東アジア地域における多国間の協力体制を推進することは、この地域の平和、安定および繁栄を発展させるために絶対必要となる条件である。また、中日両国の協力は東アジア内の協力の枠組みの中でも重要な基礎となり、逆に多国間の協力体制が進展することで中日両国の協力関係に一層の発展を促すことにもなる。冷戦後から国際情勢が変遷を重ねていくにしたがって、東アジア地域における協力関係が待望されるようになり、また、中日関係においてもこの協力関係が重視されるようになった。本論文では東アジアの地域内の協力体制と中日関係の結びつきについて論述する。
一. 冷戦後、東アジア地域内の協力体制確立への条件整備が加速された
地域内での平等的な協力体制は現代国際秩序の中で見られる重要な特徴の一つである。東アジアの歴史においては、現代的かつ全面的な協力体制は見られてこなかった。これまでの東アジア史では、「華夷秩序」、「大東亜共栄圏」、および「冷戦秩序」という三つの国際秩序が存在してきた。
「華夷秩序」は、東アジア諸国の中心として中国が存在する形の、農業文明を基礎とした一つの国際秩序である。この秩序は「東アジアを少数の国家からなる連合体制と捉えるが、地域内の各国間には直接の関係がなく、全てが'中華帝国'によって規定される一元化された上下秩序」となっている(1)。むろん、これは不平等な国際秩序であり、現代的な意味での多国間協力関係とは全くの別物であった。
「大東亜共栄圏」は日本政府が東アジア地域にうち立てようとした国際秩序である。1938年11月に日中戦争が勃発したのち、日本政府は第二次近衛声明を発表し、「東亜新秩序」という主張を展開し始めた。1940年6月、近衛内閣はさらに「東亜新秩序」を東南アジア地域に拡大する「大東亜新秩序」を唱えることになった。同年8月1日には、当時の日本の外相であった松岡洋右は「大東亜新秩序」を「大東亜共栄圏」という呼び方に変えた。「大東亜共栄圏」の意図は、武力征服という手段によって、アジアおよびオセアニアにおいて日本を宗主国とする植民地ないしは半植民地的な統治秩序を確立することにあった。さらにはこの統治秩序を基盤として、日本は英米両国と世界の覇権を争うことを目的としていた。そのため、アジアおよび大洋州諸国からの抵抗を余儀なくされた。その後、日本がアジアおよび大洋州で築いた植民地、半植民地的な統治秩序はすぐに打倒されることになった。
「冷戦秩序」は米ソ間の覇権争いの中で米ソ両国が「直接戦争を回避する戦略」を採ったことで形成された相対均衡的な国際秩序である。この国際秩序によって東アジア諸国も、米ソそれぞれの陣営に属することになり、異なる陣営に属する国々の間ではイデオロギー、軍事、経済など全面的に分裂を来すことになり、お互いに対立することになった。
しかしながら、戦後、特に冷戦終結以降、東アジア地域諸国間の現代的な協力体制の構築を促す条件が整備されてきた。これらの条件は3つに分類してみることができる。
1. 陣営間の対立解消と協力関係による安全から得られる利益が増加
(1)中米、中日の国交締結
冷戦時、中ソおよび日米の二大軍事同盟の対立によって、東アジアは二つの対立する陣営に引き裂かれることになった。この状況においては、東アジア地域での平等的かつ広範な多国間協力体制を構築することは明らかに不可能であった。しかし、1960年代後半には中ソ同盟は実質的に崩壊してしまった。1970年代に入ると中米、中日のそれぞれの関係が改善され、あいついで外交関係が樹立されることとなった。そのため、東アジア地域においては日米のような二国間軍事同盟関係だけではなく、二国間軍事同盟関係を超える中米日三角関係も存在することになった。中米日三角関係は、三カ国それぞれの関係の均衡を図るように作用し、さらには東アジア地域でも国際関係の安定化を図る上で大きな役割を持っている。この二国間軍事同盟関係を超えた、中国、アメリカ、日本といった大国による多国間関係は東アジアでの協力体制の形成に新しい可能性を提供した。
(2)冷戦終結、陣営間の対立解消
1989年に、ベルリンの壁が崩壊し、さらには1991年にソ連が解体されたことで、国際構造は大きく変化することになった。ソ連および東欧市場と欧米市場の境界がなくなり、中国が80年代に対外開放方針を実施したため、国際市場が一体になり、当初存在した、東方陣営と西方陣営の対立も根本的に解消されることになった。この、国際状況の変化によって東アジア地域での協力体制構築の可能性が一層高まった。
(3)北朝鮮、韓国が同時に国連に加盟、朝韓関係および日朝関係の改善
冷戦秩序の中で現在も残されたままの問題として、北朝鮮と韓国が対立していること、 および日朝関係が不正常であるということが挙げられる。この状況は北東アジア地域で突発事件が発生する可能性を増幅させている。1991年、北朝鮮、韓国の両国は同時に国際連合に加盟し、2001年6月には朝韓は首脳会談を行い、朝韓関係は緩和の方向に向かって発展してきた。2002年9月17日には、日本と北朝鮮の間で首脳会談が開かれた。これまで、日朝の間で意見が分かれていた重要な問題についての同意を形成し、さらには外交関係正常化のための会談を再開することが決定した。朝鮮半島および北東アジア地域の形勢は徐々に緩和の方向へと進んでいる。これによって東アジア地域の情勢は和平の方向へ向けて一層の改善を見ることとなった。
(4)各国間で協力すべき問題の増加
近年、テロ、海上犯罪、および大量殺戮兵器拡散の防止、環境保護の問題など、東アジアないしは世界各国での協力が求められる問題が増加している。9・11事件が発生してからちょうど1年後の2002年9月11日に、ブッシュアメリカ大統領は米国の「国家安全戦略(いわゆるブッシュ・ドクトリン)」において以下のように述べている。「本日、世界の大国がアメリカと同じ側に立っていることに気付いた-テロリズムによる暴力と混乱が生み出した脅威は各国を団結させたのである。(2)」この判断は正しい。反テロリズムの問題だけではなく、海上犯罪、大量殺戮兵器拡散の防止、環境保護など、共同で解決すべき問題が増加すると共に、世界および東アジア各国が共有できる利益は新たに拡大された。
2. 地域内の経済規模の拡大と地域内での経済相互依存度の上昇
(1)東アジア地域内の経済規模の拡大
戦後、東アジア地域の経済は日本を先頭として、三度の発展ブームを経験した。すなわち、1960~70年代における日本の高度成長、1970~80年代における韓国、シンガポール、香港、台湾の"アジア四小龍"諸国の高度成長、および1980~90年代におけるマレーシア、タイなどASEAN諸国や中国の高度成長のことである。世界銀行とIMFの統計によると、1970年代以降の約20年間にわたって、東アジア経済は毎年7~9%という高い割合で、かつ持続的に発展してきた。1991年から1994年にわたって世界中が不景気に沈む中で、日本を除く東アジア地域では相変わらず7.7%の発展スピードが維持されていた。
持続的な高速発展を通じて、東アジア地域の経済規模は益々拡大した。1994年における東アジアおよび太平洋地域のGDPは7.4兆ドルであり、、世界GDP総額29.0兆のうち25.4%を占める(3)。
一方で、東アジア地域各国の対外貿易も大きく発展している。統計によると、1960年には日本、中国、"アジア四小龍"及びマレーシア、タイ、インドネシア、フィリピン各国家および地域の輸入額と輸出額は全体で128億ドルと117億ドルであった。この額は同じ年におけるアメリカの輸出入額のそれぞれ78.1%と56.89%に相当した。1997年には、これら10の国と地域の輸入額と輸出額はそれぞれ13387億ドルと14184億ドルに上昇し、同じ年のアメリカの輸出入額と比べると1.49倍と2.06倍となっていた。また、この額は1997年における世界の輸出入貿易総額の24.3%と26.3%に相当している(3)。
(2)東アジア地域内での経済相互依存度の上昇
中日経済関係を例に挙げれば、2002年上半期の中日貿易額は451.16億ドル、年間では900億ドルを超えると予測されている。この額は中日国交締結時(1972年)の80倍以上に相当する。2002年においては、日本の対中(香港含む)輸出額は10%成長して600億ドルに達し、日本の対米輸出の半分に相当すると考えられている。中国からの輸入は日本の総輸入額のうち17.8%になり、輸入額が一番多いアメリカとくらべてもわずか0.4%の差である。
東アジアの地域内での経済依存度の高まりは貿易額の増加に現れているだけではなく、地域内で国際分業体制が形成されていることからも明確になっている。(1)日本は東アジアにおける超経済大国として、東アジア地域に資金とハイテク製品を供給するだけではなく、エネルギー、原材料及び消費財の重要な市場でとなっている。(2)"アジア四小龍"は東アジア地域において、生産設備、中間財および部品の重要な供給者であり、また、資金の供給者でもあると共に、エネルギー、原材料の重要な消費者である。(3)中国とASEAN諸国は日本および"アジア四小龍"が使用する原材料と労働集約型製品の重要な供給者であり、かつ重要な投資市場であるとともにハイテク製品の消費市場でもある。
(3)中国、台湾が共にAPEC、WTOに加盟
3. 国家の発展方向の近似性
(1)日本の民主化
明治維新以降、日本が対外拡張路線をたどった原因は複雑である。しかし、そのうち一つの重要な原因は政治上の封建専制と軍国主義化である。戦後になって日本は改革を行い、民主化を実現した。戦前の明治憲法は天皇主権を基本原則とし、天皇の地位が天皇の祖先である神の意志に従って確定した。当時議会は存在したものの、そのうち貴族院議員は民選ではなく、皇族、華族及び天皇が特に指定した人間によって構成された。天皇と議会は共同的に立法権を行使していた。天皇を最高統帥とする軍部は日本の政治にも中心的な地位を占めていた。一方、戦後の日本国憲法においては主権を国民が持ち、天皇の地位も国民の意志に基づくことと規定されている。衆議院および参議院の国会両院の議員は民選されるようになった。また、立法権は国会が持つこと、内閣総理大臣及びほかの国務大臣は必ず文民であるべきと規定され、軍人は以前の特権的な地位を失った。日本の民主化と戦後の平和の進展は日本が東アジア諸国と平等な多国間協力関係を構築するために重要な基礎を提供することになった。
(2)中国の改革開放
1978年に開催された中国共産党第11回3中全会をきっかけにして、中国は改革開放路線を歩むことになった。改革開放路線の基本的な目標は以下のようになっている。内政面:経済面では社会主義市場経済体系を確立し、政治面で社会主義民主と法律の建設を推進する。対外政策:全面的に国際社会にコミットし、現在の国際秩序を尊重すると同時に、世界各国とともに現在の国際秩序が一層公平かつ合理的な方向に発展することを促進する。さらに、中国の改革開放が目指す目標は三つある。(1)中国の現代化、(2)中国の統一、(3)世界の平和と繁栄。中国は改革開放路線を提出し、さらに実行してからは、対内的には無産階級が統治する条件の下で持続する革命という理論で指導していた「持続革命」、対外的には三つの世界という理論で指導する「世界革命」という中国が元々保持していた路線から、中国の現代化を実現することを中核的な目標として、世界の市場経済と民主という潮流に適応する路線と方針に転換した。この路線変換によって中国が東アジア諸国と平等な多国間協力関係を構築するための重要な基礎が提供されることになった。
(3)ベトナムの改革開放
ベトナムは中国に類似する改革開放路線を採択し、その社会主義市場経済と民主的な法律の建設によって明らかな進歩を遂げた。
二.東アジア地域における多国間協力体制構築の緊急性
戦後、特に冷戦後、多国間協力を構築する上で有利となる条件は増加した。同時に、国際情勢が変遷したことも、東アジア諸国にとってこのテーマを喫緊の課題へと押し上げることになった。
1. 経済のグローバル化が東アジア諸国の多国間協力への圧力を与えた
経済のグローバル化が進展した直接的な影響の一つは、地域内の経済面での協力を促したことである。協力を促進した基本原因は二つ挙げられる。(1)東アジア地域の各国の発展が不均衡なものであるため、各国および地域は経済のグローバル化に際して様々な対応段階があり、したがって様々な協力のパターンが必要とされる。(2)経済のグローバル化によって生産要素の世界全体での流通と分配が促進されるため、競争が一層激しくなる。このような状況の中で、国境を超えたより広い範囲における生産要素の流通と分配に関して、他の国や地域よりも優遇された条件を得ることは、競争において勝利を得るための前提条件になっている。そのため、地域内での経済面での協力が迅速に進展した。一方、地域内での経済協力が一層発展することで、経済のグローバル化はさらに緊密な方向に向かうことになる。そのような背景の中で、欧米地域での地域内経済協力体制は急速に発展をみせた。
1957年に「ローマ条約」が締結された後、ヨーロッパは40年間の努力の結果、欧州15ケ国、人口3.8億人が連合して、単一市場の欧州連合(EU)を設立した。この市場では、貨物、労働力、資金、情報、貨幣は自由に移動させることが可能であり、その流通量は世界総量の約30%を占める。さらにEUは、東欧とロシアを包括する地域統合に拡大する可能性もある。
南北アメリカ地域では2005年までに現在の北米自由貿易協定(NAFTA)を西半球34ヶ国、人口8億人の米州自由貿易圏(FTAA)に拡大するという計画を立てている。ヨーロッパおよびアメリカ地域における地域内経済協力体制の発展は、これらの地域にある各国だけではなく、東アジア諸国にも大きな圧力を与えることとなった。この圧力を一番強く感じている国が欧米と同一の発展段階に位置する日本である。
1965年に「太平洋経済圏構想」を提出した日本の著名な経済学者、小島清教授は、ヨーロッパ、およびアメリカ地域における地域内経済協力体制の発展に直面して、日本は「EUとFTAA、ユーロとドルでどのような冷戦後の新世界経済秩序をうち立てるか?」について考えるべき、と述べている(4)。また、その問題に関して、小島教授は部分的な答案を提示している。小島氏の論点は、アメリカは北米自由貿易協定を全米自由貿易協定に拡大することを背景に、「APECを軸として、アジア太平洋地域を自由貿易協定で組織化させる」ため、FTAAとAPECという両側の勢力圏を基礎とし、「拡大した欧州より強大な、アメリカ主導による和平体制」を確立しようとする、ということである(5)。したがって、小島清教授はこう主張している。「アメリカのAPECに対する指導力が強すぎるため、アメリカの主導権を抑制すべきである」、「APECを東アジア諸国が主導する組織にするべき」(6)、また、「最も望ましい選択は、開放的なアジア経済圏(AEC)を設立することである」、「その発展を基礎として、欧州および西半球と対等に協商関係を営むことのできる」一極になるべきである(7)。小島教授は欧米、特にアメリカ地域のおける地域内経済協力体制の発展に対して、懸念を表明し、東アジア諸国が地域内協力体制を発展させてそれらの経済集団と対抗すべきと希望を述べた。
2. テロリズムおよび孤立主義の傾向が強まったため、東アジア諸国は多国間協力体制を構築しなければ、新たに不安定状態に陥るかもしれない
アメリカがアフガニスタンを攻撃し、タリバン政権を覆した後もテロ活動は消滅したわけではなく、むしろ東アジアなどの地域にその手が延びる傾向が見られた。最近インドネシア、フィリピンなどで発生した爆破事件はその傾向を反映している。
現在、世界においてテロリズムに対抗するための連盟体制は既に形成されている。特にアメリカはその中でも中心的な役割を担っている。ただし、アメリカの外交政策に連綿と存在し続けた孤立主義傾向を最近になって強化したことも事実である。例えば、アメリカは「京都議定書」などの一方向的な国際条約から退出し、国際刑事法廷を支持しなかった。「アメリカ合衆国の国家安全戦略」において、ブッシュ大統領はアメリカの安全戦略における先制攻撃の方針を強調した。「必要な時、我々は躊躇なく単独行動を採り、先制攻撃を通じてこれらの恐怖分子を打撃し、わが国民と国家に対する傷害を防止し、我々の自衛権を行使する。(8)」その他、アメリカは国連安全保障理事会の常任理事国がイラクに対する新決議を提出しなかった時、単独でイラクに軍事行動を実行しようとした。
アメリカ国内の世論および世界各国の世論は皆アメリカの孤立主義傾向の強化に対して懸念を表明しているが、世間がさらに心配するのはアメリカの孤立主義傾向が世界の紛争を誘発することである。2002年8月26日、イギリス「フィナンシャル・タイムズ」誌に、フランス国際関係研究所副所長のドミニク・モイジは「欧州は絶対後退してはいけない」とする文章を発表し、ブッシュ政権の「先制攻撃という戦争新思想が与える、国際体制および自国の状況に対する不安定的な影響を無視することは錯誤である。」と述べている。同年8月28日には、アメリカ「ワシントン・ポスト」に載せた文章でイラクに対して、「アメリカがこれまでよりも確実に一歩踏み込んで、2002年8月26日にチェイニー副大統領がそれとなく匂わせたように大規模な軍事行動を実行すれば、」その結果はおそらく「全てのアラブ世界で軍事衝突や紛争を誘発するか可能性がある。テロを伴うイスラム教徒の聖戦運動がアルカイダの過激分子によってではなく、アメリカの大統領や上級顧問によって再び引き起こされるのであったとしたら、それはどんなにも酷い災難ではなかろうか。」(9)
中東地域での紛争はアメリカおよびアラブ世界との間だけではなく、東アジアや他の地域に波及する可能性がないとはいえない。少なくとも、アメリカとアラブ各国の衝突によって発生する可能性のある、東アジア地域に対するマイナスの影響は以下のようなものを挙げることができる。(1)アメリカとアラブ世界およびイスラム教徒との衝突が拡大もしくは長期化した場合、アメリカ経済が一層衰退し、東アジア地域からの輸入を減少させるため、東アジア地域の経済発展に遅れが生じるか、衰退の方向に進んでしまう可能性がある。(2)石油価格の値上げあるいは供給量の減少によって、東アジア地域、特に中日両国にエネルギー危機をもたらす。(3)東アジア諸国がアメリカの反テロ活動を支持することで、それぞれの国および地域とイスラム教徒との間の思想的な齟齬が増幅される。また、その結果、東アジアでのテロ活動が増加する。(4)アメリカと同盟関係にある東アジア諸国がアメリカからの要求に応える形で、アメリカの反テロ軍事活動に歩調を合わせて自国の軍事力を強化した場合、現在の東アジア地域における相対均衡的な安全保障体制のバランスが崩れて、東アジア地域での新しい矛盾と対立を誘発する可能性がある。
このようなマイナスの影響を防止する、あるいは減少させるために有効な方法の一つは、アメリカの反テロ活動を支持するのと同時に、世界および東アジア地域での多国間協力体制を発展させることである。多国間の協力という形でアメリカの反テロ政策を支持する一方で、アメリカの孤立主義を牽制し、また、多国間協力によって世界各国と東アジア地域が長期におよぶ反テロ主義に基づいた闘争によって、発生すると考えられる経済面および政治面での紛争を減少或いは克服するのである。
3. 現在、中日両国は経済発展を図る上で重要な時期に直面しており、東アジア地域の多国間協力体制というフレームによって中日関係を安定的に発展させることができる
1980年代、中国は現代化を実現する上で、国内および国外に関する環境について、近代以来で最もよい条件を獲得した。以降、20年以上にわたる改革開放によって、現代化の水準は大きく向上した。無論、中国の発展の道筋にはいまだに多くの困難が存在している。それらの課題をうまく処理できなければ、中国の現代化の進捗は大きな挫折に直面する可能性も否定できない。ただし、現在においても、中国が上昇期にあることは厳然たる事実である。
一方、日本は先進国として、1990年代以来、経済面において重要な調整期に入ってきた。現在に至っても多くの課題が残されたままではあるが、経済構造の調整による効果も見られている。日本の産業構造は明らかに改善された。今後は、相当長い時間にわたって、中国などの国が日本との経済力の差を徐々に詰めていくことになるが、経済の面において、今後も日本は変わることなく東アジアでの主導的な地位を維持することになるだろう。それと同時に、現在、日本は普通の国家、ないしは政治大国への道を歩むという目標をも提示している。
これらの状況はすなわち、現時点において、中日両国はともに発展を図る上で重要な時期にあることを示している。今後、おそらく東アジア地域において政治経済の両面における二つの強大国家が存在することになる可能性がある。これは、かつて東アジア地域では存在することのなかった状況が生じるという変化である。この変化によって以下の二つの結果が起こる可能性がある。(1)中日両国は協力体制の強化を図り、さらには中日の協力体制を通じて、東アジア地域における地域内協力体制の構築を推進し、東アジアとヨーロッパ、および北アメリカとともに、世界の多極化およびと経済のグローバル化を推進する段階で重要な推進役となる。(2)中日両国がそれぞれ相手を東アジア地域における主導権を争う敵だと考えるようになることで、互いに不信を高め、互いに対立し、さらに軍拡競争に陥ってしまい、東アジア地域内での新しい対立と分裂を誘発する。
現在は、それぞれの結果について、誘発する可能性のある要素が存在している。一番目の結果を誘発すると考えられる要因は主に経済面での現状が挙げられる。すなわち、中日両国の経済面での依存度は高まり続けており、もはや経済面ではお互いにとって相手が不可欠である状況にまで関係が深まっている点である。それに対して、二番目の結果を誘発する可能性のある要因は主に政治面、安全保障面での現状を挙げることができる。日本政府が発表した『防衛白書』には現在、日本は中国が持つミサイルの射程範囲に含まれていることが強調されている。一方、中国側は日本がアメリカと同調して台湾問題に関与しようとし、さらに日本がアメリカの反テロ政策に対して協力姿勢を見せた際に、軍事活動の範囲と内容を拡大したことに対して懸念を表明している。
中日両国も、それ以外の東アジア諸国も、一番目の結果を達成するための努力を惜しむべきではなく、逆に二番目の結果は必ず回避するための努力が必要となる。その目的を達成するためには、東アジア地域の多国間協力体制のフレームの中で、中日関係を発展させることが重要になる。では、なぜそのようにしなければならないのだろうか?これに関する要因は三つが存在している。
(1)東アジア地域の多国間協力体制を発展させることで、現在の日米軍事同盟に関する中日両国の対立を緩和させ、中日両国の政治面、安全保障面に関する相互信頼を深めることができる。
中国は、自らをアメリカから潜在的な敵国と見なされていると考えており、また、軍事面では、自らが日米軍事同盟(日米安保条約)に比べて格段に劣っていると考えている。また、台湾との統一問題についても日米軍事同盟によって、活動を制約されているとも考えており、すなわち日米軍事同盟の存在は中日両国の政治面安全面での相互不信を生み出す重要な原因だと考えている。一方、日本は、自らを世界規模の経済力を持つ国家と考えており、エネルギー資源の大部分を海外からの輸入を頼らざるをえないと考えている。同時に、自分たちを、軍事力を自衛の範囲に抑えている国家と見なしており、現在よりも確定的な安全保障環境が樹立されるまでは、日米軍事同盟を放棄しにくいとも考えている。したがって、日米軍事同盟についての中日両国の見解の相違と対立は袋小路に入ってしまっている。
現在の難局を打破し、日米軍事同盟に関する中日両国の対立を緩和、あるいは最終的に解消させるためには、東アジア地域における一層緊密な多国間経済協力体制を基礎においた上で、東アジア諸国間の政治面および安全保障面での協力体制を発展させることが必要になる。したがって、なるべく短時間のうちに、東アジア地域において一定の規制力を持つ多国間経済協力体制、および多国間の政治、安全保障における協力体制を構築すべきである。協力体制に一定の規制力が備わっていれば、政治および安全保障における中日両国の信頼感を根本から高めることになり、また、中日両国の日米軍事同盟をめぐる見解の相違や対立を緩和、解消させることができる。
(2)東アジア地域多国間協力体制の発展によって、中日関係の発展のためのより広範かつ堅固な基盤を構築できる
現在の中日関係は、中国および日本がそれぞれ関与している多国間協力体制とは無関係に進んできた。経済面において、中国あるいは日本はそれぞれがASEANや韓国などと接触し、自由貿易協定の問題を検討してきたが、中日両国は他国との協力関係を結ぶには至っていない。政治、および安全保障の領域については、朝鮮半島問題に関する中米朝韓の四か国会談が行われているものの、日露を含んだ六か国会談は実現していないのが現状である。
また、それぞれの多国間協力体制の構築が進んでいないだけではなく、中日両国は相手の多国間活動に対して強烈な警戒心を隠そうとしていない。1996年、日本はアジア通貨基金構想を発表したが、アメリカが反対しただけでなく、中国も賛成しなかった。また、2001年11月、中国はASEANの政府有力者と10年以内に自由貿易協定を締結することをめざして協議を開始した。しかし、日本ではそれが日本と競争するためのものだという世論が生じた。
中日両国が東アジア地域内での協力体制を推進することを中日関係の発展の目標として設定することができれば、中日両国は能動的に現在の両国間の協力関係を多国間にわたる協力体制へと拡大させようとすることになる。これによって、現在の状態を変革して、中日関係が一層広範でかつ堅固な基盤の下に確立されることになるだろう。
(3)東アジア地域における多国間協力体制を発展させる過程において、中日関係を発展させることで、中日以外の東アジア諸国が中日関係の発展に対する警戒心を和らげ、中日両国が緊密な協力体制を築く上で有利に作用し、さらに東アジアの多国間協力体制構築の推進にもつながる。
中日両国は東アジア地域において総合国力がもっとも強大な二つの国家であるため、周辺地域、国家は、自分たちが外交交渉を行える余地と自らがバランスを取って政治経済活動を行うための手段を確保するためには、中日両国の関係が一定の緊張感を持ったほうがよいと考えている。この考え方は東アジア地域において多国間協力がうまく進んでいなかった状況の中で生じた外交観念と策略である。むろん、周辺国および地域がこのように考えているという状況は中日関係を一層発展させるためにはマイナスである。東アジアにおける多国間協力をうまく発展させることができれば、このような外交観念と策略は必ず変えることができるだろう。そうなってくれば、中日両国の緊密な協力関係は東アジア地域の多国間協力体制の発展に有利となるため、東アジア諸国もこれを歓迎し、支持することになるだろう。
三、東アジア多国間協力体制の構築に関する主な障壁とそれを解決するための方針
これまでも述べてきたように、東アジア地域での多国間協力体制の構築は推進されるべきものである。しかしながら、この協力体制の構築を進めていくためには多くの障壁が存在することも事実である。その中でも、現在もっとも困難とされているものとして以下の3点が挙げられる。
1. 相互信頼の欠如
東アジア地域においてはこれまで、「華夷秩序」、「大東亜共栄圏」、「冷戦秩序」などの不平等的あるいは植民地半植民地的、もしくは対立分裂的な国際秩序があった。しかしながら東アジア全地域にわたる平等な多国間協力体制は一度も存在したことがない。これまでの歴史は巨大な負の遺産となって残っており、その影響は今に至るまで根絶させることはできなかった。かつての歴史からのマイナスの影響は、現在の状況の一部と結びつくことで、東アジア諸国の相互信頼に基づいた関係の構築を阻害してきた。特に東アジア最大の国家、中国と日本の間の状況はひどいままに残っている。
日本は中国が発展を始めてからは華夷秩序の回復を目指すのではないかと懸念する一方で、中国は日本における軍国主義の復活を警戒してきた。もちろん、中日両国の間には確かに意見の相違と利害の衝突が存在している。しかし、中日両国の発展の歴史を顧みると、戦後は中日両国ともが進歩的な方向に向かって発展してきたとみるのはあながち偏見とはいえないだろう。中日両国の発展経路は各々の特徴が見られるが、一方でこれまでに中日両国が追い求めてきた方向は大まかには一致していると考えられる。すなわち、市場経済、民主政治、多極化、平等な国際秩序、および世界の和平と繁栄。この大きな潮流の上では、中国が華夷秩序の回復を目指すことは絶対になく、日本も軍国主義を復活できないと考えられる。双方が一致を見ている発展の方向を進むことで、中日両国が相互信頼関係を設立する上で必要となる基盤を構築できるのではないだろうか。
両国の信頼関係の進展を図るためにも、東アジア諸国は歴史に学ぶ必要がある。また、さらにお互いの歴史観を超越した上で、現実と未来の利益から出発して、各国間の相互信頼を強化すべきである。歴史問題に関しては、これまでも中日両国の間で戦後50年間以上にわたって論争が行われてきた。すでに一部について合意がなされているが、他の部分はもしかするとこれからも50年にわたって論争する必要があるかも知れない。歴史からの教訓を正確に認識するためにもそれは必要だと思われる。ただし、歴史問題に関する論争が現在の関係の発展に悪い影響を与えてはいけないということに注意する必要がある。歴史と現在はそれぞれ関係しているが、それぞれの違いもあるということを忘れてはならないということである。過ぎ去った歴史と比べると、現在と未来はより重要なものとして考えられる必要がある。
2. アメリカの地位
アメリカは東アジアの国ではない。ただし、アメリカは世界でもっとも先進的な総合国力に基づいて、東アジア地域に駐在する軍隊や東アジアにおける同盟国を利用することで、東アジア地域に巨大な経済的影響力を発揮し、東アジア地域での主導的地位を獲得した。そのため、東アジア諸国は東アジア地域における多国間協力体制の構築を考える際には、アメリカの東アジア多国間協力体制における地位を考えなければならない。
アメリカは両面性を持つ国である。市場経済、民主政治の確立という面では先進者としての優勢を保ち、現在でも国際経済と安全秩序において重要な安定作用を発揮している。他方では、アメリカは孤立主義を推進する国でもある。日本の元外務次官、栗山尚一はこのように述べている。「私はアメリカと30年間接触を続けてきた。確かに、アメリカは孤立主義である。ただし、それは選択肢をもつ孤立主義で、自国の必要に応じて、ある場合は他の国と協力し、ある場合は自国一国で単独行動をとる。それがアメリカの伝統作法である。クリントン政権からあとは再び伝統に回帰したとも言える。」(10)東アジア地域における多国間協力体制の中のアメリカの地位を論究する上では、まずアメリカの両面性を考えることが必要になる。
その際にはまず、アメリカが東アジア地域にもたらしている重要なプラスの影響を認めなくてはならない。たとえば、反テロ、核武器および他の大量殺戮兵器拡散の防止、さらには資金、技術、市場などの方面での東アジア経済に対する支援である。このプラスの影響は東アジア地域の現存する秩序を安定させる作用をもっている。
アメリカは東アジア地域において重大なプラスの影響力を確実に持っているため、現在においても将来においても、東アジア諸国はアメリカとの協力体制を企画し、アメリカの東アジア地域における建設的な意味でのプレゼンスを承認し、さらにはアメリカに対して開放的な東アジア地域多国間協力体制を構築することが求められる。中島敏次郎元駐中国日本大使はこのように述べている。「アメリカは80年代から自国には大西洋におけるパワーだけではなく、太平洋におけるパワーも重要であると考え始めた。したがって、アメリカが関与しなければアジア太平洋地域の平和を実現することが難しくなるだろう。中国と日本にとってはそれぞれのアメリカとの関係が中日関係にも波及するため、アメリカが孤立主義を持っていても、日本、中国およびアメリカの均衡関係を保持すべきである。」(11)その意見は正しいと思われる。
また、アメリカの孤立主義が東アジアにもたらすマイナスの影響を無視することもできない。このマイナスの影響は主に、以下のような局面を作り出している。(1)アメリカは東アジア諸国の間にお互いの齟齬を生みだし、アメリカはその齟齬を利用して、各国をコントロールする、(2)アメリカは国際法および国際連合などの国際機構を乗り越え、他国の内政に干渉する。(3)アメリカは東アジア各国に対して保護主義的貿易政策を実行するなど、である。中島敏次郎元駐中国大使はこのようにも述べている。「アメリカのアジア戦略は日本と中国を両極として対抗させることである。それがアメリカの"均衡論"である。」(12)したがって、アメリカの東アジアに対するプラスの影響を認識し、アメリカに対して開放的な東アジア地域の多国間協力体制を構築すると同時に、アメリカの孤立主義に対しては警戒と距離を保持し、必要な場合には適切な形で対抗すべきである。
これまで述べてきたことを東アジア諸国のアメリカに対する共通認識としてお互いに確認し、さらに対策を有効に実行することで、東アジア諸国は多国間協力体制を構築する際にも、アメリカの支持を得られ、またアメリカの東アジア地域におけるプラスの影響がさらに発揮されることになるだろう。
3. 朝鮮半島と台湾問題
朝鮮半島と中国台湾の分裂問題は、東アジア地域の多国間協力体制、特に政治、安全保障についての協力体制を確立する上で対処が必ず求められる問題である。かつての冷戦期においては、このような分裂が存在した状況下では、多国間協力体制の構築などは考えられないことであった。しかし、冷戦の終結後、状況は明らかに変わった。
朝鮮半島の二か国はともに東アジア地域の多国間協力体制構築の構想に参加している。また、北朝鮮は韓国についでARF(ASEAN地域フォーラム)に参加している。現在、朝韓関係は一層の改善をみせている。朝鮮半島は核危機によって、新しい緊張状態が生まれては来ているものの、北朝鮮と韓国の間では両国関係の緩和傾向がやはり見られている。韓国の盧武鉉新大統領は金大中政権時の"太陽政策"を"平和繁栄政策"に変えようとアピールした。南北関係の改善は北東アジアと東アジアにおける多国間協力関係の発展に対して良い条件を提供することになる。
一方で、中国本土と台湾がどのように東アジア地域における多国間協力体制に参加するかという問題は朝鮮半島の問題より複雑である。しかし、問題を解決するための努力も始まっている。台湾が一地域ないしは独立関税地域の名義で中国本土の後にAPECとWTOに加入した。その事実は、中国本土と台湾がそろって世界あるいは地域内の多国間協力体制に参加するモデルを提供した。このモデルの中で、最も重要な前提は「一つの中国」という原則である。「一つの中国」の原則は既に東アジア地域が平和と安定を保持するための重要な土台になっている。その原則から外れない限り、中国本土と台湾は東アジア地域における多国間協力体制の構築に向けてさらに共同歩調を進めて協力体制の効果を高めるための道のりを見つけることになるであろう。
2003年4月28日掲載