リサーチインテリジェンス

新しい産業政策とチャットGPT

広野 彩子
コンサルティングフェロー

小さな政府を志向し、世界中の政策に影響を与えたノーベル賞経済学者ミルトン・フリードマンによる「新自由主義」に批判が集まり続ける中、産業政策の強化に対する著名経済学者の前向きな発言が目立っている。

経済学のフリーデータベースIDEASで、アブストラクト(概要)に「Industrial Policy」を含む論文(Articles)を検索すると、2000年には359件しかヒットしなかったが、2010年には992件、2021年は2995件、2022年は3282件もヒットしている。学術的な関心も高まっているようだ。産業政策とは何か、そもそも必要なのか。自由と規制の最適なバランスとはどのようなものか、考察が続く。

フリードマンは海外に向けて国有企業の民営化を強く提言し、日本も影響を受けた。そのため、日本では「自由化」「市場化」の代名詞というイメージが、より強烈に植え付けられている。

新自由主義は、米国で1940年代~70年代に、「不平等を是正するため必要」という前提で政府の介入を支持する「リベラル」な思想が主流だったころ、それを一刀両断する思想としてフリードマンが世に出したものだった。1962年に出版した『資本主義と自由』(注1)はミリオンセラーになった。

同書では「政府がやる理由がないと思われるもの」として14項目を挙げる。1、農産品の政府による買い取り保証価格制度 2、輸入関税または輸出制限 3、産出規制 4、家賃統制、全面的な物価・賃金統制 5、法定の最低賃金や価格上限 6、細部にわたる産業規制 7、連邦通信委員会によるラジオとテレビの規制 8、現行の社会保障制度 9、特定事業・職業の免許制度 10、公営住宅 11、平時の徴兵制 12、国立公園 13、営利目的での郵便事業の法的禁止 14、公営の有料道路――。国立公園の民営化や営利目的での郵便事業の解禁など、米国で実現していないものもまだある。

ジャーナリストが見た現在のシカゴ大学

格差拡大や公共サービスの劣化などで新自由主義への批判が絶えない中、米シカゴ大学経営大学院に留学中の米経済紙ウォールストリートジャーナルのジャーナリスト、ジェームズ・マッキントッシュ氏が最近、フリードマンをテーマに興味深いコラムを同紙に書いた。シカゴ大学はまさに、フリードマンの代名詞ともいえる牙城である。コラムは「シカゴ大学は、フリードマンが正しかったところと同様に間違っていたところにも興味を持つ学校になっている」「現在の教授たちは、市場の利点と同じくらいに、市場の欠点を強調しているように思う」と伝える。

「自由市場は、二酸化炭素排出のような価格のつけられない外部性がなく、契約ですべてがカバーできるような完全競争の経済を営むうえにはベストだ。だが、残念ながらこうした前提条件は満たされていない」。

現在、米国ではアクティビストなど投資家や企業が主導して政治に関わる活動への反動が起こっている。昨今は共和党を中心に、行き過ぎたESG(環境・社会・企業統治)投資に携わるとみなした活動を「Woke」(ウォーク)と呼び、関連企業をボイコットする反応も見られる(注2)。根底にあるのは、政治家とカネの接近に対する危機感だ。米国の巨大テクノロジー企業GAFAM(グーグル・アマゾン・フェイスブック・アップル・マイクロソフト)も傘下の政治団体などを通じた巨額の政治献金で知られ、その潤沢な資金を背景にした影響力は計り知れない。

実はフリードマンも、すべて自由化すべきだと言っていたわけでは決してなかった。『資本主義と自由』では、こう述べる。

「政府は市場にはできない機能、すなわちルールを定め、守らせ、係争があれば仲裁する役割を引き受ける。また市場にできなくはないが主に技術上の理由から市場ではうまくいかないことも、政府にやってもらうほうがいいかもしれない。厳密な意味での自発的な交渉には法外な費用がかかるか、事実上不可能か、どちらかの場合がそうだ。そしてそこには必ず、独占またはこれに類する市場の不完全性か、外部性が存在する」。

ただし、政府の後押しや当事者同士の内々の取り決めによって独占が生まれるケースが多いことにも言及する(注3)。

つまり今、米国で盛んに議論されている「産業政策」は、ネットワーク効果による「勝者総取り」で企業規模が肥大し続けたGAFAMなどへの対応が後手に回り、フリードマンが認めたレベルの政府の介入すら、してこなかった揺り戻しにも見える。

そんな折、非営利の言論メディア「プロジェクト・シンジケート」に、米国における政府の規制の重要性を度々主張してきたノーベル賞経済学者、ジョセフ・E・スティグリッツ教授の寄稿「Western Industrial Policy and International Law」が掲載された。スティグリッツ教授はバイデン政権について「インフレ抑制法(IRA)の制定により、米国は気候変動対策において世界の先進国と完全に肩を並べることになった」と大きく持ち上げる。

さらに半導体やその他様々な最先端技術への投資をはじめ、国内での生産や技術革新を支援するCHIPS法を誕生させたことで、全体として政権が「米国に産業政策を復活させた」ことを評価しているのだ。国の健全な経済成長を促すため、そこに生まれた市場の失敗や非効率に官が介入する意義を見いだしているわけだ。

新しい産業政策とは何か

また、新しい産業政策を提唱してきた米ハーバード大学のダニ・ロドリック教授は、2004年の論文「Industrial Policy for the Twenty-first Century」で「政府が介入し過ぎても、介入しなさ過ぎても市場が機能不全を起こす。ただ、過去においては前者の介入し過ぎにとらわれすぎていた」と論じていた。2022年9月に筆者がインタビューした時も「望ましい構造改革を推進する上で産業政策が果たす役割に関心を持ち、真剣に考える人が増えた」と指摘していた。そして、気候変動の問題、デジタル化の問題、良質な雇用の創出、労働市場における不均衡の改善、サプライチェーンの再構築など、さまざまな政策課題を挙げた。

産業政策見直しの機運が見られる米国の潮流を受けてか、日本でも「産業政策」を求める声が聞こえてくる。産業政策、と聞くと「高度成長期の産業政策」を想起する向きも多いだろう。だが米国の論調を踏まえると、日本の産業政策も「高度成長期の産業政策」とは違ったものにする必要がある。RIETIの安橋正人コンサルティングフェローは、各国で政府の範囲が拡大される形で産業政策が展開されているとしたうえで、昨今の産業政策は「幅広い経済社会課題への対応まで含まれる」と指摘している(注4)。

実際、海外識者らが決まって念を押すのが「日本が高度成長期に成功した産業政策とは違うやり方でなければならない」点である。政府が主導権や決定権を全面的に握り、今後将来性のある技術や業界から個社や人を「選んで」育成したり、投資をしたりということとは違う内容でなければならない、とするものだ。米マサチューセッツ工科大学(MIT)のダロン・アセモグル教授はインタビューのたびに「技術の方向性を示すことによってイノベーションを積極的に支援すべきだが、政府自らがプレイヤーを選んではいけない。それは市場に任せるべきだ」と発言し、くぎを刺している。

だがアセモグル教授は同時に、市場だけに任せていては技術の正しい方向性が定まらないことも指摘し、過去に米国政府が国防総省を通じてセンサー、半導体、インターネット、航空宇宙産業などに対して関与してきたやり方に注目する。技術を特定して市場の失敗や外部性がないか見極める、より幅広い問題解決を目的とした最小限の介入を政府の役割と考えるべきだという。

プラットフォームビジネスの研究で知られる経営学者、米マサチューセッツ工科大学(MIT)のマイケル・クスマノ教授も、「偉大なイノベーションを起こす基本的な技術は、米国の政府と国防総省、英国政府の投資、そして英米の大学が生みだした」と指摘する(注5)。

実際、最先端の技術イノベーションは経済成長の要である。技術を特定し、かつそこで発生する外部性に切り込むのは、国際機関や政府の役割の1つといえるだろう。

生成AIとどう付き合うか

折しも、ChatGPT(チャットGPT)をはじめとする生成人工知能(AI)の登場が世界中で話題をさらっている。生成AIの吐き出す間違った情報が拡散することなどを防ぐため、世界的に、政府や国際機関による規制や企業の自主規制などが検討されている。

クスマノ教授は「最も危険なのは誤情報の拡散。情報の所有者(個人・企業)が正しくあるよう管理する必要がある」と指摘する(注6)。そして、政府規制と企業の自主規制の双方がそろうことが極めて重要という。現状、人が誰も判断しないままにAIが膨大な情報を取り込んでまとめたものを発信することは、誤情報の大規模な拡散に容易につながる。ここまでの文脈に照らせば、AI時代に必要な産業政策には、技術育成だけでなく、誤情報拡散といった外部性の阻止に取り組むことも含まれるのではないか。

実際、チャットGPTを世に出した張本人である30代の起業家、米オープンAIのサム・アルトマンCEOは、AIに関する問題解決を世界の政策当局者や識者、世論に委ねて(ある意味丸投げして)いるように見える。既に1企業の対応で解決できる問題ではなくなっているからだろう。欧州はAI規制案を「人の主体性」の重要性も打ち出した考察に基づき厳しく設定しようとしているが、先端企業から敬遠されて競争に遅れるリスクも伴う。

経済史が専門で、技術の進化と雇用の未来を探究する英オックスフォード大学のカール・フレイ教授は2023年7月7日配信の日経電子版のインタビューで「私たちはまだAIがもたらす革命の入り口に立ったばかりと考えるべきだろう」と述べている。AIの技術進歩はこれからも続く。クスマノ教授が指摘するように、出所が分からないことが多い生成AIの発信する情報については早急にルールを定め、正確性を担保する必要があるのではないか。

なお、文中に登場したうちロドリック教授、アセモグル教授のインタビュー全文は2023年7月に出版した拙著『世界最高峰の経済学教室』(日経BP)に収録しているので、ご関心のある方にはぜひお読みいただきたい。

脚注
  1. ^ ミルトン・フリードマン、資本主義と自由、日経 BP、2008
  2. ^ James Mackintosh, “What I Learned About ‘Woke’ Capital and Milton Friedman at the University of Chicago”, The Wall Street Journal, June 6, 2023
  3. ^ 前出、ミルトン・フリードマン。
  4. ^ 安橋正人、「産業政策論」再考―昨今の議論も踏まえて―、RIETI Policy Discussion Paper Series 22-P-016
  5. ^ 広野彩子、世界最高峰の経営教室、日経BP、2020、248ページ
  6. ^ 日経ビジネス2023年7月3日号にインタビューを掲載。

2023年7月14日掲載

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