辛抱強い外交の時―小泉訪朝に思う

添谷 芳秀
ファカルティフェロー

北東アジア国際政治の歴史的転換の可能性を引き出した小泉訪朝

今回の小泉首相による訪朝は、パンドラの箱を開けたのかも知れない。秘密に包まれた国の最高指導者が、自らの責任を回避したままとはいえ、(恐らく日本人になりすましたテロリスト養成の目的を含む)日本語教育と韓国への浸透という目的による日本人の拉致を認めたのである。また、いわゆる不審船の出所が自国であったことも認めた。このことは、中長期的には、北朝鮮の堅固な体制の瓦解の始まりになる可能性がある。

そのような北朝鮮の、ひいては北東アジア国際政治の歴史的転換の可能性を引き出した小泉訪朝は、明らかに成功であった。「日朝平壌宣言」は、日朝双方が、「ミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ること」を謳った。日朝国交正常化交渉と並行して、安全保障にかかわる具体的問題に関して、関係諸国(主に米国と韓国を示唆)との交渉を担保したことになる。10月からの再開で合意された日朝国交正常化交渉は、北東アジアの安全保障の行方を大きく左右するだろう。

日朝国交正常化交渉は、1991年1月に始まり、92年11月の第8回会談後7年半の中断を経て、2000年4月に再開されたものの、同年10月の第11回会談以来再び中断していた。これらの会談でも、ミサイル問題を含む安全保障問題が取り上げられた。しかし、今回の小泉訪朝が引き出した合意の背景は、以前とは本質的に異なる。1つは、昨年1月に誕生した米国ブッシュ政権による強硬な対北朝鮮政策の存在である。安全保障問題で北朝鮮が外交ゲームを展開する余地は、はるかに狭まってきている。

もう1つの決定的新しさは、北朝鮮が日本人拉致や不審船事件の責任を認めざるを得なかったことにある。そこに、北朝鮮の経済的困窮という事情があることは事実だろうが、それは今に始まったことではない。今回の北朝鮮の対応は、理由が何であれ、日朝国交正常化を成功させなければならない要請を強く感じていることの証しに他ならないだろう。事実上の国家テロ行為を認めた北朝鮮の指導体制は、ルビコン川を渡ったのかも知れない。もちろん、究極的には鎖国体制に後戻りする選択肢はあるだろうが、それは、今回の小泉訪朝の後では、中長期的な内部自壊を先導する行為に等しい。

歴史的好機を生かすも殺すも今後の対応次第

今振り返って明らかなのは、北朝鮮による外の世界への働きかけの試行錯誤は、数年前から始まっているということである。米国との対話、中国の改革開放政策への関心、西側諸国との立て続けの国交正常化、韓国金大中大統領との融和政策、ロシアとの関係強化などが着実に進行してきた。日本の首相の訪朝という構想についても、昨年1月のシンガポールにおける政治家による秘密接触で最初の打診があった。今や北朝鮮の指導体制には、日朝国交正常化を含めた世界との関与政策を成功させる道しか残っていないように思える。

小泉訪朝でもたらされた歴史的好機を生かすも殺すも、これからの対応次第である。今後の正常化交渉で、拉致問題の徹底した真相解明を求めるべきことはいうまでもない。ただしそれは、北朝鮮への不信感や恨みという次元に留まっていては、結局は日本の利益にならないだろう。今回の北朝鮮の対応がそうであったように、拉致問題のさらなる真相解明は、北朝鮮指導体制の透明化を促進する重要な契機となるはずである。その過程で、朝鮮半島をめぐる国際政治の変革も着実に進む。

北朝鮮の指導体制が、自らの体制崩壊を望んでいないことは明らかであり、日朝国交正常化が究極的には体制の安全保障を狙った行為であることも間違いない。しかし、正常化に伴う経済支援は、北朝鮮社会の多元化を促し、長期的なボディーブロー効果を持つことになるだろう。その意味で、国交正常化後の措置として「日朝平壌宣言」に仕込まれた「国際機関を通じた人道主義的支援」や「民間活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与」は、北東アジア全体にとって重要な意味を持つことになると思う。日本に辛抱強い外交が求められる時が来た。

2002年9月24日

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2002年9月24日掲載

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