小林慶一郎のちょっと気になる経済論文

第6回「マクロ経済における情報伝播 - 資産バブルと、賃金や価格の硬直性を統一的に理解できないか?」

小林 慶一郎
ファカルティフェロー

マスターくん
某私立大学大学院修士課程2年生(経済学)。経済学者志望で目下猛勉強中。

小林 慶一郎写真小林フェロー:今回は、1つの論文を紹介するのではなく、マクロ経済における情報伝播について考察し、その中で注目すべき3本の論文を紹介したいと思います。

価格が経済の実態から乖離するという意味では、資産バブル(土地などの資産の価格が、その資産の実際の収益性=価値から乖離して上昇してしまうこと)も、名目価格の硬直性(財や労働の実際の価値が変化しても、その名目価格や名目賃金が、変化しないで一定にとどまってしまうこと)も、同じような現象ですが、現在のマクロ経済学は、それらを同じ枠組みで理解する理論構成にはなっていません。

データに即して見ると、資産価格の変動と物価変動には興味深い共通点(らしきもの)が存在します。Nakajima(2003)は、日本の地価の変動を説明するためには、日本経済の生産性(TFP)の成長率についての期待が、過去の生産性を使った適応的期待であることが必要だということを示しました。一方、物価については、期待インフレ率が、過去のインフレ率を使った適応的期待であると仮定すると、理論が現実のデータにもっとも良くフィットします。

こうしたことを統一的に理解するために、次のような研究テーマを考えることができるでしょう:
「マクロ経済システムにおける情報伝播と金融制約の問題を明示的に扱うことで、資産バブルや名目硬直性を発生させるメカニズムを考えることができるのではないか」
(あるいは、「合理的期待モデルの枠内で、金融制約と情報伝播の問題を考えることで、資産バブルや名目硬直性に関連する『適応的期待』が誘導形として出てくるようなメカニズムを考えることができるのではないか」)。

マスターくん画像マスターくん:たとえばどのようなメカニズムを考えることができるのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:Kobayashi and Inaba(2005)で(不完全に)扱ったように、土地が担保となる経済で、企業が自分の土地の生産性についてのPrivate signalを得る場合を考えてみましょう。もしPrivate signalが土地の生産性低下を予告していた場合、企業はどのように行動するでしょうか。土地の生産性が下がる見通しを公開すれば、土地の担保価値は下がり、自分が融資を受けることが困難になるので、企業はなるべく生産性低下を示すようなPrivate signalを隠そうとするでしょう。このため、土地の生産性が上がらないことを示す私的情報が多数存在しても、それは企業によって隠蔽され、経済全体に出回る情報は土地の生産性について楽観的な情報ばかりとなります。その結果、土地価格がバブル的に過度に上昇する傾向が生まれます。

そして、企業にとってPrivate signalを隠すためのコストがだんだん大きくなり、それが情報隠蔽のベネフィットを超えると、Private signalが一気に経済全体にRevealされて、バブルが崩壊します。Kobayashi and Inaba (2005)では、情報隠蔽のコストは過剰な設備投資と仮定しました。設備投資の負担が大きくなりすぎて、将来の利潤の現在価値を上回ると、各企業は過剰な設備投資を止めてPrivate InformationをRevealするので、バブルが崩壊するというメカニズムを(不完全ながら)定式化しようとしました。

同じようなメカニズムを、企業と労働者の賃金契約について考えてみると、賃金(実質賃金か?)の下方硬直性も説明できるかもしれません。たとえば、労働者が、自分の労働の持つ生産性について、Private signalを得ている場合、その情報を企業から隠そうとするため、経済全体で労働生産性について楽観的な情報が広がり、賃金の上昇傾向が生まれる、・・・というようなメカニズムが考えられます。

マスターくん画像マスターくん:いま説明してくださったようなテーマにつながりそうな理論研究は存在するのでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:マクロ経済における情報伝播を扱った論文は多数出ていますが、このようなテーマにつながりそうな理論研究として次の3つの分野があげられます。
1)Imperfect Common KnowledgeとIterated Expectations
2)Herd behavior またはInformation Trap
3)Global Game とその発展

上記のKobayashi and Inaba (2005)が近いのは、2)のHerd behaviorの理論です。しかしそれに1)のImperfect Common Knowledgeを絡めると、価格の硬直性について面白いことが言えるかも知れません。また、3)のGlobal Game(ふつう、1種類のエージェントが行動すると仮定している)に2種類のエージェントを入れると、1)や2)とつながるかもしれません。

マスターくん画像マスターくん:それぞれの理論研究について、紹介していただけますでしょうか?

小林 慶一郎写真小林フェロー:では、順番に説明していきましょう。

1.Imperfect Common KnowledgeとIterated Expectations

名目価格の硬直性を、情報の不完全性の問題から導き出す理論としてリバイバルしたのは、Imperfect Common Knowledgeを使う理論です(もともと2006年のノーベル経済学賞を取ったPhelpsなどが1970年代に考えた理論を、復活させ、洗練する研究が進んでいる)。
典型的な文献として、
Amato, J.D., and H.S. Shin. (2006). "Imperfect common knowledge and the information value of prices." Economic Theory, 27:213―241.

このほかに、Ui (2003)、Chwe (1998)、Morris and Shin (2006)などがあります。
これらの研究では、「Imperfect Common KnowledgeがあるとIterated ExpectationsがSingle expectationに縮退しない」という事実から価格の硬直性があらわれます。
各人がPrivate Informationを持っているために、経済全体ではCommon Knowledgeが不完全であるような状況を考えます。ある確率変数Xについて、E_i(X)はエージェントiの持つXについての期待値とする。Imperfect Common Knowledgeのもとでは、E_i(X)はE_j(X)と一致しない。E(X) = (1/N) Σ_i E_i(X)を、E_i(X)のサンプル平均と定義すると、E(X)はE(E(X))と一致しない。(Common Knowledgeのもとでは、E(X)=E(E(X))となる。つまり、Iterated ExpectationはSingle Expectationに縮退する。)
企業iがStiglitz-DixitのMonopolistic competitionをしていると仮定し、企業iの価格戦略をq_i = (1-w)E_i(q) +wE_i(z)と書く。ただし、qは物価水準、zは経済のファンダメンタルズ、wはパラメータ(wが0に近いほど、経済は競争的)。この式のサンプル平均を取って、q=(1-w)E(q)+wE(z)とかける。E0(X)=E(X)、Ek(X)=E(Ek-1(X))と定義すると、この式は、

q=Σw(1-w)k-1 Ek(z)

と書ける。w→0では、Higher-order belief (つまりEk(z))の重みが増す。一方、k→∞では、Ek(z)→μとなる(ただし、μはPublic Informationによって計算されたzの期待値)。したがって、経済が競争的になればなるほど、qは経済の基礎条件zを反映しなくなり、もっとも粗い期待値μに近づいてしまう。これは、価格の硬直性をもたらす1つのメカニズムといえます。

この分野では、1種類のエージェント(たとえば、独占的競争の中で価格競争する企業)しか出てきません。もし、立場が対立する複数の種類のエージェント(「企業と労働者」とか、「銀行と企業」とか)が存在するとした場合に、Imperfect Common KnowledgeとIterated Expectationsの議論から、どのような含意が生まれるか興味深いところです。

2.Herd behavior またはInformation Trap

Private informationが1人ずつ徐々に与えられ、他のエージェントは、他人の行動(投資決定など)を観察することによって、そのPrivate informationを推測する経済を考えます。ある状況になったときに、Private informationを与えられていないエージェントが(情報が与えられるのをそれ以上待たずに)一斉に行動開始するとき、それをHerd behaviorといいます(特に、その一斉行動が、何らかの基準で社会的に非効率である場合)。
文献としては、
Chari, V.V. and P.J. Kehoe. (2003). "Finanical crises as herds: Overtuning the critiques." NBER Working Paper 9658.

他人の行動を観察することで、その人が持っているPrivate informationを推定し、その推定された情報を蓄積することで、Common Knowledgeが進化します。1時点においては、1つのPrivate informationが1人のエージェントに与えられるので、長く待てば待つほど、Common Knowledgeは、正確さを増す。一方、長く待つことは、(割引現在価値に直したときの)利益を小さくする。このトレードオフの関係によって、ある状況になれば、すべてのエージェントが待つのを止めて、行動を開始します。
Chariたちのモデルでは、kを(初期時点から現時点までの間で)、投資が起きた時点の数から投資が無かった時点の数を差し引いた数と定義します。kが1以上なら、すべてのエージェントは一斉に投資を行う; k=0またはk=-1なら、Private informationを持たないエージェントは待って、Private informationを与えられたエージェントの行動を観察し、その観察結果によってkを改訂する; k=-2かそれ以下なら、Private informationを持たないすべてのエージェントは、未来永劫、投資をしないことになります。

Private informationを得たエージェントの行動を観察することで、Common KnowledgeがInferされる点は、Kobayashi and Inaba (2005)と同じですが、Chariたちのモデルには、Private informationをもらったエージェントが、それを隠そうとするメカニズムは含まれていません。各エージェントがPrivate infoを隠そうとするときに何が起きるか、を考えると、面白い結果が得られるかも知れません。
Avery and Zemsky (1998)の設定の方が、我々の問題意識に関連が深いかも知れません。彼らの定義では、Herd Behaviorは、Private informationを得たエージェントが、その情報に反していても、周りのトレンドと同じ行動をとること、とされる。この定義は、Kobayashi and Inaba(2005)の企業の行動と似たテイストを持っています。

3. Global Game とその発展

ChariたちのHerd Behaviorのモデルでは、1時点に1つのPrivate informationが1人のエージェントに与えられ、他のエージェントはそれを観察して情報をInferするというセットアップでした。それに対して、1時点にすべてのエージェントがそれぞれPrivate informationを与えられ、各人がそれに基づいて行動するが、その行動が全体として大きなマクロ経済的な変動(レジームチェンジ:Bank Runとか、通貨危機とか)を引き起こす、というモデルがGlobal Gameです。Global Gameでは、個々のエージェントは、自分たちの行動の結果、大きなレジームチェンジが起きることも予想しつつ、自分たちの行動を決めます。この点に、Higher-order beliefが関係してきます。

この分野で最近注目されているのが次の論文です:
Angeletos, G.-M., I. Werning (2004). "Crises and Prices: Information Aggregation, Multiplicity and Volatility." NBER Working Paper 11015.

Morris and Shin (1998)などのGlobal Gameモデルでは、Common KnowledgeとPrivate informationはそれぞれ外生的に与えられたものでした。この設定では、均衡はユニークに決まります。しかし、Angeletos and Werningは、金融資産をGlobal Gameの中に導入し、その資産価格を各人が観測できる、としました。資産価格は(Private informationを持つ各エージェントの行動の結果が集計的に影響しあって)市場で決まります。そのため、資産価格というCommon KnowledgeはPrivate Informationの集計によって内生的に決まることになります。これがMorris and Shin (1998)のオリジナルなGlobal Game(そこではCommon Knowledgeは外生変数)と異なるところです。
この違いは、均衡の性質にも影響し、Angeletos-Werningモデルでは、複数の均衡が発生することが示されます(資産価格が高い均衡と資産価格が低い均衡;言い換えると、レジームチェンジが起きにくい均衡と、レジームチェンジが起きやすい均衡)。

Global Gameは、レジームチェンジを扱うため、金融危機(Bank Run)や通貨危機などの途上国経済の現象のモデルとしてよく使われます。レジームチェンジが主題のモデルでは、価格の硬直性などの分析には使いにくい面があります。しかし、Private informationのAggregationについては示唆に富む理論です。
1.でも書いたように、Global Gameの応用として、2種類の集団(借り手と貸し手、労働者と企業)がいるモデルを考え、それぞれが別のアクションをするという、"2-Party Global Game" を考えてみると面白いのではないかと思います。たとえば、借り手は「設備投資」を行い、貸し手は担保資産の「評価額を決める」(そしてお金を貸す)というアクションを行うとする。借り手のアクションの全体を見て、貸し手は経済のファンダメンタル(借り手の生産性)を推定し、自分のアクションを決める。借り手は、自分の生産性についてのPrivate informationを見て、貸し手のアクションの全体を見て、自分のアクションを決める。それぞれのアクションのPayoffは、他のグループのアクションに依存する、とする。
このゲームの中で、エージェントが自分のPrivate informationをしばらくの間Revealしないような均衡経路ができれば、それは、一種のInformation Trap による資産バブルをモデル化したことになるのではないかと思われます。

2006年10月23日
文献
  • Avery, C. and P. Zemsky (1998). "Multidimensional Uncertainty and Herd Behavior in Financial Markets." American Economic Review 88(4):724―748.
  • Chwe, M. S.-Y. (1999). "The reeded edge and the Phillips Curve: Money Neutrality, Common Knowledge, and Subjective Beliefs." Journal of Economic Theory 87:49―71.
  • Kobayashi, K., and Masaru Inaba (2005). "'Irrational Exuberance' in the Pigou cycle under collateral constraints." RIETI Discussion Paper 06-E-015.
  • Morris, S. and H.S. Shin (2006). "Inertia of Forward-Looking Expectations." American Economic Review 96(2):152―157.
  • Morris, S. and H.S. Shin (1998). "Unique Equilibrium in a Model of Self-Fulfilling Currency Attacks." American Economic Review 88(3): 587―597.
  • Nakajima,T. (2003). "Asset Price Fluctuations in Japan: 1980-2000." Working Paper, Kyoto University.
  • Ui, T. (2003). "A Note on the Lucas Model: Iterated Expectations and the Neutrality of Money." Unpublished manuscript, Yokohama National University.

2006年10月23日掲載

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