中国経済新論:日中関係

新世紀の日中関係
― 対等なパートナーを目指して ―

金熙徳
中国社会科学院日本研究所

1954年吉林省延吉市生まれ。1982年延辺大学政治学部卒業。1985年に延辺大学日本哲学史修士課程修了後同校で教鞭を執る。86年7月より一年間米国コネチカット州立大学政治学部の客員研究員として勤務。89年に東京大学へ留学、国際政治学を専攻、94年に博士号取得。同年夏、中国社会科学院日本研究所に入所。現在、同研究所研究員、中日関係研究センター副主任、対外関係研究室主任、社会科学院韓国研究中心常務理事。2002年4月に出版された『徹底検証!日本型ODA:非軍事外交の試み』(鈴木英司訳、三和書籍)にて日本のODAについて系統的な分析を展開している。

2002年に日中国交正常化は「而立の年」(30歳の意味)を迎えることになった。この30年の間に日中関係には大きな変化があり、両国関係は21世紀初頭においてさまざまな新たな特徴を見せている。21世紀の日中関係は新しい基礎の上で様々な障害を乗り越えながら発展していくことになろう。

一、四つの新たな特徴

21世紀初頭、日中関係は国力、心理、利益、政策などの面で新たな特徴を見せており、これらは今後の日中関係発展の基礎的条件を構成するものとなっている。

1)日本を追い上げる中国

古代から近代にかける長い間は基本的に「中国が強く、日本が弱い」という歴史であったが、近現代百年においては主に「日本が強く、中国が弱い」という歴史であった。第二次世界大戦後、日中両国は米ソ冷戦の枠組みに妨げられて20余年にわたり政治関係が断絶していた。1972年の日中国交正常化は、両国が冷戦の枠組みの制約を乗り越えて相互間の関係を発展させるための扉を開くものであった。1978年以後、中国は改革・開放路線を歩むことになり、近代以降の貧しく弱い状況を改めるための道の地ならしをした。1983年に、日本では当時の中曽根首相が「政治大国」を目指すという目標を打ち出した。これは、日本が「経済の巨人、政治の小人」という戦後体制からの脱却を目指し始めたことを示すものであった。90年代になると、中国の経済大国化と日本の政治大国化は互いに影響しあうようになった。日中関係は「中国が強く、日本が弱い」・「日本が強く、中国が弱い」という二つの形態を経て、初めて日中両国の国力が均衡に向かう「日中がともに強大になる」趨勢を見せるようになった。

現時点で見ると、日本の経済力は依然として中国より強い。ドル換算で、日本のGDPは中国の4倍以上、日本の一人当たりGDPは中国の約40倍となっている。しかし、中国は過去10年間で、日本との国力における格差を縮めつつあり、今後の15―20年に経済の規模の上で日本に追いつくか追い越し、経済の質の上で日本との格差をさらに縮小する勢いにある。例えば、「購買力平価説」(PPP)で計算すると、現段階での日中両国の国力の開きは前述の数値より更に小さいはずである。

日中両国の国力における均衡は徐々に達成されつつあるが、現段階ではまだ「予想される均衡」である。しかし、国際政治と対外影響力の角度から見ると、長年来、中国は国際社会の中で独自の政治的地位を確立し、経済・技術分野において飛躍的な発展を目指し、先進国に迫らんばかりの勢いである。こうした国力の変化は日中両国の戦略的心理、外交スタンスと相互関係に大きな影響をもたらすことになる。

2)深まる相互依存関係

日中国交正常化から30年、日中関係は大きな発展を遂げ、堅実な基盤ができあがっている。

政治の分野において、1972年9月29日の「日中共同声明」と1978年8月12日の「日中平和友好条約」は日中間の最も重要な政治と安全保障の事項について原則的規定を定めた。また、1998年11月26日の「日中共同宣言」では、冷戦後の新しい情勢のもとでの日中関係の諸原則について、補足規定を行った。この三つの基本文書のもと、日中両国の政治関係は大きく進展し、両国の高官レベルの往来や政府間の交流と協力が日増しに密接になっている。

安全保障の分野では、日中間の三つの基本文書は両国の恒久的平和友好のための基礎をうち立てた。近現代史を顧みれば分かるように、この30年間、日中関係は19世紀後期以来、最良の状態にある。近年、日中間の安全保障についての対話と交流もスタートしており、国防の分野における高官レベルでの相互訪問もすでに行われており、将兵の交流も始動が待たれており、艦艇の相互訪問などの軍事的交流の実現も望まれている。

経済貿易の分野では、1972年の日中貿易の総額はわずか10億3800万ドルであったが、2001年はすでに892億ドル(日本側の統計)に達した。日本はすでに10年近くも中国の最大の貿易パートナーであり続け、中国は長年にわたり日本の第二位の貿易パートナーであり続けている。日中貿易は相互補完を踏まえて、「垂直分業型」から「水平分業型」へシフトしている。日本は中国の外資誘致、技術導入の主な相手国の一つである。2000年7月末現在、中国が日本の資金を誘致した累計取り決め金額は370億2600万ドル、実質利用額は265億8000万ドルに達し、日本はアメリカに次いで二番目の対中投資国となっている。日本政府は1980年から中国に政府開発援助資金を提供している。2000年まで、その対中政府借款総額は2兆6507億700万円に達し、無償援助は1233億2500万円、技術協力は1244億4100万円となっている。

民間では、日中各界の人的交流が速やかに拡大し、70年代初期にはわずか数千人だった相互往来が年間平均数百万人へと発展を遂げている。2001年には日本から外国を訪れた観光者数の中では中国への訪問者数が第一位の238万人まで上昇した。また、日中両国間の友好都市はすでに200組を超えるに至った。

3)心理的葛藤

古代においては、中国人はみずからを「華」とみなし、他国を「夷」とみなす自己中心の意識を形成していた。近代に入ってからは、日本人は「脱亜入欧」、東アジアをないがしろにする優位の意識を形成するに至った。日中関係の歴史が示しているように、日中両国が歴史上の経緯において形成してきた優劣の心理および近代・現代にもたらされた歴史的な憎しみと感情的隔たりは根深いものであり、現在もまだ完全に解消されていない。20世紀末期と21世紀初期における日中両国の国力の均衡化の趨勢を背景として、両国の間に感情的葛藤がさらに激しくなるような局面が現れた。その実、これはほかでもなく、日中両国がお互いを対等のパートナーとして認め合う方向に転換する契機であり、避けて通れない段階である。

かつて日本は欧米の列強にとっては「追い上げる者」であり、後発の非欧米諸国の「経済の巨人」であった。現在、中国は日本の台頭に次いでの東アジアの「目覚めたライオン」、「飛び立つ竜」となった。欧米諸国はかつて、複雑な思いで日本という「成り上がり者」の台頭を見守り、一部の焦燥感にかられた人々に扇動され、欧米では一時期「日本脅威論」が流行した。そして、中国が百年にわたる深い眠りから目覚めて、ついに現代化の道を邁進し始めた今、日本と欧米の一部の人も不安にさいなまれ、西側のマスメディアで「中国脅威論」が流行り出した。

現在、日中関係はお互いに対する認識を再確認する移行期にある。両国間の利益における相互依存は歴史上一番よい時期にあり、相互間の交流はすでに遮ろうとしても遮ることのできない勢いとなっていることは日中両国民の知るところである。そのため、当面の日中関係に対しては、「木を見て森を見ず」ということになってはならず、両国関係が速やかに発展を遂げている全局と主流を見極めるべきである。

4)相互理解のための冷静な対応

国力、利益、心理の変化の趨勢を背景として、日中両国はお互いに関係の見直しに乗り出している。1998年11月、日中両国は「平和と発展に取り組む友好協力パートナーシップ」を構築することについて共通の認識に達した。1999年以来、日中関係は国の指導者間の往来、経済貿易、安全をめぐっての対話、地域的協力などの面でいずれもさらなる発展を遂げた。日中両国の「パートナーシップ」を構築する過程は、両国が絶えず政策、心理状態と相互関係を調整する過程である。当面、この過程は正しい軌道に一応乗った段階にあり、日中両国の間で戦略的な、相互信頼の、新しいタイプの関係を形成するには依然として任重く道遠しということを冷静に見て取らなければならない。

二、摩擦から戦略的対話へ

日中国交正常化以来、両国の間には両国関係の基礎を揺るがす可能性のある潜在的な摩擦が終始存在している。30年来の日中間の政治的摩擦は次のような三つの特徴を挙げることができる。

1)さまざまな要因から起こる悪循環

90年代になると、日中間の潜在的な政治的摩擦の要素は歴史、台湾、安全、領土、経済という五つの大きな分野に要約されるようになった。これらの問題はそれぞれの原因と解決策もあれば、「一つを動かすだけで全局に影響を及ぼす」ものでもある。例えば、歴史認識めぐる争いはいつも感情的な衝突を引き起こし、この感情的な衝突が政治的往来と安全についての対話にマイナス面の世論の圧力をもたらすこともあり得る。日中関係が成熟に向かっている重要なメルクマールの一つはとりもなおさず、両国政府と民間が発生した事件に理性的に対処し、具体的な問題に対し具体的に分析を行い、一つが更に他の摩擦に火をつけさせない斬新な局面を逐次形成できるようになったということである。2001年に、日中両国が「李登輝の訪日事件」、「教科書問題」「靖国神社参拝問題」などについての政治的摩擦と「ネギをめぐっての貿易戦争」の経済的摩擦を処理した時に取った「政経分離」のやり方から、すでに摩擦のエスカレーションを抑制する良好な効果を一応見て取っている。

2)政府と民間、主流と支流の見極め

日中間の政治的摩擦はいつも次のような二つの互いに関連しあう重要な問題と関わりをもっている。一つは、いったいいかなる摩擦が政府の責任に属し、いかなる摩擦が民間の行為なのかということで、もう一つは、両国社会の主流と支流をいかに見るかということである。今後、日中両国政府と民間はこの二つの大きな分野については長期にわたって、ねばり強い、高水準の対話を引き続き行うべきである。

3)「米国」というフィルター

20世紀90年代に入って以来、日本の中国社会を観察する多くの理論、ひいてはいくつかの偏見はいずれも「メイド・イン・USA」というラベルが付いている。中国の市場経済化につれて、中国の経済界が日本経済を考察する多くの観点、ひいては偏見もアメリカのとてつもなく大きなマスメディアの影響を日増しに受けるようになっている。

多くの潜在的矛盾により日中両国の間に絶えず摩擦が起こることになったにもかかわらず、日中関係は依然として曲折を経ながらも持続的に発展を遂げている。客観的な基礎から見て、その根本的な理由は両国の間に潜在的な摩擦要素が存在するものの、これらの摩擦要素を抑制する「どちらも相手側から離れることができない」共通の利益と、幅広く厚い民間往来の基礎が存在していることにある。

三、東アジア共同体を目指して

国交正常化以来、日中関係は20年間の「平和友好期」から「再調整期」を経て、現在は「友好協力パートナーシップ」を共に構築する時期に入っている。日中「パートナーシップ」は広範囲にわたるコンセプトの為、具体化するに当たって、色々な選択肢から取捨しなければならない。まず、日中両国は敵となるべきではなく、パートナーになるべきである。その次に、日中両国は同盟になることはあり得ず、協力パートナーになるであろう。日中「パートナーシップ」の具体的な内容は、両国関係の発展過程の中で絶えず充実され、発展することになろう。

現在、日中両国が「パートナーシップ」に向かう歩みは、具体的な論争から戦略的対話を行う段階に入りつつある。中国の経済大国化と日本の政治大国化により、低次元の論争ではなく更に踏み込んだ議論をすべき時期を迎えており、この現実は、日中両国に日増しに相手を直視させ、これによって互いに戦略的対話を行う心理状態と段階へとだんだん入りつつある。

日中両国が戦略的対話に向かったことは、両国関係がより高い次元に入る入口にあることを意味している。近年来、日中両国の各界のエリートたちは21世紀の日中関係の青写真を描いている。さまざまな案の中で、日中両国がともに「東アジア共同体」を構築するパターンが、日中両国の「ウィン・ウィン」という発展の展望を最も具現しうるものである。

地域一体化は現在の世界経済のグローバル化と同時に発展を遂げている二つの大きな潮流の一つである。環太平洋地域には、アジア・太平洋、東アジア、東南アジアと北東アジアという地域と亜地域構造が存在しており、そのうち、東アジア協力メカニズムの発展が明らかに遅れている根本的な原因は、日中両国がまだ東アジア協力の推進について戦略的な共通の認識に達していないことにある。東アジアの二つの大国である日中両国は強大な国力と大きな対外影響力を持っている。日中協力がなければ、「東アジア共同体」の展望は現実離れした幻想となってしまう。日中両国は「東アジア共同体」をともに推し進めるなら、日中両国が地域協力メカニズムに融け込み、その中で東アジアの二つの主な大国としてその他のメンバー国と仲睦まじく付き合い、共通の発展を目指すことを意味するものとなろう。

日中両国が「東アジア共同体」の発展をともに推し進めることは、21世紀における長期的でねばり強いプロセスであり、その中ではいくつかの重要な過程を突破する必要がある。特に、「一つの山に二頭の虎がいることは許せない」という「ゼロ・サム」観念を捨て去り、「ウィン・ウィン」の戦略的心理状態と現実的な条件を形成することは、肝心なプロセスとなる。

また、アメリカとの関係を適切に処理し、それを調整することは、東アジアがスムーズに共同体に向かう重要な前提である。そのカギとしては(1)日米関係が主と従の関係から対等の関係に平穏に移行することができるかどうか、(2)中米関係が戦略調整の段階に順調に通り過ぎることができるかどうか、である。日本の一部の「戦略家」は、ランドパワー勢力とシーパワーの間および中米両国の間において、日本は必ずその一方と同盟を結び、それによって他の一方を防がなければならないという「ゼロ・サム・ゲーム」的な対策を興味深げに語っている。こうした考え方は日中両国が戦略的和解に向かう最終的な障害になるであろう。もしも日本がこの袋小路を最後まで歩いていくならば、最終的にはみずから自主外交確立の最良の時機を逸し、21世紀の大国関係調整のプロセスの外に置かれることになろう。

21世紀を展望するならば、日中関係は数多くの歴史的チャンスと挑戦に直面している。日中両国は良好なチャンスをつかみ、厳しい挑戦を迎えうち、21世紀の日中関係をともに推し進め、それをよりよい前途へと健全に発展させるべきである。

2002年7月1日掲載

2002年7月1日掲載

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