中国経済新論:中国経済学

新制度経済学はなぜ中国で風靡するのか

王躍生
北京大学経済学部教授

本稿を書くにあたって、まず2つの問題を提起したい。1つは、近代以降、中国の経済社会が長期間にわたって立ち遅れた原因は一体どこにあるのか。もう1つは、なぜ隣り合った2つの家は庭に桓根を作らなければならないのか。この2つの問題は一見殆ど関連していないように見える。前者は経世済民という、天下の運営に関わる重要な問題であるのに対して、後者は庶民の日常的な問題にすぎない。しかしこの2つの問題は、共に制度経済学者に好まれる問題であり、彼らにとっては、同じ命題―制度及び制度の機能―にたどりつくのである。本稿は、制度経済学を紹介し、次に新制度経済学が中国で受け入れられ、中国の経済学者たちに好まれる原因を解明する。その上で制度経済学の理論を使って、最初に私が提起した2つの問題に対しての答えを試みたいと思う。

新制度経済学の新味

経済理論あるいは経済流派として、制度経済学は決して斬新なものではない。ヴェブレンの「有閑階級の理論」やコモンズの「制度経済学」に代表される旧制度経済学、そしてガルブレイスに代表される現代制度経済学は、経済学説史を専攻している人にとって、もはやお馴染みの存在となっている。これらの理論が経済学に与える影響は今日の新制度経済学に少しも劣っていない。しかし、私の考え方では、これまでの制度経済学は今日の「新制度経済学」と比べると、名前が殆ど同じで、共に「制度」を研究対象としている以外、理論体系、研究方法そして政策のインプリケーションといった面では、必ずしも一致する所が多いわけではない。しかし、今までの制度学派との違い、言い換えれば、新制度経済学の独自性によってこそ、新制度経済学は経済学界及びそれ以外の各領域にも広く影響を及ぼしているのである。

簡単にいえば、新制度経済学とは経済学の方法を使って、制度に対する研究を試みる学問のことである。新制度経済学の最も有名な学者の一人であるダグラス・ノースの話を引用すれば、「(新)制度経済学の目標とは、制度が変遷する現実世界の中で、人々はいかに意思決定をするのか、そしてその意思決定は世界をどのように変えるのか」ということになる。

以下、新制度経済学の主な内容と論点をまとめてみよう。

―制度とは、社会、政治及び経済に関する行為の規範である。それは、一国の憲法制度や財産制度から高速道路の料金制度まで広い範囲に及んでいる。制度経済学者は「社会ゲーム」という言い方をよく使うが、個人、企業、あらゆる社会組織、そして国家(政府)は「社会ゲーム」におけるプレイヤーにすぎず、制度はまさしく「ゲームのルール」となっている。ルールがきちんと設定されて初めて、ゲームはスムーズに進められるのである。

―制度には、フォーマルな制度とインフォーマルな制度の二種類がある。フォーマルな制度とは、政治的あるいは司法上のルール、経済的ルール、そして契約を含め、憲法やその他の諸法律、条例、個人間の経済に見られるような成文のルールを指す。これに対して、インフォーマルな制度とは、習慣、伝統などに見られるような不文の行為規範である。制度の作用とは、フォーマルな制度とインフォーマルな制度が、共同に機能を発揮した結果である。制度全体では、フォーマルな制度の割合が少なく、むしろインフォーマルな制度の量が圧倒的に多い。

―制度経済学者にとって、「ゲームのルール」としての制度の作用は、制度主体に対して規範や制限を加えることによって、社会及び経済の有効な運営を保証し、より多くの財を創出することに等しい。経済学の用語を使えば、制度の経済的な効用は、「取引費用」を節約し、「インセンティブ・メカニズム」を提供する上に、「外部効果」を抑え、「協力」の条件を作り出すことにある。

―経済学の観点から見れば、制度は自然資源、人力資源、技術知識と同様に稀少な資源であるが、社会生産過程や社会経済運営にとって、欠かせない要素となっている。従って、われわれは、その他の生産要素を分析するのと同じように、制度の需要、供給、均衡などを分析すべきである。制度経済学の目的は、制度均衡の実現を促進するものである。

―制度革新あるいは制度変遷は、技術革新や変革と同様に、費用が伴う。制度革新あるいは制度の変遷は、収益が費用を上回っている場合に限り行われる。人々が制度革新あるいは、制度変遷を求めるのは、新しい制度が彼らにより大きな収益をもたらすからである。

―制度革新の主体となりうるのは、国家、各種の経済組織(特に企業)及び個人である。歴史過程から見ると、国家は制度革新の最も重要な主体である。しかし、国家自身も一種の制度あるいは1つの社会組織である。このため、その他の組織と同様、国家が制度改革や制度革新を推進する際には、自身の理性の限界や、費用と収益に対する考慮などによって、効率の悪い制度をも、無意識に維持しかねない。

―ロシア、東欧、中国などの「計画経済体制国家」が推進している経済改革は、一種の重大な制度変遷である。各国の改革前の制度的特徴、社会文化的伝統、社会心理など非制度的要素、そして各国の政治構造、政治秩序などは、こういった国々が制度改革や制度革新を行う際に、どのような制度変遷モデルを選択するかといった問題、また制度変遷の費用、収益、さらに改革の効果にも、大きな影響を及ぼしている。現在、多くの制度経済学者たちは中国に代表される「漸進的改革モデル」の改革費用は低く、ロシアや東欧で進められている「激進的改革モデル」より優れていると、認識している。

正統経済学と新制度経済学

新制度経済学の創立者である、アメリカのシカゴ大学のロナルド・コース教授が、その画期的な論文―「企業の本質」を発表したのは、1937年のことである。その時点から計算すれば、新制度経済学が誕生してから、60年の日々が経ったことになる。また、新制度経済学の古典として崇められるコース教授のもう1つ論文は、60年代の「社会的費用の問題」であり、そこから計算しても、新制度経済学の誕生は、もう40年前のことになる。実際には、「企業の本質」と「社会的費用の問題」のいずれも、発表時点では重視されておらず、むしろ長い間無視されていたのである。最近20年間、新制度経済学自身が著しく成長し、多くの優れた経済学者と法学者たちが制度に対する研究を展開しているのを受けて、この2つの論文の価値も、やっと認識されるようになってきた。そして、コース教授自身も、彼の制度及び企業研究に対する貢献により、新制度経済学の大家である、ダグラス・ノース、ジェームス・ブキャナンと共に、ノーベル経済賞を受賞することになったのである。

この20年間、なぜ新制度経済学はこれほど著しい発展を展開し、そして広く受け入れられるようになったのだろうか。あるいは、なぜ新制度経済学を研究する学者たちは、次々とノーベル経済賞を受賞したのだろうか。そしてこれらの現象と対応しているかのように、近年新制度経済学は中国に多くの影響を与え、経済学の専門知識を持っていない普通の民衆にまで注目されているのはなぜだろうか。

はじめの2つの問題は、次のように簡単に解釈できよう。西側の正統経済学(マクロ、ミクロ経済学)、即ち新古典理論からケインズの政府介入の理論まで、そして両者を総合した主流経済学であるポスト・ケインズ主義経済学は、西側経済理論界を百年以上も支配してきた。一方、経済生活及び経済関係がますます複雑に展開していく中で、経済活動における「人」の要素、特に人と人との関係を殆ど考慮しない正統経済学は、現実に対する解釈力と政策面における影響力に欠けている点で、自身の持つ矛盾を表面化させてきている。それによって、7、80年代以来、新自由主義経済学の復興の流れが見られ、その中で、新制度経済学が発展、普及してきたのである。人、及び経済活動における人の行動様式と行為規範、さらにこのような行為規範の経済的影響を研究対象に取り上げる新制度経済学は、(投入-産出のような)物と物の関係だけに目を向け、その背後に隠れた人と人との関係を殆ど無視する正統経済学とは対照的に、変革が求められる資本主義経済にとって、非常に革新的であるように見える。従って、新制度経済学の人気が西側で上昇した背景には、まず正統経済学の理論上の限界、そして制度経済学自身の理論特徴が、西側経済における現実のニーズに一致したことがある。コースが言った通り、「新制度経済学は本来のあるべき経済学なのである」。

新制度経済学はなぜ中国の経済学者の心をとらえたのか

中国における新制度経済学の流行や社会に対する影響も、同様の原因に基づくものだと思われる。西側の正統経済学が精緻化、数学化を進める中で、人と人の間の利害関係に対する研究からますます遠ざかっていることとは対照的に、新制度経済学は人間、そして経済活動における人間同士の権力、利益関係に重点を置くことによって、現実経済を捉えようとしている。この点において、新制度経済学はマルクス主義経済学に類似しており、マルクス経済学を大いに参考にし、その啓発を受けていることは、紛れもない事実である。新制度経済学は、利益調整や再分配が絶えず行われているような体制の移行を分析するのに、最適なアプローチを提供している。

他方、制度変遷の一例である中国の改革は、新制度経済学に自分の理論と論点を検証し、さらに発展させる貴重な「実験室」を提供したといえる。西側の正統なマクロ、ミクロ経済学は、成熟した市場経済を対象とする経済理論であり、市場経済の初期段階にある中国の現状とは遠く離れている。このため、中国の経済学者たちは正統経済学の範囲の中では、世界レベルの研究成果を上げることは非常に難しい。しかし、新制度経済学は違う。中国の市場経済の初期における制度の欠如と秩序の混乱や、計画経済から市場経済への制度変遷、制度の形成及びそれが経済に対して影響を及ぼす過程は、中国の経済学者たちにとって、絶好の研究機会を与えたことになる。これらの問題に取り込むに当って、彼らは、遠いところから眺め、歴史分析だけを頼りにした西側の学者より、優位に立っていることは明らかである。仮に中国経済学者が、将来、世界レベルの研究成果を上げるとしたら、それは制度革新、または中国の移行期経済学に関する分析に違いない。

新制度経済学が社会民衆に広く注目されたのは、これだけではなく、次の事実にも関連している。計画経済から市場経済へと移行している社会においては、人々は大きな社会変動に直面し、不安と拠り所がないような思いにさらされやすい。このような思いは、主に制度(行為規範)の欠如から生じるものである。すなわち、従来の計画経済の制度はもはや機能しなくなったが、新しい市場経済の制度はまだ完全に機能していない。このような状況の中、移行期の社会では、社会道徳の低下や官僚の腐敗行為などの現象が多発している。新制度経済学は、まず「制度」の角度からその解釈を試みている。そして、利益のために衝突を挑むよりも、人間同士の協力関係こそがお互いに利益をもたらすことや、所有権の導入が移行期社会の制度変革を促すことなどを、理論を用いて、その対策を具体的に提案している。結局、新制度経済学は移行期の社会におけるこれら関心の高い問題に対して、民衆が納得できるように解釈しているため、広く共鳴を呼び起すことに成功したのである。

最後に、新制度経済学に対する説明を踏まえて、最初に提示した2つの問題に答えよう。中国が立ち遅れた原因は、様々な角度から見ることができるため、何百あるいは何千の解釈が可能であろう。その中で比較的に流行している答えの1つは、近代以来の科学技術の立ち遅れが、中国社会及び経済の遅れをもたらした主要な原因であるという。しかし、一歩突っ込んで問うと、なぜ近代以降の中国の科学技術は立ち遅れたのか。制度経済学の観点は、清朝の半ば以降の封建専制制度が、中国の科学技術の発展を制限したことにまで遡る。さらに少し話を広げると、16、17世紀の地中海沿岸から発する大規模な科学発明や技術進歩が工業革命を起爆させ、ヨーロッパ文明が徐々に世界の先進文明となった時期は、ヨーロッパ中期の農業奴隷制が次第に解体し、新しい社会制度と社会秩序が次第に形成された時期でもあった。これは、最終的に典型的なヨーロッパ「市民社会」が築き上げられる時期、すなわち制度革新が最も進展した時期と完全に一致していたのである。このことは決して偶然ではない。この事実は、新制度経済学にとって、1つの基本的な論点を検証したのである。すなわち、社会と経済の進歩に対して、決定的な作用を与えたのは、決して技術だけではなく、制度も重要な役割を果たしている、ということである。「良い制度」は技術自身の発展を含む社会や経済の発展を大いに促進するのに対して、「悪い制度」はまず技術、更には社会や経済の発展を妨げているのである。

二番目の問題に対して、簡単に答えよう。隣り合った家の桓根は、経済学の原則に一致する。すなわち、所有権の明確化は、取引費用の低減を通じて、当事者双方に利益をもたらす。仮に家と家の間に桓根がなければ、表面的には桓根に対する投資(材料と時間)を節約できる。しかし、お互いに境界線がはっきりとしないため、庭の使用や衛生上の問題を原因とする争い(このような争いは普段多く見られる)がもたされる。このため、両者の争いによって、桓根に対する投資を遥かに超える「取引費用」を負担することになる。以上のことから、ほんの少しの出費で桓根を作り、それぞれの権力と義務関係をはっきりさせること(経済学の用語では所有権の明確化)は、最も経済的であることがわかる。これは制度経済学者たちが常に言っている「所有権制度は取引費用を節約させる」原理のことである。

2001年9月17日掲載

出所

『立足于現実的思考』(生活・読書・新知三聯書店、2000年)、98-108ページ。原文は中国語。和文の掲載に当たって、著者の許可を頂いた。

2001年9月17日掲載

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