中国経済新論:中国の経済改革

地域間競争:中国における体制移行と経済成長の原動力

張軍
復旦大学中国経済研究センター主任

復旦大学中国経済研究センター主任。1963年安徽省生まれ。1992年復旦大学経済学博士号取得。1992年に英国サセックス大学、1994年にワシン トン州立大学にてポスドクフェローとして研究に従事。その後、香港大学商学院、山東大学、上海交通大学、華東理工大学など十以上の大学で教鞭を執る。ま た、慶北国立大学(韓国)、青山学院大学(日本)、ロンドン大学東洋アフリカ学院大学院(英国)など多くの海外の大学で客員研究員として勤務した経験を持 つ。復旦大学経済学院副院長を経て現職。主な著作に『工業改革と中国の経済成長』、『中国経済改革の回顧と分析』(いずれも中国語)がある。

中国に当てはまらない「ポスト・ワシントン・コンセンサス」

1990年頃、中央の計画経済への移行の過程は西側の経済学者たちに「深淵を2回に分けて越えるのは不可能だ」と理解されていた。しかし、中国では、改革の指導者である鄧小平が今日に至ってまだ中国に影響を与えている実務的な話を述べていた。「発展こそ何よりの道理だ」と。

1990年頃、中国経済は政治的動乱の影響を受けて、西側諸国からほぼ限界に達したと見られていた。しかし、中国は一時的な景気の後退を克服しただけでなく、実際には持続的且つ高度成長のエネルギーを蓄えていた。その後も、中国経済は間もなく崩壊するという見方が後を絶たなかったにもかかわらず、中国経済はほとんど日刻みのペースでの変化し急成長を遂げ、その勢いは衰えを見せていない。

では、西側のオブザーバーたちはなぜ中国経済成長を貫くロジックを見出せないのか。実は改革開放開始後最初の10年間において、中国の経済成長は中国経済に注目する大半の西側の学者たちを戸惑わせた。根本的には、彼らが理解するところの体制移行や発展と成長のロジックは今日のいわゆる「ポストoワシントンoコンセンサス」に由来するものである。「ポストoワシントンoコンセンサス」とはワシントンにある世界銀行と国際通貨基金(IMF)の経済学者たちによる移行と発展途上の経済がどのように成長を実現できるかについての基本認識である。それだけでなく、事実上、これは主要な西側経済学者全体の経済移行、民営化と経済成長との関係についての基本的なコンセンサスを代表したものである。西側の典型的な経済学者の頭の中では、成功した経済移行と成長は私有制と民主的な政治制度への急転換を無くしてはほとんど不可能だと考えられている。移行と経済成長を成功させるためには、政治改革を経済改革より優先させ、できるだけ速く大規模な民営化を実現しなければならないとしている。「ポストoワシントンoコンセンサス」は西側の主流となる経済学の「政府」の性格に関する基本認識を踏まえたもので、経済移行期における政府の経済成長を実現する能力を信頼するのではなく、民間部門の早急な台頭とイノベーション意識に富んだ企業家精神に頼るべきであるとしている。

「ポストoワシントンoコンセンサス」の基本認識は論理上大きな間違いはないものの、重大な欠陥を抱えている。それは多くの厳しい前提条件が必要となる点である。特に移行と発展途上にある経済の原始的な条件はそれぞれ大きな違いが存在しており、それらを同じスケジュールによって始めることは難しい。まして一部の条件はかなり長い時間をかけて初めて変えられ、備わるようになるものである。したがって、経済成長に必要な条件が備わらない、または機が熟していない場合、移行する経済はロシアのように、初めに必ず「L」型の衰退過程を辿ることになる。「ポストoワシントンoコンセンサス」の最大の欠陥として指摘すべき点は、その有効性が十分に検証されない「正統の道」に固執し、他の道への模索を拒否することである。この点を認識できてこそ、中国経済の移行と成長の経験、そして「移行」の真の意味を理解できるようになる。

私の見るところ、中国の経済成長の経験が示す「ポストoワシントンoコンセンサス」に対する本当のチャレンジとは、いわゆる「正統の道」にそのまま沿うことなく、高成長につながる移行の代替戦略を積極的に試みたことである。それはおそらく改革後の中国の経済成長のロジックを理解し解明する出発点になるだろうと思われる。

発展の原動力としての地域間競争

成功した「追いあげ型経済発展モデル」として、中国の経験も、日本や東アジアなどの経済のテイクオフ時の経験と似通ったところが多いことは否めない。農村の過剰労働力や資金不足という原始的な条件や成長モデルから見て、いずれも投資主導型」である。貿易戦略としては、いずれも「輸出指向」の原則に従い、主に技術の導入により技術の進歩を実現しており、工業化戦略では、主に「比較優位」に頼りながら産業構造の高度化と労働生産率の向上を図ってきた。しかし、日本やNIESに比べて、中国は巨大な経済体であり、13億という人口に加え、国土面積もおよそ韓国の100倍に当たる。多くの場合、小型経済体でやりやすいことは大国でやりにくいことがある。

われわれはしばしば非常に部分的な現象だけを見ることがある。そうした部分的な現象の裏に隠れている共通のロジックをはっきり認識していない。我々の目線は経済成長の過程で現れてきた様々な問題に集中しがちで、地方保護主義や、重複建設および銀行の非独立性などの問題をよく批判する。しかし、まじめに取り扱わなければならない理論問題は、なぜ我々が批判しているそれらの問題が経済成長に結びついているのか、なぜ市場の統合と一体化が遅々として発生しないのかである。そして、更に大事なのは、このような巨大な経済体を推進するには、従来のように垂直で集中した意思決定機関に完全に頼るべきなのか、また、政治的な情熱が冷めてから、どのように経済成長のエンジンとエネルギーの問題を解決するのかであろう。こうした問題は筆者の頭から離れない。

筆者が特に指摘したいのは、中国経済の発展にとって、競争から生まれたエネルギーは何よりも強いものである。中国の経済成長を理解するには、地方が展開する「成長のための競争」を理解することほど大事なことはない。政治的に高度な集中を保つと同時に、過去十数年のうち、中国経済は事実上の「財政連邦主義」の構造と体制になった。そのような現実に気づいた経済学者も少なくない。中国経済を一つの統一された市場として安易にとらえてはならない。過去もそうでなかったし、今はなおさらである。地域間の格差がヨーロッパ諸国より大きいうえに、そのような格差は長年にわたって存在しているものである。

中国の経験は非常に貴重なものである。特にこうした移行は理論的に十分な注意を払って取り扱うだけの価値がある。すなわち、地方政府への経済的分権を進めながら、体制上中央の政治権威を維持するとともに、巨大な経済体を数多くの独立して意思決定を行う小型の地方経済に分けることにより、各地域が経済成長のためしのぎを削るような競争を繰り広げるようになった。それが根本的に「ポストoワシントンoコンセンサス」に求められる前提条件に取って代わった。徹底された私有制と整備された金融市場が欠如しているものの、各地域により成長のための十分な競争が繰り広げられた。地域政府間の競争が地域のインフラ投資と投資の成長に有利な政策環境の改善につながり、金融深化と金融・資本市場の発展を速めた。地域が成長のために繰り広げる競争が過度な投資を招いてしまう可能性があるにもかかわらず、地域間の競争が集中した意思決定の誤りを根本的に減らし、比較優位に違反するフルセット型の工業化戦略の実施をけん制した。同じように、地域が成長のために繰り広げる競争が、中国経済を製造業と貿易戦略の面で早急に国際分業のチェーンとグローバル化の過程に溶け込ませた。外国直接投資の成長と中国経済の開放度の高さは地域が成長のために競争した結果である。

中国経済が事実上、何百何千もの小型経済体に分けられてから、表面的にはそれらの競争が「重複建設」を招いてしまうように見え、「資源の重複配置」と批判されがちであるが、計画経済とまったく異なるのは、貿易を通じて地域間のつながりが絶えず強まっていることである。補完的な貿易が増えただけでなく、「産業内貿易」の成長がさらに速い。各地域の「重複建設」が批判されるが、各省の「投入-産出表」から分析する数少ない研究文献では、ある地域の他の地域に対する「貿易依存度」は低くなるどころか、かえって高くなったことを示している。地域政府が成長のために繰り広げる競争は、実際には地域間貿易の発展を促進する一方で、経済の発展が地域間の経済的往来と統合を促した。今日の珠江デルタ地域と長江デルタ地域はその良い例である。分散した経済の意思決定と地方が成長のために繰り広げる競争なくして、それらの地域経済の繁栄と成長はありえない。そして、経済発展なくして、それらの地域において形成されつつある産業集積と分業のモデルは注目されないだろう。

これは移行経済学が注目すべき中国の経験の最も重要な内容かもしれない。また「金鉱山」を発見できるような貴重な研究テーマでもある。

2006年3月31日掲載

出所

「転型与増長:関注中国経済」、『経済観察報』2006年2月7日
※和訳の掲載にあたり著者の許可を頂いている。

2006年3月31日掲載

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