中国経済新論:中国の経済改革

農民は公民であるか

張黎明
甘粛省平涼地方委員会組織部

農民は果たして公民であるのか。憲法上では農民を中華人民共和国の公民であると規定している以上、その答えは一見自明である。確かに、中国総人口の七割以上を占めている農民が中華人民共和国の公民であることを疑う余地はない。しかし、現実には、農民は果たして、都市部の人々、そして国家公務員と全く平等な地位を与えられているのだろうか。

建国以来の中国社会には、都市部対農村部という厳格な二元構造が存在している。その結果、両者の間には戸籍、身分、地位、待遇、権利などの面における乖離が生じ、実際の生活の中で、農民達は「二等の公民」と見なされている。これまでも歴代朝廷の交替に関わらず、中国の農民達が一貫して社会の下層部に位置し、いじめあるいは被害を受ける立場に置かれていたのである。このような状況が今日になっても、完全に改善されたとは言い難く、その表れの一つとして、農民達が非常に重い負担を強いられている問題が挙げられる。

中華人民共和国が成立してからの五十数年間、建前上では農民達が政治面で、解放され、地位が向上したことになっている。しかし、経済面からいえば、農民達が完全、あるいはすべての面において地位向上を果たしたとは言い切れない。都市部の人々が「小康」(まずまずの生活)をほぼ実現した今日になっても、大多数の農民達の生活はようやく「温飽」(衣食が足るだけのぎりぎりの生活)に達しただけで、何千万の絶対貧困人口がまだ農村部で懸命にもがいている。長い間、農民達の経済基盤のもろさゆえに、彼達が所属する集団は政治上、生まれつき大きなハンディを負ってきた。その深刻な結果として、彼らは事実上、他の社会集団との完全な平等、あるいは部分的な平等さえ実現できず、国家公務員どころか、都市部の人々並の平等な扱いを受けることすら実現されていない。

なぜ「農民負担」のような問題が存在しながらも、「幹部負担」、「労働者負担」、「都市部居住者負担」といった問題が存在しないのであろうか。これはまさしく農民の低い社会地位を示しているのではないか。湖北省監利県の李昌平郷書記が国務院の国家指導者に手紙を送り、農民達が過重な負担を強いられている現実を語り、農民達に国民待遇を与えようと呼びかけた。これは決して事実無根あるいは、理屈の通らない話ではなく、むしろ農民達の政治地位が十分に保障されていないという問題の核心をきちんととらえている。

長い間、われわれは一貫していわゆる都市部と農村部との差別を縮小あるいはなくそうとしてきた。しかし、今日になっても、こうした差別が殆ど改善されていない。実際、その意思があるかどうかにかかわらず、国家が実行しているのは、農村を犠牲にし、都市の発展を守る政策である。その結果、都市部と農村部との格差が縮小どころか、一層拡大する勢いである。

都市部の人々と比べ、農民達には、住宅積立金もなければ、国民年金保険や医療保険もなく、もちろん退職金もないのである(就職だけは終身雇用になっている!)。そして物価手当ても、夏や冬に支給される特別手当もない。仮に生産でけがをしても、「農傷事故」の名義で、賠償金をもらうことは殆ど不可能である。その上、現在の休日制度では、国家公務員が年間、百十数日の有給休暇が与えられるのに対して、農民達は一日でさえ休めば、その日の収益は消えてしまうわけである。公職につく人々は自分への待遇に不満を抱いたら、すぐ辞められるし、給料の高い所へと自由に移動できるのに、農民達が「辞職」を望んでも、土地を所有している村に返納することさえできない!なぜなら、そうなってしまうと、土地を離れた人員分の土地請負税と農業税を支払ってくれる人がいなくなるからである。要するに、多くの地域では、各種の税負担が人の数に比例して徴収されるため、一人抜けると、その分の税収と費用が集められなくなってしまうためである。

農村戸籍制度によって、農民達が地味のやせた土壌に縛られ、少しも動けない状態なのである。少数の農民達の子供達は「大学進学」などの機会を借りて、農業からの脱出を果せるが、殆どの人々が農業戸籍という一枚の紙によって、事実上、農村に「軟禁」されている。また、一部の農村の人々が商売をおこし、儲けた結果、ようやく都市部に自分の居場所を獲得したとしても、彼らはあくまでも一時的に宿を借りた存在として、厄介者扱いを受け、常に都市部からの排除と圧力を受けている。

昨年、国は国家公務員のほぼ全員への増給を実行した。では、なぜ農民への増給の実施を惜しんで、彼らの収入を大幅に上昇させなかったのであろうか。一説では、都市部の人々の賃金を上げるのは、彼達に農産品を買わせるためで、そうすれば結果的に、農民達の増収にもつながるとの理屈である。仮にこの話の筋が通るならば、なぜ総人口の70%の農民達に直接に増収を実行しなかったのか。仮にそれが実行されれば、彼達がより多くの工業品を購入することにより、国有企業の効率が大幅に上昇し、さらに従業員のレイオフや失業の難題を同時に解決できる一石二鳥の効果が期待できるのではないか。

一体何を根拠にし、農民達にこれほどの重い負担を背負わせているのか。一部の人々は、農民達は所有権が国家に属する土地を使用しているから、各種の税金を上納することが当然で、逆に、都市部の住民達は国家の生産資源を一切に使っていないのだから、税などの負担を担わないのはあたりまえだと、主張している。こうした観点が果たして成立するのであろうか。確かに、農民達は国家の土地を使用しているから、税金の上納は当然である。しかし、問題は、国家の土地を使用している場合、農民達の収入と支出が都市部の人々のそれとあまり差が開かないように、税負担のレベルを決めるべきだということである。なぜなら、多くの地域において、農民達のいわゆる一人当りの年収は、都市部の幹部のたった一か月分の収入に過ぎないのである。表面上、都市部の人々、特に国家公務員達は国家の生産資源を使用したり、賃貸したりしていないように見える。しかし、都市部の人々は、国家の出資で建設した各種の現代化された都市インフラ設備を殆ど無料、あるいは非常に安い費用で享受しているのではないか。さらに、教育、医療、文化、生活サービスなどの面においても優遇されている。これらは農村部の人々にとって到底望めないものばかりである。

端的に言えば、農民にこれほど過重な負担を背負わせた原因は、彼達が都市部の人々と同じような平等な「公民」になったことが一度も無く、むしろ一貫して無視、蔑視、制限された「二等の公民」に過ぎないからである!広い大地の上で、彼達の声は殆ど聞こえず、にぎやかなメディアでは、彼達の本音が聞こえることは滅多になく、むしろいくつかの「お笑い芸人」の下手な演出の中、嘲笑あるいは冷やかされる相手として取り上げられている。さらに、地方の一部の粗暴な幹部にとって、農民達はもはや自分の運命を左右することのできない獲物にすぎない。そして実際、農民達は、いじめあるいは被害を受けても、孤立無援で、訴えようとしてもどこに行けばいいか知らず、誠に悲惨で絶体絶命な状況に置かれる場合が多い。

いかに農民、そして農民達の負担の問題を考えるかは、現在の中国において、一つの政治問題でありながら、良心的な問題でもある。農民達の負担に耐える力はもはや限界に達している。もし農民達が直面している過重な負担の問題をただ見過ごし、何の改善策も講じなければ、わが国はそのために、悲惨な代価を支払い、近代化の進展に深刻な影響を及ぼすことは避けられないだろう。幸いなことに、現在、党中央委員会と国務院はこの問題を非常に重視し、解決に向けて全力を挙げている。現在、全国で、農村税制改革が実行され、農民達が抱える過重な負担の問題を有効に解決するための一種の努力がなされている。しかし、農民問題を決定的に解決するためには、体制上、そして制度上の問題点への着手が不可欠で、特に都市部と農村部の二元構造の問題を真剣に解決し、農民達に本当の意味での「国民待遇」を与えることこそ、中国の最も根本的な問題を最終的に解決する方法なのである。

2002年7月29日掲載

出所

中評網

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