物価上昇率実現に向け、政府・日銀が一体となって取り組む」こととされている。これは、15年度の政府経済見通し中の一文であり、この文が関係者間の合意を得るまでの過程には、睡眠や食事時間さえも削って交渉を続けられた政策担当者の色々な思いが詰まっている。
とはいえ、政府・日銀の一体となった実質的な取り組みがされているのであれば、なぜ、インフレ目標を導入するべきではないかと尋ねられた速水総裁が、「物価は景気が良くならないと上がらず、金融緩和は現在の枠組みを続ける」といういい方をするのだろうか。その一方で、なぜ、竹中大臣は、「デフレ問題に関しては、やはり金融政策への期待が高くならざるを得ない」(昨年12月17日、日銀政策決定会合)と日銀への期待感を表明するのだろうか。少なくとも、この2つの発言を並べて見る限り、「政府・日銀が一体となって」という言葉に込められた思いが必ずしも実現していない印象を受ける。
政府・日銀が真に一体となっていないように見える理由
やはり、現在の日本経済の直面しているデフレ、その処方箋とされている政策が、過去のものと異なっているために一体感が見えにくくなっているのではないだろうか。現在のデフレは、政府だけ、もしくは日銀だけで解決できるものではない。また、短期金利がゼロになってしまった上に、更なる金融緩和策として、やれETFを買え、リスクのある社債を買え、長期国債を際限なく買えといわれても、日銀としてもクレームのひとつも付けたくなるだろう。リスクのある企業に対する融資は元々政府系金融機関がやるべきだし、長期国債を買えといわれても、国債を発行しているのは政府だという思いがあるかもしれない。
政策協定の必要性-一体感を回復するために-
こうした状況の下、今は、政府、日銀が対応策を考え、実行する時期ではないだろうか。もう少し具体的にいうと、政府、日銀を問わずどのような政策が必要で、それを政府、日銀のどちらがやるかということについて線引きをする時期ではないだろうか。線引きをするといっても、一部だけではなく、考えられる政策についての包括的な線引きである。インフレ率といったマクロ的な政策目標を採用する場合に日銀、政府のいずれがコミットすべきか、インフレ目標を達成するための具体策(不良債権処理、セーフティネット整備、低格付け社債などリスクのある資産の購入、企業金融支援策、外債購入など色々考えられる)を、政府、日銀のいずれがやるべきかといった議論があるだろう。これら政府・日銀間での線引きは、お互いにやることを約束するという点で「政策協定」と呼ぶことができるだろう。
こうした政策協定に関する議論は、少なくとも、インフレ目標を日銀にやらせるかどうかということだけよりも、幅が広いし、一体感を回復するためにも意味ある議論である。また、誰が日銀総裁になろうとも、議論することが必要な課題だと考えられる。
政策協定の議論をするに当たって
政策協定を実効あるものとするためには、お互いができることをできるだけ具体的に約束すること、一旦した約束は守らせる仕組みを作ることが重要である。また、日銀には独立性が法律上認められており、それを尊重した上で、デフレ克服を共通の目標とする政府と日銀間でどのような政策協定が可能かという議論も不可欠である(これら各論については、ポリシーディスカッション「デフレ脱却には政府・日銀間で政策協定を結ぶ必要がある」である程度触れているのでそれをご参照下さい)。
もちろん、政策協定が簡単に結べるというつもりはない。ここでは政府と日銀との話に限定したが、政治、国会という場を経ないと政府が約束できないものも多い。その最たる物は予算である。複雑な政治過程を踏まえてそれでも政策協定を可能にするためには、相応の工夫が必要となろう。
ただ、こうした議論を避けて通っていては、「政府・日銀が一体となって」という言葉にどこか真実味が欠ける状態がずっと続くのではないか。政策担当者の方々の引き続きの取り組みに期待したい。