京都、パリ、ジュネーブ、ベルリンを回って、ボストンに着いた。古いものと新しいものを眺めながら、デジタルと世界の関係を想った。
古都の文化をデジタルで世界発信 - 京都
京都では、西陣町家スタジオを訪れた。京都府や京都造形芸術大学らが中心となって、西陣家屋をブロードバンド基地に改装するプロジェクトだ。千年以上にわたり培われた古都の文化をデジタルで世界発信する試みである。
その近くの和服店で、旦那衆に話をうかがった。西陣の本業にもデジタルの波は押し寄せており、古来の紋様や色づかいコンピュータで蓄積・再現してネクタイなどの製品を作ったりしているという。だが、基本はまだ圧倒的なアナログの世界で、役立つ道具なら匠がそれとなく導入するだけ、という風情だ。
糸屋、生地屋、仕立屋、帯屋、下駄屋、ヒモ屋と分業された西陣の旦那衆は、「不景気でワヤでっせ」とぼやきながら、それほどの危機感は感じさせない。景気が悪ければ蓄財を取り崩す。景気が良くなった時も業容を拡張したりせず、剰余をコツコツ蓄財するだけ。ずっと同じことを繰り返し、みんなで分け合って千年生きるモデルだ。コミュニティ固有の知恵である。
個々のセクターが自己表現することで多様性を維持 - パリ
パリでは、フランス上院のイベントに出席した。大上段に構えて講演してみた。「デジタルはアメリカが生んだ近代兵器でありながら、アメリカ的な機能主義・近代主義を超克するものだと思わないか」「ミニテルやTGVやロケット産業でみせたフランスの国家主導型インフラ主義はブロードバンドでも堅持するのか」
しかし、そんな気負いはフランスの長老たちから一蹴されてしまった。「ごたくじゃない。実践あるのみだ。町の特産品や村役場の情報をどう発信するのか。昔からの確立されたアナログな仕事をめいめいデジタルで活性化するだけのことだ。インフラの整備より、利用が大事というわけだ。そして、個々のセクターが自己表現することで多様性を維持することが重要だというのだ。
現在の重要案件は「世界情報社会サミット」 - ジュネーブ
ジュネーブでは、ITU(国際電気通信連合)を訪れた。国連諸機関の本部がひしめくジュネーブだが、当のスイスはこのほど国民投票でようやく国連に参加することを決めたばかりだ。国際社会との独特の距離感は、独仏伊という大国に挟まれて生き抜く知恵なのだろう。欧州大陸でユーロ紙幣が円滑に導入されているのを目の当たりにすると、簡単には同化しないスイスの生きざまが改めて際立つ。
ITUの内海事務総長にお目にかかった。現在の重要案件は、「世界情報社会サミット」。2003年にジュネーブ、2005年にチュニスで開催される。メインテーマはデジタルデバイドだ。世界の誰もがデジタルの恩恵を受けるための方策を話し合う。
そこでも関心事はインフラ整備より情報の多元性に移っている。デジタルという技術を共有しながら、固有の文化や価値観を保つにはどうすればいいか。話が先進国から世界全体に広がると、共通化することよりも、多元性の確保が重要マターとなってくる。
トイ・シンフォニー構想の狙いとは? - ベルリン
ベルリンでは、「トイ・シンフォニー」というドイツ交響楽団と地元の子供50人による実験コンサートに参加した。子供たちが布製のボール楽器を押しつぶすことで演奏したり、カタツムリのような装置を叩いてリズムを交換しあったり、パソコン画面でお絵描きするように作曲した作品を演奏したりするもので、MITメディアラボが主催している。
音楽を専門家の世界から取り戻したい。誰でも簡単に演奏できる楽器を作ったり、ネットで参加しながら曲を作れるシステムを開発したりすることで、世界の子供たちが、それぞれの土着のリズムや音色で表現し、交換して、共有すれば、音楽自体が変わるかもしれない。それがトイ・シンフォニー構想の狙いだ。
少し前、この冷戦と融和の象徴ベルリンで、宮崎駿「千と千尋の神隠し」がベルリン映画祭金熊賞を獲得した。97年カンヌの今村昌平「うなぎ」や河瀬直美「萌の朱雀」、98年ベネチアの北野武「HANA-BI」、いずれも日本の土着の文化が国際評価を得ている点が特徴的だ。
四都市をめぐって予見する「デジタルの千年」
デジタルで地球は狭くなるという。つながりあって同化するという。しかしそれは、地上をアメリカ好みの世界に塗りこめるものだという反発もある。昨今の反グローバル化の運動も、ネットの急速な浸透への反作用という側面もある。2000年のネットバブル崩壊後は、国際市場を貫くものとしてデジタル系が誇った商業モデルも色あせて見える。
そして2001年9月11日以降は、アメリカでも世の中の多元性が再認識されるようになった。ネットが普及して、地上のあちこちが固有の表現をするようになると、多元性は強化されていくのかもしれない。そしてそれは、案外日本が貢献できるステージかもしれない。アナログの千年が終わり、デジタルの千年が始まる。それを彩る知恵やモデルは、身の回りに転がっている。四都市をめぐって、そう感じた。