社会保障・経済の再生に向けて

第16回「成長戦略(4) - 高齢化を好機とし、アジア最先端の医療センターを目指せ」

小黒 一正
コンサルティングフェロー

いま、メディカル・ツーリズム(Medical Tourism)が熱い。少子高齢化の進展に伴い、わが国の財政・社会保障は逼迫しており、もはや医療も聖域ではない。この結果、医療でもさまざまな歪みが顕在化しつつあるが、メディカル・ツーリズムなどの「医療の国際化」はその構造から脱出し、経済のパイを拡大させる有力な手段となる可能をもつ。そこで、今回のコラムでは、メディカル・ツーリズムを中心に、医療の国際化に関する可能性を考察してみたい。

急速に進む医療の国際化

まず、世界最大のメディカル・ツーリズムのNPO団体である“Medical Tourism Association”(通称「MTA」)によると、いまや世界のメディカル・ツーリズム市場は、2010年までには約4兆円に成長すると予測されている(1ドル=100円換算)。また、定義が異なるものの、マッキンゼー(McKinsey & Company)では、2006年で6兆円の同市場は、2012年には10兆円にまで急成長すると推測している。さらに、最近この分野で毎年25%-30%の高成長を持続しているインドは0.2兆円を占めており、既に一定の評価を得ているタイ、シンガポールや韓国に加えて、新興国も次々に参入し互いに凌ぎをけずっている。また、インドやタイには、国際的知名度やブランドを活用しつつ、海外進出を行う医療機関も出現しつつある。なお、「2007年版通商白書」によると、「2006年中に医療サービスを受ける目的でアジア地域を訪れた外国人旅行者数は180万人」に達するとの指摘もある。すなわち、医療市場は急速に国際化しつつある。

このように、急速に「医療の国際化」が進展する背景には、次の3つの理由がある。第1に、割安な医療費や、航空運賃の低下である。第2に、新興国の医療水準の向上である。そして、第3に、海外医療に関するネット情報や国際認証の普及である。このため、患者は国内のみでなく、海外も含めてさまざまな医療の中から最適なメニューを選択できる環境が整いつつある。特に、第三者機関による国際認証は、情報の非対称性が強い医療技術・水準の信頼獲得にあたって重要な役割を担っている。この代表としては、JCI認証が有名である。JCI(Joint Commission International)とはアメリカに本部を置く国際的医療認証機関で、認証の提供を通じて、世界各地のケアの安全性や質の向上を目的としている。2009年5月現在で、世界37カ国250病院がJCI認証を取得しており、日本では2009年8月に国内初として、医療法人鉄蕉会・亀田メディカルセンターが認証を獲得した。

実は高い日本医療の潜在的競争力

以上のとおり、いまや医療の国際化が急速に進展しつつあり、日本でもその動きが次第に始まりつつある。だが、日本の動きはまだ遅い。これは、日本側の受け入れ態勢が十分でないからである。高い技術をもつ日本医療は海外からとても注目されている存在であるのに残念な話であるが、この背景には「先進国である日本医療コストは高く、他のアジア諸国との競争に勝てるはずがない」という思い込みもあろう。

だが、その見方は正しくない。「盲腸手術入院の医療費」で国際比較(図表1)すると、日本の医療コストは、韓国や中国などよりも割安で、医療水準も含めれば、むしろ、十分な競争力をもっている。

図表1:盲腸(虫垂炎)手術入院の医療費
図表1:盲腸(虫垂炎)手術入院の医療費
(出所)「AIU 世界の医療事情」および「全日病協会.診療アウトカム評価」等から筆者作成
(原則2泊3日、ジュネーブのみ3泊4日)

また、先端医療機器である「MRI」の保有数で国際比較すると(図表2)、日本は第1位である。さらに、ほかの先端医療機器(例:CTスキャナー)も同様で、機器を使いこなす医師が不足しているものの、日本の整備率は世界最高水準の状況にある。このように、日本医療は、外国人患者の受入れ態勢が整えば、海外と互角に競争できる潜在力を既にもつ。

筆者は何も、「日本の医療を自由競争にさらせ」と主張しているのではない。むしろ、問題の本質は、医療を国内産業に押しとどめ、国際化を阻害しているさまざまなシステムにあり、日本でも、付加価値が高い医療サービスを提供し、外国人患者も呼び寄せることができる戦略の構築が求められている。このため、現在、政府は経産省をはじめ、医療の国際化を促進する観点から、メディカル・ツーリズムに関する研究会や調査を開始しつつあるが、その動きが本格化するのはこれからという段階にある。

図表2:人口100万人あたりのMRI装置数(2005年)
図表2:人口100万人あたりのMRI装置数
(出所)OECD Health Data 2009から筆者作成

医療の品質管理や医療機関の機能分化を進めよ

では、この急速に進む「医療の国際化」において、日本が勝利を手にする方程式は何か。一般的に、メディカル・ツーリズムの成功には、(1)高い医療技術、(2)割安な医療費、(3)高度な付加サービスが必要といわれる。このため、医療の国際化を目指す各国の医療機関は、海外の教育・研修を受け、高い技術をもち、英語などでも診療できる医師の採用に力を注いでいる。また、高級ホテル並みの病院施設とし、外国人患者に対応した通訳の常駐、空港送迎など、いろいろな付加サービスも展開している。さらに、政府主導でメディカル・ツーリズムの普及を図る観点から、治療目的で滞在する外国人を対象に専用ビザを発給するとともに、入国ビザの取得支援などを行っている国も多い。そして、インドのMedinetindia.comなどをはじめ、メディカル・ツーリズムの専門サイトも多数登場している。

だが、それだけでは十分でない。確かに、これらは医療の国際化の前提条件だが、以下のポイントが勝敗の鍵を握る。具体的には、(1)得意分野を選定する(例:大腸癌治療は世界一)、(2)強みを活かす(医師の技術と先端医療機器の活用)、(3)弱みを補強する(相対的に執刀医に比べ診断医が弱いので外国人医師をスカウトする、海外在住の日本人医師が腕を振るえる場所をつくる、語学堪能で海外勤務経験を有するサポーティング・スタッフの整備)、(4)得意分野以外については海外医療機関と提携し、日本の患者を紹介する等、相互補完関係を構築する(水平分業)、(5)アクセスの改善(英語・映像による説明、迅速な照会への対応)、(6)リスク・マネジメント、(7)以上を実現する専門マネジメント・チームの構築である。なお、現状、世界と競う医師・看護士は国内対応で疲弊している。このため、メディカル・ツーリズムの推進にあたっては、国内の医療体制の充実に加え、国内の医療ニーズとの役割分担にも留意しつつ、高度先端医療への資源の傾斜配分(例:下記の診療報酬体系の見直し)と合わせ、最先端かつ国際的な高度専門医療を担う「医療クラスター」を構築していく必要があろう。

また、それと同時に国内競争を促進し、日本医療の質をさらに向上させる必要がある。これには、まず、第7回のコラムで述べたような「管理競争」の導入が有効であろう。その上で、医療の質や、効率化を促進させるメカニズムを導入していく必要がある。具体的には、まず、JCI認証レベルの水準を目指し、外部の第三者が医療の品質管理や認証取得を支援するような専門機関の設置や、高度な専門能力をもつ医師の認定制度も創設することが望ましい。これらによって、情報の非対称性が強い医療の質をコントロールするのである。また、小規模な公立病院を統廃合し、医療機関の機能分化を進めることが望ましい。日本は病床数のみでなく、病院の数も多い。すなわち、大都市には似た機能をもつ病院が多数存在し、小規模な病院では医師不足に陥る診療科も存在しているので、他の諸外国と比較して、医療機関の機能分化が進まず、医療サービスが非効率な形で提供されている。この妨げになっているのは、診療報酬体系である。いま求められるのは、高度専門医療や緊急医療を行う大規模センター病院と、その縮小版である中センター病院・小病院の適切な機能分化である。規模の経済を働かせる観点から、各地域において、できる限り集約化する必要がある。このため、診療報酬体系の見直しにあたっては、開業医と勤務医の報酬バランスのみでなく、小規模な公立病院を統廃合し、医療機関の機能分化を促進させるようなインセンティブを導入してもよいのではないか。たとえば、病院の規模ごとに原則的に診療できる医療内容の役割分担を明確化したり、あるいは、現在の診療報酬の3%を医療機関の機能分化に向けた予算として別枠とし、一定基準以上の規模をもつ病院に傾斜配分する仕組みを創設してはどうか。

医療のIT化も加速させ、アジア最先端の医療センターを

また、以上に加えて、医療のIT化促進も重要である。このIT化の促進にあたっては、小規模な病院にも配慮しつつ、電子カルテや電子レセプトの促進を図る観点から、クラウド・コンピューティング(Cloud Computing)技術を活用する方法もある。その上で、その利用率を、上述の日本版JCIの評価や診療報酬体系に反映させたらどうか。従来のコンピュータ利用はハード、ソフトやデータなどを自分自身が保管していたのに対して、クラウド・コンピューティングではネットの先にあるサーバーに処理をしてもらうシステム形態をとるので、ユーザーはパソコンとネット接続のみを行えばよい。したがって、各国民には社会保障番号を付与するとともに、この技術を活用して、政府主導で医療情報を管理するシステムを構築すれば、医療のIT化を相当割安なコストで実現でき、医療機関同士や国民との情報共有促進も期待できる。さらに、外国人患者の囲い込みのため、パスポート番号等を利用して、医療機関がこのシステムを活用することができれば、海外向けにも質の高い医療を提供することができよう。

いずれにせよ、メディカル・ツーリズムを中心に医療の国際化は急速に進展しつつある。少子高齢化の進展によって日本医療が転換点に向かいつつある今、アジア最先端の医療センターを目指して、医療の国際化なども推進する本格的な成長戦略の策定が求められる。

2010年1月8日

2010年1月8日掲載

この著者の記事