2003年8月12日は、「日中平和友好条約」締結25周年の記念日にあたる。しかし、こうした記念すべき特別な日は、これまでにない雰囲気のもとで迎えることになった。日中両国間の貿易総額がすでに一千億ドルを突破したことからもわかるように、両国間の貿易や経済交流、文化及び人的交流はかつてないほど盛んに行われている。しかし一方で、両国民のお互いに対する敵対心もますます強まっているのも事実である。一部の日本人は中国に対する経済援助の削減もしくは取りやめるべきであると議論すると同時に、一部の中国の若者はインターネットを媒介にして、激しい反日言論を繰り広げている。
中国と日本は一衣帯水の隣国であるとともに、国際関係から見ても非常に重要な影響を持つ二つの国である。日中両国は「仲良くすればウィン・ウィンだが、対立すれば、共倒れになる」というのが歴史からの教訓である。日中関係は両国民の利益だけではなく、アジア太平洋地域の平和と繁栄にも関わっている。「日中平和友好条約」締結25周年を記念するにあたって、われわれは、日中関係の現状及びその将来に特に注目して、最近、中国の学者及び民衆が日中関係をめぐって展開した議論に対して、理性的な反省を行うことも必要である。
貿易の活発さとは対照的な心理的距離感
現在の日中関係には非常に不思議な現象がみられている。すなわち、両国の交流がかつてないほどに盛んに展開される一方で、両国民の「親近感の低さ」も心配すべき程度に達していることである。
現在、二国間の貿易総額が1000億ドルを超えるという組み合わせは全世界で五つのペアーしかない。日中はその中の一つである。2002年、日中両国の貿易総額は1016億ドルという記録的な数字に達しており、1972年両国が外交関係正常化を実現した時の11億ドルに比べると、およそ百倍に増加した。現在までに、日本は十年連続して、中国にとって最大の貿易パートナーであり、中国も数年前からは日本にとって二番目に大きな貿易相手国となっている。中国政府の公式発表によると、2003年上半期時点で、両国の貿易総額は既に600億ドルを超えた。通年では1200億ドルを突破するだろうと予測されている。現在、両国の補完性を生かした多様的かつ安定した協力の枠組みがすでに形成され始めている。しかも、世界経済情勢と中国経済の発展趨勢から見ると、日中両国の貿易経済関係はいまだに巨大な発展の余地と潜在力を持っている。
経済貿易関係が非常に速く発展するのと同時に、両国の人的交流もますます頻繁に行われるようになった。1972年、日本を訪問した中国人は1991名に過ぎなかったが、2002年には50万人を超え、中国へ旅行した日本人も150万人を超え、ビジネス目的の人数を含めると、双方の人員の往来は300万を超えている。1972年、日本に留学する中国人留学生はわずか10人であり、中国に留学する日本人留学生もごく少数に留まったのに対して、2002年には、日本に留学する中国人留学生は中国から外国への留学生のうち56%にあたる4.5万人となった。中国の各種の学校へ留学する日本人留学生も1.3万人になり、中国における外国人留学生の三分の一を占めるまでに成長している。
しかし、これとは全く対照的に、近年、両国民の間の「親近感の低さ」が日増しに拡大している。
2002年秋、中国社会科学院日本研究所が実施したアンケートによると、日本に対して「非常に親近感を感じる」と「親近感がある」と答えた人々がわずか5.9%であるのに対して、「親近感がない」あるいは「ほとんど親近感がない」と感じる人々は43.3%にも達していた。さらに、日本人のイメージで第一位にランクされたのは、「中国を侵略する日本軍」のことであった。そして、60.4%の人々が「日本が再び軍国主義の道を歩む」ことに危機感を抱いていた。ほぼ同じ時期に、日本の「読売新聞」もアンケート調査を実施した。それによると、「中国は信頼できる」と答えた日本人は37.7%のみであった。50%を割り込んだのは、初めてのことである。「読売新聞」が1998年に実施したアンケート調査によると、76%が「中国は信頼できる」と答えた。そして、中国社会科学院メディア研究所と「朝日新聞」が2002年共同で実施したアンケート調査によると、中国と日本の国民の大多数が、以前にくらべ現在は「日中関係『悪化』増える」と考えていることがわかる。
中国全国日本経済学会副会長・中国社会科学院日本研究所所長蒋立峰は、現在の日中関係にはまだ多くの難題が残されているが、全体的に見て、現在の両国の状態を評価すべきであると主張している。
これに対して、中国社会科学院日本研究所研究員馮昭奎は、日中双方の公式見解として、両国の関係は非常に良好であるが、民間の角度から見ると、盛り上がる経済と冷え込んだ政治は非常に対照的に映っている。特に、歴史問題をめぐって、日本の政治家と政府要人が靖国神社を参拝したことが、大きな政治問題となっている。
中国人民大学アメリカ研究センターの時殷弘教授は、近年の日中貿易関係、そして日本の中国に対する直接投資が絶えず拡大し、両国の経済における連帯はますます密接となっているが、いくつか重要な問題をめぐって、両国間の緊張関係が高まっており、とりわけ両国の民衆の間における反感と敵意が拡大しつつあるとの事実を指摘している。
なぜ「親近感」が低下したのか
近年、日中両国の交流が日々密接になっているにもかかわらず、両国民の間でお互いに対する「親近感の低さ」が拡大した理由についてはいくつかの見方が存在する。馮昭奎はその主な原因が、両国の歴史問題に関する摩擦に由来すると考えているのに対して、蒋立峰は、歴史認識の問題は重要な原因の一つであるが、同時に「親近感」の下降はむしろ当然の趨勢であるという考え方を示している。両国交流の密接化に伴い、お互いに対する理解が深まったため、これまでのような相手を理想化する要素がもはや機能しなくなったことを理由に挙げている。従って、「親近感」を徐々に冷やす過程は当然、避けられないと考える。しかし、時間が経つのに伴って、両国の理解と信頼は強化されるとも見ている。
日本の学者の中で、日本の中国に対する「親近感の低下」の原因の一つは、一部の日本人が経済衰退の中で自信を喪失したことに由来すると考えている人がいる。こうした見解を持つ人々は、1992年が日中関係の分かれ目であると見なしている。日本のバブル経済がはじけ、経済が次第に停滞と下降を迎え、「失われた十年」に突入したためである。これに対して、中国経済は高度成長を実現しており、両国の情況はあまりにも対照的である。「中国の光はあまりにもまぶしくて、日本に存在する問題のすべてを照らしたため、日本人の不安、不満と悔しさが、一斉に中国に向けられた」のである。さらに、一部の日本人は、中国経済が日本にとって、「破壊的な要素」であり、中国こそ彼らから「良き時代」を奪い去ったと考えている。こうした精神状態の結果として、一旦中国との間に揉め事がおこると、日本人は常に過剰反応を見せるようになったのである。
日中両国の多くの人々は、現在のお互いに対する「親近感の低さ」には、両国のメディアの「社会正義と責任を欠いた」報道に大きく由来していることとの考え方で一致している。一部の学者は、日中両国のメディアは、両国の関係を報道するときに、「良い面を避けて、悪い面ばかり報道する」傾向が見られることを指摘している。馮昭奎は、「中国国内の一部のサイトにおける日本に関する報道の殆どは、批判的なものである。一つ一つは正しい情報であろうが、日中関係を前向きに捉えた報道の数が圧倒的に少ないため、全体としてはマイナスの印象が強くなる。実際には、日中間の関係には非常に良い面もあるので、メディアはそれを同様に扱うべきである」とコメントした。
しかし、一部の人々はこうした観点にはっきりと異議を申し立てている。インターネットで北京上海間の高速鉄道計画で日本の新幹線方式の採用に反対し、署名運動を起こした「愛国者同盟サイト」の責任者盧雲飛と周文博によると、日本に対するプラスの報道が少ないわけでもなければ、マイナスの報道も多いわけではないと述べている。非常に限られたマイナスの報道(例えば日本の政府要人が靖国神社を参拝したなど)が、中国の民衆達の間で大きな反応をもたらしただけであると主張している。
しかし盧雲飛と周文博の言い分が広く支持を得ているとは言いがたい。蒋立峰は、日中両国のメディアが、「良い面を避けて、悪い面ばかり報道する」傾向こそ、日中両国人民の国民感情に影響しているという意見を強調した。
「対日外交新思考」にもたらされた議論
日中両国の国民の「親近感の低さ」が益々広がり、両国の健全な関係に影を落としている現状を受けて、中国国内の一部の学者達は、新しい思考と方法で日中関係の改善化を果たすべきという意見を発表している。その中で、最も注目されたのは、雑誌『戦略と管理』2002年第6号に載せられた人民日報評論部馬立誠の「対日関係新思考」と2003年第2号に掲載された中国人民大学の時殷弘教授による「日中接近と外交革命」との二つの文章である。
馬教授の論文では、中国と日本間の歴史問題はすでに解決され、日本はアジアの誇りであるとしている。また、中国は「新しい思考」を持って日本を理解し、両国の友好に望むべきであるとも主張している。戦争に負けたからといって、日本を永遠に普通の国の状態に戻らせないことは、不可能なことであり、日本が普通の国としての軍事力を求めようとする要求に中国は一定の理解を示すべきであると述べている。中国は日本に対してあまりにも苛酷に接するべきではなく、大国、そして戦勝国の態度を持つべきだという。
これに対して、時教授の論文では、日中両国の国民(日中二つの民族とも言える)間でのますます拡大している敵対感情は、現在の両国関係における最も際立った特徴であり、非常に危険であると警告している。従って、中国が自らの国家利益を守り、そして未来の国家安全と発展を確保するために、対日戦略を見直し、日中友好関係を大幅に改善する必要があると主張する。具体的には、歴史問題の棚上げ、日本が国連常任理事国になることへの支持、日本により市場を開放するなどの五つの提言を取り上げている。こうした日本政府及び日本民衆の予想をはるかに超えた政策変更を、時教授は自ら「外交革命」と名づけている。
この二つの文章は日中両国で大きな反響を巻き起こした。日本の各新聞社はこの二つの文章(とりわけ馬立誠の文章)を、すさまじい勢いで報道した。「中央公論」は馬立誠の文章の全訳を掲載した。馬立誠自らの言葉によると、中国人に書かれた日中関係に関する文章の中で、これほど日本で大変注目された前例はないという。日本では馬立誠の論文に対してプラスの評価が多い。しかし、これとは対照的に、この二つの文章は中国国内において、広い層から批判を受け、疑問が呈された。馬立誠の文章が発表された後、中国国内だけで5000以上のサイトで議論された(現在まで続いているものもある)が、その殆どが反対意見であった。
中国において日本研究を行う学者達の間では、この二つの文章の動機と目的に対して肯定意見が多く、その中で提示された一部の理念について学ぶべき点は多いとしているが、一部の観点に対して異議を示した人も非常に多い。しかも、就職や留学で日本に長く住んだことのある中国人の一部は、馬立誠の文章に対して激しく批判した。
蒋立峰は、「現在、中国の対日政策に対して、社会の様々な場所で白熱した議論が繰り広げられている。歴史経験に基づいた議論もあれば、現実の感覚を根拠にしているものもある。様々な観点と主張が相次いで公表されたことは、大きな進歩であり、肯定されるべき良いことである。しかし、こうした主張の中で、一体、どの主張が最も現実の要求に合致しているかを判断することは、大変難しい。日本との関係を強化し、日中両国を含んだ東アジア地域の平和と発展につながる友好協力関係をなるべく築き上げるというのは、全く正しい主張である。しかし具体的に、いかにそれを実現できるのかについても、真剣に議論する必要がある。その際には、日本を正確に認識するという前提条件が備わらなければ、間違った結論を招きかねない」と述べている。
そして、蒋立峰は、インタビューのなかで、日本が中国を侵略した歴史的事実に関しては、1972年国交正常化の段階において、日中両国の間ですでにこの問題が解決されていることを強調した。一部の日本人はこの問題をことさら蒸し返し、事実を覆そうとしている。こうした反動的な言論に対しては厳しく批判がなされなければならないが、しかし彼らの罠に決してはまるわけにはいかない。もし歴史問題が未解決だと認めれば、大きな混乱を招くことになるからである。
例えば、八年間日本で勉強し就職した山西省の青年馮錦華は、2002年、靖国神社に「死ね」の二文字を書いたため、就労ビザを取り上げられ、国外退去を命じられていた。馮錦華は馬立誠が日本を全然理解していないゆえに、日本を議論する資格がないと批判した。彼が記者に対して、「馬立誠と時殷弘は、八月十五日に靖国神社に行ったことがあるか。彼達が日本の要人達が中国人を散々殺した殺人犯をいかに参拝したのかを知っているのか。彼らは本当の日本国民を知っているのか。馬立誠が文章の中で、日本の銀座と新宿では、おしゃれな若い男女がお互いに抱き合い、現代的な都市生活を満喫する中、戦争なんか望むわけがないと書いたが、それはあまりにも幼稚である。戦時中に南京陥落後、現在と同様おしゃれに装った日本国内の男女が、戦いの勝利を熱烈に祝ったではないか。馬立誠はそのことを忘れている。戦場での日本兵は、人殺し、物盗り、焼き討ちをとことんまでやった野獣ではないか」。馮錦華は歴史を忘れることが、裏切るであることを強調し、馬立誠と時殷弘が言ったような、日中が歴史を乗り越えることや、棚上げすることは絶対に不可能であり、もしそう望むことがあれば、それ自体が日本人の罠にはまっているのだと主張する。
こうした批判を受けて、時殷弘は馮錦華の主張が言い過ぎであると反論した。「確かに、歴史を忘れることは、裏切ることである。しかし、われわれが忘れてはいけないのは歴史からの教訓であり、現在と将来へ向かう全ての思考が過去での記憶によって支配されるわけにはいかない。日本政府、そして大多数の日本国民が、それ以上の謝罪を行わないという間違った決意をした。これがこの数年間、日中関係が停滞した重要な原因の一つである。しかし、もし反日感情をそのまま放置すれば、日本の右翼に利用されるのではないかと、私は非常に心配している」。
実際、歴史認識問題に関して、馬立誠と時殷弘と全く反対の観点を持つ人は非常に多い。彼らは、日中関係が絶えず摩擦を起こしている最も主要な原因は、多くの日本人のあいまいな歴史観にあり、健全な日中関係を発展させるには、日本人が歴史を明確に理解し、お互いの隔たりをなくすことがカギであると考えている。また、歴史問題に関して、妥協や牽強付会といった態度は禁物である。過去の過ちを清算する最も有効な方法は、真心を持って反省し、誠心誠意その気持ちを相手に伝えることである。徹底的な反省のみが寛大に許す気持ちに導くのであるとも考えている。
馮昭奎は記者に対して、「私は、歴史問題がすでに解決済みであるという馬立誠の考え、そして歴史問題を棚上げしようとする時殷弘、そのいずれにも反対している。まず歴史問題がすでに解決されたとは言えない。そして、歴史問題を棚上げすることも適当ではない。歴史問題は、日中関係を発展させる過程の中で解決されなければならない。しかし、もし歴史問題の未解決を理由に、両国の関係を中断することは、まさしく日本の右翼の罠にはまってしまうのである。なぜなら、彼らは両国関係が友好的であることと発展することを好まず、戦争の真相を覆い隠し、侵略の歴史を否定しようとしているからである」。
蒋立峰は、馬立誠と時殷弘のいずれも日本問題の専門家ではないが、しかし第三者的立場に立った彼らの文章が中国における日本問題の研究者達にいくつかの新しい発想を与えたと評価する。しかし、総体的に言えば、彼らの文章は実際の情況と乖離している面があると主張している。例えば、時教授の文章では、「中国の最高指導者は日本に対して、日本が中国の改革開放に大量の経済援助を行ったことに対して、十分な感謝の意を伝えるべきである」と書いたのに対して、蒋立峰は、日本による経済援助(ODA)は、決して中国に対する恩恵ではなく、むしろ日中両国のいずれにも有利であることを強調した。実際、日本に対して、中国はすでに丁寧に感謝の意を表している。2000年朱鎔基総理が日本を訪問する前に、当時の国務院委員である呉儀が、そして訪日期間中には朱鎔基総理も感謝の意を表したのである。この点については馮昭奎も蒋立峰とほぼ同じ考え方を示した。「中国政府は十分に感謝を表してきたが、日本の右翼の方がわざわざ問題を蒸し返して、中国政府の対応に不満を示したのである」。
対日関係では国家利益を最終的な原則にすべきである
確かに、中国国内では、馬立誠と時殷弘の論文に対する批判が多い。しかし、大多数の人々が、日中関係を発展させるには、「新思考」、つまり中国の対日政策は現在の基本路線を踏まえた上で一定の調整が必要であるとの考え方で一致している。言い換えれば、目的は一致しており、異なるのは、発想と方法だけだいうことである。
蒋立峰は、日中間の三つの公式文書、すなわち「日中共同声明」(1972年)、「日中平和友好条約」(1978年)と「日中共同宣言」(1998年)に定められた各原則は、日中関係を発展する政治的基礎であり、今後はこうした政治基礎に基づいて日中関係を発展させていかなければならないと、強調した。
馮昭奎は、対日関係「新思考」に五つの原則を維持する必要があると主張する。第一、感情で政策を代替するのではなく、そして歴史にまつわる感情に振り回されず、あくまでも国家利益を最高原則にすること。第二、いかに生産力の発展と開放を行い、そして国家の経済利益を維持するかを最高原則の中心に置き、さらに政治においては、日中経済貿易関係の発展をいかに維持、促進できるかに注目すること。第三、地域と世界の平和と発展を維持することを自らの最も重要な使命と見なすこと;第四、中国共産党が一貫して展開してきた対日政策に関する思想を発展させること。すなわち、歴史問題に関しては、日本の戦争犯罪にこだわらずに、軍国主義と日本人民を区別すること;第五、日中関係の発展は一つの「連動する」過程であり、日中両方の共同努力を必要としている。
しかし、馮錦華は馮昭奎の第二の原則(「国家の経済利益を維持することを最高原則の核心にする原則」)に異議を申し立てている。馮錦華は、「利」のために、「義」を切り捨てることを絶対してはならないと主張している。彼は日中の新しい関係は中国の自尊心と国力の向上を基礎にしなければならず、この二点を切り離しては、健全な新しい関係が成り立たないと主張している。馮錦華は、「新思考」は日本の言いなりになるのではなく、むしろ民衆の感情を尊重すべきであると述べている。
馮昭奎によると、日中関係を発展させるには、日本の右翼、そして中国国内の民衆に見られる過激な反日感情という二つの妨害を排除しなければならない。その中で、最も重要なのは、日本の右翼による妨害に注意を払うことである。なぜなら、日本の右翼が日中関係の進展を恐れ、両国の関係の悪化を望んでいることを受けて、中国国内でも強い反応があるかもしれないからである。そして、このことは中国人が歴史問題を利用している言い訳を日本のメディアなどに対して与えてしまうのである。実際には、われわれが日本人に中国人と同様の歴史認識を求めることはできない。日本軍が中国大陸でどのような悪いことをしたか、中国人はよく知っている。しかし、日本人のそれに対する認識は間接的なものであり、かつての日本軍が中国大陸で行った侵略戦争で、中国人に与えた辛い体験と憎しみの感情を完全に理解することは不可能である。
さらに、馮昭奎は日本の右翼以外にも、中国民衆の「感情化」という妨害にも注意する必要があると強調した。例えば、歴史問題を拡大させ、歴史問題だけから日中関係を捉えて、すべての日本人が悪いといったような誤った認識を持つことは禁物であると主張している。
これと同時に、馮昭奎は、日中双方のメディアが日中関係に対して、なるべく全面的かつ客観的な報道と評論を行い、日中関係の発展に積極的に貢献することの重要性も強調した。
日中関係の発展の余地
中国が日本との関係をいかに発展させるべきかという問題を議論する際、一部の人々は、日中関係が「日米同盟」、「日中経済摩擦」と「メディアのマイナス報道」といった三つの要素に制約されるゆえに、両国関係の発展の余地は決して大きくないと考えている。
馮錦華は、「一つの山に二頭の虎がいることは許されない」といった論調からも見られるように、日中の間に横たわっているのは「競争」だけであると考えている。従って、中国に必要なのは、日本との競争をするために、充分用意を行ってから、初めて両国関係の広い余地を切り開くことができると見ている。
これに対して、蒋立峰は、日中両国の発展の余地は非常に大きく、その潜在力は、中国の発展にかかっていると考える。ちなみに、仮に中国が発展し強くなった場合、確かに「一つの山に二頭の虎がいることは許されない」。しかし、仮に東アジアにいる虎が日本だけであるのは非常に危険な事態であると見ている。従って、中国の発展と強大化は、東アジアの安全と安定の重要な要素であると主張する。蒋立峰はこうした情況の中で、日中関係が多くの発展空間を持つだろうと述べている。すなわち、中国にとって、現在の主要な問題は、できるだけ早く発展を実現することである。
馮昭奎によると、日中関係は一部の人々が主張するような、「歴史問題に対する高度な一致」という基礎の上で、築き上げられる健全な関係ではありえない。利益の共通点を追求することこそ、大国関係の原則である以上、それに基づいて両国関係の発展を求めなければならない。日中関係の共通点は経済利益にあり、同時に、「環境保護」といった非伝統的な安全問題にも多くの共通点が見られる。
日中関係が果たしてこれからの25年間でどのような発展ぶりを見せるのかという問題について、蒋立峰と馮昭奎は、これからも日中関係は引き続き、良い方向に向かって、前進するだろうとの考え方を示した。
あとがき:「愛国」・「裏切り」とは何か
「対日関係新思考」の著者である馬立誠教授と「日中接近と外交革命」を発表した時殷弘教授は、中国国内でひどい批判を受けた。彼らは「裏切り者」、「売国奴」のレッテルを貼られ、インターネットの掲示板では馬立誠の自宅住所と電話番号が公開された。一斉に抗議しようと呼びかける人もいれば、馬立誠の自宅を燃やそうと示唆する人までいる。さらには、馬立誠教授と時殷弘教授に同情あるいは理解を示した人々も直接かつ間接的に、「裏切り者」、「売国奴」と呼ばれるようになったのである。
数ヶ月前、「対日関係新思考」及びそれによってもたらされた議論をめぐって、筆者は、馬立誠と電話で何回も話し合っていた。また、日中関係に関する記事を書くために、私は今度の議論に巻き込まれた日本問題の研究者及び多くの当事者に話を伺った。こうした交流やインタビューから、私は「愛国」と「売国」の意味合いに対して、新たな悟りを感じたような気がする。
馬立誠教授と時殷弘教授に対するインタビューからは、私は彼らの中国の国家の利益、そして日中関係の現状に対する切なる思いをはっきりと感じとることができた。そして、インターネットで北京上海間の高速鉄道計画で日本の新幹線方式の採用に反対し、署名運動を起こした「愛国者同盟サイト」の責任者盧雲飛、馮錦華と周文博に対するインタビューの中で、私は同様に、三人の若者の心に流れている愛国の熱意を身近に感じた。有名な日本問題の専門家である蒋立峰と馮昭奎からも、彼らの智恵、理性と愛国の気持ちが私に伝わってきた。
私はこれまですべてのインタビューを受けてくれた人に対して、「あなたとの交流から、私は多くのものを学んだ。少なくても私はあなたに対する理解を深めることができた。将来、異なる意見を持っている人達と一緒に、落ち着いて穏やかに意見の交換ができる日を心から望んでいる」と、心を込めて伝えた。
自らを生んでくれた祖国、そしてふるさとに対する愛情は、生まれつきのものであると言われている。「裏切り者」、「売国奴」と名づけられたこうした人々に対するインタビューからは、そのように呼ばれる彼らが、愛国心の情熱に燃えていることが実感された。
様々な原因によって、同じ事象に対するとらえ方はばらつきが大きい。年齢、経験、専門そして角度の違いから、われわれが日中関係といった非常に重大な国際問題や国内問題に対して、全然違う考え方を持っていること自体は、ごく当たり前のことである。しかし、認識の差異に対するわれわれの反応は大きく異なっている。他人の異なる考え方により多くの理解と寛容、忍耐と尊重を以てすれば、問題の解決に結びつきやすいが、逆に異なる意見に対して、傲慢と偏見、極端と狭隘の態度を持って対応すれば、逆にわれわれも真理からますます離れ、事態の解決にとって逆効果となるかもしれないのである。
実際、「対日関係新思考」をめぐる議論の中で、「愛国者」と「裏切り者」を分ける点は、まさしくここにあるといえよう。
2003年9月16日掲載