中国経済新論:中国の経済改革

改革は再考しながら推進していこう

孫立平
清華大学社会学部教授

最初に、我々が改革を再考するにあたっての前提について述べたい。それは、改革は中国が避けて通れぬ過程であり、国際経済の主流に組み込まれていくことも中国の必然的な帰着点であるということである。例えば、市場化や民営化および民間の力の育成などはいずれも必須と考える。この点で我々は、改革を再考することを通じて改革に反対する者や、旧体制を復活させようとする者とは区別される。

我々は現在の改革に関する論争と意見の相違を直視し、改革自体に起きた問題に正面から向き合わなければならない。人々の心の中で理想化された改革と、近年の実際に推進されてきた改革とを区別する必要がある。改革の概念を単なる理想化されたものと見るのは間違いである。すべての良い結果は改革によりもたらされたもので、すべての悪い結果は改革を徹底させなかったせいだと考えるのは如何かと思われる。そのような改革を神話化するやり方は、改革を再考し、改革の経験と教訓を総括するに際して問題であるだけでなく、改革を一層深化させ、現実的な意味において改革を再考することによって改革に対する共通認識を再構築するうえでも問題である。したがって、我々は、改革を論理的に議論し批判できるものにするために、改革に対して「脱神聖化」を行わなければならない。過去の20数年来、改革に対する論争は存在していたとはいえ、改革に対する建設的で責任ある批判は欠けていたと言える。なぜなら改革自体が神聖なものとされ、イデオロギー的な雰囲気に包まれていたからである。

近年の改革の過程で問題が起きたことは、正確に言えば、現実における改革のプロセスに問題が起きたことを指す。特に、現在議論が大きく分かれている3項目の改革――住宅改革、教育の市場化、医療改革における問題が目立っている。結果として、社会における貧富の差が一層拡大され、それによる社会的矛盾がますます際立つようになった。それらの問題については、学術界においても、社会においてもかなり多くの人たちが認めるところである。意見が分かれているのは、それらの問題をどのように取り扱うかについてである。

改革の誤りなのか、改革が歪められたのか

現在の意見の相違は、それらの問題を引き起こした原因が、認識不足や方法が妥当でなかったために改革の進め方や選択において「誤ちを犯した」ことにあるのか、それとも既得権益集団が改革を左右し「改革を歪めた」ことにあるか、というものである。これは改革論争における実質的な食い違いであるが、この実質的な食い違いは今後、改革を行うにあたって重要な決断をする際に影響を与え得る問題である。改革に誤ちがあったとすれば、改革の進め方などの問題を改善すればよいが、改革が歪められたとすれば、問題はそう簡単ではなく、改革が歪められることを防げるように改革推進のメカニズムを改善しなければならならない。さもなければ、改革は変質してしまい、予期していた成果を収められない可能性が高い。以上の理由から、問題を引き起こした原因をどう判断するかが重要となってくる。

では、問題はいったいどこで生じているのか。現在発生している問題には大まかに言うと以下のような特色がある。第一に、その大半が重大な利益問題にかかわっている。第二に、ほとんど毎回、同じ人たちにとって有利に働き、それ以外のたちには不利に働いている。全体的に見れば、大半の人たちに不利であり、少数の人たちに有利である。第三に、強者に有利であるのに対して、弱者に不利である。上述の3点から、改革の過程で現れた問題は、単純に偶然発生した誤りではなく、改革の過程で形成された既得権益集団が意識的に改革を歪めている結果だと理解すべきである。この問題は改革が直面している重大なリスクの一つである。

歪んだメカニズムはどのように形成されたのか

それにもかかわらず、改革には問題がないと言うのは如何なものか。改革をさらに深めて行こうと思えば、改革の過程で現れた疑問、そして疑問の裏に内包された実質的な問題に向き合い解答しなければ、問題は解決できない。したがって、改革自体に問題が存在することを認めるべきで、その問題とは改革が歪められたことである。

我々は改革がさらに複雑な段階に入ったことを認識すべきである。現在の改革の特色はますます専門化、技術化してきたことである。例えば、かつての農家に導入された生産請負制については、誰でも理解しやすく何らかの意見が言えるが、現在の金融改革については、専門家でない素人には理解しにくく、発言することができない。しかし、それは問題の根本的な原因ではないと筆者は考える。

我々は改革以来の中国社会自体の変化を認識すべきである。「改革以来」という表現はよく用いられるが、実際そのような言い方は一部の問題を隠してしまう恐れがある。同じ「改革以来」でも、1980年代の社会と1990年代以降の社会、特に1990年代半ば以降の社会は明らかに変わってきたことを認識すべきである。改革が新しい段階に入っただけでなく、中国社会も新しい状態に入った。このような変化は改革にとって、非常に大切な意味を持っている。2つの時期の根本的な違いは、体制改革と社会構造の変化の間の関係の違いである。この大きな社会変革の過程には2つの側面がある。第1の側面は体制の変革で、すなわちルールの全面的変化である。第2の側面は社会構造の変化で、すなわち各種の社会勢力の構成の変化である。改革の第1段階において、体制改革は主体的な状態にあり、体制の改革は社会的構造の変化をもたらした。体制が変化する度に、社会の違った人たち、違った階層、違った勢力の構造も変化した。こうした社会的勢力は主に体制の変化に適応するよう変化するものである。この過程では、新しい社会的勢力が生まれ、成長し、やがて1990年代の半ばから後期にかけて固定化し、筆者が何回も指摘したように、「構造が体制より先に固定化してしまった」。構造が体制に先んじて固定化してからは、ロジックが変わり、逆に構造が改革の過程を左右するようになる。

社会的構造と歪んだメカニズム

社会的構造について、最近筆者は「構造の固定化」、「エリート連盟」、「少数の人による権力の独占」、「独り勝ち」という概念を唱えている。そのうち、一部はすでにその傾向が顕著であり、一部はその傾向が今後、台頭し始めるであろう。構造の固定化は1990年代半ば以降の明らかな傾向と言える。次第に固定化する構造の中で、エリート連盟の形成は明らかな事実と言える。特にここ数年来、エリート連盟の中でも利益が一部の人に独占される傾向が見え始めており、いわゆる「独り勝ち」という現象が顕著になってきた。改革の条件および歪んだメカニズムの形成の原因を分析する場合、社会的構造におけるこうした変化を認識しなければならない。

歪んだメカニズムは以上のような時代の変化の中で形成された。この歪んだメカニズムは2つの次元で機能すると考えられる。1つは改革案の制定、もう1つは改革案の実施である。国有企業改革にせよ、医療改革にせよ、住宅改革にせよ、あるいはその他の社会福祉改革にせよ、福祉の削減にかかわる問題の解決にはすぐに着手されたが、その際の補償は不十分である。これに対して、既得権益をもつ集団に不利な改革は、基本的に進められないのである。その裏にあるのは社会的構造およびその背景の下で形成された歪んだメカニズムである。国有企業改革も、公用車改革もその典型例である。

改革の歪みは、一般大衆が改革案の制定や執行に対して有効な影響を与えられない結果でもある。つまり改革における大衆の参加問題である。一般大衆には、組織のメカニズムを通じて意見を集中させるなど、自分の利益を代弁するための制度化されたルートがないので、彼らの要求を意思決定者に伝えることができない。中央政府は地方政府に比べてより政治的、社会的次元の問題、特に社会の安定に関心を持つ。現実の生活では、矛盾の激化や社会問題の増加など特殊な要素により、意識的または無意識のうちに、下層部の要求が上層部の意思決定機関にシグナルを与えることがよくある。しかし、そのような情報の伝達ルートは効率が低いだけでなく、コストも大きい。大衆が改革によって有効に自身の要求と意見を伝えられないことは、改革のメカニズムの歪みをさらに増幅させた。

改革についての論争をどのように取り扱うべきか

筆者の見方では、今回の改革についての論争と意見の食い違いは1980年代改革開始時の論争と意見の食い違いより激しいものである。なぜなら2回の論争の根底にあるものが違うからである。1980年代の論争は主にイデオロギー重視の雰囲気のなかで展開されたもので、論争の主な原因はイデオロギーにある。当時、理論面の検討会議で旧体制の打破について基本的な共通認識に至り、エリートたちは意見の食い違いと論争を乗り越えて、改革に関して大枠での合意に達した。しかし、今回の意見の食い違いと論争の基礎は利益問題にあり、イデオロギーではない。利益問題が基礎にあるからこそ、今回の論争は一層、実質的な性格を帯びている。

利益問題による意見の食い違いは理性的な衝突ではあるが、情緒面での対立になる危険もある。その時、次の2点に注意しなければならない。第一に、その情緒面での対立の裏にいったい何があるのか。第二に、利益問題に基づいて生み出された意見の食い違いは、その初期段階において強い情緒的色彩を帯びた際、社会のメカニズムにより論争を情緒面での対立を超えて次の次元に進めるようにすべきであるが、現在、我々の社会ではそのようなメカニズムが存在しない。そのため、このような情緒面での対立がイデオロギー上の論争という誤った方向へ向かう可能性が出てくる。そうならないような取り組みが求められている。

理性的に議論すれば分かることだが、双方の意見の食い違いは見た目ほどには大きくない。最近、私はある会議で呉敬?先生の講演を聞く機会を得た。呉先生が「現在、改革に反対する者は既得権益集団と貧困層である」と指摘されたため、私は最初、既得権益集団と貧困層の利益が一致するようになったという意味に理解したが、熟考した末、そこには大切な問題が潜んでいることに気付いた。すなわち、実際、そこには1つではなく、2つの改革が存在するのである。呉先生の話をこのように理解するのかが正しいかどうか分からないが、既得権益集団が反対する改革とは、呉先生が頭の中で考えている理想的な改革であり、貧困層が反対する改革とは、クローニー(縁故)資本主義ともいうべき現実における改革である。その中の意見の食い違いは、食い違いと言うよりも共通認識と言うのがふさわしいと思われる。したがって理性的に問題を議論すれば、一部の誤解を解き、さらに多くの共通認識を形成することができる。

更なる改革をどのように考えるべきか

主に以下のような問題を解決すべきだと思われる。

第一に、再考を経た上で新しい改革観を形成すべきである。新しい改革観における最も基本的な目標とは、「良い市場」と「悪い市場」の問題の解決である。この問題は改革に対する現実的な要求だと思われる。「良い市場」とは、筆者個人の理解では、少なくとも次のような3点を備えるべきである。第一に、経済の角度からは、市場経済の体制が相対的に完備されているかどうかが指標になる。相対的に完備されているのは良い市場で、完備されていないのは悪い市場である。第二に、法整備の角度から見れば、法整備が完備されているかどうかが指標になる。法整備が基本的に完備されているのは良い市場で、さもなければ悪い市場である。第三に、社会の角度からは、市場経済の条件の下で利益均衡メカニズムが形成されたかどうかが指標になる。利益均衡メカニズムが形成されているのは良い市場で、それが形成されていないのは悪い市場である。

第二に、改革の新しい共通認識を形成し、改革の新しい原動力を作り出すべきである。改革を改めて考え、経験と教訓を総括することに加え、新しい原動力と新しい共通認識を形成するため、また改革への抵抗を減らすために、既存の改革を完備することが必要だと筆者は考える。特にここ数年にわたり一部の団体が被った、「改革の生みの苦しみ」でもなく「改革に必要な代価」でもない損失に対しては、これを是正し、補償を行うべきである。筆者が特に強調したいのは、「改革の生みの苦しみ」、「改革に必要な代価」と「不合理的な剥奪」との違いをはっきりさせなければならないということである。改革の生みの苦しみとは何か。例えば、現在代価を払っても将来補償されるのであれば、それはただの生みの苦しみに過ぎない。また、将来補償が得られなくても、改革に必要なものなら改革に不可欠な代価である。しかし、ここ数年の一部の団体の利益の損失は、その範囲を超えており、「不合理的な剥奪」である。このような情況の下で、すでに実施された改革を完備させ、是正し、補償を行うことは、改革の新しい共通認識と新しい原動力を形成するための非常に重要な措置である。

第三に、改革を推進する新しいメカニズムを形成すべきである。我々が認識しなければならないのは、改革からすでに20年あまりが経過し、改革を推進する条件や、改革のための社会的基礎が重要な変化を遂げたことである。中でも、改革を歪めるメカニズムの形成は十分に重視する必要がある。こうした情況の中、改革の推進は改革リスクともいうべき一連の公共政策のリスクに直面している。筆者は少なくとも以下のようなリスクが挙げられると考える。

一、 行政的な権力が利益の主体になったため、公共政策ないし改革の措置が財政的な負担を削減する手段、または民間と利益を争う手段になってしまいがちである。
二、 体制的な弊害に対して行った改革が、結局は既得権益集団を利するような措置になってしまうことがしばしばある。例えば、公用車改革、公務員給与改革などである。
三、 強者団体から利益を奪う政策措置を実施することが困難である。例えば、個人収入に対する所得税や、遺産税など。
四、 改革措置が実施過程で変質、変調してしまう。例えば、農民工(都市部に出稼ぎに行く農民)の社会保障制度は、本来とてもよいことであるにもかかわらず、多くの地域で農民工がこの保険に加入することを拒否している。その理由は、保険金を納めても実際には社会保障が受けられないからである。

そのような情況に鑑み、改革を推進する新しいメカニズムを形成すべきである。その新しいメカニズムは次のような要素を含むべきである。第一に、改革に対する総合的な協調を行うための高い次元の機関が必要である。現在そのような機関がないため、改革はますます部門化する傾向が見られる。そして部門の利益がますます改革政策の制定や、いわゆる新体制の形成に色濃く反映されている。それは単なる政策の問題ではなく、新しく形成された体制にも反映されている。第二に、大衆の改革への参加を強化する。適切な方法で問題を解決しなければ、改革が歪んだり、変質したり、変調したりするのを本当の意味で解決することができない。第三に、改革を推進する方策をタイミングよく転換すべきである。改革を推進する方策から言えば、前段階はトップダウン式で行い、後段階は全面的な制度転換を行わなければならない。我々はすでに後段階に入り、「石を探りながら川を渡る」方式から脱却する必要がある。第四に、改革措置の実施過程において「変質防止メカニズム」を形成しなければならない。政策を制定する場合、それが歪められる可能性を念頭に入れながら、実践過程で常に改革の歪みを是正する。そのような「変質防止メカニズム」は実際には実施過程における一連のゲームのルールである。

2006年11月28日掲載

出所

経済観察網2006年2月7日

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