中国経済新論:中国の経済改革

真の現代化とは

趙暁
国家経済貿易委員会経済研究センター・北京大学中国経済研究センター ポスドク研究員

1967年江西省生まれ。国家経済貿易委員会経済研究センター・北京大学中国経済研究センターポスドク研究員。1999年北京大学光華管理学院、経済学博士。世界銀行-北京大学中国経済研究センター客員研究員、国家経済貿易委員会産業政策司・弁公庁を経て、2001年より現職。

アヘン戦争以降、受動的であれ能動的であれ、中国人はずっと一貫して現代化の道を探ってきた。しかし、長い間にわたって、現代化は「西洋化」あるいは「ヨーロッパ化」とみなされていた。中国人にとって、現代化を追求する道は耐え難く苦痛な道であり、希望と幻滅の繰り返しである。

毛沢東の時代には、中国人は前例のない現代化の実験を試み、一足飛びに最高の水準に達することを夢見ていたが、逆に中国経済は崩壊に近い結果となってしまった。それによって、中国は熱狂的な考えさえ失うほど貧しくなった。中国人の心も情けなく悲しい状態に陥った。あの時代における現代化の実験は苦痛と反省以外には、何も残さなかった。

1980年代の改革開放の初めごろから、中国政府は2000年までに四つの現代化を実現するスローガンを打ち出した。このスローガンは中国人に再び現代化という夢を与えた。不幸なことであるが、今回もそれは現実に合わない夢であることが歴史によって証明された。たとえば、1980年代において農業の機械化を基本的に実現するなどはまったく笑い事でしかなく、皮肉にも深刻な三農問題に直面している西部の農村という形で今日まで引きずっている。すでに明らかなように、1980年代に突然やってきた現代化運動が中国人にもたらしたのは依然として苦い思い出である。

1990年代半ば、中国は「新しい現代化運動」に入った。今回は以前と異なり、工業化、都市化が著しく順調かつ急速に進展し、それによって、現代化を求める夢は再び盛んになった。同時に、すでに「小康」(いくらかゆとりのある)レベルの生活基礎ができあがっており、また、地方からの自発性がより強く、より現実的であることも加わって、今回の夢はより甘いものである。

近年、筆者は研究調査のために多くの地方に行った。特に発展している沿岸地域に行くと、現代化都市・地区をつくりあげるというスローガンがあちこちで打ち出されており、それに従って、様々な計画が立てられている。代表的な方法としては、多くの地方は国際的な現代化都市という指標を基準に据え、自分たちと先進国の格差を検証し、様々な方法を通してそれに見合うような現代化を実現しようとしている。

こうしたやり方が決して不合理という訳ではない。この方法は企業経営に似ているところがあり、かなり進んだ方法と言えよう。たとえば、収入指標や都市化率を見つめ、それに追いつき追い越すように努力するというのは、優秀な企業が「モデル」を探して、それによって自分自身の不足を発見し、改善するのと同じである。これは、企業の競争力を高めることに役立つことと同様に、地区と都市も自分自身に不足している部分を認識し、発展水準を高めるには有意義なことである。

ところが、多くの現代化指標はその設定に問題が多いように思われる。たとえば、収入に比べると生活水準のことはあまり考慮されていない。また、測定できる経済指標を主に用いているのに対して、社会的・環境的な指標はあまり考慮されていない。GDPと1人当たり所得という指標が重視されがちであるが、環境や衛生などの福利厚生的な指標は明らかに見落されている。これらの指標が見落されたままでは、現代化を追求する過程で環境やコミュニティの破壊を代価にする可能性がある。これは現代化の追求と逆行している。さらに、一部の指標は規定水準が機械的に算出され、現実的な状況に合致していない。たとえば、明らかに工業都市であるのに、第三次産業について必ず一定の指標を達成しなければならないというようなことである。第一、二、三次産業の割合は全国範囲でおしなべてみるならば、比較的有意義であるかもしれないが、すべての地域に対して、ある種の共通した現代化指標を強引に求めるならば、笑い話になるだけである。

特に肝心なことは、すべての指標において、ヒトの心を計るようなソフト面での指標が欠けていることである。そもそも、現代化を高層ビルなどの物質的なものとして理解しており、現代化にとって最も重要である精神状態のことを無視している。現代的な精神がなければ、健全な現代人としての心は持てず、例えどんな条件がそろい目標をクリアできたとしても、それでは意味がないのである。物質的に裕福であっても、精神的に貧乏あるいは病的な人間は、決して現代人とはいえない。これらの人間からなる都市は決して現代化都市とはいえない。また、これらの都市から構成される国家も決して現代化国家とはいえない。中国人は英雄を論じる際に、金銭という視点から語ったりはしないだろう。同様に、現代化を論じる際にも、物質という視点から語るべきではないだろう。

アラブ世界は1つの例である。当初、アラブ世界は大量の石油を有することで、一時は欧米のすべての物質や文明を買えるほどの富を自慢していた。しかし、現代化を達成する能力および現代化のための精神が欠けていたため、今日も発展途上国のままである。中国の現代化建設に際しては、ソフト面やヒトの心の変化がなければ、本物の現代化は作り上げられない。

中国はアヘン戦争から、すでに160年が経過した。この間、現代化への進展は順調ではなかった。幸いなことに、鄧小平氏が市場経済という道を中国の現代化の切り口にしたことによって、過去の20年間において、中国は急速な成長を実現できた。現在、上海、北京、深センというような裕福な地域についてみれば、現代化は手を伸ばせば届くようになっている。しかし、ヒトの心と文明の現代化を基準にするならば、すべては始まったばかりである。

ところが、現実には、多くの地方の指導者は政治的業績や評価を気にして、現代化への転換における困難を過小評価している。彼たちは次のことをわざと否定している。つまり、現代化は労働集約型産業を通して先進的な製品と交換し、自分の住居を改造することによってできるものではない。また、現代化は先進国を模倣し自分の司法システムを再構築することでもない。現代化は本質的な文明の変革、ヒトの心の変化、文化のすべての転換である。

このような長い道において、市場経済から始まった中国の改革はまだ第一歩を踏み出したのにすぎない。

金持ちが品行のよい人ばかりであると思ってはいけない。また、昔の中国にはまったくよいところがないと思ってもいけない。今日、少し裕福になったからといって、中国人が先輩たちをバカにしてもよいという道理はない。もちろん、我々より生活水準が低くとも、犯罪率がはるかに低いインドの人を軽蔑してもいけない。物質的な文明から政治的な文明への発展、さらに先進的な文明への発展の過程は、一歩一歩、万里の道を行くがごとくに長い「世紀の工程」である。

実際には、現代化とは移ろいゆく目標の一つに過ぎない。そして、物質的な意味で見れば、この目標を達成することはさほど難しいことではないのかもしれない。しかし、効率と公平の両方に考慮を加え、さらに、環境保護、法律の完備、コミュニティの建設およびヒトの心などの面においてもすべて考慮を加えるならば、かなり難しいといえよう。これを達成するまでには、おそらく多くの失敗を体験しなければならないだろう。

2004年3月5日掲載

出所

博士珈琲
※和訳の掲載にあたり先方の許可を頂いている。

2004年3月5日掲載

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