中国経済新論:中国の経済改革

漸進と急進:制度改革に関する理論

樊綱
中国経済改革研究基金会国民経済研究所所長

多くの経済学者の間では、中国の改革は「漸進的改革」の典型、ポーランド、ロシアなど旧ソ連・東欧諸国の改革は「急進的改革」の典型という点において見方が一致している。しかし、この二つの改革の定義、特徴、長短所および異なる条件下における実施の可能性などについては、中国の学者にしても海外の学者にしても見解が分かれている。ここでは、2つの改革に関する理論や概念、問題点について分析し、それぞれの持つ特徴とロジックを検証する。ただし、「漸進的改革が良いか、それとも急進的改革が良いか」、あるいは「漸進的改革を行うべきか、それとも急進的改革を行うべきか」について価値判断を加えるつもりはない。われわれは次の4つの問題点に焦点を当てる。一つ目は、急進とは何か、漸進とは何か(第1節)。二つ目は、急進的改革と漸進的改革はそれぞれどのような状況下で採用されるのか(第2節)。三つ目は、漸進的改革が急進的改革へシフトすることは可能なのか(第3節)。四つ目は、改革案はどのように選択されるのか、すなわち少数の学者あるいは指導者の好みで決まるのか、それとも現時点での社会全体の利益構造によって決まるのか(第4節)。以下、これらを考察する。

1.中国の「漸進的改革」の特徴

改革のパターンは、漸進的改革と急進的改革に大別されるが、それぞれの定義は必ずしも統一されていない。一般的に、中国の漸進的改革は、個別分野の改革を逐次実施していく「部分的な改革」と認識されている。これに対し、旧ソ連・東欧諸国の急進的改革は、すべての分野の改革を一度に実施する「全体的な改革」である。このような見方は、ある意味において正しい。90年代、旧ソ連・東欧諸国では、価格・金利・資本の自由化や大規模な民営化が各分野で同時にかつ急速に進められていた。しかし、中国では今でも少しずつ部分的に改革が実施されている。まず農村改革を実施し、次に都市部改革を行っている。価格改革も長期にわたって「二元構造」(双軌制)が続いていた。所有制改革では、一部の非国有企業の台頭により所有構造がある程度変わったが、国有部門の改革はいまだに本格化されていない。

しかし、このような違いは決定的な違いとは言い難い。実際、旧ソ連・東欧諸国の改革も、かなりの長い期間にわたる部分的な改革であった。価格改革の場合、ロシアでは今でも石油など一部の財の価格が自由化されておらず、食品価格もまだ規制されている。所有制改革においても一部の企業を対象に実施しただけである。ロシアの企業のうち、民営化された国有企業は50%にも満たない。一方、中国も85年以降、多くの分野で改革を進めてきた。ただ、各分野の改革のスピードに差があるだけである。同様に、「ビックバン」(一歩走)と「段階的改革」(分歩走)のような分け方も、2つの改革の本質的な違いを説明することはできない。急進的改革であっても、一部の分野においては逐次に実施する必要があり、すべての改革を一気に完成させることは不可能である。また、さらに重要なのは、旧体制がたとえ一気に崩壊しても、新体制の成長が進化の過程にあるため、人々がいかに新体制の即効性を期待していても新体制は少しずつしか成熟していくことができないということである。

筆者の観点では、中国の漸進的改革の特徴は、旧体制に対する改革が多くの障害によって実施が困難な状況の下、旧体制の周辺で新体制あるいは新しい経済主体(市場価格や非国有経済など)を育成、発展させ、新体制の成長と変化、体制を取り巻く環境の改善を通じて旧体制を徐々に改革していく点にある。これに対し、旧ソ連・東欧諸国の急進的改革の特徴は、最初から旧体制を改革し、これを通じて新体制を育成する環境を整える点にある。このため、漸進的改革の基本は「増量改革」である。改革のスピードを表す"gradual reform"よりも、D・ノース(1990)の"incremental reform"という表現の方が内容を正確に捉えているであろう(ただし、これも一般的には漸進的改革と訳されている)。中国の漸進的改革は、ストックに対する改革ができない時、増量改革を通じて新体制をつくり、逐次全体の経済システムを改革することによってストック改革が可能な環境を整えるものである。一方、旧ソ連・東欧の急進的改革は、増量改革ができない時、ストックを直接改革することによって新体制の育成と成長を促すものである。

もし、「増量改革」という観点で中国の改革を理解しなければ、誤った結論を導き出すことになる。米国の経済学者G・ジェファーソン=T・ロウスキー(Jefferson=Rawski)は、ある論文の中で中国の経済改革について次のように解釈している。まず、中国の国有経済と非国有経済には違いがない(つまり、新体制における増量の存在を否定している)。次に、中国の漸進的改革の基本は、所有権の関係を変えないという前提の下、中央政府が地方政府に権限を委譲し、そして利益を移転し(放権譲利)、価格メカニズムや企業の管理メカニズムを改革することである。最後に、中国の改革の成果は、「放権譲利」を中心とする漸進的改革によってもたらされたと結論付けている。しかし、客観的に見れば分かるように、中国政府は国有経済の「放権譲利」改革で多大な努力をしたが、今でも国有経済の改革は大きな成果をあげていない。中国経済の成長と市場経済化は、主に非国有経済の発展によってもたらされたものであり、国有経済の改革によるものではない。中国の経済改革の成果が彼らの言う漸進的改革の帰趨でないことは明白である。

海外の学者が以上のように漸進的改革を捉え、国有経済の改革によって中国の成功を説明しているからといって、我々は中国の改革が漸進的改革であることを否定する必要はない。中国の改革の特徴は、「増量改革」という意味をもつ漸進的改革である。海外でもこの意味で漸進的改革を定義する経済学者が増えている。「漸進的改革」に対する特徴付けは、漸進的改革が独自の欠点をもっているのか、新たな政治・経済の矛盾を生むのか、問題を先送りするのか、現在の改革を加速すべきなのか、などとは別の問題である。これらの課題は存在するが、中国の改革に対する実証的、科学的な評価、理論面における科学的な概念の導入の妨げにはならない。

2.改革の内生的要因

これまで国内外では、多くの学者が計画経済から市場経済への移行を、政府あるいは少数の指導者が自覚的に「改革戦略」を実施した結果としてみなしている。このため、彼らは改革の過程で問題が生じた時、それは政府が誤った戦略あるいは政策を採用したためと考える。また、一部の学者は、旧ソ連・東欧諸国の急進的改革が「外生型」、すなわち少数の改革者や指導者(ないし外国人)によるトップ・ダウン方式で進められたのに対し、中国の漸進的改革は、後にボトムアップの「内生型」になったが、当初のいくかの改革は外生型であると考える(G・ジェファーソン=T・ロウスキー, 1994)。しかし、このような理論は、同じように誤解を招いてしまう。

旧ソ連・東欧諸国の急進的改革は、確かにトップの少数の人によって採用された。外国人の助けもあったであろう。しかし、改革が政治家、民衆に受け入れられたこと自体は「内生的」であり、当時の各国の経済条件、経済情勢、利益集団の間の力関係によって決められたのである。東欧諸国やCISの各共和国は相次いで急進的改革、すなわち「ショック療法」を採用したが、これは当時、各国の国内でこのような改革方式に対する「内生的需要」が生じたからである。東欧諸国では、90年代初めに「直ちにヨーロッパに回帰する」という強い要望があったからこそ、「ショック療法」が受け入れられたのである。一方、旧ソ連では、70年間続いてきた旧体制が深刻な危機に陥り、漸進的改革が政治的に不可能となってしまったため、多くの人々が現在の生活水準を下げてでも「国民投票」において急進的政府を支持し、急進的改革案を受け入れたのである(言い換えれば、漸進的改革は「内生的」に受け入れられなかったということである)。一つの社会において、少数のエリートが急進的な改革案(実際、このような案は常に出てくる)を出すことと、国民の大多数や大きな利益集団が急進的な変革を求めることとは全く違うことである。市場において、少数者の需要は、それに見合った(私有)財を市場に呼び込むことはできるが、制度は「公共財」であるため、十分大きな内生的需要がなければ、大規模かつ急進的な制度変革は不可能であり、新制度が誕生して根付くこともないのである。

中国の漸進的改革も当初から内生的であった。すなわち、最初のいくつかの改革は、中国政府・指導部が当時(70年代末)の中国社会に存在していた矛盾と、変革に対する期待へ対応したものである。最も典型的なのは、中国の最初の改革、すなわち農村における農家生産量連動請負責任制の実施である。この改革は、農民の内生的な要求(血書の形で表したことも含む)の結果であり、外部の者が「外生的」に進めさせたものではない。当時、中国で発生した経済・社会的危機が政治の安定を揺るがすことがなかったならば、政府・指導部が市場指向型の経済改革を実施することもなかったであろう。国有経済の改革については、国有企業には国という単一の所有者が存在しているため、多くの改革、特に最初の改革は「上から下への通達」という形で行われた。しかし、最初の自主権付与にしても、その後の企業請負制にしても、その実施に当たって国有経済の問題点が長らく解決されなかったため、改革に対する要求が「内生的」に発生したのである。改革という政府の決断も、こうした問題点の解決と民衆の要求に対処するためのものであった。このことは、今までと同様に今後も続くだろう。

同じように、「強制された改革」と「誘発された改革」(林毅夫、1989)でも2つの改革の違いを説明することはできない。どのような改革にしても、ある意味「強制された」ものである。政府は民衆を強制することができ、民衆も政府を強制することができる。各国における多くの改革は、民衆が造反あるいは「潜在的に造反」したため、政府が改革に踏み切らざるを得なかったのである。これはトップ・ダウン方式の改革についても言える。また、どのような改革も「誘発された」ものでもある。個人と企業は利益に誘発されるため改革を選択する。政府も改革を実施した方が、実施しないより有利と考えて改革を実施する。もちろん、有利とは必ずしも社会全体にとって有利であるということではない。体制内部あるいは政治の安定だけにとって有利な場合もある。実際、利益に誘発されなければ改革を実行することは考えにくい。また、どの改革も、少なくとも改革の発動者にとっての何らかの利益に誘発されたものであるが、「満場一致の賛成」、すなわちすべての経済主体にとって改革が有利であるという状況が存在する可能性があるため、「強制的」とは限らない。もし、「満場一致の賛成」が得られず(不幸にも実際、すべての利益集団からある改革に対する賛成を得ることは難しい。その理由については第4節で述べる)、改革によって損を被る人がいれば、仮に大多数の人が賛成しても、この改革は強制的と言える。

近代政治経済学の観点からすると、「政府」も経済主体の一つであり、「外生的」で超然たる行動主体ではない。政府も政治・経済情勢の変化や自分自身の利益の最大化という原則に基づいて選択、決定する。政府の推進する改革を「外生的改革」と見なした場合、政府は社会の外にある存在と見なすことになる。経済学における市場均衡モデルでは、政府の政策は外生変数になっているが、制度改革論では政府自身が観察の対象となっているため、政府の行動の内生的な側面を否定すれば、「政権交代」などの制度の変化を説明することができなくなってしまう。多くの研究者は、旧ソ連・東欧諸国の改革を研究する際、政府自身の変化という重要な事象と全体の制度変化との関係および変革過程における政府の役割を無視したため、多くの誤った結論を導き出したのである。

3.漸進的改革が急進的改革へシフトすることは可能なのか

漸進的改革は、急進的改革と同様に独自の欠陥を持っている。すなわち、経済の歪みや非効率性が長期にわたって存在するため、旧体制の改革の進展を遅らせ、新体制の一段の成長を阻害してしまう。また、新旧両体制の共存という二元構造に特徴付けられる移行過程における摩擦は、新たな非効率性を招き、長期にわたり存在する腐敗、インフレーション、経済の不安定性などの問題が社会の不安定性を高める。さらに、移行過程では新たな既得権益集団が生まれる。新しい既得権益集団は改革の推進力ではなく、改革にとって新たな障害となり、改革を難航させる場合もある。漸進的改革の実施に当たっては、このような問題がしばしば生じるため、改革の強化・加速、全面的改革の早期実施といった要請が常に出てくる。これは、急進的改革の実施において改革の速度を緩め、穏やかに進めたいという要望が常にあるのと同じ原理である。

しかし、漸進的改革が初期段階で成果を上げ、経済成長を促進することができた場合、急進的改革への移行に反対し、漸進的改革の継続を求める勢力が拡大する点にも注目すべきである。なぜそうなるかについて、次の2つの理由が考えられる。

第一に、改革の成果が出て経済状況が良くなれば、人々の安定志向が強まり、急激な変化を望まなくなることである。一般的に、改革が急進的であればあるほど、抵抗も大きい。しかし、社会・経済がすでに危機的な状況になり、一人当たり所得が増えない、あるいは減少するという状況に陥った場合、もはや多くの既得権益を守る必要がなくなるため、どのような改革を実施してもメリットをもたらすことができる。つまり、多くの人々は急進的改革による当面の痛みに耐えることに同意し、急進的改革を受け入れる。一方、経済成長率がまだ高く、所得も増えている場合、多くの人々はあまり危機感を持たず、規制を打ち破るインセンティブもなく、「明日になれば解決策が出てくるかもしれない」という気持ちを抱いてしまうため、急進的改革を実施しようとする意欲を持たない。このため、漸進的改革が成功しなければ、(東欧の一部の国で発生したのと同様に)最終的には急進的改革に取って代わられることになる。しかし、漸進的改革によって経済成長が続き、生活も改善する場合、人々は急進的改革への移行に賛成せず、現状維持あるいは漸進的改革の続行を希望するのである。

第二に、漸進的改革の成功は、主に増量改革と新体制の構成主体の成長によることである。新体制の構成主体の成長は、旧体制の改革にとって有利な要素である一方、旧体制の改革を遅らせ全面的なストック改革を先延ばしする要素でもある。なぜならば、新体制による所得の増分は、改革によって損失を被った既得権益集団に対する「補填」として使うことができる一方、この旧体制に対する「補填」は矛盾の顕在化を遅らせ旧体制を延命させてしまうからである。中国の国民所得の増分の80%は非国有経済によってもたらされたが、そのうちの大半が銀行貸出を通じて国有企業の赤字の補填(政策的融資)や国有部門への投資、あるいは国有企業の技術改造に使われている。この結果、80%の融資が国有部門に投入され、70%の投資が国家投資となっているなど、資源が無駄遣いされている。旧ソ連諸国のように経済全体が停滞あるいは低下している時に、国有部門に対する補填は貨幣の増発に頼らざるを得ないため、高インフレを招いてしまう。中国の場合、所得の増分がある上に、国有企業に対する補填も経営の良い国有企業あるいは非国有経済からの所得移転で賄うことができ、インフレ率も比較的低い水準に抑えられた。このため、旧体制の問題が深刻化しても、経済全体の状況はそれほど悪化しない。旧体制における雇用者を含めて人々の所得が増加しており、インフレ率もコントロールできているため、政局は安定している。このような状況下では、自分自身の経済状況や経験から経済問題の深刻さを認識し改革の加速を望む人は一体どのくらいいるだろうか。政府も自分自身の地位が脅かされているわけではないため、大胆かつ全面的なストック改革に踏み切ることもしないのである。

以上のことから、次のような結論を導くことができる。すなわち、漸進的改革が成功すればするほど、新体制の成長が速く、経済成長率も高く、国民所得の伸び率も高いため、漸進的改革から急進的改革に移行することは難しくなるのである。

4.利益衝突~改革案の受容性について~

これまでの分析から分かるように、漸進的改革にしても急進的改革にしても、改革案の受容性の問題が重要である。経済学者は常にどのような改革方法が一番良いかと問いかけるが、最初に問わなければならないのは、むしろ「どのような改革案が政府・指導部を含む社会を構成する各集団に受け入れられるか」ということであろう。

制度は一種の公共財である。このため、制度の供給は公共選択に関わる問題であり、個人だけに関する問題ではない。どのような社会政治制度であれ、公共選択に実際参加できる人数がどのくらいであれ、制度改革は一人の経済学者あるいは少数のエリートが考える「べき」論の問題ではなく、主な利益集団の利益構造によって決定されるのである。しかし、制度改革において各利益集団は対立しているため、ある利益集団にとって良い改革案は別の利益集団にとって悪い改革案になるかもしれない。このため、エリート達にとって良い改革であっても、「パレート最適」でない限り、「全員一致」の賛成が得られず、実施することはできない。

「パレート最適」(誰も損を被ることがなく、少なくとも一人にとって有利である)が「全員一致」(誰も損を被ることがないため、誰も反対しない)の前提条件となる。しかし、現実の社会では、「パレート最適」または「全員一致」の条件を満たした制度改革は極めて限られている。また、改革によって利益を享受した人々から一部の利益を取って、損失を被った人に補填するという方法でも、改革に対する抵抗は完全に消すことは難しい。その理由について、特に次の2点が重要である。

第一に、「相対所得」あるいは「嫉妬」という点である。多くの人々は、改革によって所得の絶対額が下がらなくても、相対的に下がれば改革に反対する。しかし、どの改革も、旧体制の相対所得を維持するように各人に対し補填することはできない。なぜなら、こういう政策を採ろうとすると、人々の努力するインセンティブが働かなくなるからである。

第二に、長期的に見て補填は可能であり、最終的に実現することはできるが、改革当初はコストを上回るほどの利益を出すことが難しく、損失を被った集団に対する補填ができないことである。改革の方法が急進的であればあるほど、経済社会の受けるショックも大きく、経済成長率の低下、所得水準の低下が長期にわたって続くため、補填に使える資金はほとんどない。一方、急進的な改革ゆえに損失を被った人が短期間で大量に発生するため、補填するのに多くの資金が必要となる。

実際の改革において、われわれは常に利益衝突や改革に対する抵抗といった問題にぶつかる。このような抵抗は、実質的な利益に起因するものであり、何らかのイデオロギーによるものではないということが十分考えられる。われわれは、補填を通じて現実における「非パレート最適」の問題を「パレート最適」に転換することはできるが、改革が急進的であればあるほど転換の余地も小さくなる。これこそ、急進的改革と漸進的改革の根本的な違いである。

「非パレート最適」の問題に関しては、改革の受容性について検討しなければならない。経済学者は、長期的に多数の利益集団にとって有利である最良の改革方法を提案するが、実際に実施することはできないかもしれない。これは、改革案が現時点の利益構造と短期的な利益調整において、多数の利益集団あるいは政策決定に参加する主な利益集団に受け入れられないからである。

中国の金利改革を例に見てみよう。中国の金利は、長期にわたり人為的に非常に低い水準に抑えられていた。これは、いわゆる追い越し戦略を実現するためであった。80年代以降、経済学者達は金利の引き上げを提案したほか、中央政府も重工業優先の発展戦略をあきらめたが、金利は依然として低水準に維持されていた。このことは、既得権益集団による反対で説明することができる(このほか、各地方・部門の追い越しやソフトな予算制約のもとでの競争といった理由を付け加える必要がある)。すなわち、低利融資は国有企業にとって市場競争から逃れ、経済資源をコントロールする手段であり、国にとっても国有企業への補填、国有部門の生き残りを図る主な手段であるため、赤字企業の倒産や失業者の増加を容認しなければ、金利の引き上げや金利の自由化という「急進的改革」は当然国有部門に反対される。国有部門の代表者が政府の政策決定の主要な参加者でもある、あるいは別の言い方をすれば、国務院会議の出席者の大半が国有部門の利益集団を代表する者であるという状況下では、金利の引き上げという提案は、いかに経済全体や資源配分の効率の向上、改革の深化にとって有利であっても決して受け入れられることはないだろう。これは問題意識や戦略の誤りではなく、意図的に金利を低く抑えたのである。このため、金利の引き上げや自由化は、実施すべきであっても実現することは難しいのである。

結局、われわれは改革案を考えるとき、各利益集団にとっての改革案の意味、各集団の利益関係、政策決定における発言権をもつ勢力の態度などを考慮しなければならない。旧ソ連・東欧諸国の急進的改革案が受け入れられたのは、彼らにとってもはや守らなければならない既得権益が多く残されておらず、旧体制に対する自信も失い、損するものがあまりなかったためである。しかし、同じような急進的改革案は、中国で提起されることがあったとしても実施されることはないだろう。これは、旧ソ連・東欧諸国と中国の諸条件が異なり、利益構造が異なっているからである。

ただ、これで経済学者のやることがなくなるというわけではない。学者の仕事は、知識を広めて経済における因果関係を明らかにし、情報・知識の非対称性による政策決定の誤りをなくすことである。いくら経済学者であっても、人々に自分自身の利益を追い求めないようにすることはできない。しかし、既存の利益構造の下で、経済の規律がよく分からない人々に彼らにとっての最良の選択肢を明示し、諸選択肢の結果を知らせ、各利益集団の間の矛盾を軽減することはできる。特に重要なのは、目先の利益と将来の利益、そしてそれぞれの選択による結果を示すことにより、誤った選択を防ぐことである。改革案を選択する各利益集団の利益構造を変えることができなくても、選択の過程における誤った認識を正すことにより、選択の結果に間接的に影響することができるのである。

残念ながら、実際には、多くの人々は損をしないと自分の認識を変えようとしない。経済学者の警告がどんなにはっきりしていても、人々は選択するとき目先の利益にとらわれて行動することが多い。それでも、われわれは次のように忠告したい。漸進的改革は停滞や改革しないことを意味するのではない。また、根本的な問題を永遠に先延ばしにしたり、改革を加速させる時期を見逃したり、経済規律に逆った原理で動いたりするものでもない。「二元構造」(双軌制)は移行期においては避けられないが、いつまでも「移行」せず、旧体制を長らく残したり強化したりすることとなれば、経済における矛盾が益々激化し、将来の改革コストが大きくなるだけなのである。

2003年1月16日掲載

文献
  • 樊綱、「両種改革成本与両種改革方式」、『経済研究』1993年第1期
  • 林毅夫、「論制度与制度変遷」、『中国:発展与改革』1988年第4期
  • G. Jefferson and T. Rawski (1994), "How Industrial Reform Worked in China: The Role of Innovation, Competition and Property Rights," The World Bank Working Paper.
  • Douglass C. North, "Institutions, Institutional Change and Economic Performance," Cambridge University Press, 1990
    (ダグラス・C・ノース、『制度・制度変化・経済成果』、晃洋書房、1994年)

2003年1月16日掲載

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